新生エアインディアへと着々

インドの財閥ターターの元で民営化されるエアインディア。財閥を所有する筆頭企業ターター・サンズでは新生エアインディアのトップの人選が進んでいるそうだ。

航空会社は半期ごとにダイヤを見直しつつ、シームレスに操業しているわけなので、民営化された瞬間に大きく変わることはないにしても、1年、2年のうちに国内であまりに手を広げ過ぎた(官業によくあること)路線の整理、労組の強さから国際的にも引けを取らない給与水準と言われる同社操縦士の報酬、その他スタッフの人員整理などの労務管理面での大ナタがふるわれることだろう。

国営エアインディアでとりわけ足枷になっていると言われる旧インディアンエアラインスの国内路線及びSAARC内や湾岸産油国への路線は、既存のLCCに任せることになるのかもしれない。少なくとも政治主導で開設させられたローカル路線については、もはや継続する義理もなくなる。

それはそうとコロナまでは順調な経済成長が続いていたインドでは各地で空港の新設が相次ぎ、出来上がったものの定期便の乗り入れがないとか、乗り入れ開始したものの利用者が少なく半年か1年で撤退してそのまんま放置されている空港がけっこうある。官業というものは、なんといい加減なものなのかと思う。

Tata Sons looking at hiring new Air India Management as sale proceeds (mint)

デリー近郊に巨大新空港

デリーからヤムナー河を渡った向こう側、UP州に入ったところにあるノーエダーに建設されたこの空港はインド最大の規模となる。

ノーエダーは、よく日本メディアでは「ノイダ」と表記されるが、インドが経済を対外開放して外資を呼び込むようになった頃から工業団地として知られており、各国の製造業が拠点を築いてきた「デリー近郊」である。

今後、インディラー・ガーンディー国際空港とどのような棲み分けをしていくのか注目したい。まさに21世紀の経済大国として、まさに存在感を増していくインドを象徴するかのような存在となるだろう。

完成予定は2024年とのことだ。

PM Modi Says Noida Airport Will be North India’s ‘Logistics Gateway’; Takes Dig at Previous Regimes (NEWS 18)

 

エアインディア買収直前のターターがコーチン空港も?

コロナ禍下ではあるが、インドの航空業界はドラマチックな変化を迎えている。

この記事を見て、ふと思い出したのだが、インドでは中東産油国方面行きのフライトで、「ハイデラバード→コーチン→シャルジャー」みたいに、国内で「ホップ、ステップ」して国外の目的地に「ジャンプ」するフライトがけっこうある。中東方面ではないが、以前は「ムンバイ→デリー→成田」もあった。

つまり同じフライトで、国内線として利用する乗客もあれば、国際線として利用するお客もあり、国内の最終寄港地を発つまでは、国内線乗客と国際線乗客が混在するのだ。

コロナ禍にあっては、こういう運行はできなくなっているのだろう。もちろん国際線が大きく減便されているため、そんなことはもはやどうでもよいことでもあるのだが。

With Air India, Tatas get a stake in Kerala’s Cochin airport (Business Standard)

エアインディア民営化最終局面へ

いよいよエアインディアが民営化される。もう後戻りはないだろう。

TATAの航空会社として誕生して、その後国営化。そんでもって2022年に元のサヤに戻ってTATAの航空会社になるとは。

それはそうと、いろいろ不採算なものを大胆に整理するであろうことから、しばらくはエアインディアの航空券の「買い控え」が起きるかもしれない。国際線よりも、政治的理由で超幅広になっている国内線路線の簡素化を実施しないはずがない。IAとICが合併して統合AIになる際にも大きな問題として懸念されたのは特にその部分だった。

民営化したエアインディアは普通の会社になるので「倒産することができる」わけで、事業規模も相当コンパクトにならざるを得ないはず。

旧ICの赤字路線。日本からではそもそもしばらく行けそうにないため、関係ないといえば関係ないのだが。

Tata Set To Take Over Air India By January (SimpleFlying)

インディアン・エアラインスのロゴ入り時計

インディアン・エアラインスのロゴ入り時計
インディアン・エアラインスのロゴ

こちらの画像は、ケース裏側に国営インディアン・エアラインスのロゴが入っているHMT自動巻時計。後に同じく国営で、主に遠距離国際線を中心に展開していたエアインディアと合併する国内線と近隣国への国際線を中心に運行していたインディアン・エアラインス。

1980年代から1990年代前半あたりまで、インド国内線は、午後6時台到着予定の便は必ず遅れるというジンクスがあった。着陸が午後7時以降になると、乗務員たちに夜間手当が出るため、パイロットたちはしばらく上空を周回させていたというような都市伝説があった。パイロットたちは、会社から支給されたこの時計で7時を回ったのを確認して直陸体勢に入ったのだろうか?

真偽のほどは定かではない。コクピットの判断で勝手にそんなことができるのか?と思うので、ただの与太話だったのかもしれないが、当時のインドの英字ニュース雑誌にも国内線の非効率を批判する記事で「午後7時の法則」と揶揄されていたから、まんざら嘘ということでもなさそうだ。国営による寡占状態の国内空の便について批判した記事だったように思う。

もっとも、その他の時間帯でも遅延がとても多かった時代で、遅れは午後6時台だけのことではなかった。