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カテゴリー: airlines

  • デリー・ジャイサルメール間のフライト就航 (今年10月29日から)

    これまで有りそうで無かったデリー・ジャイサルメールの定期便フライトが就航するとのこと。航空会社はスパイスジェット、乗り入れ開始は10月29日からだ。

    SpiceJet to commence New Delhi-Jaisalmer route from October 29 (Business Standard)

    しかしながら不思議なのは、インドで民間機定期便発着(乗客および貨物)のために造られた空港のうち、現在まで30ほどの施設は、まったく使われていないことだ。
    これらの中にはコールハープル(マハーラーシュトラ州)、クーチビハール(西ベンガル州)、ジャグダルプル(チャッティースガル州)などが含まれる。これらは空港があるには相応しくない寂しい田舎町だ。

    もちろん使われていない空港がある街で相応の規模のところもあるとはいえ、どの航空会社も乗り入れしなかったところを見ると、もとより需要がないのだろう。

    ほとんどがここ十数年間くらいで建設されたものと思うが、空港の誘致、それらの認可などで、ずいぶん杜撰なものがあったということになる。

    こういうムダなことにつぎ込むのは、どこの国の政府も似たようなものである。その背景には、「どうせ自分のカネではないから」という無責任さと、我田引水型の政治体質がある。

  • デリーからゴアへのフライト

    デリーからゴアへのフライト

    デリーからゴアまでは2時間のフライト。ちょっと昼寝を楽しむ時間もあるし、読書をして過ごすのも悪くない。LCCなので機内食は付いていないが、カップヌードルを注文して食べてみた。なかなかイケる。日系企業の製品なので、日本で同じものを販売してくれたらなぁと思ったりする。
    到着近くなってから窓の下に見えるのは、緑したたる豊かな景色。この時期のデリーあたりの荒涼とした眺めとはまったく異なり、ヤシの木も目立つ緑と水に恵まれた大地である。

  • あなたのフライトが10分遅れます

    近ごろのインドの航空会社はずいぶん丁寧になったというか、IT化の進展のおかげでうわべだけは、手の込んだサービスをするようになった。
    フライトの日が近くなってくると、どこから覚えのない番号から電話がかかってきたりする。取ってみると、スケジュール変更とかいう録音メッセージで、ちょっとドキドキしていると、「予約されているフライトが10分遅れます」とかなんとか。そうでなくてもいろいろ遅れることは多いのだが、こうして何日も前から連絡が来ることは少なくない。自動で乗客たち全員にかけているのだろうから、人の手を煩わせることはあまりないのだろう。

  • インディゴが4都市(デリー・チェンナイ・コールカーター・ハイデラーバード)からポートブレアに毎日就航

    今年6月より、コールカーター・ポートブレア便、チェンナイ・ポートブレア便を就航させたインディゴ。9月28日からは、デリー、そしてハイデラーバードからも利用が可能となる。

    これらは既存のコールカーター・デリー便、チェンナイ・デリー便に、それぞれデリー・コールカーター区間、ハイデラーバード・チェンナイ区間が加わったものだ。

    IndiGo予約サイト

    現在、ポートブレアに乗り入れている航空会社は、インディゴ、エアインディア、ゴーエア、ジェットエアウェイズ、スパイスジェットの5社となっており、アクセスが非常に良くなっている。

  • ルアンパバーンへ

    ルアンパバーンへ

    ここしばらく、インドと関係ない国に関する記事が続いており、恐縮である。

    久しぶりにドンムアン空港に着いた。2006年にスワンナプーム国際空港が開港にあたり、閉鎖されていた時期もあった。今では、第1ターミナルは国際線用、第2ターミナルは国内線用として、どちらもLCCの航空会社が乗り入れている。

