隣接州の禁酒解除でディーウ島凋落の危機?

ディーウ島略図
先日、禁酒州のグジャラート州では酒類に関する部分的な解禁が予定されていることを伝えたが、同州で近い将来アルコールが本格的に解禁となったらどうなるだろう。酒類販売のライセンス、バーの営業許可その他大きな利権が動くことになるだろうし、酒造会社の工場も各地に進出してくるかもしれない。合法化されると白昼堂々といろんな酒が購入できるようになり、バーの許可を得たレストランでは普通にビールなど楽しむことができるようになる。これまで酒をたしなむ習慣がなかった堅物も『さてどんなものだろう?』と手を伸ばしやすくなる。酒を取引することが『罪』でなくなると意識の上でもかなり大きな変化が起きるのではないだろうか。アルコール類がいとも簡単に入手できるようになると、若年層の飲酒も社会問題化するのではないかと予想している。とかくこの世の中、何ごとかが『解禁』されると大きな反動があることは珍しくない。
だか州内はもとより、グジャラート州の禁酒政策により恩恵を蒙ってきた隣接する連邦直轄地ディーウの行方もちょっと気になっている。


グジャラート州の半島部、サウラーシュトラ地方の先端にくっついているディーウ島、ちょうどマレー半島に接するシンガポールによく似た形をしているが、こちらも国際色豊かでカラフルな歴史背景を持つ。島はかつてイランから逃れたゾロアスター教徒が、現在のインドで定住した最初の地であるとされる。インドから中東方面に開かれた海港として長い歴史を持ち、サウラーシュトラとペルシャ湾岸地域との交易を担う要所のひとつとして栄えてきた。1539年からポルトガルに割譲され、遠く欧州やアフリカなどとも盛んに取引が行なわれるようになる。こうした歴史的背景から他のサウラーシュトラ地域と同様、アフリカ系の人々の子孫であるスィッディーの人々の姿もしばしば見かける。
1961年12月の『オペレーション・ヴィジャイ』 という名で知られる大掛かりな軍事作戦により、インドはポルトガルからゴア、ダマン、ディーウの奪還に成功する。その後これら旧ポルトガル領の三つの飛び地をひとつの連邦直轄地として統治しててきたが、1987年のゴアが同名の新州創設に伴い行政区分から外れて以来、『Daman & Diu』となり現在に至る。
グジャラート州と橋でつながっていながらも行政区分上は同州外にあるので、当然のことながら禁酒政策とは無縁の状態にある。しかもこの地域ではゴア同様にアルコール類への課税率が低いため、インドの他地域よりも安い値段でビールその他を楽しめるという飲兵衛天国だ。 禁酒州のグジャラート州との間の浅瀬をひとまたぎすれば、そこは飲酒天国なのだ。
対岸では『犯罪』となるお酒が、島では昼間から通りに面した店で往来を眺めながら堂々と楽しむことができる。実際、バーの多くは朝から開いており平日の午前中でもけっこう客が入っていたりする。こうした人々のほとんどはグジャラート州から飲酒目的で来た人々がほとんどだ。 昔からグジャラート州に住む飲兵衛たちに大人気だったディーウだが、インドの経済発展とともにやってきた国内観光ブームで注目されるようになるようになってくると一気にリゾート化が進んだ。
以前は対岸の本土の町ゴーグラーと橋でつながっているだけであったが、今ではジェット・エアウェイズがムンバイーからディーウ行き、そしてポールバンダールに降りてからムンバイーに戻るというフライトを週6便飛ばしている。島内の交通も片側複数車線のものを含めた道路整備が進んでいる。かつてディーウ・タウンに小さな宿がいくつかとナゴア・ビーチに一軒だけあったくらいだが、今では中級以上のホテルも続々進出しており、海岸に見事なビーチリゾート施設建つなど、宿泊環境も大きく様変わりしている。町中には主にグジャラート州からやってくる飲兵衛たち相手のバー以外には地元の人々が日々必要とする雑貨類の販売店くらいしかなかったものだが、今やすっかり観光地化したためちょっと気の効いたレストランなども目に付くようになった。
各地にカトリックの聖堂が散在するこの島の中心地にして外界に大きく開かれた港町として栄えてきたディーウ・タウンには植民地時代の家屋、ビル、ゲートなどが集中して残っている。そのためゴア州都パナジをずっと小さくしたようなムードがある。
観光地として島の売りは、まさにこのポルトガルが残した異国情緒と手付かずの海岸とであった。しかしディーウのコロニアル建築から醸し出される南欧的な雰囲気も存続の危機にあるようだ。こうした建物の多くが惜しげもな取り壊されて新しい建物に置き換わり、住宅地にも一歩足を踏み入れれば一見ポルトガルの田舎町に迷い込んだかのような錯覚を覚えるエリアがいくつもあったのだが、これらも『今どきの』家屋に入れ替わってしまったところが多い。長らく続いてきたシエスタの習慣もすっかり過去のこととなっているようだ。また海についても観光化が進むにつれてかつてののどかさと素朴さは急速に失われ、コンクリートできた人工物、ゴミや汚染などが目立つようになっている。
こうした変化の理由はやはり経済発展とポルトガル時代に教育された世代がほとんど引退して今や主役が『インド世代』に置き換わっているため、旧い時代の伝統などにあまり拘泥しなくなっていることもあるのではないかと思う。とりわけインパクトが大きいのは、インド復帰後には島の住民がかなり大きな規模で入れ替わることになったことかもしれない。つまり島には就労機会は少なかったので、人々が職を求めて島外に出て行く流れが続いてきたこと、また近年は観光ブームでディーウが注目を集めるようになってくると、投資目的のビジネスマンたちや道路建設などの公共事業や新しくできたホテルやリゾートなどで就労するためにやってくる労働者たちなど、これまでとは反対に本土から人々が押し寄せてくるという逆の流れが顕著になっている。
同様の人口の移動は同じくポルトガル領であったゴアでも起きているようだが、いかんせん人口・面積ともにそれとは比較にならないほど小さなディーウ島において、このインパクトがいかに大きなものであるかは想像に難くない。
主にディーウ・タウンの商業地ではこの島にルーツを持たない人々が主導権を握ることになったことにより地域の伝統文化との断絶が起きているようだ。 たとえばそれはカ トリック聖堂のありかたにも見て取れる。ディーウ・タウンの本土に橋でつながる港湾地域と島の東端のポルトガル時代に築かれた城砦との間に植民地時代から続く住宅地が広がっているが、町の規模とは不釣合いなほど壮大な聖堂がいくつもある。だが多くはもはや教会として機能しておらず博物館や病院に転用されている。郊外にも大規模な教会はいくつかあるものの、これらもやはり長らく扉を閉じたままである
島のクリスチャンコミュニティのうち旧宗主国の力や威光を背景に栄えた層の人々の多くは、ベターなビジネスチャンスや就労機会を求めて本土へ活路を見出し、今も島に残るクリスチャンには貧困層が占める割合が高くなっているという。すると経済的にも社会的にも地元の伝統文化を維持する力を持ち得なくなってしまうのは無理もない。
こうした状況では地域文化について外部への発信力も弱く、様々な出版社から歴史、文化、民族、建築・・・と様々な分野の書籍が出ているゴアと違い、ディーウ独自の文物などについてまとめた出版物もほとんど存在していない。少なくとも外部の人が簡単に手に入れられるものはごくごく簡単な旅行パンフレットを除いてまず見当たらないというのも実に寂しい状況である。
今後時代が下るとこの土地固有の魅力の喪失が進み、やがてどこにでもある何の変哲もない田舎町になってしまうのではないだろうか。つまりリゾートとして発展していくのとは裏腹に、地元の伝統や文化が退潮していく中、純粋に観光地としての魅力は私の目からすると失われていくのみであるように感じる。 ここにきて今も昔も変わらぬ大きな観光資源としての『酒の魅力』がなくなってしまえば、特にこの島を訪れる理由もなくなってしまうのではなかろうか。
というのは、反対にグジャラート州沿岸部には他にも風光明媚なところが多く、現在グジャラート州政府が禁酒の部分的解禁を進める口実のひとつ『禁酒というものが観光の発展を阻害している』ことが的を得た事実であるとすれば、このマイナス要因を取り除き、酒類を自由に出せるようになった暁には『お気楽リゾート』的な発展を見せるポテンシャルを秘めた有望なスポットがゴロゴロしていることになるからだ。
行政当局、とりわけ地元伝統文化の保存、観光開発などに携わる部門の人々には、今こそディーウの魅力を発掘・保存して、より魅力なものとして外に向けて発信していくことが期待されるところだ。ディーウ島は観光地としての生き残りを賭けた岐路にあると私は考えている。
現在は病院となっている

