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カテゴリー: travel

  • 悲惨な修復

    悲惨な修復

    前回は、シェカワティーのハヴェーリーの安直な修復例について取り上げてみたが、さらに悲しい例もある。

    描かれていたフレスコ画が荒れ果てて、壁を守ってきた漆喰自体も崩落が目立つようになったためだろう。建物自体の保護のために、石壁をあしらったビニール素材の壁紙で壁面を覆ってしまった例もある。

    おそらくオーナーは古くから残されてきた絵には関心を持たないか、それを修復する費用の支出を賄うことが困難なのだろう。しかしながら家屋自体については末永く使っていきたいという意思の元でこのようになされているはずだ。

    私有財産であること、フレスコ画の修復には多大な費用がかかるのでやむを得ないことであるし、所有者ではない私たちがとやかく言える筋合いでもないのだが。

    石壁を模した壁紙で覆われてしまった例
    ビニール素材の壁紙なので風雨には強いのだろうが・・・。
    レストランに転用されたハヴェーリー。フレスコ画が描かれていた壁は白い漆喰で覆われてしまっている。
  • ハヴェーリーの安直な修復

    ハヴェーリーの安直な修復

    近年は、シェカワティーが世界遺産登録を目指す動きなどがあるように、郷土の伝統として認識されるようになってきているこの地域のハヴェーリー。各地で積極的に保存や修復に取り組む例も増えているのは好ましいことだ。

    しかしながらその一方で、安直な修復も目立つようになってきており、このような例も決して少なくない。バザールで売られている神様の絵のような感じで描かれており、遠目にはキレイに見えるかもしれないが、かなり残念なことと言えるだろう。

    私有財産であるハヴェーリーは文化財登録されているわけではないし、ハヴェリーが条令等で保護されているわけでもないため、どのように処するかはオーナー自身の裁量に任されているわけなので、どうにもならない部分が大きい。

    遠目には色鮮やかでキレイに見えるかもしれないが・・・。
    本来あるべき姿とは大きくかけ離れている。
    それでもかなり費用をかけていることは間違いないのだが。
  • PODAR GATE

    PODAR GATE

    施主の苗字がそのままゲートの名前になっていたり、所有する一族の名前で知られていたりするハヴェーリーなども多い。
    写真はナワルガルのポーダル・ゲート。スマートフォンのHuawei社製品、Mate 10 Proで撮影したが、ライカとのコラボを標榜する製品だけあって、ちょっとライカっぽい写りを楽しむことができる。
    今回、シェカワティでの撮影の大半はこれで撮影しており、もはやちょっとしたデジカメと同等に使えるようになっているスマホのカメラ機能の進化ぶりは大したものだ。
    ほんの数年前には想像も出来なかったこと、期待もしなかったことが実現していくのが、デジタルの世界である。

  • 宿の近くのハヴェーリー

    宿の近くのハヴェーリー

    ハヴェーリーは間貸しに出されているところも多く、元々の所有者と縁もゆかりもない人が借りていることはよくある。そのいっぽう、今でも元々の所有者である家族や親族が寄り添うように住んでいる屋敷もあり、そうしたところのほうが保存状態も良いのではないかと仮定できるだろう。

    ハヴェーリーの出入口にはこうした立派な扉がある。日常の出入りに使用されるのは大扉の中の小扉。

    ナワルガルの宿泊先の向かいにあるハヴェーリーはそうしたもののひとつで、家の人から少し話を聞いたが、一族はマールワーリーで、やはりずいぶん前の世代の人が財を成して建てたという立派な屋敷。現在の所有者一族は、いったい何をしているのか尋ねてみると、「ウチはみんな公務員か教員だよ」と、ちょっと意外な答えが帰ってきた。

    だが、考えてみるまでもなく、マールワーリーといっても、誰もが商売上手でギラギラしているというわけではなく、地味に給与生活している人もたくさんいるのは当然のことだ。この静かな町で雑貨類を扱う、ごくごく小さな商店で生計を立てる「貧しいマールワーリー商人」だって少なくないのだから。

    私が話をした奥さんは、現在は嫁ぎ先のハイデラーバード在住とのことだが、毎年一回は子供たちと実家に帰省しているとのこと。今回はひと月滞在するのだそうだ。

    その隣、つまり私の宿寄りにはもう一軒のハヴェーリーがあり、屋敷の入口の部分に歴代の当主らしき男性、その奥方らしき女性の肖像画が描きこんである。屋敷のひとつひとつに個性があって面白いシェカワティだ。