    ここからエアアジアのフライトでラオスのルアンパバーンに向かう。ずいぶん昔のことと較べても仕方ないのだが、便利になったものだとしみじみ思う。

    ラオスが個人旅行者に門戸を開いたのは、確か1989年あたりだったと記憶している。バンコクで宿泊していたゲストハウスで他の旅行者から「ラオス入れるようになったって!」という話を聞いた。当時は「インターネット」というコトバさえも耳にしたことがなく、こういうことがあった場合、実際に訪れた人から直接話を聞くか、あるいはその国の大使館に行って、本当に個人で観光ヴィザが取得できるのか確認するしかしなかった。

    そのとき、私はすでにバングラデシュのダッカへ飛ぶフライトを予約していて、ラオスに長居することは出来なかったとはいえ、とても気になったのでその翌朝にラオス大使館に行ってみた。ヴィザ申請に来ている人たちはさほど多くなく、手続きはすぐに終わり、確か翌日あたりには発行されて、そのまま長距離バスで、メコン河を挟んだラオス国境の町、ノンカーイに出発した。

    その頃、メコン河両岸を結ぶ橋の建設について、そういう計画があるということは聞いていたのだが、まだ工事にさえ取り掛かっていなかったように思う。ノンカーイからは、渡し船で対岸のラオスに着いた。草が生い茂る岸辺に、「Duty Free」と看板が出ている免税店があるのが印象的だった。

    1989年 渡し船でタイのノンカーイからラオス側の岸辺に着いたとき

    1989年 ラオスが個人旅行者に門戸を開き、メコン河を渡ってビエンチャンに向かう旅行者を待ち受けるタクシー

    タイのノンカーイにしても、特にどうということのない田舎町だったが、それでも対岸のラオスに着いて、そこから客待ちをしているずいぶん古いトヨタのタクシーで、首都ヴィエンチャンに着くと、時間が40年ほど遡ったかのような思いがした。

    1989年 ラオス首都では「自家用車」を目にすることはほとんどなかった。

    1989年 ヴィエンチャンでは社会主義的なイラストの看板をよく目にした。

    今では交通渋滞なども発生しているラオスの首都だが、この頃にはまだ自家用車の姿は非常に少なく、「ラオスで初めて出来た信号機」には、見物人が集まっていたりするなど、のどかなものであった。

    モンスーン期、当時のラオス首都では、メインストリート以外に舗装道はなく、自転車を借りて郊外まで走ると、車輪がぬかるみにはまって往生した。くるぶし上まで泥に浸かって進まなくてはならないところもあった。

    この頃、雨季のルアンプラバーンについては、軍の全輪駆動の車両をヒッチして行くのが定石であった。すでに予約してあったダッカ行きのフライトのこともあったし、ガイドブックもなかったので、首都からそう遠くないところにどんな見どころがあるかも知らなかった。そんな具合で、時間もないので早々に切り上げてタイに戻った。

    「美しい古都」として知られているルアンパバーンについては、1995年に町そのものが世界遺産指定されてから、爆発的に訪問者が増えたと聞いており、その後もことあるごとに気になっていた。

    今では、タイ、カンボジア、中国、ベトナム、シンガポールなどから国際便が乗り入れており、子連れで気軽に訪れることができるようになっているのだから、世の中ずいぶん大きく変わるものだな、と思う。

    ドンムアン空港からエアアジア搭乗。湿度が高く、フル回転を始めた空調から出る空気は白い蒸気となる。
    ルアンパバーン空港へと機体は高度を下げていく。
    ルアンパバーン空港到着
  • スワンナプーム空港近くのホテル

    スワンナプーム空港近くのホテル

    早いもので、バンコクのスワンナプーム空港がオープンしてから10年になる。

    開港当初は、夜遅く着いて翌朝早くここを飛行機で発つというような際に、気軽に利用できる宿泊施設が見当たらなかったのだが、さすがに近年は、空港エリアのラートクラバーン地区にいくつもエコノミーな宿泊施設が出来ている。タイを経由してインドやネパールに向かうという人は多いだろう。乗り換えで一泊だけというような場合、このエリアはなかなか使えるようになった。

