ザファル・メヘルへ

久々にやってきたデリーでどこに行こうかとしばらく迷ったが、ムガル末期の夏の離宮、そしてムガル朝終焉の地、ザファル・メヘルを訪問することにした。デリーにあるムガル建築の中で、個人的に気に入っているのがここだ。南デリーのメヘローリーにある。

往年の栄華からは比べようもない簡素な離宮。最後の皇帝ザファルは夏の時期をここで過ごすのが好きだったという。周囲がごちゃごちゃと建て込んでいる現在の様子とは異なり、当時はうっそうとした茂みが大地を包んでいたのだろう。小ぶりながらも漆喰で白くきれいに整えられた宮殿で、詩人として、文化人としても知られた皇帝はどんな夏を過ごしていたのだろうか。

またここは1857年に発生した「インド大反乱」がイギリス当局により抑え込まれた後、ザファル、王子、王女とわずかな側近たちが護衛とともに逃れた先。戦乱で荒廃しきった大地で、皇帝一行は離宮への道すがらグルジャル(というコミュニティー)の盗賊に襲撃されて、ラールキラーから持ち出した金や財宝を略奪されるなど、散々な道中であったと伝えられている。

だがそこへの潜伏も、イギリス当局の知るところとなり、駆けつけた軍勢により、皇帝一行は逮捕され、まだ幼少の王子2人を除いた男性の王族たちは殺害される。老齢のザファル自身は后のズィーナト・メヘル、ふたりの幼い王子とともにラングーンに島流し。ムガル朝終焉の地は、まさにこのザファル・メヘルであったことになる。

こちらはザファル・メヘル内の帝国末期の皇帝や嫡子たちの墓。全盛期には妃のためにタージメヘルのような壮麗な建築を残したムガル朝も末期はこんな風にまとめて埋葬された。雑草が茂るのはザファルが埋葬される予定だった部分。英国当局によりラングーンに島流しとなり没したのでデリーには埋葬されていない。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください