チベットレストラン&カフェ タシデレ

日本では珍しい「チベット料理」を看板にするレストランが今年8月にオープンした。チベット系のアイテムを出すネパール料理はいくつもあるのだが、ここはチベット料理専門店を謳い、加えてインド料理も出している。

店内にはチベット風の装飾がセンス良くあしらわれており、掲げられたタルチョの向こうには、深い青色の澄み切った空が見えてきそうな気がしてくる。

在日歴14年になるチベット人店主は、生まれも育ちもインドであるため、チベット料理を柱に、インド料理も共存する。厨房で料理しているのはチベット人とインド人の料理人たち。いかにも在印チベットコミュニティの人らしい演出だ。

都内や日本各地でこれから開催されるチベット関係のコンサートやイベントに関する情報も掲示されている。興味関心があれば、これまで知らなかった面白い出会いのきっかけになるかもしれない。

まだ開店から日が浅いため知名度は高くないが、やがて知られてくると、フラリと立ち寄ってもなかなか席がない・・・という具合に繁盛するのではないかと期待している。

ロケーションと連絡先等は以下のとおり。
Tibetan Restaurant & Café TASHI DELEK
所在地:東京都新宿区坂町26-21 四谷坂町永谷マンション 1F
電話:03-6457-7255
JR四ツ谷駅から徒歩10分
都営新宿線曙橋駅から徒歩10分

一品8,000Rsの料理


ムガル料理の老舗、オールドデリーのKarim’s本店にて食事。

一頭まるごと焼き上げるのだそうだ

メニューには、なんと8000ルピーもする「タンドゥーリー・バクラー」というのがある。店員に尋ねてみると、一頭分のマトンをタンドゥールで焼き上げるのだそうだ。

「週にどのくらい出るの?」と聞けば、「そうそう注文が入るもんじゃないけど、週に3件くらいオーダーが来ることがある。20から25人くらいで分けられるよ」とのこと。

とてもとても、そんな大きなものを注文できないが、もし機会があればぜひご相伴にあずかりたいものだ。

ナマステ・インディア2015

今年で23回目となるナマステ・インディア。9月26日(土)と27日(日)に東京都渋谷区の代々木公園で開催される。
その前の週末には同じ場所でフィリピン・フェスティバルも開催される。一日中、屋外で快適に過ごすことができるこの時期だが、こうしたイベントは天候次第。荒天に恵まれて盛況となることを願いたい。

Markha Valley Trek The Day 5

ハンカルの村のホームステイ先からカンヤツェ(中央の雪山)の眺め

昼食用の弁当を準備してくれるホームステイ先の女性たち

ホームステイ先を出発



午前6時起床。昨夜の雨はすっかり上がった。天気はいまひとつとはいえ、雨ではないのは幸いだ。7時半にハンカルの村を出発して、川沿いを歩いて次第に高度を上げていく。足元に生えている背の低い高山植物を眺めつつ、時にかなり急な勾配があったり、少々緩やかになったりする。マールカー村以降は基本的に登り基調なので、どんどん気温が低くなっていく。



キャンプを撤収する人たち















ホームステイ先を出たときにはカンヤツェを仰ぐことができたのだが。それでも谷間の眺めは素晴らしい。これで晴れていたならば、もっと素晴らしい眺めとなるのだろう。
ニマリンのキャンプサイトに到着

この日宿泊のテント






正午前にはニマリンのキャンピングサイトに到着。海抜4,800メートル。私にとって、これまでで最も高地での宿泊となる。テントと寝具は用意されているので、身ひとつで泊まることができる。ここには村はないため、ホームステイできる家はない。キャンピングサイトを運営するのは毎年違う村の人たちが輪番で行なっているとのことで、今年はハンカルの村の住民であるとのこと。

本日の宿泊先はここしかないため、早めに着いてテントを確保する必要があったのだが、途中の集落にあった茶屋で、ガイドのタシ君が彼のポケットマネーで買ったコーラのペットボトルを他のグループの女性ガイドに渡して何事か頼んでいる。