    広大な空港施設に隣接して広がる郊外の静かな住宅地。まだまだ空き地も多い。そんなところなので、見るべきものは何もない。だが食事する場所には困らないし、飛行機のチェックイン時間までのんびり過ごすには悪くない。

    私自身、バンコク乗り換え一泊でミャンマーに行くときなどに、この界隈のそれらを幾つか利用したことがあるのだが、とても不思議なことがある。

    建物も部屋もどれも非常によく似た造りなのだ。同じオーナーが複数の宿を所有しているのか、それともこのあたりが宿経営に有望だとかなんとかで、建築業者が土地所有者たちをそそのかして、ほとんど同じような建物をいくつも造ってしまったのか?

    同じ程度のグレードで、部屋もほとんど似たり寄ったりなので、料金も600バーツくらいのところが多い。土地柄、空港からの送迎は無料で付いており、どこも築浅で綺麗だ。

    ただし、そうした宿泊施設が一箇所に固まっているわけではなく、広々として見通しの良いエリアに点在しているという解放感がいい。

    宿がけっこうある割には、お客はやけに少ないため、スタッフたちはやたらと丁寧かつフレンドリーだったりする。今回利用したところは、小さいプールやヘリパッド(!)まで付いている。ラートクラバーンに点在する一連の宿泊施設の中では、頭ひとつ抜け出ている印象で、なかなかオススメである。

    同宿泊施設のウェブサイトでは若干高い料金を提示しているが、アゴダ、エクスペディア等の宿泊予約サイトでは、概ね600~700バーツくらいで予約できるようだ。

    The Great Residence

    このあたりの同類の宿の中ではとりわけ大型で、3棟もある。
    なぜかヘリパッド?がある。
    小さいけどプールが付いているのは嬉しい。
    いい感じのレストランも併設。近隣にも食事処や屋台村もいくつかある。
    貸自転車もあり。料金は少々高いが、郊外の空いている道を飛ばすのは快適だろう。
  • 朗報 デリー空港のみやげ

    朗報 デリー空港のみやげ

    インド首都の空の玄関口、IGIエアポート。ターミナル3の開業、空港運営の民間への移管などを経て久しい。かつては、眺めているこちらが気恥ずかしくなるほどで、購買意欲をそそる商品や店舗など皆無で、とにかくショボかったものだが、今やモダンかつとても快適な空間に生まれ変わり、大変繁盛している。




    そんな中で、仕事先へのバラまき用の菓子類も安価で手に入るのが嬉しい。これで市中の雑貨屋で事前に購入する必要がなくなった。けっこうな数が入っていて、50ルピーのキャンディー類、ゼリー類。フレイバーにいくつかのバリエーションがあるアイテムを酒やチョコを販売する免税店隣のコンビニ風(図書なども置いている)のショップにて絶賛(?)発売中。

    これがその店舗だが、本社はUKの企業である。

  • ANAでWifi

    ANAでWifi

    成田・デリー間のフライトにて。

    これまで知らなかったのだが、全日空の機内でWifiが利用できるようになっている。料金は利用する時間により、以下のような具合。

    30分プラン $4.95 *15MB上限
    1時間プラン $8.95 *30MB上限
    フルフライトプラン $19.95 *100MB上限
    ※料金は米ドル建て

    ANA Wi-Fiサービスのご案内 [国際線] (全日空)

    15分間までは無料なので、メールのチェックくらいは充分できる。実はこの部分での利用者が最も多いのではないかと思う。なかなか良いサービスだ。

  • 80年代イランの切手

    80年代イランの切手

    初めてイランを訪れたのは、ホメイニー師が亡くなってからすぐあたりであった。別に切手を集める趣味があるわけではなく、旅先で記念切手?を購入するということは、後にも先にもなかったのだが、この類の切手だけは有名であったので手にしてみたかった。

