カルカッタの旧チャイナタウンで進む「茶プロジェクト」もあって、かつて中国から単身で渡ってきた男性たちが起居した宿舎スペースが、このほど「SEI VUI RESTAURANT」中華レストランになったとのこと。
たしかこの建物やその界隈には、華人の同郷会館(出身地ごとの寄り合い組織)があり、いかにも華人居住区というか、そういうムードの建物が多い。
ムスリム地区と重なっているので、華人よりもインド人ムスリムのほうが沢山で、少し南に下るとアングロインディアン、東に進むとユダヤ人、アルメニア人地区に近い、いかにもカルカッタらしい人種と文化のるつぼといったエリア。
カルカッタへの華人移住は18世紀からはじまっているが、とりわけ19世紀後半から20世紀前半にかけて、中国の動乱の時期にかけて渡ってきた人たちが多い。
主に広東省、とりわけ梅県からやってきた人(広東人と客家人)たちが占める割合が高かった。今のように交通が普及し、情報化が進んだ時代ではないので、各地から幅広くというものではなく、何かしらの縁やコネのある地域から大量に移住というケースが普通であったようだ。
英領下でインドと合邦していた時期にインド人労働力を投入し、20世紀初頭までは定住した人々のマジョリティがインド人であった「インドの街ラングーン」のヤンゴン華人の故地もカルカッタ華人のそれとほぼ重なる。
これはマレー半島における南インド系の人々の移住パターン(かなり狭い範囲から集中的に移住しているという意味で)とも共通するものがある。
当時、労働者として渡った多くの人々は読み書きが満足に出来る人は稀だったので、書き残されたものはほとんどないかと思うが、こうした人たちを斡旋する業者みたいなのはどうだったのか?
大陸から遠く離れて、インドに移住し、たくましく定着して富を築いていった華人たちの手記の類があったら読んでみたいものだ。