来年冬は濃霧でもNO PROBLEM ??

 そろそろデリーは冬のさよならといった具合のようであるが、12月下旬から1月上旬にかけて冷え込む時期には、濃霧のため陸や空の交通機関が多いに乱れるため、忙しい人たちにはなかなか大変だ。
 まるで煙のように流れていくモヤ。同じところにいても、それはときに濃くなったり、薄くなったりを繰り返している。昼間はしばらく霧が晴れていても、夕方になるとどこからともなく白い霞があたりにたちこめてくる。それまでの「現実世界」が何やら幻想的な風景へと転じていくのをのんびり眺めている分にはいいのだが。

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安宿街に歴史あり

 バンコクのカオサン・ロード、ジャカルタのジャラン・ジャクサなどと同様、アジアの安宿街として内外に広くその名を知られるカルカッタのサダル・ストリート。
 カルカッタ市内としては古くからある地域で、なかなか風情のある建物も多い。中小規模ながらもなかなか格式のありそうな構えの教会も目立つ。往時は猥雑なエリアではなかったのかもしれない・・・と、この通りにどこか折り目正しさを感じるのは私だけではないだろう。

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ハインリヒ・ハラー氏逝去

 1月7日、オーストリアのハインリヒ・ハラー氏(Heinrich Harrer)が93歳で亡くなった。相当な高齢者となっていた彼は、山登りをやめてからずいぶん長い時間が経っているのに、やはり山屋はいくつになっても「登山家」と表現されるものらしい。
 多才な彼はスキーヤー(1936年ドイツで開催の冬季オリンピック代表として選出されたものの、事情によりオーストリアのスキーチームがボイコットしたため参加できず)としても活躍しており、またゴルファーとしても鳴らした。1950年代後半には、オーストリアのアマチュアチャンピオンに輝いたほどの腕前であった。 
 スポーツ以外でも活躍分野は広く、地理学者として知られるとともに、作家としても20冊の本を著している。その中の一冊がかの有名な「Seven Years in Tibet」だ。
 1938年、彼の祖国オーストリアがドイツに併合された結果、現在パキスタン領内となっているヒマラヤの秀峰ナンガーパルヴァト遠征に「ドイツ隊員」として参加したハラーは、翌39年に第二次世界大戦が勃発すると、当時のイギリス植民地当局に「敵性外国人」として捕まってしまう。
 当時の国籍が「ドイツ」であっただけではなく、後年自身が「あれは間違いであった」と回顧しているように、彼はナチス党の親衛隊メンバーとして名を連ねてもいた。
 1944年に収容所を脱出して、同僚とともに実に21ヶ月もかけてチベット潜入に成功。彼は当時まだ少年であったダライラマに会い、家庭教師役を任されることになる。
 1950年に起きた中国によるチベットに侵攻後は母国に戻り、チベットでの体験や見聞などを「Seven Years in Tibet」としてまとめる。これは48もの言語に翻訳され、300万部を超えるベストセラーとなり、世界各国で愛読されるようになる。この本は、現在でもネパールやインドのヒマラヤ地域で、観光客向けの書店店頭に必ず並ぶ「定番」図書だ。
 97年には映画化され、ブラッド・ピット主演で南米のアンデス地帯で撮影されたが、これを映画館でご覧になった方も多いことだろう。
 このハインリヒ・ハラーという人は、雄大なヒマラヤのみならず、英領時代のインド、そして中国による占領前の独立チベットをも身をもって知る人であった。この機会に今一度、彼の本の扉を開いて彼が見聞した世界を垣間見てみるのもいいかもしれない。
訃報:ハインリヒ・ハラーさん93歳=登山家(毎日新聞)

ヒマラヤの東端はインドネシア?

Google map
 普段何気なく眺めている地図だが、衛星写真から起こした海底の地形まで表現されているものを見るといろいろ思うことがある。
 あいにく地質学の知識など持ち合わせていないのだが、「世界衛星アトラス」は、普段とちょっと違う視点を与えてくれるのが面白い。地図にもいろいろあるものだ。
もともとオーストラリアあたりにあったとされるインド亜大陸が北上を続けてユーラシア大陸のとぶつかったため、チベットの大地が大きく持ち上げらせることになったのはご存知のとおり。その結果できあがったヒマラヤ山脈だが、いまでも亜大陸は北側へ押しているため、いまも年にごくわずかながら隆起を続けていることもよく知られている。
 東西に走るヒマラヤ山脈の東端部、インド東北地方からミャンマーにかけては大きく90度褶曲しアラカン山脈と呼ばれているが、海底の地形に目をやればこの大地の隆起は海底にも続いていることが見てとれる。つまりアンダマン・ニコバール諸島だ。
 たまたま水面下にあるのでその「山脈」の姿が見えなくないのだが、もしベンガル湾の水をそっくり取り払って(そんなことができるかどうかは別にして)しまえば、その海底山脈をたどって南下すれば、インドネシアのスマトラにつながり、さらにジャワその他東に連なる島々へとたどることができる。
 なるほど移動してきたのは亜大陸のように見えるが、実はそれを含む大きな地殻そのものがゆっくりと移動しており、動きを異にする他の地殻との摩擦で起きたズレが山脈や海底の隆起という形になって表れるのだと思う。よくよく眺めてみれば、大地や海底の褶曲や起伏の多いところは地震の多発地帯が多いような気がする。
 書籍ではなく手軽なところでは、Google Mapあたりで眺めてみるのもいいかと思う。

インドIT留学

インドIT留学
 もはや自他ともに認めるIT大国となったインドだが、近ごろ日本の留学斡旋業者たちもインドへ熱いまなざしを注いでいる。
 多くは数週間から1年程度のプログラムで、留学というよりも研修いった印象を受けるが、コンピュータ・プログラム関係以外に英語も学べるし、余裕があればヨーガやアーユルヴェーダ体験も・・・といった付加価値をつけることもできる。それなのに先進国に比較して費用が格段に安いというのがウリのようだ。
 日本からインドへの留学といえば、インドそのものに関わる学問、そして特定の専門分野に集中する傾向が強かったため、一般の人々にとってあまり馴染みがなかったかもしれない。しかし従来からインド周辺国やアフリカ諸国などからは経済学、工学、医学、法学、教育学その他いわゆる「実学」を学ぶ留学先として人気が高かった。 
 もちろんここでも先進国に比べて学費が安いこと、外交政策上インド政府が国費により各国から留学生たちを毎年多数招聘していることもある。つまりインドという国に何の関心も持たなくても、「インド留学」の動機はいくらでも転がっているのだ。
 それにしても途上国でありながら広範な分野で世界レベルの優秀な大学を多数抱えていることはまさに「知の国」の証であり、英語で専門教育を受けることができるのも大きな魅力である。
 今後日本でもインドの教育分野における「実力」について広く知られるようになってくるのだろうか。すくなくとも「悠久の大地」や「不思議の国」といった言葉で語られるのではなく、インドのより現実的な部分が身近になってくるのは喜ばしいことかもしれない。


▼ECCインド留学プログラム
http://www.eccweblesson.com/india/program.html
▼ソフトブリッジ
http://www.j2i.jp/
▼毎日留学ナビ
http://ryugaku.mycom.co.jp/ind/
▼グローバル・パートナーズ
http://www.gp21.co.jp/school/programs/it_india.html
▼World Tech
http://www.world-avenue.co.jp/wa_tec/ContentFrame.htm
▼Aptech Ltd.
http://www.world-avenue.co.jp/wa_tec/it_APTECH.htm
▼留学のグローバルスタディ
http://www.global-study.jp/IT/india_it.html