    1979年に発生したアメリカ大使館占拠記念

    1988年に起きた米軍によるイラン民間航空機撃墜事故に対する糾弾
    交戦状態にあったイラクによる学校への爆撃により子供たちが多数亡くなったことに対する非難

    当時のイランでは、大きな役所等の壁に「アメリカを打ち倒せ!」みたいなスローガンと勇ましいプロパガンダ画などが描いてあるのを目にした。

    最初の切手はアメリカ大使館占拠記念、次は米軍によるイラン民間航空機撃墜事故に対する糾弾、三番目は交戦状態にあったイラクによる学校への爆撃により子供たちが多数亡くなったことに対する非難。
    ・・・といっても、イラン政府による「官製反米姿勢」とは裏腹に、イランの一般の人々の間で、こうした反米感情が渦巻いているわけではなく、極めて穏健かつゆったりとした人たち。

    急進的な近代化を推し進めたパフラヴィー朝に対する宗教勢力を中心とする保守勢力に、これとは異なる側面、つまり王朝による強権的な支配、利権構造、腐敗などを苦々しく思っていた市民たちが、変革を期待して肩入れした結果、革命が成就することとなった。

    しかしながら、王朝が倒れてからは、大多数の市民が期待したような方向に向かうわけではなく、今度は宗教勢力が大衆を強権支配するようになった。きちんと教育も受けていないならず者みたいな者たちが、政府の治安機構で用いられ、新しい政権が示したコードに従わない者をどんどん処罰していく。

    さらには「革命の輸出」を警戒する中東近隣国との関係も悪化し、「ペルシャ湾岸の衛兵」的な立場にあった王朝が倒れることにより、欧米からも強く懸念される存在となり、大産油国でありながらも経済は悪化していったのがこの時代。

    そのため、市民の多くは「王朝時代は悪かったが、今もまたひどいものだ」と呻吟する社会が当時のイランであったわけで、それなりの資産とツテのある人たちはアメリカその他に移住していくこととなった。

    東に隣接する南アジア社会に較べると格段に高い生活水準と立派な街並みなどから、当時の私なぞは、あたかも東ヨーロッパに来たかのような気分にさえなったものだ。イランの人々の風貌はもちろんのこと、当時の地味な装い、イスラーム革命により、1979年に王朝が倒されてからは、経済面では社会主義的政策を取っていたこともあり、そんな雰囲気があったともいえるかもしれない。

    当時は、観光目的で三カ月以内の滞在については、査証の相互免除協定があったので、日本人である私たちがイラン入国に際してヴィザは不要で、イランの人たちが日本に来る際にもそうであった。    
          
    つまりイラクとの戦争が終結したあたりから、イランから日本に出稼ぎに来る男性たちが急増したのは、ちょうどこのあたり。東京都内では、ヤクザみたいな恰好?したイラン男性たちをしばしば見かけて、イラン旅行中にはいつでもどこでもお世話になった紳士的かつ親切な人々の姿とのギャップにちょっとビックリしたりもした。でも、当時日本に出稼ぎに来ていた人たちの大半は若者だったので、故郷の地域社会の縛りが解放されて、ちょっとツッパッてみたい年ごろだったんだろうな、と思う。

    当時のイランではNHK連続ドラマの「おしん」が吹き替えで放送されていたようで、各地でよくそのストーリーについて質問された。だが私はその「おしん」とやらをまったく見ておらずよく知らないので、逆にイランの人たちに尋ねる始末であった。(笑)人気ドラマにしても芸能人ネタにしても、自分の興味のない部分についてはまったく知識を吸収できないので、ときに困ることがある。この部分については、今になってもまったく治っていない。

    そんなイランがこれから大きな変化を迎えようとしている。これまで長く長く続いた冬みたいな時代であったのかもしれないが、ホカホカと暖かく素敵な春を迎えるようになることを願いたい。

  • GoAir ムンバイー・レー便、バンガロール・ポートブレア便就航  3月27日から

    GoAir ムンバイー・レー便、バンガロール・ポートブレア便就航 3月27日から

    このところ好調なGoAirがさらに新たな路線を追加する。今年の3月27日からムンバイーからレー(レーからムンバイーへのフライトはスリナガル経由)への便、そしてバンガロールからポートブレアへのフライトが就航する。いずれも毎日一往復となる。

    双方ともに観光需要に特化した便であるといえる。商用でのニーズが占める割合が高い都市間のフライトに較べて、休暇時期や季節によって需要が大きく変動するので、チケット価格の上げ下げの幅も相当広くなるはずだ。
    今後の運行スケジュールについては、座席の埋まり具合を見極めたうえで、ダイヤ改正の時期にシーズンによる増便・減便といった調整がなされていくことだろう。

    どちらにしても、これらの目的地への直行便がなかった都市からの就航となるため、新たな需要を掘り起こすことになる。それぞれの出発地である都市、その周辺地域に住んでいる人たちの場合、乗り換えなしで行くことができるという気楽さから、「行ってみようか!」という気になることは往々にしてあるだろう。

    費用面でも従前のようにムンバイーからデリーに飛び、デリーからレー行きのフライトに乗るとか、バンガロールからチャンナイ、コールカーターあるいはムンバイーまでの飛行機を利用して、さらにそこからポートブレアに向かうよりも安くなるであろうことから、こうした気分を後押しすることになりそうだ。「愉しみのための旅行」においては、「簡単で価格も安い」という要件が作用する部分は大きい。

    また、厳冬期のレーについては、デリーの濃霧によりダイヤの乱れが頻発したり、ときにはデリーの空港自体が閉鎖されてしまうこともある。とりわけレー行きの便のスケジュールは、たいてい早朝出発となっているので、テリー首都圏やその近くに住んでいる場合を除けば、デリーからよりも距離があり当然運賃も割高になるとはいえ、この時期の天候が安定しているムンバイーから出発したいと思うことだろう。

    冬季は陸路による外界への交通手段がなくなってしまうので、デリーの気象条件によりフライトがキャンセルとなってしまった場合の次善の策として、ムンバイーに出ることが可能となることはありがたい。とりあえずムンバイーに出てしまえば、インドのどの方面にも乗り換えてアクセスすることができる。

    もっともレーを中心とするラダック地方を訪れる観光客は夏季に極端に集中し、インドの他の地域とはケタ違いに寒さが厳しい冬季にわざわざ訪れる人はとても少ない。前述のとおり外界への陸路が閉ざされてしまうだけではなく、ラダック地域内でも道が閉ざされてアクセスできなくなるところが多いためでもある。そんな具合なので、ムンバイー便が就航しても冬季の観光客が増えることにはならないかもしれない。そもそもムンバイー・レー便は冬季も運行されるかどうかについては、今のところよくわからない。

    ラダック地方やアンダマン・ニコバール地域の人々にとっても、フライトで直接結ばれる都市が増えることにより、これらの土地における最大の産業である観光業のマーケットが拡大するという点からも好ましく、同時に自身が外界に出る際の選択肢が増えることにもなる。

    ただし、どちらにおいても、外からやってくる人々が増えるということが地元に与えるインパクトは大きい。土地の人々が先祖伝来の文化や美しい自然の保護に働きかけるとともに、そうした場所を訪れるよそ者である私たちも、こうした部分を尊重し、共存共栄していくことができるよう努めたいものだ。

  • 建設後使われていない空港 74億円のムダ

    438.4 Crore Rs (約74億円)もかけて建設した15の地方空港が、完成から10年経過しても民間航空機の定期便が就航していないという事態になっているという。

    10 years and Rs 438.4 crore later, 15 airports yet to be on flight map (Aviation India)

    その15の空港には、ジャイサルメール、シムラーなども含まれているとのこと。ジャイサルメールに空港建設というニュースをだいぶ前に耳にしたときには、「飛行機で行けるようになるのか」と思ったのだが、その後まだ就航していない。そのジャイサルメール空港の現在の様子は以下の記事に写真入りで取り上げられている。

    No passengers or flights: India splurged $50 million on eight ghost airports (firstpost.com)

