安宿街に歴史あり

 バンコクのカオサン・ロード、ジャカルタのジャラン・ジャクサなどと同様、アジアの安宿街として内外に広くその名を知られるカルカッタのサダル・ストリート。
 カルカッタ市内としては古くからある地域で、なかなか風情のある建物も多い。中小規模ながらもなかなか格式のありそうな構えの教会も目立つ。往時は猥雑なエリアではなかったのかもしれない・・・と、この通りにどこか折り目正しさを感じるのは私だけではないだろう。


 もともとはFord Street,そしてSpeke Streetとその名を変え、サダル裁判所が出来るにあたり、Sudder Streetと命名されて現在にいたっている。
 サダル・ストリートからチョウリンギー・ストリートに出るところの左手にある建物は、ご存知のとおりインド博物館。なんでもここは「世界五大博物館」のひとつに数えられている(?)のだとか。
 通りをはさんだ反対側の建物のグラウンド・フロアーには、中華・和食・タイ料理などを出す綺麗なレストランが入っているが、ここではかつて当地を代表する欧州人向けの有名なテイラーとデパートが営業していたらしい。
 インド博物館のすぐ裏手には、安いドミトリーが長期旅行のバックパッカーたちに人気のサルベーション・アーミーのホステルがある。これにしてもかつてはLockwood Houseという固有名詞がついてなかなか立派な建物だ。
 界隈にはかつて地方の藩王の別宅も存在していたとともに、ラビンドラナート・タゴールの兄が居住していた屋敷もある。若き日のラビンドラナート自身も、このあたりをよく出入りしていた。
 安宿街として知られるこの通りにも、リットンホテル他いくつか高級な部類のホテルも存在する。インド独立後もこの地に残った英国人家族が所有するFairlawn Hotelは、カルカッタならではのヘリテージホテルとして人気が高い。この建物がホテルとして開業する前、だいぶ長い間ユダヤ人が所有していたそうだ。
 かつて大きなユダヤ人コミュニティを抱えていたこの街だが、このサダル・ストリートに居住する有力なユダヤ商人は多く、中国や英領香港などと盛んに交易を行なっていたという。すぐ近くのパーク・ストリートには、彼らの子弟が通うユダヤ人学校もあった。
 このあたりが安旅行者向けゾーンへとその装いを変える契機は、第二次世界大戦のころであったようだ。英兵や米兵がこのあたりを足しげく出入りする赤線地帯として知られるようになったのだ。おそらくチョウリンギー・ストリートやニューマーケットといったおのぼりさんが大勢出入りする大商業地のすぐ背後という地の利もあったのではないだろうか。
 おそらくこのあたりになると、かつてこのあたりに暮らしていた裕福な人たちの多くは郊外などにベターな環境を求めて出て行ってしまったのではないだろうか。サダル・ストリートは、その後も外国から来た一時滞在者向けの地域として発展(劣化?)を続けて現在にいたる。もちろん観光名所であるインド博物館のすぐ裏手ということは、外国人客を泊める宿を開くにあたり好条件である。
 ここに宿泊する人々は、欧米や日本などの先進国からやってきたバックパッカーだけではない。隣国バングラデシュから訪れる人々もまた大勢いるため、両替所ではバングラデシュ通貨も扱っている。
 そんな具合だけに、私たちが同国に向かうのも非常に楽である。何しろサダル・ストリートが接するミルザー・ガーリブ・ストリートにあるバス会社のオフィス前から出るバスに乗ってしまえば、そのままダッカまで連れて行ってくれるのだから。
 タイで外国人旅行者のメッカとして知られるバンコクのカオサン・ストリート。現在の姿があるのは、あるひとりの主婦の発案がきっかけであった。
 ここはかつて問屋街であったのだが、近くの王宮などを見物にやってくる外国人観光客の姿を見て、「ウチに泊めたらあの人たちにとって便利。私にとってもお金になる」と、彼女は自宅を宿に変身させることを思いついた。その繁盛ぶりを見た近隣の人々による同様の安宿への転業、起業が相次ぐとともに、地域の外からも参入する人々が増えてきたころには、内外に広く名を知られる旅行者地帯になっていたというわけである。
 似たようなプロセスがこのサダル・ストリートにもあったことだろう。
 この通りのすぐ北側にあるニューマーケット。カルカッタ市当局の肝いりにより1874年に完成し、主に当時市内在住のニーズに応えるためのものであったそうだから、「外国人慣れ」しているのは、ここの市場創業当時からだ。
 この界隈では、先述のユダヤ人コミュニティはさておき、このあたりに住む華僑の存在もあるなど、さまざまな外来の人々を受け入れてきた歴史がある。
因果応報とはいうが、昔からサダル・ストリート界隈には、土地にまったく縁のない人間がいとも簡単に居場所を見つけられる、そんな空気があったのかもしれない。

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2 Responses to 安宿街に歴史あり

  1. Vinay says:

    ogataさんのコラム、いつも楽しく拝読させていただいております。
    サダル・ストリートで思い出したのですが、
    遥か昔の1984年、同地を訪れた際に
    カールトンというホテルに宿泊しました。
    (チェーンのカールトンではないと思います)
    中庭のあるコロニアルな旧い洋館で、
    三食+朝夕のティータイムがついていて、
    とても快適な場所でした。
    当時の『地球の歩き方』にも掲載されていたと思いますが、いまはさすがにないでしょうね。
    とにもかくにも懐かしい思い出です。

  2. ogata says:

    カールトン・・・
    名前だけはうっすらと記憶にあります。
    ひょっとするは今でも名前を変えて存続しているかもしれないですね。
    サダルストリートの不思議な(?)ところけは、、20年近く前とくらべてもあまり変わらないところかもしれません。
    安くて早い「カルサ・レストラン」や「ブルースカイカフェ」のようなエコノミーな食事どころ、「金龍飯店」「香港飯店」といった中華料理屋、そして「パラゴン」「モダンロッジ」みたいな安宿といい、どこもずいぶん息が長いようで。
    それでも時の流れの中で、代替わりなどしているのでしょうが。

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