シュリーナガルへ

以前、シュリーナガルを訪れたのは1988年。この前年3月に実施された州議会選挙における不正疑惑を発端として、従前から根強かった反インド感情を背景に、抗議活動から武装組織へと発展していったのが80年代末から90年代のこと。

現地の反政府組織を通じて、隣国パーキスターンによる干渉もあり、泥沼化の一途をたどることとなった。血を血で洗う抗争、爆弾テロ、誘拐・殺害事件等々の暴力に対応すべく、これを力で抑え込もうとした治安当局による市民への拷問を含む人権侵害は、この地でインドに対するさらなる不信感を高めるという皮肉な結果となり、負の連鎖が続いていた。

風光明媚なカシミール最大の産業であった観光業は、当然の結果として惨憺たる状態となる。この地をロケで利用することの多かったインドの映画産業も、治安の悪化を受けて、山あいのシーンの撮影地をヒマーチャル・プラデーシュ等に移している。

カシミールの手工芸品という国内外で引き合いの多い優れた品物さえあれば、どこでも仕事ができる商売人たちが、インド各地にこの取り引きのために拡散していくこととなった。隣国ネパールのカトマンズなどで、こうした商品を手掛ける商売人たちは、この時期に進出したというケースが多いようだ。

私が前回ここを訪れたときは、暴力の嵐が吹き荒れるようになる少し前であったため、特に危険があったわけではないのだが、人々と話をすればするほど、「これから何か起きるかもしれない」と感じさせる不穏な空気はあった。

ようやく2000年代に入ってしばらくしたあたりで平和のきざしが見られるようになり、2007年あたりから内外の観光客が足を向けるようになってきている。

ただし、かつてのような身の危険はないとはいえ、ひとたび何か政治的な問題が発生すると、一気に燃え上がり、政府側はこれに対して迅速に手を打つので、何も知らずに訪れた観光客は、「知らないうちに何か起きていて、あっという間に外出禁止令が敷かれていた」という状況になってしまうことがしばしばあるようだ。

AFSP (The Armed Forces Special Power Act)という特別法が敷かれている地域であるため、そうした摩擦は少なくない。このAFSPは、治安維持と共和国としての統一を図るための苦肉の策とも言えるものだが、「世界最大の身民主主義国家」を自負するインドにおける「マイノリティの民族主義運動とせめぎ合う民主主義の限界点」が如実に現れているものでもある。このような特別法が北東インドでも敷かれている。

しかしながら、久しぶりに訪れるシュリーナガルの湖の景色は、やはり素晴らしいものであり、しつこい商売人たちを除けば、人々は温厚かつ友好的である。この地に真の平和が訪れることを願わずにはいられない。

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