マジヌーカーティーラーのチベット難民コロニー

ダリヤガンジに書籍を買いに行った後、少し足を伸ばしてマジヌーカーティーラーのチベット人マーケットへ。昼食はここで済ませることにした。

チベット難民コロニー入口のゲート

界隈は、1980年代後半あたりの有様からは想像も出来ないくらい変容した。インドのどこ場所についても、そんな昔と比較するのはナンセンスなのだが、この場所については、高級化、利便性の向上具合が凄まじい。

洒落たブティック(チベット衣装を売っている)、モダンなテイストの品々を揃えてセンスの良い店内レイアウトの仏具屋、快適そうなゲストハウスやホテル、人気のレストラン(主にチベット料理)などがひしめき合っており、露店が立ち並んでいた昔と同じ場所とは思えない。

非常に建て込んでいるうえに、高層化が進んだ(大半が違法建築のはず)ため、昼間でも果たして朝なのか夕方なのか判然としないほど陽が差し込まない。

チベット人の中年女性が白い小石のようなものを袋に入れて売っているが、これはチベット式の乾燥式チーズだが、どこから運んできたのか、あるいは仕入れたのか尋ねてみたが、この人にはヒンディーも英語もまったく通じないため、インドにやってきて日が浅いチベット人なのかもしれない。

チベット式乾燥チーズ

ダラムサラをはじめとする在留チベット難民が多いところでは、「最近インドにやってきた」という人に出会うことは珍しくはない。そういう人でも、何かしら仕事や居場所があるのは、やはりチベット人居住区ならではといえる。

昼食は、チベット料理の店でトゥクパとシャプタ(薄切り肉のソテーみたいなもの)を注文した。水牛のものが品切れとのことで、チキンものとなる。

チキンシャプタ

中華料理の影響が強いチベット料理だが、中華料理ではポピュラーなのに使われない食材がある。それは魚だ。

すべてのチベット人が魚を食さないのか、広いチベット文化圏どこでもそうなのかは知らないが、一頭殺せば何人もが食べられる四足獣や鶏と違い、小さな川魚はひとつの命が与えることのできる恩恵が小さいため、殺生がより罪深いということになるらしい。

そうした意味から、川魚ではないが私たちの大好きなイクラやタラコのようなものは、とんでもなく罪深い殺生ということになるというようなことを聞いたことがある。

デリーでパールスィー料理を楽しむ

イスラーム教徒の勢力に圧迫された拝火教徒たちが、イランからインドに移住したのは10世紀(8世紀という説もある)。つまり1,000年以上経過しても、独自のアイデンティティを維持するとともに、独自の食文化も保持している。

インド国内でわずか6万人程度というコミュニティーで、多くはムンバイーやアーメダーバードなどに集中しているのだが、さすがはインドの首都デリーだけのことはあり、ここでもパールスィー料理にありつくことはできるのだ。

このレストラン「Rustom’s Parsi Bhonu」は、パールスィー寺院とダラムサラから成る敷地内にある。ダラムサラのカンティーンと書かれているため、簡素な場所を想像したのだが、ちゃんとした、しかも小洒落たクラシックなレストランであるのは、リッチなパールスィーらしいところかもしれない。

パールスィー寺院
パールスィーのダラムシャーラー。レストランはこの中のカンティーンという位置づけらしい。

私が訪れたとき、BGMがビートルズというのも、いかにものパールスィーらしく感じられた。イスラーム化とともに先祖の故郷を追われてインドに定住したパールスィーだが、英領時代に生活スタイルが西洋化した、オリエント起源で非クリスチャンのウェスタナーと言ってもよい部分があるのがパールスィーだ。

元クイーンの故フレディー・マーキュリーがムンバイーのパールスィーの一族に生まれ、ザンジバルで子供時代を過ごした後、英国に移住したが、そういう人物をパールスィーのコミュニティーが生んだことは、何ら不思議ではないことなのだ。

メニューにはいろいろなものが用意されているのだが、一人で食べに行くと、何皿も注文出来るものではないので、結局ターリーにした。

前菜のようなもの?から始まる。
「ターリー」に含まれるどのアイテムも上品な味わい。
デザートとして注文したラガ・ヌー・カスタードの甘美味で夢心地。

それでも前菜?みたいなのから始まり、味わいは洋食みたいであるのは興味深い。本日出たアイテムはすべて上品な味わいであるとともに、やはりボンベイを想起させる都会的なムード。

とりわけ面白かったのは、ターリーを食べ終わってから注文したLaga Nu Custardである。
「パールスィーの婚礼のときによく出されるものです。メレンゲを加えてふんわりと仕上げてあります」とのことで興味を持ったが、今のイランやトルコの甘いもの屋にあってもおかしくないような菓子であった。

イスラミックなイメージのあるローズウォーターで味を整えてあるが、パールスィー伝来の菓子がこの風味を持つとすれば、イランがイスラーム化する前からあったものということになり、本来イスラームとは無関係の味わいと香りということになるのではなかろうか?

