マズガオン・マンゴー

ムンバイがまだ7つの島だった頃、今のマズガオンが「インド最高のマンゴーの産地」としてムガル朝からは評価されていたという。シーズンにははるばるデリーの皇帝まで、そのマンゴーを急送するシステムまであったとのこと。

マズガオンはサンスクリットでMatsya Grama、現代のヒンディーで言えばMachch Gramという意味となり「魚の村」である。ここはコーリーの人たちが暮らす漁村だったところでMachch Gavとマラーティーで呼ばれていたものが、Mazagon、そしてMazgaonとなっていったようだ。

島と島の浅瀬からどんどん埋め立てていき、やがて7つの島は繋がり、今の半島の形のムンバイとなっていく。マヒムもマラーバールヒルもそれぞれ島であったわけで、コラバコーズウェイもかつては島と島を結ぶ土手道だった。今で言えばシンガポールとマレーシアのジョーホールバルーを結ぶコーズウェイのようなイメージか。

ポルトガル時代まではのどかな7つの島だったムンバイだが、ポルトガルのカタリナ王女が英国王室に輿入れする際のダウリーの一部として英国に割譲されからは、スーラトに代わるイギリス東インド会社の欧州や中東に向けたメインの港町となるべく、埋め立てと開発がどんどん進められて行った。

英国のものとなって以降のマズガオンは港湾地域となり、「最高のマンゴー」の生産地としての名声は歴史の中に刻まれた過去の話となった。

Mazgaon Wasiyon, You May Probably Be Living On The Grounds Of The Lost Mango Orchards Of The Mughals (Whats hot)

水のボトルで思い出すこと

1リットルのミネラルウォーターのガラス瓶で思い出したのだが、1980年代のインドではウイスキーの空瓶を水筒として使う人たちがけっこういた。

バーザールではちゃちなプラスチックの水筒は売られていたのだが、今のような堅牢で見てくれも良いものはまずみかけなかった。清涼飲料の類もガラス瓶で、ペットボトルが出回るようになったのは、そのずいぶん後のことだ。

80年代後半にはビスレリ等のミネラルウォーターは売られていたが、当時の価格で確か12Rsだったと思う。1ドルが13Rsとか14RS。当時あった闇両替で16Rsだか17Rsだかといったところ。現在の1ドル83Rsとかの時代に20Rsは当時よりもはるかに安い。インドの人たちの所得も大きく上がったが、当時はペットボトル入りの水は高級品だったのだ。そんなわけで鉄道やバスに乗ると、水を入れたウイスキー瓶を持った人たちが大勢いた。

そういう人たちが皆酒飲みだったわけではないだろう。当時は空いたガラス瓶だって売られていたのだ。用途は水筒にしたり、油をいれたり、はてまた燃料を入れたり。当時は大きな街を除けば食べるところと言えば粗末なダーバーが大半。大きな街で高いと頃といえば、多くはメニューの文字すらよく読めないくらい低照度の暗い暗いレストランだった。

今から思えば、その闇がパルダーの役を果たし、種種雑多な人々がごちゃりと揃って食事をしているわけではない、家族や仲間だけの孤食を演出する意味があったのかもしれない。

カフェらしいカフェもなかった。立ってすする道端のチャーエ屋、席は用意されているけど、せせこましく忙しいチャーエ屋しかなかった。カフェがあちこちに出来るようになったのは90年代後半以降だ。

この時代はメジャーな観光地の主役は外国人だったが、それでも外国人料金という概念がなく、タージマハル入場料はわずか50パイサ。何かと外国人料金の設定が多かった中国を旅行してからインドに来ると、「なんと良識とホスピタリティに満ちた国なのか!」と誤った感心をしたものだ。

そんな昔のインドが良かったかと言えば、全くそうは思わない。当時私が社会人であったならば、休暇でインド旅行というのはあり得なかった。

なぜならば鉄道予約は駅に出向かなくてはならず、まずは「ブッキング窓口」で目的地までの乗車券を買い、続いて「リジャルウェーシャン窓口」で予約をする必要があった。

大きな駅だとそれぞれ方面別となっており、間違えるとまた最初から並び直し。行列は長く、割り込みを防ぐために人々は密着し、それでも窓口前では、とにかく自分が先に窓に手を突っ込もうと熾烈な闘いが繰り広げる、そんな感じだった。列車予約ひとつで1日が軽く終わる、みたいな具合。

それも始発駅ではなく途中駅だと、「15日先まで寝台なし」「向こう20日間は満席」などと言われて途方に暮れる、そんな大変なインドであった。今のインドのほうがいろいろ便利ではるかにありがたい。

祝 インドアマゾン Kindle書籍購入環境正常化!

一昨年の11月からインドのアマゾンでKindle書籍が購入できなくて困っていた。「インド国外発行のクレジットカードの利用は不可」となったためだ。インドの金融当局からの指示とのこと。インド国内の航空券も鉄道チケットも国外から日本発行のカードで買えるのに何で?と思ったが仕方ない。

それが先日、「今もそうなのだろうか?」と思い、「ゴアのコロニアルキッチン」なるKindle書籍を買えるかどうか試してみると、すんなり購入できた。

そうか、すでに禁が解けていたのか。

これはありがたい。これまでインド帰り買う本のうち、Kindle版があるものはインドアマゾンで手に入れることができる。

書店では、スマホ片手に良さげな書籍を検索して、無ければ店頭で紙媒体で買い、Kindle版があればインドアマゾンのカートに入れておき、宿に戻ってからまとめて買う。

私は雑貨や衣類などは買わないので、身軽なままで帰国できると嬉しい。本はとても重いものだし、自宅のスペースの関係もあるため、なるべく電子版で手に入れられるとありがたい。

ファラーバーグ

アハマドナガルに到着して最初に訪問したのがここ。

アフマドナガル王国時代の宮殿のひとつ。形状からして居住や執務その他の実用的な目的ではなく催事などイベント用の場所だったのではなかろうか。広大なホール内に空いている大穴は噴水がしつらえられてあったスポットそうだ。今は遺跡だが往時は漆喰で美しく仕上げてあったはずなので、さぞかし雅な空間であったことと思われる。

昔のこうした宮殿に限らず、近世に建てられたインドのハヴェリー(屋敷)でも往々にしてそうなのだが、階下の広間で催される演奏や舞踊などを上階のテラスからも鑑賞出来るような構造になっているものがよくある。おそらく視界を遮らないようにという配慮からかと思うが、床面の終わるところに壁や柵もなかったりする。

往時は今のように強い調光による照明はなかつたし、近眼の人が視力を補正するメガネもない。うっかり踏み外して下方はるか彼方の床へ落下して絶命・・・というのがしばしば起きていたはず。あるいは宮中の陰謀により、そんな事故を装う事件もときどき起きていたかもしれない。

アハマドナガルへ

アウランガーバードのバススタンドからアハマドナガルに向かう。今の時代、目的地までの距離、見込時間などが手に取るようにわかるのはありがたい。

紛らわしいのだが、州内のさほど大きく離れていないところに同じ読みの「アハマドナガル」なる町がもうひとつある。バスチケット買う際に「プネー行く途中のこの街まで」とGoogleマップほ見せて確認できるし。

本当はこういうのをどちらか「改称」すると良いように思う。政治的な意図とともに、インド各地で様々な街の名前が変えられているが、近くにあって紛らわしいこのようなケースこそやったらいいのではないだろうか。