先に着いたらテントを確保しておいてね、と頼んだとのこと。翌日、コンマル・ラから下ってからのレーへのクルマに乗ったときもそうだが、タシは運転手と彼と一緒に来ていた娘らしい女の子にファンタを買って渡していた。何かとホームステイ先の子供に小さなお菓子を渡したりしてもいたが、マメな性格なのか、それともラダック人が全般的にそうなのかはよくわからない。

女性ガイドといえば、ユルツェのような宿泊客の多い家でのホームステイの際には、男性ガイドもいろいろと家の人たちの手伝いをしていたが、女性ガイドや女性ポーターはなおさらのこと、マメにいろいろと手伝いをしている。明るくて溌剌とした性格、大きな荷物を背負って、臆することなく川の急流をジャブジャブと渡っていく行動力と合わせて、お嫁さんにしたいと思う男性は多いのではないだろうか。私がまだ20代かつ未婚であったならば、きっとそう考えることだろう。

ガイドとしては、女性であるがゆえに月経という、避けては通ることのできない不利な面もある。昨夜のハンカルで同宿であったキューバ人とイタリア人のカップルのガイドは、そのために道中苦しんでいたそうだ。

午後1時から2時までテント内で昼寝。ぽかぽかと暖かくて気持ちが良かった。
午後2時過ぎからは、ガイドのタシ君とカンヤツェベースキャンプに行く。斜面を上る途中で雨が降り出したのだが、途中から雪となった。しばらく登ったあたりでは残雪もある。ニマリンから1時間強くらいは上っただろうか。ここだけのことではないが、場所によって足元が泥であったり、岩石の板状のものがゴロゴロしているガレ場だったりする。

斜面を登るとしばらく勾配が緩やかになったと思ったら、再び急坂になってくる。そんな状態で幾度も緩急を繰り返す斜面を登っていく。最初は遠くに見えていた、本日のキャンプ地がその段のためにやがて見えなくなってきた。




カンヤツェの氷河下端。山そのものの姿は雲で覆われて見えない。


カンヤツェを正面に見る下り斜面までやってきた。標高5,000メートルはあるため、息が切れる。ここにはかなり残雪があり、曇り空から降ってくるのは相変わらず雪だ。周囲の高山の上半分にも雲がかかっているので、同じように降雪が続いているのだろう。カンヤツェも下半分のみが見える。谷間を挟んだ正面には氷河の先端。


ベースキャンプといっても、現在これからアタックする準備をしている登山隊はないので、特にここには何もないし、誰もいない。それにしてもタシは普通に歩いているように見えても実はかなり速い。ラダック人全般に言えることだが、山道でゆっくり歩いているように見えても無駄のない歩き方?のためか、実際にはかなり速いので、ついていくのは容易ではなかったりする。とりわけ下りが速いようだ。同じようなことをかなり昔にボリビアでも感じたことがある。上るスピードはついていくことができても、下るときの速さは山の民ならではのものなのだろうか。

これまで村のホームステイだったり、キャンピングサイトに宿泊していたりした人たちは私たちと同じルート上を来ているため、しばしば追い越されたり、追い越したりといったときに顔合わせて話をするようになっている。こうした人々が本日は一堂に集まることになるため、賑やかに会話するようになる。食事のときにはトレッキングルート途中の茶屋に使われているような大テント内のテーブルに料理の大鍋が置かれてセルフサービス。マールカーのトレッキング最終日を目前にして、これまで同じルートを歩いてきた人たちとお別れパーティーみたいな具合だ。楽しさのあまり、うっかり失念していて、その際の写真を撮っていないことに後になってから気が付いた。

たまたま、ここにやってくるまで顔を合わせることがなかった人たちもいた。ベンガル人の3人連れで、国鉄マン、ソフトウェアエンジニア、民間の会社員の男性たち。彼らは写真仲間で、コールカーターで展覧会を開いたり、年に数回、こうした形で撮影旅行をしたりしているとのこと。撮影対象は自然であったり、祭りであったりと様々らしい。趣味でお金にはならないことに対して情熱を燃やし、費用手間をかけることを惜しまないのは、文化を愛好するベンガル人らしい。