「隣接州の禁酒解除でディーウ島凋落の危機?」への3件のフィードバック

  1. まさにグジャラートから橋を渡って酒を飲みに行った一人です。バスが橋を渡る前に警察の臨検がありました。
    誰もいない砂浜に面した小さな宿で、海を眺めている幸せを思い出します。
    10年以上前になりますが、ディーウでは、朝から人びとが近所の道路のゴミを(仕事としてではなく)きれいに掃き清めているのを見て感動しました。
    ここの人にはsence of citizenがあるんだ!と。そんな人たちも、急激にいなくなっているのでしょうか。
    いつもながら、ogataさんの考察に感服。
    p.s. 私もPowerShot G7買いました。

  2. インドではジミながらもよく見るとなかなか味わい深いスポットが各地に散在しているのは私にとって大いなる魅力です。
    しかしインドもまた一般に言うグローバル化はもちろんのこと、国内的にも主に経済的に優位にある地域なり文化なりが下位にあるものを呑み込んで同化してしまう動きが盛んですね。
    そのためローカルな魅力が次第に失われていくのがとても残念な気がします。せめて地元で詳細に記録する動きがないと、意外に早い時期にすっかり忘れ去られてしまうようなものも少なくないようで・・・
    Powershot G7いいですね!
    建物や風景を撮る分には、その手軽さで『一眼レフなくてもいいや』と思わせるものがあり、ここのところしばらく大きなカメラから解放されています。

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