ヘーマント・カルカレー氏夫人死去

2008年11月26日にムンバイーで発生した大規模なテロ事件からもう6年が経過しようとしているが、あのときの衝撃は今も鮮やかに脳裏に刻まれている。その日、現場に居合わせたわけではなく、複数の現場からのライヴ映像を流すインドのニュース番組に釘付けになっていたのだが。

次々に伝えられる虚実が入り混じった情報の中、事件が起きた11月26日から同29日にこれが終結するまでという長時間に及ぶ悲惨なテロ事件が、電波に乗って中継されるという未曽有の出来事であった。テレビニュースから垂れ流しにされる様々な報道は、同時にテロリストたちの現状把握の助けにもなってしまうという皮肉な側面もあり、報道の自由や国民の知る権利について、このような事態の元にあっては何かしらの制限をかけるべきではないかという議論もあった。

そんな非常事態下ではあったが、わずか10名の実行犯により、164名の死者、308名の負傷者(数字には諸説あり)に及んだこと、足掛け4日間という長期戦となってしまったことについては、テロに対する大都市というものの脆弱さを憂うとともに、当局の手際の悪さについて厳しい非難を呼ぶことにもなった。

そんな中で、現場の警察官たちは精一杯頑張っていたことについての一定の評価もあり、実行犯のひとりのアジマル・カサーブ(2012年11月に絞首刑)をほぼ素手で生け捕りにした巡査たちの勇気やテロリストたちの銃撃により殉職することとなったムンバイー・アンチ・テロリスト・スクウォッド(ATS)のチーフのヘーマント・カルカレー氏について、メディアで大きく取り上げられていた。

Anti Terror Squad head killed in Mumbai Terror Attack Hemant Karkare (Youtube)

そのカルカレー氏のカヴィター夫人は、夫の死に関して治安組織の装備に関する不手際について非難の声を上げており、ヘルメットや防弾チョッキ等の強度が基準を満たしていないものであるという事実が明るみに出るなど、テロ対策に当たる組織のありかたについての不安について大きな波紋を呼ぶこととなる。

カルカレー氏は、自らが所属する警察組織から事件に関する最初の一報を受けたわけではなく、自宅でテレビを観ていたら、この事件を伝えるニュースが流れたため、取り急ぎ職場に急行したということにも、私自身は大きな不安を覚える。警察内部での反応よりも、報道のほうが早かったということが事実であるとすれば、である。この部分については夫人が糾弾していたわけではないようだが。

一男二女の母であり、大学講師でもあるカヴィター夫人は、事件後しばらくはメディアで取り上げられる機会が多かったが、脳溢血で倒れて昏睡状態となり亡くなった。夫を失った悲嘆とともに、数多くの心労もあったことだろう。ご冥福をお祈りしたい。

だが、彼女の場合は、夫がIPSのエリート警官であり、テロ対策チームを率いる立場であったがゆえに、また事件後にこうした業務に従事する警察官たちの装備等に関する疑問を呈して世間に知られることになったがゆえに、このように報じられることになったわけだが、カルカレー氏のようにテロ実行犯と対峙して殺害された多くの治安対策組織の人々、事件に巻き込まれて命を落としたり、大きな障害を負うことになった人たち、またそれらの人々の家族もあるわけで、生涯に渡って自分の落ち度によるものではない深い傷を負って生きていくことになる。

いかなる理由や動機があろうとも、テロ行為を正当化することは出来ないということは、広く共有される認識であるはずだが、それでもこのような事件は世界各地で後を絶たないことは誰もが憂うところである。

ナマステ・インディア2014 閑散とした会場

920日の土曜日にナマステ・インディアの会場を訪れてみた。場所は東京の代々木公園イベント広場。

まさにガラガラの状態

もしかすると「デング熱騒ぎで閉鎖されているのでは?」と思う方もあるかもしれないが、閉鎖された地域とは隣接しているものの、ここはそうした措置の対象にはなっていない。

だが、週末であるにもかかわらず、イベント広場の西側のグラウンド、東側のフットサルコートも人影がなく、これら当面の間利用が中止となっているようだ。

さて、例年のような大混雑が少しは緩和されているのではないだろうか、と思いつつ足を向けてみたのだが、会場に着いてみると、何やら行われている様子ではあるものの、開催される日を間違えて来てしまったのかと思ったほどであった。

何しろ人出が非常に少ない。ここに掲載した写真は昼過ぎの時間帯に撮ったものである。かつてこんなに寂しい開催日があっただろうか?