夜は激しい雨となった。強い雨により、ひとつテントが浸水のためダメになったとのことで、午後9時頃からカヤーの村出身のガイドがひとり、私たちのテントにやってきた。この人はフランスの学生団体の案内をしている。元々は、学生時代にパートタイムでガイドをしていたとのことだが、現在では専業でやっているとのこと。オフシーズンの冬には、スノーレパードを観に行く人たちがいて、私たちが初日に通過したルムバクに行くことがあるとのこと。

テントを打つ雨音、テントが風でばたばたとはためく音などが煩くてなかなか寝られない。時計を見ると、12時、1時、2時、3時・・・。
ときおり雨が止んだと思うと、ロバがうるさく鳴き始める。雨をしのぐ屋根もなく、まるで寒さに耐えきれずに泣いているかのように思えたりして不憫である。翌朝起きてロバを見てみると、やはり寒いのには違いないのだろう。身体が震えていて気の毒になる。

夜中、トイレに行きたくなるが、雨は激しいし風も強い。しかもトイレはラダック式トイレのアウトドア版。この天候ではびしょびしょでもあり、想像するのもおぞましい場所である。ゆえに翌朝まで我慢することにした。ゆえになおさらのこと眠れない。
それに川の状態も心配である。歩いて渡れるのだろうか、と。

〈続く〉

Markha Valley Trek The Day 3



ルート上にある茶屋

朝7時半にスキウの村を出発。マールカー村を目指して川沿いに歩いて行く。その日によって楽しむ景色が異なるのがいい。初日は斜面と耕作地、2日目は高い峠と長い下り坂、3日目の本日は、川の流れ沿いに進んでいく。
浅瀬を選んで渡渉するが、連日の雨で川が増水しているのが少々厄介

マールカー川に注ぐ支流とマールカー川で、本日は何回かの渡渉があった。マールカー川の水は濁った深い茶色。氷河や雪解け水が水源であるため、まるで氷水のように冷たい。少し浸っているだけでしびれてしまうほどだ。








途中、競争しているわけではないのだが、他のトレッカーたちに追い付いたり、追い越したり、追い越されたりもする。こうしたことを繰り返しつつ進んでいくにつれて、いつしか顔見知りとなり、次の休憩地や宿泊地で話をしたりするようになってくる。

テントやら自炊用具やらすべてを背負ってキャンプしながら回っている頑強なイングランド人男性(有り余るパワーがうらやましいほど)とその彼女、NGOのスタディーツァーで来ているフランスの大学生グループ、同じくフランスから来たシニア夫婦、キューバ人男性とイタリア人女性のカップル等々、人気のルートなのでいろんな人たちと知り合うことができるのもまた楽しい。

村ではペットボトルのコーラその他の清涼飲料水は高値で売られているが、ミネラルウォーターのボトルを見かけない。これは販売が禁止されているからとのこと。その代わりに村々でホームステイを受け入れている家には、UV殺菌機能付きの水のフィルター浄化装置が配布されているとのことである。だが、そのフィルターがどの程度信頼できるものなのかわからないし、山歩きのときに下痢にでもなったらたまらないので、やはり宿泊先で沸騰させたお湯を頼むほうが安心なのではないかと思う。


マールカー村に到着

瑞々しい畑の眺めが美しい

幾度か、マールカー川のこちらから向こうへ、あちらからこちらへと渡渉しつつ歩いて来たら、やがてマールカーの村にやってきた。マールカーの村は川の北岸にある。宿泊したのは村の東の外れに近い部分。少し先には川があり、そこから先にも数軒の家がある。
マールカーのゴンパ

ゴンパの裏手

宿泊先はマールカー・ゴンパの隣の家。ゴンパは改装中で、村人たちがボランティアで材木を切ったり、壁にペンキを塗ったりといった大工仕事をしていた。このゴンパは、マールカー川沿いではなかなか由緒あるものらしい。

風が強くなると、続いて雲が押し寄せてきて間もなく雨となる。まさに「風雲急を告げる」といった感じだ。山の天気は変わりやすい。

この晩の食事はスキウという料理。日本のすいとんのようで好きだが、ラダックの料理は総じて非常に薄味だ。

午後7時くらいに食事を出していただき、8時半には就寝した。

〈続く〉