シェカワティーの食事でやや不便なところは、手頃な安飯屋がほとんどないところだ。町角のサモーサーのスタンドを除けば、デリーやジャイプルなどから訪れるインド人観光客向けのホテルに付設されたレストランとなり、アップマーケットで仰々しく、注文してから時間もかかるので面倒くさい。
地元の人たちの間で中間層がほとんどなく、外食文化が存在し得ない経済水準なので、仕方のないことではある。
カテゴリー: travel
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アルスィーサル1
Alsisarという地名だが、ときおりAl-Sisarと、アラビア語の冠詞Alがついて取り上げられていることがあるが、まったくの間違いである。この地域には、「アルスィー」「マルスィー」という名のふたりの姉妹に関する伝承があり、前者が暮らすことになったのが「Alsisar」で、後者が住むこととなったのが「Malsisar」。「sar」は泉、池の意味で、例えばパンジャーブ州のスィク教聖地の「Amritsar」は、文字通り「アムリト(甘露)」の「泉」だ。
つまり「Alsisar」「Malsisar」は、それぞれ「アルスィーの泉」「マルスィーの泉」の意である。このふたつの町は、バスで15~20分程度の距離にあるが、ハヴェリー等の見どころがあるのはタークルの居城を擁してより経済的に成功した過去を持つ「Alsisar」である。
今日は奮発して、こんなところに宿泊してみた。バニヤーのマールワーリー商人の館ではなく、ラージプート領主の館がホテルに転用されたもの。予約サイトで眺めていたら良さそうだったので予約した。
このAlsisar Mahalというホテルのレセプションはこんな具合。見事な宮殿ホテルだ。
ラージプートのパレスや館を転用したホテルはラージャスターン、マッディヤ・プラデーシユ、グジャラートかけてたくさんあるが、税込み4000ルピー前後で泊まれる宮殿ホテルとしては、おそらく最良の部類だろう。また運営主体の会社自体が、地元のラージプートの領主層から出た企業家によるものなので、調度品や装飾などにラージプートの館へのこだわりが感じられるのも良い。この会社はマンダーワーやジャイプルでもラージプート物件を転用したホテルを運営している。
ただし、宿泊した日は、ここで婚礼のレセプションが開かれており、夕方から夜にかけて大変騒々しかった。ホテル内のきれいな飾りつけ、着飾った人々などを目にすることができたのは良かったのだが。
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地域色
本日利用のバスは、隣州ハリヤーナーの公営バス会社、ハリヤーナーロードウェイズの便。ハリヤーナー州のスィルサーからラージャスターン州のシェカワティ地方を経てジャイプルまでの間を往復している。
私が乗ったのは、ジャイプルからスィルサーへと向かうところである。いわゆる「インターステート」で往来しているバスだが、地域色が感じられるのがいい。
運転手、車掌ともにパンジャービー(ハリヤーナー州にはパンジャービー住民も多い)のようで、彼らふたりの間では、私には関西弁みたいに響くパンジャービーで言葉が交わされる。
車内にはリズミカルなバングラーのナンバーがかかり、車窓のラージャスターンの半砂漠の景色と異なる聴覚空間が演出されているのが面白い。

ハリヤーナー・ロードウェイズのバス 
ハリヤーナー州スィルサーとラージャスターン州ジャイプルの間を結ぶインターステート・バス -

ラクシュマンガル
この日最後に訪問したのはラクシュマンガル。いろいろ見どころのありそうな町なのだが、いかんせん到着した時点で午後6時。市街地の丘の上にあるフォートに上ってみた。途中に小さなお寺があるのみで、特に何か残っているわけではなさそうだ。
この町には、屋敷というよりも宮殿と呼びたくなるほど巨大な「チャール・チョウク・ハヴェーリー」がある。外観はボロボロだが、いったい何部屋あるのだろうか?
どのハヴェリーにも、チョウク(中庭)がふたつあるのが基本。入口から最初のチョウクまではお客誰もが招かれるエリアで、通常の来客や商談相手が通される場所。ふたつ目のチョウクは、そこからさらに先にあり、家の女性たちの空間であるため、家族以外はオフリミットとなる。そんなチョウクが4つ(チャール)あるので、チャール・チョウクなのだが、普通のハヴェリーの規模に照らせば、8つくらいチョウクがあってもおかしくないように思える巨大さ。
頼めば中を見せてくれる管理人でもいれば、ぜひ見学してみたいところであったが、すでに暗くなってきたのでナワルガルへの帰途につく。帰路は、頼りないほど細い道で、舗装していない部分も少なくない。Googleマップで見てみると、ラクシュマンガルからナワルガルへの近道がこれなのだ。こうしたルートについてもスマホで確認することができるのだから、便利な時代になったものだ。田舎でも4G回線で通信できている。