レストラン名:Rustom’s Parsi Bhonu
所在地:Delhi Parsi Dharamshala, Bahadur Shah Zafar Marg, Delhi 110002, India
電話:+91 99100 60502

ウズベクレストランでプラオを食す

インドのイスラーム料理のルーツは、中央アジア、ペルシャ、アラビア。インドのビリヤーニーの祖先、あるいは親戚にあたるウズベクのプラオをデリーで食べるという喜び。

食は文化。同じアイテムが地域や民族を超えて伝播すると、それぞれの趣向や解釈が加味されて姿を変えていく。ビリヤーニーはインドが独自のアレンドを加えたプラオである。

食事をしていても大陸規模の地域文化や歴史の連続性、ひいてはそれらを伝えたイスラーム共同体(共存共栄する繋がりばかりではなく、征服者と被侵略者というケースもまた多かったにしても)のネットワーク、イスラーム文化の強烈なインパクトと浸透力を感じずにはいられない。

それはさておき、マジョリティがヒンドゥー教徒のインドとはいえ、非ムスリムにおいても、歴史と社会、建築文化、言語、風俗習慣、日々の行動などに、否定しても切り離せないイスラーム起源の習俗が色濃く残されている。ゆえに、現代のインドもまたイスラームに深く影響された国のひとつである。

タイフェスティバル2018

都内における最大級の屋外イベントのひとつ、「タイフェスティバル2018」は、東京渋谷区の代々木公園にて、5月12日(土)および13日(日)に開催される。

タイ王国大使館が主催するこのイベントは、現在では名古屋と大阪でも開催されるようになっており、それぞれタイフェスティバルin名古屋(6/2, 6/3)タイフェスティバル大阪(5/19、5/20)として開催されており、いずれも盛況のようだ。

なにぶん天候に左右される部分が大きい屋外イベント。これら催しの日は好天に恵まれることを期待したい。

SEI VUI RESTAURANT

カルカッタの旧チャイナタウンで進む「茶プロジェクト」もあって、かつて中国から単身で渡ってきた男性たちが起居した宿舎スペースが、このほど「SEI VUI RESTAURANT」中華レストランになったとのこと。

たしかこの建物やその界隈には、華人の同郷会館(出身地ごとの寄り合い組織)があり、いかにも華人居住区というか、そういうムードの建物が多い。

ムスリム地区と重なっているので、華人よりもインド人ムスリムのほうが沢山で、少し南に下るとアングロインディアン、東に進むとユダヤ人、アルメニア人地区に近い、いかにもカルカッタらしい人種と文化のるつぼといったエリア。

カルカッタへの華人移住は18世紀からはじまっているが、とりわけ19世紀後半から20世紀前半にかけて、中国の動乱の時期にかけて渡ってきた人たちが多い。

主に広東省、とりわけ梅県からやってきた人(広東人と客家人)たちが占める割合が高かった。今のように交通が普及し、情報化が進んだ時代ではないので、各地から幅広くというものではなく、何かしらの縁やコネのある地域から大量に移住というケースが普通であったようだ。

英領下でインドと合邦していた時期にインド人労働力を投入し、20世紀初頭までは定住した人々のマジョリティがインド人であった「インドの街ラングーン」のヤンゴン華人の故地もカルカッタ華人のそれとほぼ重なる。

これはマレー半島における南インド系の人々の移住パターン(かなり狭い範囲から集中的に移住しているという意味で)とも共通するものがある。

当時、労働者として渡った多くの人々は読み書きが満足に出来る人は稀だったので、書き残されたものはほとんどないかと思うが、こうした人たちを斡旋する業者みたいなのはどうだったのか?
大陸から遠く離れて、インドに移住し、たくましく定着して富を築いていった華人たちの手記の類があったら読んでみたいものだ。

SEI VUI RESTAURANT (Youtube)