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カテゴリー: travel

  • シールマール

    シールマール

    オールドデリーのシールマールの店。高ければ高いほど素晴らしいものになる。一人で来ていると食べきれない。常温でも15日間保存できると言われると心が動くのだが、最近体重増加中なので腹周りの贅肉さんと相談中。

  • 雨季の野菜たち

    雨季の野菜たち

    雨季のインドの野菜は宝石のように美しい。とてもぴちぴちしていて魅力的。これらで料理したらどんなにおいしいものが出来上がることかと想像してしまう。

    そんな野菜を撮っていたら、手いっぱいの品物を手にしたサブズィーワーリー(野菜売りの女性)が商品のダニヤーを手にして「私も撮りなさい。ほら、こっち」と、いろんなポーズを取りながらずんずん迫ってきた。

    ずんずん迫ってくるのはたいてい男性たちなので珍しい。ごくあたりまえの野菜を喜々として撮影している私にいろいろ質問を投げかけてくるので、こちらがタジタジになる。たまに「公式通りでない人」がいるものである。

    露店を後にするときも明るい笑顔で見送ってくれた。

     

  • ザファル・メヘルへ

    ザファル・メヘルへ

    久々にやってきたデリーでどこに行こうかとしばらく迷ったが、ムガル末期の夏の離宮、そしてムガル朝終焉の地、ザファル・メヘルを訪問することにした。デリーにあるムガル建築の中で、個人的に気に入っているのがここだ。南デリーのメヘローリーにある。

    往年の栄華からは比べようもない簡素な離宮。最後の皇帝ザファルは夏の時期をここで過ごすのが好きだったという。周囲がごちゃごちゃと建て込んでいる現在の様子とは異なり、当時はうっそうとした茂みが大地を包んでいたのだろう。小ぶりながらも漆喰で白くきれいに整えられた宮殿で、詩人として、文化人としても知られた皇帝はどんな夏を過ごしていたのだろうか。

    またここは1857年に発生した「インド大反乱」がイギリス当局により抑え込まれた後、ザファル、王子、王女とわずかな側近たちが護衛とともに逃れた先。戦乱で荒廃しきった大地で、皇帝一行は離宮への道すがらグルジャル(というコミュニティー)の盗賊に襲撃されて、ラールキラーから持ち出した金や財宝を略奪されるなど、散々な道中であったと伝えられている。

    だがそこへの潜伏も、イギリス当局の知るところとなり、駆けつけた軍勢により、皇帝一行は逮捕され、まだ幼少の王子2人を除いた男性の王族たちは殺害される。老齢のザファル自身は后のズィーナト・メヘル、ふたりの幼い王子とともにラングーンに島流し。ムガル朝終焉の地は、まさにこのザファル・メヘルであったことになる。

    こちらはザファル・メヘル内の帝国末期の皇帝や嫡子たちの墓。全盛期には妃のためにタージメヘルのような壮麗な建築を残したムガル朝も末期はこんな風にまとめて埋葬された。雑草が茂るのはザファルが埋葬される予定だった部分。英国当局によりラングーンに島流しとなり没したのでデリーには埋葬されていない。

     

  • ようやく久々のインドへ

    ようやく久々のインドへ

    好調となっている国内線とは裏腹に今も減便が続く国際線。成田空港の国際線ターミナルは今も閑散とした状態。空港内の店などもひところよりは営業しているところが増えたとはいえ、まだまだ「コロナ禍」といった風情だ。

    これまた久しぶりのエアインディアにちょこっと搭乗してみただけで、「今年2月に民営化して以降、こうなっている」などと、おこがましいことを言うつもりはない。それでも大変気になったことがいくつかある。

    ・年配で貫禄あるパイロットはどこへ行ったのか?

    ・くたびれた感じの客室乗務員のオジサンはどうしたのか?

    ・声が大きくて押し出しの強い客室乗務員のおばちゃんはどうしているのか?

    たまたま東京・デリー便だけ、フレッシュなスタッフが揃ったというのならばよいのたが、これまで労組が強くて、職員たちが長く勤めやすかったため、民間航空会社のフライトのパイロットやアテンダントの「親世代」みたいな人たちがモソモソと働いていたことを思うと、まるで別のフライトであるかのようだった。

    ゲートに集合するパイロットはまだ若くて精悍な感じの人たちだったし、客室乗務員は男性はイケメンマッチョ、女性は美形のモデルさんみたいで、映画やドラマにそのまんま出演できそうな感じ。応対もとても丁寧。こういう人たちは新たに採用されたのか、それとも同じTATA経営のVISTARAからの横滑りなのか?

