聖地に集合!

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 やはりインドという国はひと味もふた味も違う。シカゴを拠点とするNRI資本により、「ディズニーランドみたいな」テーマパークが建設されるそうだが、花形マスコットはミッキーマウスではなく、ハヌマーン神だったりするのだそうだ。
 このテーマパーク「ガンガー・ダーム」は、ガンジス河岸の聖地ハリドワールで、25エーカーもの広大な土地に650万ドルの資金を投入して建設されるという。
 予定されている入場料は35ルピーと手ごろだが、ヒンドゥーの神々のアニメーション博物館、フードコート、サウンド&ライトショー等々さまざまなアトラクションが用意されるのだという。
 ハリドワールで2010年にクンブメーラーが開催されるころには、このガンガー・ダームも全面開業しているとのことだ。

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外国へ行こう、安く!!

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 大衆化が進むインドの空の旅(本当の庶民が飛行機に乗るようになったわけではないが)だが、この流れはついに国際線にも及んできている。
 かたや「自由化」の波、かたや日増しに拡大する需要にこたえるため、政府系企業であるエア・インディアとインディアン・エアラインス両社による独占体制はいよいよ終わりだ。
 4月29日、新会社「エア・インディア・エクスプレス」によるガルフ方面へのフライトが就航予定。インドからの航空路は東方向よりも西方面、とくに湾岸諸国との間のネットワークがより緊密で、中東産油国との関係の深い縁を感じさせてくれる。近いうちに東南アジア方面へのサービスも始める予定だという。運賃は既存の便より3割ほど安いのだとか。
 エア・インディア・エクスプレスは、その名の示すとおりエア・インディアの子会社だが、今後ガルフや東南アジアといった近隣国への路線には、ジェットエアウェイズやエア・サハラといった90年代に発足した民間の航空会社も参入していく方向だ。前者については欧州やアメリカ路線への進出を控えており、インド発の国際線も今後は自国キャリア同士での大競争時代を迎えることになるのだろうか。
 チェンナイからカリカットへ行きのインディアン・エアラインスのフライトを利用したが、空港では国際線ターミナルから出発だと告げられた。この飛行機の最終目的地はオマーンの首都マスカットなのである。他の多くの国内線と同様、エアバスA320の小さな機体。中央の廊下をはさんで左右に三座ずつならんでいるものである。同社の国際線はあまり利用したことがないのだが、タイムテーブルを見てわかるとおり、現在までは湾岸諸国行きのフライトを含めた国際線の多くはこのエアバスA320が使われている。
 空の旅の大衆化により需要が大幅に拡大している昨今、これからは使用される機材の大型化も進んでいくのではないだろうか。インド各地で既存の空港の拡張が行われ、新たに国際空港化されるところもいくつか出てきているし、すでに空港のキャパシティが限界にきているバンガロールのように、新空港建設が急務とされているところもある。
 インド空の旅事情は、今後数年間で大きく様変わりすることだろう。
Air-India Express to expand network in India, abroad

紫煙に想う

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 葉巻といえばキューバ。往年のカストロ首相のトレードマーク(とっくの昔に禁煙しているそうだが)みたいでもある。
 だが60年ほど前まで、これに匹敵するほどの葉巻王国がアジアにも存在していた。インドである。主要な産地として世界的に知られていたのは、岩山の上にそびえる寺院で知られるインドのタミルナードゥ州のティルチラッパリであった。当時の綴りでTiruchinopoly。かのウィンストン・チャーチル(1874〜1965年)もここの製品を愛用していたとか。
 今ではすっかり衰退してしまったインドの葉巻産業。あえて「インドの葉巻」の話を持ち出せば、「あぁ、ビディーのことね」なんて言われてしまいそうだが、実は今でもティルチラッパリを中心に、地場の葉巻を製造・輸出する会社がいくつかあるようだ。
 その中にはフルーツやスパイスなどのフレイバー付きの小ぶりな葉巻を扱うSopariwala ExportsAfzal Molassesといった業者もある。
 従来より葉巻を愛用していた人がこんな軽薄な(?)ものに手を出すとは思えないので、おそらく若年層や女性たちの間に新たな顧客層を開拓しようと模索しているところなのだろう。
 好調な経済成長とともに、一時期「若い人たちの間でキューバ葉巻をたしなむ人が出てきている」と書かれた記事を見かけた記憶がある。また喫煙率の減少とは裏腹に、都会の女性たちの間にタバコを吸う人が増えてきているのはインドもまた同じだ。そうは言っても手軽な紙巻とくらべて重厚長大で悠長なモノが定着するとは思えない。
 かのタバコ大国キューバでもついに公共の建物等での喫煙が禁止されるなど、紫煙に対する風当たりが日増しに強まっているご時勢なのだから。

求めよ、さらば与えられん

 世にも厳しい法がある。家もなく無一文の人たちによる自らのサバイバルを賭けた「物乞い」という行為が犯罪となる。その根拠となるのは1959年にボンベイ州(当時)で制定された「ボンベイ物乞防止条例」(Bombay Prevention of Begging Act, 1959)で、1961年3月からデリー首都圏でも適用されている。
 これによれば、乞食を行う目的で公共の場(鉄道車内等を含む)や私的空間に入ること、身体の不具合を見せるなどしてお金を求める行為が禁止されている。
 だが事前に当局から許可を得ているものは取締りの対象とならないことが記されており、これは募金等の慈善行為を指すのであろう。
 この条例では施しを求めるいかなる行為、たとえば歌唱、踊り、占い、演技、物品の販売等を禁じているため、本来の乞食だけではなく大道芸人や路上で新聞などを売り歩く少年たちさえも、この条例を口実にした取り締まりの対象となり得る。 
 違反者の処罰については、初犯は3年以下の禁固、再犯は10年以下の禁固ということになっている。また乞食行為の「使役者」に対しても、1年以上3年以下の懲役が定められている。
 2002年にはこの条例が改定され、これを読んでいるあなたも罰せられる可能性が出てきた。「乞食に施しを与えることにより、スムーズな交通の流れを妨げる」ことに対して、100ルピーのペナルティーを課すことができるようになったからだ。
 本来はこの条例、物乞いの禁止とそれにかかわる人々の保護と自立支援を目的にすることをうたっており、乞食行為に対する処罰とともに、行政側がこうした人々の保護と収容、教育と就労支援の付与、その目的が遂行されるための施設を運営することが明記されており、必要とあれば病気等の治療も与えられることになっているのだが、路上の現実を見ればまさに机上の空論であろう。

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ヘリテージなホテル 2 スリランカのコロニアルホテル

NEW ORIENTAL HOTEL
 インドの宮殿ホテルとくれば、隣国スリランカではコロニアルホテルが特徴的だと私は勝手に信じている。
 もちろんインドにもコロニアルホテルは多いのだが、有名どころとなるとタージグループのような大資本の傘下になっているものが多いようだ。そのため新たに手が入りすぎたがゆえに本来「味」が失われていたり、運営やサービスが標準化されていて魅力に欠けていたりする・・・と書きたいところだが、実は高くてあまり利用したことがないので大きなことは言えない。
 スリランカのコロニアルホテルの代表格として、ゴール( Galle ) のかつてオランダによって築かれた要塞の中を走るチャーチストリートにそびえる、約三百年前のオランダ時代に建てられたニューオリエンタルホテルを挙げたい。現存する同国最古ホテルということもあり、その歴史的価値は大きく、レトロぶりも他を圧倒している。
 いかにも植民地建築らしく、天井が非常に高く、開け放たれた窓からは同じくコロニアルな建物が立ち並ぶ眺めも素晴らしかった。 室内の様子が往時とあまり変わらない(?)と思われるのもまた魅力のひとつ。使い込まれた板張りの床、長く大きな蚊帳を吊るフレーム付きで脚が非常に長いベッド、調度品もずいぶん年代モノのようであった。ひょっとするとベッドシーツやマットレスも・・・(?)
 まるで時間が止まったようなたたずまいと合わせて、古い絵や写真でしか見ることのできない昔の「セイロン」を眺めているような気がした。
 グラウンドフロアーのカフェテリアで昼食を取った。室内のありさま、裸足のウェイターとそのユニフォーム、スープ、ソーセージにパンの味といい長い伝統(あるいは世紀を越えた旧態依然)を感じさせ、目に映るものすべてが次第にセピア色に染まっていくような思いがした。
 惜しむらくは、建物がかなり老朽化していることと、メンテナンスが足りないことであった。実を言うと、私は宿泊費が高くて敬遠したのではなく、もっと快適なところに泊まりたかっただけである。遠目には風格に満ちているが内部は野戦病院のようで、本来大きな潜在力を秘めたホテルであるはずだけに、「伝統ある安宿」化していたのはとても残念であった。
 だが知名度が高く立地条件も素晴らしい超優良物件が長いこと放置されているはずはなかった。 実は昨年12月15日には、大幅な改修工事を終えてピカピカになったニューオリエンタルホテルが、西洋人女性のマネジメントのもとで再オープンしているのだ。しかしわずか11日後、12月26日に発生した津波の大きな被害を受けたゴールの町、このホテルは高台にあるため難を逃れたもの、しばらくの間は被災者たちの収容施設となっていたそうだ。出足はつまずいたが、今後人気沸騰することは想像に難くない。

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