インディア・トゥデイ五輪特集

空前のメダルラッシュのインド。2012年の北京五輪での6個を超える7個のメダル獲得により五輪史上通算で35個目となった。7個のうち3個は女子のバドミントン、重量挙げ、ボクシングによるもの。今週のインディア・トゥデイでは、その関係の特集が組まれている。インドスポーツ界が今後なすべきことなどについての分析。同様に「メダルラッシュ」とはいえ、人口規模から見ると、実は五輪強国とは比較にならない低調ぶりであることについての指摘も。

なにしろ今回の東京大会だけで、米国は113個、中国は88個、日本は58個、イギリスは65個、ロシア(ロシアオリンピック委員会)は、71個ものメダルを獲得している。それに較べると、インドがこれまで参加してきたすべての夏季五輪でわずか35個というのは、あまりに少ない。ちなみにこれまでインドは冬季五輪ではひとつもメダルを獲得していないからだ。クリケットを除いたインドのスポーツ界は、まだこれからであると言える。

インドに通算29個目にメダルをもたらした女子重量挙げ選手

東京五輪開幕まもない7月24日、女子重量挙げで銀メダルを獲得したミーラーバーイー・チャーヌーはマニプル州インパール出身。私たちと似たような顔立ちのモンゴロイドの人たちが暮らす州。男女ともに総じて小柄で、私ものような中肉中背、171cmの者が訪問しても「大柄」ということになってしまう。やや大袈裟に言えば、ガリバーになったような気がするのがマニプル州だ。

ひとつの大会で60個くらい獲得してしまう中国と雲泥の差ということになるが、インドの五輪出場史において通算29個目のメダルという輝かしい名誉である。

以前訪問した際にカルカッタから空路でインパールに入ったのだが、機内に揃いのジャージで小柄ながらもガッチリした女性たちの一団があったが、翌日の新聞で写真入りで「遠征していた重量挙げ選手たちが凱旋」とあった。前日機内の人たちであった。

マニプル州の民族の国技と言ってよいほど普及しているというわけではないようだが、インドの女性重量挙げ選手たちの出身はこの州に集中しているため競技への認知度は高いようだ。

また、これまで各種国際大会でメダルを多数獲得してきて、もう40歳にも近いのに今回も五輪に出場している女子ボクシング界のレジェンド、メアリー・コムの影響もあり、インドの女子ボクシング軽量級はマニプル州の独壇場だ。中量級以上を支配するパンジャーブ州、ハリヤーナー州と双璧を成している。

インドのスポーツ界は地域性が強い傾向があるが、もともとクリケット、テニス、ホッケー以外の競技については、とくに女性たちの間で普及度が低いこと、そしてその背景には社会的、文化的要因もあったようだが、経済発展がもたらしている社会のゆとりが広がることにより、今後はさらにもっと多くの才能が各地から出てくることもあるだろう。スタート地点が低いだけに今後の伸びしろは、膨大な人口とその多くを占めるのが若年層ということもあり、たいへん期待できそうだ。

Tokyo Olympics 2020 Day 1 Highlights: Mirabai Chanu wins silver, opens India’s medal account (The Indian EXPRESS)

蛇足ながら、一昨日、インドの五輪の歴史で29個目のメダルを獲得したマニプル州のミーラーパーイー・チャーヌーに、ドミノピザが「ピザを生涯無料」のプレゼントを提供とのこと。

本人は昨日午後にデリー空港に帰着。ほんの3日前に開会式があったばかり。しばらく東京に滞在して楽しんだら良かったのに、と思うけど、トップアスリートはそんなヒマではないのかもしれないし、派遣している協会も参加種目が終了した以上、そんなお金は使えないのかもしれない。

Domino’s to offer free pizza for life to Olympic medallist Mirabai Chanu (Business Standard)

五輪の歴史の中でインドが獲得してきたメダル数は?

いよいよ昨日7月21日から一部種目の競技が始まり、明日23日に開会式が行われる東京五輪。

Tokyo Olympics 2021, Full India Schedule: Events, Dates, Times, Fixtures, Athletes (THE TIMES OF INDIA)

上記リンク先は、インド選手たちが出場する競技の一覧。女子のカヤックと同じく女子の水泳は、インドから初参加の競技・・・と書くと意外かもしれないが、それよりも「意外!」に謂われるかもしれないことは、五輪の歴史の中でインドが獲得したメダル数(色は問わず)は、通算でわずか28個しかないことだ。2012年のロンドン五輪ではボクシングなどで合計6つのメダルを獲得したことは、インド史上初、空前の快挙であったのだ。

ちなみにこの「通算28個」というのがどういう数字であるのか、リオ五輪での主要国のメダル数と比較すると、その少なさがよくわかる。米国121個、中国70個、ロシア56個、日本41個、韓国21個であった。これらの国々がたったひとつの大会でこれだけ獲得しているのに、人口13億のインドが「すべての大会分合計して28個」なのである。人口規模で拮抗する中国は世界有数のメダル獲得王国であることと較べると、実に対照的だ。

これにはもちろん理由がある。五輪を国威発揚の有効な手段とする社会主義国を除けば、五輪の世界は「先進国クラブ」であった(現在もそういう傾向は強い)ため、あまり縁のないものであったこともあるが、インドでクリケット以外では、国際的なレベルの選手たちが出にくい環境であったこともある。庶民の関心の対象がほぼクリケット(東部や南西部など、一部においてはサッカーも)に限られること、それ以外のスポーツで身を立てるということがかなり狭き門となっていることには、やはりスポーツの価値への認知度があまり高くないという文化的・社会的な要因も大きいように思う。

それも2,000年代に入ってからは、かなり大きく変わりつつあるようだ。クリケット以外の分野でも、人々が豊かになるにつれて、健康への関心も高まり、スポーツを楽しむ人々が増えてきていることが裾野を広げているとともに、体育施設の拡充、各種競技の協会が先導するナショナルレベルの選手たちの強化への取り組みも強化されているようだ。近年、陸上競技、レスリング、ボクシング、重量挙げ、テニス、バドミントンなどの国際大会で活躍するインド選手が増えていること、五輪でもメダル獲得者が出ていることは、その現れだろう。

女子スポーツについては、地域的にかなり偏りのある分野もあり、陸上競技といえばパンジャーブ州、ボクシングといえばパンジャーブ州、ハリヤーナー州か北東のマニプル州、重量挙げならばこれもマニプル州というように、頂点を占める選手たちの分布が極端に集中している種目がある。母体となる競技人口そのものに大きな偏りがあるのでは?と想像するに難くない。(おそらくそうだろう。)

これまでが大国にふさわしくない低い水準にあったインド、今後の伸びしろは大きいはず。東京大会での飛躍を期待したい。

しかしながら気になるのは新型コロナの感染状況。7/20時点でインドの1日の新規感染者数は3万8千人余り。いっぽう日本では3,758人であった。インドの人口は日本の約10倍であるため、人口当たりで比較した新規感染者数の規模はほぼ同じだ。インドは「第2波」の収束方向にあり、いろいろ規制等を緩和していく中での下げ止まりといった具合で、日本は「第5波」がまさに爆発しようかという状況。そんな中での五輪開幕だ。とても喜べるような状況にはないことがとても残念であるとともに、大会と「第5波」の行方がとても気がかりである。

東京五輪特集

インディア・トゥデイ2021年7月21日号

こちらはインディア・トゥデイ7月21号。今号の特集は、今月23日に開幕する東京五輪出場のインド人選手たち。

私たちにとっては「こんな時期に正気の沙汰ではないオリンピック」だが、ベストを尽くしてこの大会まで自身のコンディションを上げてきた選手たちには罪はない。出場選手たちが最高のパフォーマンスを発揮できるように祈るとともに、1年の延期というたいへん厳しい試練を乗り越えてきたアスリートたちを心から応援したい。

もちろん応援できるのは、テレビ画面その他のメディアを通じてのみ、ということになるが。せっかく日本で開催されるにも関わらず、地元との交流がほとんどないのは、もちろん仕方ないとはいえ当然残念。

次に開催される五輪は、このようなケチがつくことなく、誰もが気持ちよく楽しめる、そして選手たちが地元と交流も行なうことができる、本来の平和の祭典であることを信じたい。

コロナ禍におけるラト・ヤートラー

7月12日はオリッサ州のプリーのジャガンナート寺院の大祭で、巨大な山車が引きまわされる「ラト・ヤートラー」が行なわれた。

コロナ禍での開催ということで、山車をけん引するコロナ検査陰性の者以外は参加不可とのことで、当日は外出禁止令が敷かれたため、一般の参拝客の姿はない。

各ニュース番組等のメディアで中継されていたが、次の映像は国営放送ドゥールダルシャンの映像でYoutube配信されたもの。昨日はライブ配信であったが、現在は録画されたものを閲覧できるようになっている。

寺院内では、それなりに密な感じだが、敷地外の誰もいない大通りで山車が引かれる様子は異様だ。来年は、従前と同じ環境で実施することが可能になっていることを祈りたい。

以下の映像は2019年のものだ。今年のそれが、いかに例年と異なるものになっているかが、よくわかることだろう。