    隣のハヴェーリーでは入口付近には、歴代の当主と奥さんとおぼしき人物の肖像画が描かれていた。
  • クールワル・コーティー

    クールワル・コーティー

    ナワルガルでの宿泊先は、クールワル・コーティー(Koolwal Kothi)。この建物は1934年竣工。19世紀終わりから20世紀初めにかけて、建てられたハヴェーリー(屋敷)は、それ以前とは違って西洋風建築が主流となるが、1930年代半ばともなると、こうした大きな建物が造られた最後の時代と言っても良いだろう。

    近年は、シェカワティーのハヴェリーで、異なる様々な時期やタイプのものが、こうして宿泊施設に転用されているため、いろいろ宿泊してみると楽しい。

    ちょっとアップマーケットな施設が多いのだが、シーズンオフとなる暑季には宿泊客がほとんどいなくなるため、各種予約サイトを通じて大幅に値引きされたプランで出ている。

    かつて様々な藩王国が割拠したラージャスターン州、グジャラート州では、各地にそうした王たちのパレスであった建物で、現在は「宮殿ホテル」となっているものが沢山あるが、シェカワティー地方においては、往年の「豪商の館」がご当地ならではの宿泊施設となっている。

    シェカワティー地方に共通して言えることだが、小さなダーバー(安食堂)を含めて食事をできる場所が極めて少ない。往々にして宿泊先で済ませることになるだろう。

  • ナワルガル到着

    ナワルガル到着

    夜汽車は良かった。乗り込んでしばらくは、人々は賑やかに会話。忙しげにケータイで話し込む者、デリーに住む親戚とビデオチャットを楽しむ母娘。スマホで音声流しながら映画や音楽を楽しむ男性・・・。

    長距離列車内はこれで良いのだ。

    スマホの目覚ましを午前4時半にかけておき、目が覚めてからしばらく待っているとナワルガル駅に到着。まだ外は真っ暗で深夜のようだ。

    待合室で少し明るくなるまで待とうかと思ったのだが、どうやら駅は市街地からかなり遠いらしい。客待ちしている乗り合いオートはあるのだが、今着いたお客たちが行ってしまってからだと足に困ると思い、そのまま宿に向かうことにした。

    まだ夜明け前、マーケットの一角まで来て下ろされたのだが、果たしてここから宿泊先まで、どのくらいの距離があるのかわからないし、この時間帯の野犬の群れも危ないのだが、案外、人の行き来はあることがわかった。こんな時間帯からお寺を参拝する人たちがいるようだ。

    ちょうど宿の方向とおぼしきダイレクションに向かう熟年夫婦がいたので尋ねてみると、彼らはその前を通過するとのことなので、一緒に行かせてもらうことにした。

    進んでいくとフレスコ画の壁を持つ大きな屋敷が見えてきて、いかにもシェカワティに来たという気がする。

  • 鉄路の深夜

    夜10時過ぎにデリーのサライロヒラー駅を出発の急行列車。

    乗り込んでしばらくは、世間話に興じる人たち、デリー滞在時にお世話になった親戚筋と子供たちも交えてビデオチャットしている家族連れなどで大変騒々しかったが、いつしか彼らも寝静まり、夜汽車は粛々と進んでいく。

    寝台で、背中にレールのガタゴト感じて寝る夜行列車は心地良く、いつしか私も眠りに落ちて行くのだが、隣のオヤジの高イビキに「えーい、うるさい!」と目が覚めてしまうのだが、周囲を見渡すと、意外にも静粛な車内。

    そうか、イビキの主は自分であったか!と気が付く、インド汽車旅深夜過ぎ。

  • 列車待ち

    列車待ち

    サライロヒラー駅前の狭い広場のすぐ向こうにある「南インド料理」の看板を掲げた店で簡単な夕食を摂る。北インドの大きな街で、本場の料理を食べさせる店として営業している南インド料理店を除き、それ以外の店で出す「南インド料理」というのは、たいてい美味しくないものだ。食後のコーヒーもまた残念なものであった。こういう店がやっていけるのは、やはり始発・終着駅の目の前というロケーションあってのことだろう。

    なんと「厚焼きドーサ」であった。

    サライロヒラー駅は主要幹線から外れたローカル線、もともとはメーターゲージの路線専用駅だったので、往来の頻度が少なく、主にビカネール、ビカネールとジャイプルの間に広がるエリアといった田舎へ向かう列車となるため、首都の鉄道駅らしからぬローカル感に満ちている。

    サライロヒラー駅
    プラットフォーム上にある「シヴァ寺院」
    乗り込む列車が入線してきた。

    それはさておき、スマホカメラで良いことのひとつに、ちゃんとしたカメラだったら憚られるようなシーンでもなんとか撮ることができる場合が少なくないことがある。最近のスマホ上位機種のカメラ機能・画質の向上は目覚ましく、ちょっとしたコンデジと同等といっても良いレベルにあるモデルも少なくない。当然、暗所にも強いため使い勝手も良い。

