タムロンA18  世界最高倍率の18-250mm

Tamron 18-250
2月22日(木)にタムロンから現在世界最高倍率のデジタル一眼レフ用ズームレンズ『AF18-250mm F/3.5-6.3 Di II LD Aspherical [IF] Macro (Model A18)』が発売される。当初はキヤノン、ニコンのマウント用だが、後日ソニー、ペンタックス用も順次発売される。カバーする画角は18mmから250mmでズーム倍率13.9倍となる。キヤノンEOS Digitalシリーズに装着した場合、35mmカメラ換算で28.8ミリから400mmに相当する。つまりこれ一本であらゆる用途、街歩きから山岳写真、人物からサファリまでオールマイティに対応できるのだ。
ズームレンズ、とりわけ高倍率なものの場合、画質等についてむやみに高い期待をすることはできないものである。またレンズをいろいろ交換できることがメリットの一眼レフなのに、敢えて一本だけですべての用事を済ませてしまうようでは勿体ない。高倍率ズームレンズの存在意義はまさにその汎用性にある。しかし荷物を極力少なくしたい旅行の際や待ち歩きのときなど一本で何でもできるので非常に重宝する必須アイテムである。
2004年にシグマから『18-125mm F3.5-5.6 DC』が発売されたときには「ずいぶん便利なものが出たな」といたく感激したものだが、続いて2005年に同社から発売されたテレ端を大きく伸ばした『18-200mm F3.5-6.3 DC』が売り出されたときには、解像度等が著しく劣るのではないかと思ったが決してそんなことはなかった。良好にして便利なレンズであると判ってからは、これも購入して現在愛用中である。 

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隣接州の禁酒解除でディーウ島凋落の危機?

ディーウ島略図
先日、禁酒州のグジャラート州では酒類に関する部分的な解禁が予定されていることを伝えたが、同州で近い将来アルコールが本格的に解禁となったらどうなるだろう。酒類販売のライセンス、バーの営業許可その他大きな利権が動くことになるだろうし、酒造会社の工場も各地に進出してくるかもしれない。合法化されると白昼堂々といろんな酒が購入できるようになり、バーの許可を得たレストランでは普通にビールなど楽しむことができるようになる。これまで酒をたしなむ習慣がなかった堅物も『さてどんなものだろう?』と手を伸ばしやすくなる。酒を取引することが『罪』でなくなると意識の上でもかなり大きな変化が起きるのではないだろうか。アルコール類がいとも簡単に入手できるようになると、若年層の飲酒も社会問題化するのではないかと予想している。とかくこの世の中、何ごとかが『解禁』されると大きな反動があることは珍しくない。
だか州内はもとより、グジャラート州の禁酒政策により恩恵を蒙ってきた隣接する連邦直轄地ディーウの行方もちょっと気になっている。

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グジャラート州 酒類解禁への道 

酒、酒、酒・・・
禁酒州
インド独立の父、ガーンディーを生んだグジャラート州といえば言わずと知れた禁酒州。1960年5月1日にそれ以前のボンベイ州から分離し新州が成立してから現在まで、酒類の販売、持ち込み、消費等が禁止されている。バスなどで入る際に州境の検問で警官たちが乗り込んで来て簡単な車内検査を行なうことがあるが、鉄道で出入りする際には特に何もないため、国外から来た旅行者などはここが禁酒であることを知らずにそのまま持ち込んでしまうこともあるだろう。外国人のカバンをひっくり返して細部まで調べるなんてことはないので持ち込もうと思えば簡単にできてしまうのだが、同州の法を犯すことになるという認識は必要である。飲酒をしようという場合、私自身特に手続きしたことはないのだが、正式には当局からリカー・パーミットを取得して定められた場所で飲むことになる。
街中の風景に酒屋やバーが見当たらないのはやや寂しい。でも休暇で訪れているぶんには我慢できないこともないし、たまには肝臓にお休みをあげるのもいいではないかと思う。
しかしこの地域に仕事その他で居住するとなると話は違ってくるだろう。おおっぴらに飲み会やパーティーを開くわけにはいかないので、『飲みニュケーション』文化圏の人々は困るだろう。自宅にストックして身内や親しい人たちと飲んでいる分には警察の厄介になることはまずないにしても、『酒=犯罪』に関わっていることに違いはない。何時捕まってしまっても文句は言えないというリスクを抱え込むことになる。