フォートに上ってみた。 
フォートからの眺め 
チャール・チョウク・ハヴェリー 
延々と続くチャール・チョウク・ハヴェリーの壁 -

ケーディヤーハヴェリー
そうした中に、マールワーリーコミュニティの中のケーディヤーという苗字を冠したハヴェリーがある。ファテープルでは、ハヴェリー外側にバルコニーをしつらえて(建物の外側にバルコニーを造る例は多くない)、さらに鉄の欄干(これも珍しい)に人や神の姿や顔をあしらったものを見ることが出来る。おそらくこういうスタイルが流行った時期があったのだろう。
向かいには、ケーディヤーの名前を被せた宿泊施設があるが、このハヴェリーと同じ一族の所有。宗教関係の基金等が運営するダラムシャーラー(巡礼宿)同様に、豊かでない人たちの訪問を可能にする簡易宿泊施設だ。所有者一族は、すでに幾世代もムンバイーで暮らしているとのことだが、先祖の出自シェカワティーとの縁は切れずに続いているようだ。
シェカワティーでは、マールワーリーのさまざまなコミュニティによる運営のこうした施設をいくつも見かける。多くは「ダラムシャーラー」という名前が付いていることが多いが、文字通りの「巡礼宿」というわけではなく、仕事上の用務、親戚の結婚式への参列、あるいは観光など、様々な目的で人々が利用している。
かつてハヴェリーの主たちは、世間のために井戸を整備したり、寺院を寄進したりなどにより社会貢献を進めたが、今なおそういう働きを残している例ということになるだろうか。

バルコニーと鉄の欄干が興味深い。 
昔の建物に「ケーディヤー・アティティグリハ」と書いている。通常はアティティグリハ(ゲストハウス」という名称ではなく、「ダラムシャーラー」と称しているものが多い。 -

行けども行けどもハヴェリー
商業地にあるハヴェリーは、間貸しに出しているところが多いが、そうしたエリアから離れると、空き家となっているハヴェリーは少なくない。ちょっと覗いてみて生活感がないものは、たいていそうだ。例えば干してある洗濯物の有無、バイクや自転車などが置いてあるかなどで一目瞭然である。
こうした管理人に頼むと、たいてい快く中を見せてくれる。もちろん彼らにとって、見せてもらう側が帰り際に渡す心付けが、良い小遣い稼ぎになるからであるが。とりわけ近年のようにインド人観光客がたくさん訪れるようになってからは、昔のように「見せてもらえますか?」と尋ねると、不審そうな面持ちでギョロリと眺められることはまずないだろう。外からやってくる人たちにとって、こうした屋敷が興味の対象であることが広く知られるようになったからだ。
もちろんそれは人が居住していないハヴェリーの場合で、それ以外は運良く入れてもらえても、門をくぐったところにある「最初のチョーク(中庭)」までで、通常はそこから先に行くことはできないはず。
ハヴェリーを観るのを目的に訪れると、実に当たり外れが大きいシェカワティーだが、そうした中で、ファテープルは強くお勧めしたい町のひとつ。まだ屋敷町がきちんと残っており、コンディションも良好であるものが多いからだ。ひとつひとつのハヴェリーの佇まいはもちろんのこと、こうした建物が軒を連ねている「行けども、行けどもハヴェリー」という眺めは圧巻である。
町中にある寺院も素敵だ。いかにもシェカワティーらしい派手さが素晴らしい。

ハヴェリーがいくつも連なる景色は圧巻 
こちらは寺院 
寺院内部 
寺院内部 
寺院内部 
寺院 
寺院内部 
寺院内部 
寺院内部 -

Le Prince Haveli
せっかくファテープルを通りかかったので、Le Prince Haveliという、インドらしからぬ名前のハヴェリーも訪問した。以前も見学したことがあるのだが、おそらくシェカワティーに数多いこうした屋敷の中で、最良のコンディションのものといえば、間違いなくここだろう。
シェカワティーのハヴェリーに惚れ込んだフランス人女性アーティストが買い取り、地元の信頼出来る寿司と組んで基金を作り、それをもってオリジナルの装飾技法にこだわって修復を重ねたもの。建物の裏手に回ってみても完璧に伝統技法と伝統染料での補修がなされており、なぁなぁになりがちな男性とは違う、女性ならではのこだわり、完璧さ、執念(ではなく情熱と言うべきか?)とイッキに突き進む行動力をヒシヒシと感じる。
残念ながら今回も前回もフランス人からオーナーさんは不在だったが、前回訪問時に彼女の息子さん(写真家で30代前半くらいか?)から話を聞いたことがある。
その修復作業についてのいきさつや経過などをまとめたら、大変素晴らしいドキュメンタリーになりそうだが、特にそういうつもりはないようだ。とにかく大好きなハヴェリーを持つ、それをオリジナルな状態に復元するということに注力した結果がこの屋敷、半砂漠のシェカワティーに鮮やかに咲く大輪の花のようなHaveli Le Princeである。
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マンダーワー
以前、じっくりと見学したことがある。
シェーカーワティー地方へ 2 〈Hotel Mandawa Haveli〉(indo.to)
シェーカーワティー地方へ 3 〈映画をこよなく愛する人々〉
シェーカーワティー地方へ 4 〈タークルの屋敷〉
そのため、今回は昼食のためのみにマンダーワーで小休止。