    こうした中でも、特にひどいのがマハーラーシュトラ州のゴーンディヤー空港だろう。国民会議派を中心とする連立政権、UPA (United Progressive Alliance)時代に航空大臣を務めたプラフル・パテール氏の肝いりで建設されたものだが、ゴーンディヤーはまさに氏の地元であり、我田引水そのもののプランであった。前述の438.4 Crore Rs (約74億円)の半分近い、207.6 Crore Rs (約35億円)もの巨費が投じられている。

    建設後、使用されていない空港について、現在の航空大臣は「就航先を決めるのは航空会社であり、各社それぞれの都合によるものであり、政府が決定するものではない。それは国営エアインディアについても同様。」と答えているが、計画そのものがいかにずさんであったかということだ。

    これでは納税者はたまらない。

  • デリーからガヤーへ

    デリーからビハール州のガヤー行きのフライトを利用した。
    搭乗してからしばらくしても滑走路に移動せず、席でじっと待っていると、次のようなアナウンス。
    「当機はセキュリティー上の理由により出発が遅れています。ただ今、保安要員が機内に入り、全員の手荷物の確認をいたします」

    制服を着た係員が2名乗り込んできて、席上の荷物入れを開けては「この荷物の持ち主誰やねん?」「これ誰のカバンや~?誰か返事せんかァ、こらァ!」などとやっている。
    保安要員が怪しげな荷物を開くと、赤、白、黄色の配線が絡み合っている時限爆弾装置でもあって、「切るのは赤か、白か?」なんていうスリリングなシーンが展開するのではないかという、映画さながらの緊張場面が待ち受けているかとドギマギしたが、結局は全部の手荷物の持ち主の確認をしただけで、そのまま降りていってしまった。チェックインしたはずの人数と、実際に機内にいる人の数が整合しなかったか何かなのだろう。

    保安要員が外に出ていくと、「乗務員、配置に着いて。当機は出発いたします!」という機長のアナウンスとともに、飛行機は滑走路に進んで離陸。
    インドでは、テロに対する警戒から、規則によりセキュリティー関係のチェックには厳しいが、それらの検査をする保安要員の身辺調査と、彼らが空港施設に入る際のチェックはしっかりしているのかな?ということを、ふと思ったりする。あまり良い待遇をされているとは思えず、容易に買収されてしまいそうな人たちに思えるのだが。セキュリティーホールがあるとすれば、おそらくこのあたりではないかとも思う。

    エアインディア国内線のこの便は、最初にガヤーに行き、それからバナーラスに行くフライト。バナーラスからはおそらくデリーに戻る便となるのではないかと思うが、あまり重要な路線ではないためか、ずいぶん古い機材を使っている。客室乗務員もなんだかパッとしない感じの人もいて、最近の民間航空会社とは違う、「国営」というムードは相変わらずである。垢抜けない制服もいまひとつだ。

    隣に座ったのはヒゲを蓄えたムスリムの恰幅の良い男性。英語をまったく話せないので、どういうことをしている人かと思えば、サウジにダンマーンに働きに出ていたとのこと。そこから戻って国内線に乗り換えて、バナーラス近郊にある自宅に戻るところなのだそうだ。
    娘が4人いるとのことだが、前の席に母親と一緒に座っている3歳くらいの可愛い女の子と遊んでやっている。その女の子はずいぶん人懐っこい子で、楽しそうだった。母子ともにムスリムで、この男性にとっては自宅で待ってくれている娘たちの姿とダブるところがあるのかもしれない。

    デリーからガヤー到着までは1時間15分ほど。ガヤー空港は、この規模ものとしては珍しく、PBB (Passenger Board Bridge)により、機内と空港ビルが直接結ばれる。ガヤーの空港は小規模ながらも一応国際空港であるためだろうか。冬の時期にはバンコク、コロンボ、ヤンゴン、ティンプ―などから直行便がある。当然、ちゃんとイミグレーションもあり、E-Visa専用のカウンターまであるのだから大したものだ。私が利用したのは国内線なので、カウンターは無人であったが。