    ひさびさのエアインディア搭乗ということで、経験豊富な中高年だらけで一種の「安心感」みたいな雰囲気を当然のごとく期待していたが、少なくとも私が利用した東京・デリー往復便は、ごく当たり前の民間航空のフライトであった。

    しかも出発が30分遅れたのはいいとして、到着は定刻よりも1時間半早まったので、てっきりデリーではなく、どこか別の空港に不時着するのか?とすら思ったくらいだ。東京・デリーの移動がこんなに速かったのは初めて。

    これはコロナ禍による減便のため、成田のサテライトを出てから滑走路までが驚くほどすぐだったり、到着するデリーでも着陸待ちで旋回させられることがあまりない?ためかもしれない。そんなこんなで、あれやこれやと回想しているうちに、アッという間にデリーに着いてしまった。

    デリーに到着

    ごく当たり前であるがごとく、コロナ前同様に混雑している空港からはプリペイドタクシーで市内へ。車窓から見える風景はまるで2019年のコロナ前の眺め。誰もマスクしている人は見当たらない。まるでコロナなんて無かったかのようだ。一時はロックダウンが実施されたり、デルタ株が流行した時期にはおびただしい死者が出たりと大変だったはずなのに。立ち直りの早さはインドらしいところだ。

    パハールガンジにあるいつもの宿に着いた想像していたよりも西洋人客がいるし、界隈にもそうした姿がある。家族連れもある。しかし誰もほぼマスクはしていない。日本以外の多くの国々ではそういうところが多いだろう。ぜひ見習いたいものだ。

    とりあえずAirtelのSIM購入。有効期間1ヶ月のプリペイドだが、利用期間の更新も可能。ネットは毎日1.5GB使えるとのこと。つまりひと月で45GBも利用できる。しかも国内電話は無料。

    コロナ前以来のインドに来てとても興奮するが、パッと見た感じは以前と特に変わった様子もないので、まるでコロナ前にタイムマシーンでやってきたかのような気さえしてくる。

  • 現在のインドへの渡航について

    すでに昨年10月から団体旅行への観光ヴィザ発給が再開し、翌月11月からは個人旅行者に対しても同様に再開した後、順調に観光客受け入れが拡大しているインド。

    2020年3月に、それまで発行された各種ヴィザが効力停止となるという前代未聞の出来事があったが、その際には有効期間が5年と長いe-visa(観光)も無効化されている。

    こちらについては今年3月に再度有効化されたというインドのイミグレーションによる発表もあったが、インドでは何があるかわからないし、担当官の胸三寸でいろいろ起こりえるため、再度取得しておくのがベターに思える。もちろん現在ではe-visaもコロナ前同様に5年間有効なものが発行されている。申請方法については、こちらによくまとめてあるので参考にされてはいかがだろうか。リュウサイさんという方による「インドいかへん?」というブログ内にある。

    また8月7日までは、日本からの渡航の場合は他の多くの国々からの場合と異なり、出発前72時間以内の陰性証明書の提出が求められていた。これについてもこちらのように、医療機関ではない検査専門機関による証明書を公費の補助を利用してごく安い費用(1,000円強程度)で取得する方法がネットで共有されていた。医療機関でこれを取得する場合、下手すると2万数千円にもなることがあるため、大変貴重な情報であった。陰性証明書については、もはや求めている国はごくわずかになったとはいえ、日本のように様式まで特定している国もあれば、おおらかな国もあるなど、スタンスは様々なので、いわゆる「格安PCR」業者の証明書が受容されるのかどうかは、誰かに聞かないとわからないだけに、こうした情報を提供してくれる筆者の さんのような存在はありがたい。

    だが8月8日以降は日本からの渡航の場合も陰性証明書は求められなくなり、他国からの渡航の場合と同様に、インドにおける事前検疫登録システム「Air Suvidha」に事前申請するだけでよくなった。これとて陰性証明書は不要となってもワクチン接種証明書はアップロードする必要があったが、現在はすでに求められてはいないらしい。ただし公式にはワクチン接種証明書の提示が求められることになっているため、証明書または電子証明書は持参することとしたい。

    そんな具合で、現在のインド渡航に係る手続き等については、「Air Suvidha」への登録を除けばコロナ前と同じになっている。

    問題は日本に帰国する際に必要となる陰性証明書だが、こちらについても9月7日以降はワクチン接種3回済んでいることの証明書を所持していることを条件として不要となる。これにより、コロナ前とほぼ同様になると言ってよいだろう。