タークルの屋敷、転じてホテル
タークルの屋敷で現在ホテルになっているものがあるが、数日後にシェカワティー地域の町、アルスィーサルで宿泊する予定のところは、ここと経営母体が同じ。同じグループのホテルがジャイプルにもある。有力なタークルの一族が所有する会社によるホテルグループである。せっかくの機会なので観光・・・といっても、2年半前に来ているので、特に限られた時間で見るというほどのことはなく、まだ昼も食べていないため、前回ここに来たときに利用したホテルのレストランで昼食。

ホテルのレストランで食事
ここマンダーワーでは、ハヴェリーの転用の面白い例があった。屋敷がまるごと、銀行の支店となっている。

ステート・バンク・ンブ・インディアの支店が屋敷を借り切っている。








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珍しいムスリムのフレスコ画ハヴェリー
シェカワティのフレスコ画のハヴェリーは、ヒンドゥー教徒のマールワーリー商人コミュニティ独自のもの(及び一部のジャイナ教徒)というセオリーがあるのだが、ジュンジュヌーには稀な例外が存在している。
ジュンジュヌーのイスラーム地区にあるムスリムのフレスコ画ハヴェリーだ。場所がどのあたりかよくわからなかったので、ムスリム地区にあるDargah of Kamaruddin Shahを目標に移動してみる。ダルガー自体にも、シェカワティらしいフレスコ画があしらわれており、なかなか見応えがある。
このダルガー参拝後、通りがかりのムスリム男性に道筋を質問すると、そのハヴェリーの界隈の住人であるとのこと。ヌール・マスジッドというモスクの隣にあるとのことが判った。
訪れてみると、ここに暮らす家族はこれを建てた人物の子孫で、その中の一人から話を聞くことが出来た。このハヴェリーを建てたご先祖は、ムスリムの商業コミュニティの人ではなく、このあたりの地主だったそうだ。神々や人物の絵の無いハヴェリーは、かなり印象が違って見える。
彼は、フレスコ画のあるムスリムのハヴェリーは他にほとんど例のない貴重なものだと言うものの、このハヴェリーはあと10年もすれば取り壊す予定であるとのこと。維持に手間も費用がかかるため、フレスコ画を修復したりする意志もないそうだ。もう一軒、こうした屋敷を所有していたが、そうした経済的な理由からだいぶ前に取り壊してしまったそうだ。
貴重な文化遺産とはいえ、私有財産なので、持っている人自身の都合もあるわけだ。
そんな事情もあるため、最近は博物館や宿泊施設として用いる目的で修復の手が入るハヴェリーも増えているが、その他はやはり存続が危ぶまれることには変わらない。残念ながらあまり保存の状態は良くないのだが、取り壊す前に訪問できたのは幸いである。
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モーディー・ハヴェリー
ラーニー・サティー寺院をあとにして、モーハンラール・イーシュワルダース・モーディー・ハヴェリー(通称モーディー・ハヴェリー)へ。
ここはダイヤモンド等の宝石類を扱うことによって大きな財を成したモーディー一族の屋敷である。最近、銀行を巻き込んだ金融スキャンダルで逮捕された同じくダイヤモンドを扱ってきたビジネスマン、ニーラヴ・モーディーは、この血筋かと思っていたが、関係はないらしい。
このハヴェリーは、ロンリープラネットのガイドブックにも紹介されているため、記帳用の帳簿が用意されており、管理人が100Rsなどと吹っ掛けてくる。通常は10~20Rs程度で良いようだが、最後に30Rs渡してそこを後にした。がめつい男だったが、がなかなか根は良い人のようで、尋ねるといろいろ詳しく説明してくれる。
シェカワティ地方の中心地の繁華街に面していることから、訪問客がとても多いため、そこそこの収入を上げていることが伺える。ゆえにきちんとメンテナンスもされているのだろう。
こうした古い屋敷の管理人としては非常に珍しいことに、彼専用のAC付でバスルームも完備した居室が用意されているのには驚かされた。














































































