    インドでは鉄道施設、橋梁など公には撮影が禁じられているところは多い。そうした場所で、おおっぴらにカメラを構えてファキンダーを覗いて「さあ、撮るぞ!」とやっていると、駅員に注意されたり、鉄道に配置されているポリスに捕まったりすることもあるのだが、そのあたりのハードルがやはりスマホだとずいぶん下がる。もちろんシャッター音を消すソフトは入れておくべきだろう。

    いずれにしても撮影禁止の場所で、咎められたら面倒なことになるのは間違いないので、あまりお勧めできる話ではないのだが。

  • AL – JAWAHAR

    AL – JAWAHAR

    ジャマーマスジッドの近くのエリアにあるムガル料理の名店、AL – JAWAHARへ。
    ひとりで行ったので多く食べることはできないが、マトンシチュー、タンドゥーリーローティー、シークケバーブを注文。
    さすが人気店だけあって、食事時を外れた時間帯でもお客の出入りは多い。
    極上で奥行き深い味わいを堪能し、大変満足した本日の午後である。こういう食事、つまりムグラーイーを味わうに、本場デリーに来なくてはいけないことを実感。やはり旧ムガル朝のお膝元にあってのものなのだろう。
    出来れば5人くらいで出かけていろいろ注文してみれば、賑やかな食卓でいろいろ味わうことができて良いことだろう。

  • 朝食と喫茶

    朝食と喫茶

    アングロインディアンな朝食は、亜大陸どこに行っても普遍的で、それこそペーシャーワルだろうが、ダッカだろうが、デリーで食べるものと大差ない。

    おまけに英領下ではなかった(とはいえ深い縁を持つこととなった)ネパールでも普通にあるし、まだ訪れたことはないがブータンでも同様だろう。加えて、英国が短期間ではあったが影響下に収めたアフガニスタンでもごく普通にブリティッシュな朝食はあるのだろう。少なくとも街なかでは。

    それにしても朝食アイテムばかりが、やけに広く普及して現地化するというのは面白いが、喫茶の習慣とセットで捉えるべきかもしれない。立場、地位の異なる人が会食する習慣のなかったインドで、チャーイを入れる店先で様々な人々が集い、議論が生まれた。

    英領末期のカルカッタでは、当時まだ珍しかったカフェで、紅茶カップを片手に人々が社会を語り、それはインド独立への大きなうねりを後押しするとともに、そうしたインテリ層の中からは後に貧農たちと手を携えて闘おうという左翼革命思想も台頭し、その流れのひとつがナクサライト(マオイスト)勢力となった。

    喫茶の習慣は、階層間の対話と議論の場を提供し、インドを大きく変えた・・・と言っても大げさではないだろう。

  • REVOLUTIONARIES

    REVOLUTIONARIES

    露店の店構えに革命が起きているように思う。この清潔さ、この洒落たたたずまい。
    お兄さんたち、オジサンたち、見た目はまったくサエないけど、露店業界のゲバラなのかもしれない。
    近くには、「サルダールジー」という露店を出している業者のオフィスまであった。少なくとも、従来の露店とは、ちょっと形態が違うと言えるかもしれない。

    その名も「サルダールジー(スィク教徒の愛称)」という露店
    隣の別業者による露店。衛生にとても気を使っているように見える。
    これまた別の露店だが、ちょっとオシャレな感じ。
    露店「サルダールジー」の「本部」はこのオフィスであった。
  • Sita Ram Diwan Chand

    Sita Ram Diwan Chand

    パハールガンジの奥まったところにあるSita Ram Diwan Chand。デリー在住の方に連れて行ってもらったのだが、パハールガンジにこういう朝食の名店があるとは知らなかった。チョーレー・バトゥーレーの専門店。

    朝8時に開店。直前までシャッターは閉まっていたが、奥ではスタッフがすでに準備していたようだ。基本的に立ち食いの店だが、パハールガンジにありながらも、ずいぶん清潔でスタッフはキビギと効率良く働いている印象。持ち帰りのパッケージも販売されているため、これから鉄道で移動などという場合には、ここで調達してから乗車するといいだろう。チェーン展開しているかといえば、そうではないようで、店舗はここにしかないそうだ。

    店内で食べる
    持ち帰り用パッケージはこんな具合

    大変美味で、毎日でも通いたいおいしさだが、店内はこれから仕事に出かけるという人たち、あるいはこのあたりのオフィスにて働いているあるいは経営しているらしき人たちが多いようだ。おそらく常連さんたちなのだろう。

    Sita Ram Diwan Chand