ミティラー画のアーティストたち

中止とせずにやはり開催することが決まったのが910日であったが、出展されている方の話によると、同じように出展しようとしていた業者等の間で相当数のキャンセルがあったとのことだ。そのため、スペースをかなり狭めて開かれているし、それがゆえに当初割り当てられていた場所からの配置換えもかなりあったようだとのこと。同様にステージのプログラムについてもいくつか中止されたものがあるとのこと。

レストラン関係の出店取りやめも多かったようだ。それがゆえに、来場者はとても少ないながらも、食事時には出てきているレストランのカウンター前にはそれなりの行列が並んでいるように見えることとなった。

「まぁ、これくらいのほうがゆっくり見ることができていいですよ。」という声は来場者たちの間からはあり、それはそれでいいのだが、少なくとも初日においては、例年と比較して来場者数や盛り上がりという面で大幅な失敗ということになることは否めないであろう。主催者や出展者の方々にはとても気の毒なことである。

もうすでに公園内では念入りに蚊の駆除はなされているはずだし、この気温の低い中で蚊の行動が活発であるはずもない。そうでなくとも、要はデングを媒介する蚊に刺されなければ罹りようもない病気であるため、虫除けを持参すれば済む話である。

まさに「風評被害」ということになるかと思うが、921日の日曜日はもう少し賑やかになって、多少の盛り上がりを見せてくれることを願いたい。個人的には、例年どおり本日ここでいろいろな方々にお会いすることが出来て、やはり来てみて良かったのだが。

 

エボラの脅威は対岸の火事ではない

西アフリカでエボラ出血熱がこれまでにない規模で流行している。

致死率が90%以上と非常に高いこと、発病後の症状が劇的に激しく、治療方法が確立していないことなどから、大変危険な病気であるということは誰もが認識していたものの、これまでは農村部の限られた人口の間で散発的に小規模な感染が伝えられるという具合であったため、この地域における風土病というような認識がなされていたのではないだろうか。

だが今回、ギニアで発生したエボラ出血熱が隣国のシエラレオネとリベリアにも及び、ギニアでは首都のコナクリにまで広がるという事態を迎えており、空前の規模での流行となっている。以下のリンク先記事によれば、感染者は635名に及んでいるという。

史上最悪、西アフリカでエボラ感染拡大(毎日新聞)

今回、これほどまでに感染が拡大したこと、農村の限られた地域での流行と異なる部分などについてはいろいろ指摘されているが、首都での流行については、これが旅客機等により、地続きではない国々にまで飛び火する可能性を秘めていることをも示している。

コナクリからフランス、ベルギーといった欧州の国々、ダカールやモロッコ等の周辺国へのフライトがあり、それらの到着地から接続便で北米やアジア方面にも接続することができる。

そんなわけで、地球のどこの国に暮らしていても、とりわけ今回の流行については、対岸の火事と傍観しているわけにはいかないという危惧を抱かせるものがある。

あまり想像したくないことだが、これが人口稠密で、インドをはじめとする南アジア地域に飛び火するようなことがあったら、あるいは同様に人口密度の高い日本で発生するようなことがあったら、一体どのような大惨事になることだろうか。だがこれは絵空事ではなく、前述のとおり、ごく短時間で世界のどこにでも移動できる現代では、充分にあり得る話である。

流行地からは、このようなニュースもある。エボラ出血熱を発症したものの、完治して生還した事例だ。

エボラ完治「奇跡」の妊婦、喜び語る シエラレオネ(時事ドットコム)

流行の抑え込みとともに、ぜひとも期待したいのは病理学的な解明と治療法の確立である。今はただ、今回の大流行が一刻も早く収束を迎えることを祈るとともに、医療現場で命を賭して患者たちへの対応に当たっている医師たちに敬意と大きな感謝を捧げたい。

アンゴラでイスラーム教が禁止に

インディア・トゥデイのウェブサイトで、こんな記事を見かけた。アフリカ南西部に位置するアンゴラが、世界初の「イスラーム禁止国」となったとのこと。

Angola ‘bans’ Islam, Muslims, becomes first country to do so (India Today)

特定の信仰を禁止するということは、基本的人権にもかかわる由々しき事態ではあるが、アンゴラという国のことについては、今世紀初頭まで30年近く内戦が続いていた国であること、住民の大半がクリスチャンということ以外にはよく知らず、同国内での政治動向等に関する知識は持ち合わせていないのでなんとも言えない。

しかしながら、おそらくこれまでずっとイスラームとの関係が薄かった国で、近年急激に広まってきたイスラームの信仰や文化との摩擦が生じていたり、同国の政治にとって好ましくない政治的勢力が浸透しつつしていたりするということが恐らく背景にあり、危機感を抱いた政府が、これらの締め出しを図るようになった、という具合なのではないかと想像している。そうでもなければわざわざ政治が信仰に介入することはないだろう。

それにしても「イスラームの禁止」ということでこうした形で報じられることにより、当然「イスラームの敵」というレッテルを貼られることは必至であり、イスラーム世界とは縁薄い地域であるように思えるが、それでもこれを信仰に対する宣戦布告と受け止めて、同国内に存在する数は少ない信者たち、あるいは国外からの勢力から過激な行動に出る人たちもあるかもしれない。

とりわけラディカルな聖戦思想を掲げる組織にとっては、信仰を禁じて礼拝施設の取り壊しに出ている同国の政府に対する攻撃は、信仰の敵に対する戦いとして目的が非常に明確だ。志を同じくする仲間たちに連帯を訴える格好のターゲットとして、純真な若者たちをリクルートするための舞台装置としてアピールできることだろう。

非常に長い期間続いた内戦の後、ようやく平和を享受しているアンゴラにとって、何か新たな大きな危機の始まりであるように思えるが、これが杞憂であることを願いたい。

インドの次期首相候補最有力者 ナレーンドラ・モーディー

近ごろ、Androidのアプリでこんなものが出回っている。いろいろな種類があるが、ナレーンドラ・モーディーの写真、スピーチを取り上げたものであったり、簡単なゲームであったりする。この初老ながらも眼光鋭い男性、モーディーはご存知のとおり、現在のグジャラート州首相にして、近い将来にインドの首相の座に上り詰める可能性が高い人物だ。

ナレーンドラ・モーディー関係の様々なアプリ

来年前半、おそらく5月に実施されることになりそうな独立以来16回目のインド総選挙。BJPの優位と国民会議派の苦戦が予想されている。近ごろ評判が芳しくない国民会議派、支持の着実な高まりがみられるBJPのどちらが第一党になったとしても、いずれも単独過半数を獲得することはないと思われるため、連立工作が政権奪取への鍵となる。

国民会議派vs BJPという構図は従前と同じだが、これまでとはその中身がずいぶん異なる。前者では現在副総裁の地位にあるラーフル・ガーンディーが党の主導権を握るに至り、党指導部の大幅な世代交代が予想されている。

後者にあっては、85歳にしてなお首相の座への意欲を見せていたL.K. アードヴァーニーが党内の争いに敗れて、グジャラート州首相の三期目を務める地元州での圧倒的な支持がありながらも、それまでの党中央との折り合いが良くなかったため雌伏を余儀なくされていたナレーンドラ・モーディー氏が次期首相候補に躍り出ることとなり、BJP内での勢力図が大きく塗り替えられている。

BJPは、従前からヒンドゥー至上主義の右翼政党として知られているが、ナレーンドラ・モーディーが主導権を握ることにより、右傾具合にさらに拍車がかかることから、これまでBJPと連立を組んできた政党の離脱と他陣営への接近といった結果を生み、政界の新たな合従連衡の再編の時期に来ているといえる。

凋落の方向にある国民会議派の新しいリーダーとしての活躍が期待されるラーフル・ガーンディーは、インド独立以来長く続いた「ネルー王朝」直系男子という血筋と支持基盤、そしてハンサムな風貌には恵まれているものの、政治手腕は未熟で、演説も青臭い「怒れる若者」的な調子で、とても「世界最大の民主主義国」にして、「多様性の国」の様々な方向性を持つ民をひとつにまとめて引っ張っていく器には今のところ見えない。首相としての任期をまだ半年残しているマンモーハン・スィンとの乖離には、副党首としての調整力の欠如は明らかだ。

対するBJPの首相候補のモーディーは、2001年にグジャラート州で起きた大規模な反ムスリム暴動の黒幕であるとの疑惑を払拭することができずにいるものの、しかしながらそれがゆえにヒンドゥー至上主義に賛同する層からは強力な支持を受けるとともに、インドでもトップクラスの経済成長を同州で実現させた政治的な力量と実力は誰もが認めるところだ。州外の人たちの間でも「グジャラート州のようになりたい。中央政界をモーディーに率いて欲しい」と思わせるだけのカリスマ性のある政治家である。

今後、両党のトップとなる二人の政治家たちの器という面からは、国民会議派のガーンディーの力量不足とBJPのモーディーが着実に積み上げてきた実績は比較のしようもない。

BJP体制になることにより、これまで国民会議派支配下にあることにより保護を与えられてきたムスリムや後進諸階級の人たち以外にも、不安を感じる人たちは少なくないはずだ。党内の有力者たちの中でもとりわけ「サフラン色」が濃厚で極右的な人物であるだけに、「ナレーンドラ・モーディー首相誕生」とは、それ自体がひとつの災害ではないかとさえ思う。それでもBJPが魅力的に見えてしまうのは、やはり国民会議派の無能ぶりがゆえのこととなる。

そうした状況なので、来年の総選挙により、インド中央政界は今後よほど想定外のことが起きない限りはBJP体制に移行することになるのだろう。今後の国のありかたを決定付ける大きな転機となるが、それを決める主体が国民自身であるということこそが、まさに世界最大の民主主義国インドだ。

だがBJPについては、同党の方針や政策そのものが大半の国民の大きな信任と信頼を得て当選ということにはならないであろう。最大政党のコングレスが不甲斐ないがゆえの、いわば「Protest vote」が集まった結果ということを重々認識しなくてはならない。

以前、BJPがインドの中央政権を握った際の首相はアタル・ビハーリー・ヴァージペーイーという、右翼政党指導部にありながらも、大いに自制の利いた賢者であった。ナレーンドラ・モーディーがどういう政権運営をするのかということに、彼の政治家としての器が果たして「世界最大の民主主義国の首相」にふさわしいものであるのかどうかが問われることになる。