    臨時便しか飛んでいなかった頃には、郵便すらインド宛のエアメールが利用できなくなり、「船便あるいはサーフェスメールのみ」という時期もあるなど、一時期は「月と同じくらい遠くなった」と思えたインドが、再び身近なものとなってきた。

    出張や赴任等で費用会社持ちの場合は気にすることはないのだろうが、個人が自費で旅行に出かける場合には、残るハードルは今も続く減便に加えて、原油価格高騰に伴う燃油サーチャージがあまりに高くなったことによる航空券代金ということになるだろうか。コロナ以前には繁忙期でも中国東方航空などで中国の街を経由すれば、他キャリアよりも比較的予約しやすく、しかも安く日本・インド間を往復できたものだし、日本・タイ間を毎日何便も飛んでいたLCCのフライトでバンコクまで飛び、そこからカルカッタまで他のLCCの往復を利用することもできたのだが、現在はその限りではない。

    今後、原油価格が落ち着いていくことを願うのはもちろんのことだが、各国間の往来の需要がコロナ前の水準にまで高まり、各社のフライトの頻度が高まるとともに、各路線にLCCを含めた多数の新規参入が続くというような状況になることに期待しよう。

  • ガチなアカーラー(道場)

    マハーラーシュトラ州のコールハープルのアカーラー(道場)を見学したことがあるが、ここは強豪を輩出する名門らしく、極めてガチなところだった。

    コロナ禍で寄附は減り、大会も開かれなくなるので賞金収入はなくなるわ、罹患者も増えるなどで、8ヶ月も休業していたそうだ。昔の安旅行者のドミよりもさらに狭苦しいところに詰め込まれての集団生活なので、クラスターでも起きれば全員道連れだろう。加えて2021年には洪水被害もあり、さんざんなコロナ禍だったらしい。

    もちろん今は活動を再開しているそうだ。近所の人たちも暇つぶしによく来ているし、見るからに強豪といった感じのペヘルワーンたちの取り組みも間近に見ることができるためお勧めである。

    あしたのジョーの丹下段平みたいな風情の親方がどっかり腰掛けて睨みを利かす中で、黙々と取り組みが進行していくストイックな空間だ。

    Before and after the July 2021 flood: a wrestling akhada in Maharashtra’s Kolhapur district (Youtube)

  • アカーラー(道場)

    アカーラー(道場)

    インドにはいろいろ見どころがあるが、早起きしたらアカーラー(道場)を見学するのが好きだ。アカーラーというのはインド式レスリング「クシティー」の道場。ペヘルワーン(レスラー)たちも様々で、道場によっては田舎から住み込みでやってきて頑張っている若者たちでいっぱいのガチなところもあれば、通いの青年たちもいる道場もあり、「クシティー」だけでなく、国際式のレスリングも同時にやっているところもある。

    また数は多くないが女性を受け入れている道場もある。デリーのチャンダギー・ラーム・アカーラーは、そんな中のひとつで、娘を連れて見学に行ったことがある。当時小学生だった娘は自分と同年代から始まって成人まで、様々な年代の女性たちが黙々と取り組みを行っている様子に目を丸くしていたことを思い出す。

    映画「Dangal」ではないが、こういうところから国際式に転向して五輪に出場したり、女子レスリングでも世界を舞台に活躍する選手たちを輩出している「クシティー」の世界。

    伝統的なのは、土というか砂地というかのリングで、文字通り泥だらけになって闘う男たち、それを厳しい眼差しで見ている威厳のある親方。リングに対して緩衝地帯やロープなどの安全装置もなく、コンクリートの柱や壁のある升の中での取り組みで、「頭打ったらどうするのか?」とハラハラしながら見学したりする。

    日本で言えば「相撲部屋」みたいな風情だが、小学生くらいの子供たちも練習に励んでいるアカーラーもあれば、各種スポンサーを得て「ガチ中のガチ」で、精鋭を集めて切磋琢磨しているアカーラーもある。こういう世界は、日本で今だに根強い「スポ根主義」と親和性が高いと思われるのだが、なぜかここにフォーカスを当てたドキュメンタリーなどは目にしたことがない。「ド根性インディア」とかなんとか題して、こういうところでガチで精進する若者たちのことを取り上げたら、けっこう評判になるのではないかと思うのだが。