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今年は中印観光友好年

india & china
2007年は日印交流年であるとともに『中印観光友好年』でもある。
このほどビハール州のナーランダーで玄奘三蔵記念堂が落成した。この記念堂建設事業には驚いたことに約半世紀もの年月がかかっている。1950年代に両国間で合意し建設が始まったものの中印紛争が勃発、そして長らく続いた両国の敵対関係のため工事は長らく中断。両国の関係改善にともない2000年になってから工事が再開され、両国の関係機関等の協力のもとで建設が進み、ようやく2007年2月になって落成式を行なうことができたのだ。
両国間での各界の要人たちの様々な目的による頻繁な往来、国防面での交流と協調の促進も提言されているが、経済・商業面での結びつきの強化に向けてはインド側もかなり力を入れているようで、『メイド・イン・インディア・ショー』や『インド・ファッション・ショー』といったプログラムの開催が予定されている。
そして交流年としての看板である『観光』自体については、インドや中国から海外旅行を楽しむ人々が増えてきたとはいっても、それぞれの国の人口の大多数である庶民は両国間を観光で行き来できるような恵まれた環境にはないため、文化使節として京劇、ボリウッドダンサーたちの往訪、文化展、スポーツ大会、ブックフェアにフードフェスティバルの開催といった交流事業が中心を占める。
予定されている様々な活動のひとつに先述の玄奘三蔵記念堂の落成も含まれているが、中国側にインドによるモニュメント建設計画もあり、河南省洛阳市に『インド式仏教寺』が建つ(すでに完成しているのかもしれない)のだそうだ。
また中国政府は今後5年で500人の若者をインドから受け入れることを決定している。どのような目的でどれくらいの期間招致するのかよくわからないのだが、インドの将来を担う有望な若者たちの中に親中派の芽を植え付けようというのが目的であろう。
長い国境を接している割には、地理的・政治的な障害に遮られて国民同士による直接の行き来は希薄だった両国。関係改善と政府が音頭を取っての交流促進のムードの中、折りしも経済グローバル化と飛行機による大量輸送の時代ということもあり、インド・中国間の人やモノの行き来は両国間の歴史始まって以来の急速な進展を見ることだろう。中国におけるインド企業やインド人たちのプレゼンスの台頭以上に、インドを中心とする南アジア地域に企業家精神に富む『新華僑』たちが次々に進出してくる様子が頭に浮かぶ。
これまでインド在住の中華系住民のイメージを代表してきたのはコルカタ華人たちだが、今後新たに大陸から進出してくる人々にお株を奪われてしまう日はそう遠くないように思われる。
「中国インド観光友好年」開幕 (人民網日本語版)

今や北東地域にも進出 新興航空会社ネットワーク

北東インド
コールカーターからグワーハーティー、テーズプルからジョールハート、インパールからアイゾール、シローンからコールカーター・・・。
コールカーターを軸とする北東インドへの航空路、北東州内の空のネットワークといえば、ついこの間までは国営のインディアン・エアラインス(および子会社のアライアンス・エアー)にジェットエアウェイズ、そしてごく一部にエアー・サハラといった具合に旧来の会社による独占市場であった。
近年、雨後のタケノコのように次々と会社が設立されて乗り入れ先をジワジワと広げつつあった新規参入各社ネットワークは、旧来の会社ほどの体力もないことから経済的に進展著しい地域に特化してきた。その結果、コールカーターを除けば当分の間インド東部には及ばないように思えたのだが、今やその『空白地帯』で異変が始まっている。新興の航空会社がこのところ次々に北東部へ進出してきているのだ。

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