    ガチのアカーラーの住み込みペヘルワーン(レスラー)たちになると、ゴリラみたいな体格をしているが、彼らの食生活はヴェジ。もちろん乳製品はふんだんに提供されるとともに、エネルギー源としてナッツ類はこれまた大量に与えられるそうだ。

    Youth of Varanasi do not like GYM | Kushti | Akhara | Varanasi Kushti (Youtube)

  • 北グジャラートのハヴェリー

    グジャラート州ケーダー地区のヴァソーという町のハヴェリー(屋敷)群がすごいらしい。こうした彫物はラージャスターン州だと石材だったりするが、グジャラートは地場産ではなく他地域からもたらされた木材というのも面白い。

    グジャラート州といえばカッチやサウラーシュトラのような西部、南部の湾岸地域、そして内陸部の旧藩王国地域がカラフルな伝統とバラエティに富んでいて評判だが、世界遺産に指定されているアーメダバードは言わずもがなの北グジャラートも素晴らしい。この州だけで、ひとつの国に相当する見どころに溢れている。

    Havelis of Vaso (Facebook)

  • ディーウ島

    ディーウ島

    グジャラート州先端に接するUT(連邦直轄地)のディーウ島。ちょうどマレー半島に接するシンガポールみたいな形をしているが1961年まではポルトガル領。

    昔訪れたときには、ディーウの小さな町にはポルトガル式のパン屋があり、コロニアル時代の建物がそのまま市街地を形成しており、店はずいぶん長い昼休みを取っているのも印象的だった。

    町の真ん中は、ラテンアメリカの多くの街がそうであるように、セントロ、町のヘソというか、公園としての機能を持つ広場で、その周辺を役所その他の公の施設やカトリックの聖堂が囲んでいるという具合で、インドではなくコスタリカとかエクアドルとか、そんなあたりの海沿いの田舎町に来たような思いがした。

    私が初めて訪問する少し前までは、同じくポルトガル領でともに歴史を重ねてきたゴアも合わせての連邦直轄地(1987年に旧ポ領の連邦直轄地から分離して州になった)であったためか、ディーウのセントロに面した港からゴア行きの定期船が出航していたらしい。

    これら旧ポルトガル領がインドに併合されるにあたり、これらの地域にポルトガルインド市民籍を持って公務に就いていた人などは、他のポルトガル領への職を斡旋してもらえたと聞く。ゴアやダマンなどもそうであったように、ディーウからもモザンビークに移住した人たちはけっこういたのだとか。(ご存知のとおり、その後モザンビークでも独立運動が起きて大変な目に遭ったらしい。)

    植民地時代の風情を残していたディーウだが、90年代半ばに再訪してみると、折しもインドの経済成長によるインドの人たちの観光ブームで、小さな町なかや周辺地域で大きな建設ラッシュが起きていることに驚いた。観光バブルで地価が上がり、町の人たちのかなりの部分は家や土地を売却して出ていき、外から投資家や観光関連業者、その下で働く労働者などが大挙して入ってきて、漁村、農村以外の人口は大きく入替っているというような話も耳にした。

    こうして動画で今のディーウを見ていると、片側2車線の見事な道路があったり、建物もインドの他の地域と変わらない眺めが映し出されていたりする。今再訪してみたらポルトガルのポの字も残ってないのでは?という気もしてくる。

    Diu City 4K Drive Tour – ASMR Ambience – Virtual Tour (Youtube)

  • 気になるモノを見かけたら、迷わずバスを降りよう!

    グジャラート州でラージコートからブジへと移動中、この建物が見えたので「一目惚れ」してバスを降りた。インドの公営中距離バス料金は高くないので支払い済みの運賃をフイにしても痛くない。そして目にした建物は壮麗で、やはり素晴らしかった。

    1936年に完成した建物だそうだが、そんなに時代が下ってからもこんな大がかりな建物が在地の王侯によって建てられていたというのは、ちょっとビックリだった。

    建物は「マニ・マンディル」。王が妻であるマニ・バーイーに捧げて建てたお寺とのこと。一般客が参拝する寺院には見えないので、おそらく王家専用のプライベートな寺だったのだろう。昔のインドの諸侯、貴族や豪商の宮殿や館には、そうしたプライベートな寺というものはよくあった。そうした「寺」に専属の僧侶や司祭が常駐しているということも珍しくなかったようだ。

    カースト上は最上ということになっている「ブラーフマン」という僧侶・司祭階級の人たちだが、世俗の社会の中で支配者となるのは稀で、タークルその他、在地の支配階層、あるいは成功した商業カーストの人たち、つまりカースト上はブラーフマンよりも下で、社会を支配していた層の人たちの庇護のもとで日々の糧を得ていた人たちが多い。これはプライベートな寺に限った話ではない。

    そのマニ・マンディルだが、訪問時は残念なことに改修工事中で、中に入ることはできなかった。

    それでも、ここを通過する前に渡った川に架かる橋の手前にもヘリテージな感じの建物が垣間見えていた。せっかくバスを降りたのだから、とテクテク歩いて戻ってみると、さすが旧藩王国の王都だけあって、見事なゲートの先には王都時代の建築物が多く残る旧市街があるとともに、見ごたえのある王宮も見学することができた。

    インドのバス旅行では、こうした「寄り道する」楽しみがある。これもまた「一期一会」の風景との貴重な出会いである。もちろんバスの運行頻度が高い場所であって、午後遅い時間帯ではないという条件が必要だが。

    これは市内移動でも同様で、何か気になる建物や眺めがあったら、そこで降りて確かめてみるという楽しみがある。こちらは市内移動なのでフイにする料金は痛くも痒くもない。せっかく気になる眺めがあっても、日没近かったり、乗り継ぎがあったり、時間を遅らせることができない理由があることも少なくないだろう。

    そんなときでも、建物を画像で残しておくという意味ではなく、場所を記録しておくため、ガタガタ揺れる車内からスマホシャッターを切っておくと、位置情報を利用して後日容易にその場所を再訪することもできる。

    いい時代になったなあ、と思っていたら、新型コロナによるパンデミックのため、しばらくインドを訪問できずにいる。これほど、様々な技術が進んで、世の中が「無機物化」しているような気がしていたが、こうした病原ウイルスに対して人間界は極めて弱いのは昔々から変わらず、やはり私たちは自然界の中の一部なのだなぁ、と変に感心してしまうのであった。

    Manimandir, Morbi – the love symbol (Youtube)

  • もしかしたら朗報?効力停止されていたインドの発行済e-visa(tourist)も復活?

    2020年春に効力停止されたe-visa(tourist)が、いつの間にか再度有効になった?昨年10月あたりに、観光ヴィザ以外は再度有効化のアナウンスが出ていたと思うけど、ついに観光のも息を吹き返したのか?

    何しろ「(i) Currently valid e-Tourist Visa issued for five years, which was suspended since March 2020, shall stand restored to nationals of 156 eligible countries with immediate effect. Nationals of these 156 counties will also be eligible for issuance of fresh e-Tourist visa.」と書かれているのだ。しかし取り直したほうがいいような気もする。よくもわるくもインドであるし、「Nationals of these 156 counties will also be eligible for issuance of fresh e-Tourist visa.」ということなので、「新たに取得してもいいよ」というわけだ。

    以下はインドの入国管理局ウェブサイト内の「観光ヴィザ、観光E-VISAの効力回復」の記事からの引用。今年の3月に発表されたものとのこと。

    Restoration of Tourist/e-Tourist Visa for Foreign Tourist

    MHA O.M No.25055/24/2022-F.V/F.I Dated March 15, 2022

    In continuation of this Ministry’s O.M. of even number dated 21.10.2020 on the above mentioned subject and keeping in view the improvement in COVID-19 situation in India, the Government has considered the need for further relaxation of visa and travel restrictions.

    1. Accordingly, with immediate effect it has been decided that:

    (i) Currently valid e-Tourist Visa issued for five years, which was suspended since March 2020, shall stand restored to nationals of 156 eligible countries with immediate effect. Nationals of these 156 counties will also be eligible for issuance of fresh e-Tourist visa.

    (ii) Currently valid Regular (Paper) Tourist visa with validity of 5 Years, issued to foreign nationals of all countries, which remained suspended since March 2020, shall stand restored. Fresh Regular (Paper) Tourist visa up to 5 years validity may also be issued to the nationals of the eligible countries subject to the restrictions imposed from time to time.

    (iii) Currently valid old Long duration (10) Regular Tourist Visa which remained suspended since March, 2020 shall stand restored for the nationals of USA and Japan. Fresh Long duration (10) Tourist Visa can also be issued to the nationals of USA and Japan.

    1. The Foreign nationals of Tourist/ e-Tourist Visas may enter into India only through designated Sea Immigration Check Posts (ICPs) or Airports ICPs by flights, including those under the Vande Bharat Mission or ‘air bubble’ scheme or by any flights as allowed by the DGCA or Ministry of Civil Aviation. In no case the foreign nationals will be allowed to enter through Land border or riverine routes on Tourist Visa/e-Tourist Visa. Order for opening of Land ICPs and riverine routes will be communicated separately.
    2. These instructions will not be applicable to Afghanistan nationals who will continue to be governed by the separate instructions issued by this Ministry regarding grant of e-Emergency X-Misc. Visa. All other health/ COVID-19 related matters, extant guidelines of the Ministry of Health and Family Welfare shall be adhered to.

    以下は、インドのe-visaの申請サイト。

    Bureau of Immigration (e-visa application)

    観光用で有効期間30日間は25ドル、有効期間1年間だと40ドル、5年間になると80ドルということになっているが、日本旅券であれば期間にかかわらず一律で25ドルなので、5年間を申請するのがよいだろう。可能な入国回数はマルチプルで、1回の滞在は180日間を越えないことというのが条件になっている。

    e-visaの場合は陸路入国が認められないというハンデはあるものの、大使館で申請する従来型のヴィザよりも有効期間が長いこと、大使館に出向く必要がなく、往復の航空券の提示も求められないなど、メリットは多い。申請から発行まで、現在のところは大変スムースで、多くは翌日には発行されているのも魅力だ。

    そんなわけで、今すぐに行く予定はなくても、とりあえず取得しておいて、いつでも渡航できるようにしておくのもよいかもしれない。

  • ジョージアのタンドゥール

    ジョージアのタンドゥール

    ジョージアに滞在中の方のFB上で幾度もタンドゥールやそれで焼かれたパンの類の写真を見かけた。ググッてみると、やはりジョージアでは伝統的にこうした窯の利用が多いらしい。なんとなく欧州文化圏のような気がしていたが、同時に中央アジアとも接している地域でもある。文化圏を信仰面のみで区別することはナンセンスだということを感じる。

    生活文化に信仰が与える影響には、食のタブーであったり、祝祭等の内容やサイクルであったり、通過儀礼等々があったりするが、信仰を同じくする国々などへの心理的距離の近さ、それとは裏返しに信仰が異なる場合の距離感の遠さなどいろいろあるかもしれないが、それ以外の自然環境であったり、それぞれの信仰が浸透する前から地域で引き継がれている伝統であったり、信仰や人種を超えて地域で共有してきた文化や習慣といったものの深みは当然あるはず。

    タンドゥールが伝播した北限がどこなのかは知らないが、ジョージアのような「タンドゥール文化圏」の北周縁部の人たちが、その文化圏の南端とも言えるインドのパンジャーブ地方を訪れたならば、自分たちのものとは少し異なるけれども似たような用途で用いられるその土窯を見て、多少のエキゾ感はあっても、懐かしい思いにかられるのではないかと思う。その意味では正教徒である彼らが自国の食文化の延長線上にあるものをペーシャーワルであったり、オールドデリーであったりといったイスラーム教徒の料理屋の店先で目にすることになる。

    同時にタンドゥール文化圏外、例えばタミルナードゥ州の人たちがジョージアを訪問することがあったら、自分が暮らすバンガロールやマイソールなりの街で見かけるムグライやパンジャーブ料理店などで目にするタンドゥールと同じようなものがあり、ジョージアでもイスラーム文化圏起源であると思われるタイプのパンが焼かれているのを見て、母国インドが中央アジアを経て、このジョージアにまで食文化でゆるく繋がっている部分があることを感じ、主に米食の自分たちにとってアウェイ感のある北西インドのイスラーム系料理に対して、ますますの距離間を感じてしまうなどということもあるのかもしれない。

    人間が政治的な意図で引いた国境、民族や宗教を背景にする文化圏、急峻な山岳その他厳しい地形等条件などによる地理的な障害など、世界を区分するボーダーというものは重層的に存在しているが、その中にはこうした食文化の繋がりないしは断絶をベースにした食をベースにしたボーダーラインのようなものも存在する。もちろんその境界とは目に見えてきっぱりと区分されているわけではなく、ゆるく重なり合っていたり、融合しあっていたりするものだ。

    それだけではない。ときにはスペイン系の食文化が大きく飛んでラテンアメリカにも広がっていたり、中国起源の麺料理の影響がイタリアに飛んでいたり、その他の中華料理の手法なども東南アジアで華人移民たちを通じて伝播していたりなど、いきなり飛び地が存在していることもあるなど、食文化というものは文化、民族や地域を越えて縦横にクロスオーバーすることもある非常にダイナミックなものである。

    He Dives Into Ovens to Bake Bread (Youtube)