航空不況の中、意欲的に国際線進出を進めるキングフィッシャー・エアラインス。6月に『国際線もキングフィッシャー!』で取り上げたとおり、すでにバンガロール・ロンドン、チェンナイ・コロンボ、コールカーター・ダーカー、コールカーター・バンコク、バンガロール・ドバイといった路線を展開している。
9月15日からはムンバイー・香港、翌日16日からはムンバイー・シンガポール間をいずれも毎日往復するようになる。これらに加えて近いうちにムンバイーからバンコク、コロンボ、ドバイへ、デリーからもロンドン、ドバイ、バンコクへの乗り入れが計画されている。
それらだけではない。将来的には国外への発着が予定されているインドの都市はアムリトサル、コーチン、ハイデラーバード、トリバンドラムなどがあり、就航先も長距離のルートでは、アメリカのニューヨーク、サンフランシスコ、カナダのトロント、ヴァンクーヴァー、欧州ではジュネーヴ、マドリード、アムステルダム、オーストラリアのシドニー、南アフリカのヨハネスブルグへの乗り入れを視野に入れているという。
中・近距離においては、中国の北京、広州、上海、湾岸諸国ではドーハ、シェルジャー、マスカット、バハレーン、マレーシアのクアラルンプルなどが候補地に挙がっているとともに、SAARC加盟の近隣国でもネパール、モルジヴ、パーキスターンへの乗り入れが検討されている。
上記のプランが、いつごろまでにどの程度実現するのかはまだよくわからないが、昨年9月にバンガロール・ロンドン便で国際線デビューを果たした同航空会社が、今年9月中旬までに海外に7都市(ロンドン、コロンボ、ダーカー、ドバイ、バンコク、シンガポール、香港)の就航先を持つに至るという勢いには驚かされる。
世界的な不況の中、多くの航空会社がリストラに励んでおり、減便や就航先の縮小といったニュースに事欠かない昨今、キングフィッシャーの拡大攻勢には『本当に大丈夫なのか?』という気がしなくもないが、こうした情勢をよそに国際的にも知られたキャリアへと成長していくのだろうか。今後も同社の進展には注目していきたい。
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ナガルコート 3

昨日は『閑古鳥の鳴く雨季のナガルコート』と書いたが、近年この季節はそうヒマでもないのだという。
ナガルコートを訪れる人たちは乾季にドカッと集中していたのだが、最近はこの時期にネパール人客が増えているそうだ。ちょうどインドのヒルステーションに、平地の都市部の人たちがワンサカ押し寄せるように、雨季でもけっこう暑いカトマンズの中産階級等の人々が、ナガルコートにやってくるのはわかる気がする。
先述のとおり日帰りも充分可能な距離だ。ネパールの首都ではそれなりの可処分所得を持つ中産階級が台頭していることの証ともいえるだろう。
避暑地といっても、宿泊施設その他の商業地の密度が薄く、霧の中にボンヤリ浮かび上がる松の木々の景色は、どことなくインドのヒマーチャル・プラデーシュのカサウリーを思わせるものがある。もちろん英軍の香りが色濃く残るカサウリーその他、インド各地で旧英領時代以来の伝統を持つヒルステーションには、新興避暑地には真似の出来ない伝統や雰囲気があり、これをナガルコートと比較することはできない。
だが、このナガルコートの尾根から、冬季の晴れ渡った朝に眼前に広がる雪を冠したヒマラヤのパノラマほどの見事な景色(今回の私たちは結局写真で見ただけであるが・・・)は、多くのインドのヒルステーションで望むべくもない。
夕方近くなってから、雲がだんだん厚くなってきた。西のほうでは山肌がずいぶん暗くなっており、そこでは雨が降り出しているようである。だんだん霧のような雲が近づいてきたと思ったら、激しい雨が降り出してきた。すでにテラスは雲の中に入っており、すぐ目の前や階下の様子さえも見えなくなっている。ちょうど冬のデリーの濃い霧のようである。

すっかり暗くなってから雨は上がった。テラスに出ると、薄い上着があってもかなり寒い。しかし雨の後で空気が澄んでいるためか、山間に点々と灯がともっているのがわかる。地上に星を降り撒いたようで美しい眺めだ。
山の中の村であっても、また夜10時すぎというのに、ずいぶん夜更かしだな?と思いきや、宿の人の話しでは『農村では泥棒対策のために、電気を点けたまま寝るのが習慣になっているんだよ』とのこと。そうした灯の数を見て「こんなに家があっただろうか?と思うのだともいう。確かに、眼下にちょっとした町がいくつも点在しているかのように見える。
雨上がりのしっとりとした空気、ここのところ蒸し暑さで毛穴が開いたようになっている身体に冷たい空気がピリッと心地良い。さきほどまで部屋の中で絵を描いていた息子に、テラスから声をかけると返事がない。窓越しに覗いてみると、すでに毛布にくるまって気持ちよさそうに眠っていた。
ナガルコート 2

しばらくバーザールのほうに歩いていくと、見かけた赤い共産党旗を掲げたホテル・レストラン従業員組合の簡素な事務所がある。看板に書かれた内容からしてマオイスト系の労組である。
宿泊先の宿の経営者の話だと、ナガルコートでこうした観光関連施設で働く従業員たちの中で、マオイスト系の組合に入っている人はかなり多いとのこと。彼らのハルタールは徹底しており、その期間中は宿の機能がすべて停止してしまうそうだ。
すでに宿泊していたお客にも退去してもらわらないといけないし、前もって予約していたお客もバーザールの入口前で待ち構えた組合員たちに追い返されてしまうとのこと。
宿のレストランには、たまにマオイストの活動家が数人でやってきて、無銭飲食をして帰っていくことがあるという。もともと田舎や農村地帯で始まったマオイストたちの運動だが、このあたりや首都圏でも加わる人たちは多く、現在ナガルコート在住の活動家たちもたいていはこのあたりの人間であるとのこと。
それでも内戦時代よりはずっとマシだとも言う。当時はここの警察の詰所が襲撃を受けて十数人殺傷されるという出来事があり、この宿の主の身内の方も警察官であったため、同僚たちとともにその場で殺害されたのだとか。家族に軍、警察関係者がいたり、ここのように外国人が利用するホテルを持っていたりすると、すぐ彼らに目を付けられて危険であったとのこと。
一見のんびりした山の上の避暑地であっても、今の時代のネパールのダイナミックな政治の荒波に揉まれることがしばしばあるようだ。もちろん盆地の外周部に位置し、カトマンズから日帰りもできる距離の首都周辺地域であるため、たとえ眺望が良くて特にオフシーズンには人口密度が希薄な土地。ましてや今は閑古鳥の鳴くオフシーズンであるのだが。
ナガルコート 1

ナガルコートに着いた。小さな集落を核に、ホテルやレストランなど大小さまざまな施設が点々と散らばっている。
尾根の斜面に建っている宿泊先ホテルでは広いテラスがあり、ここから東方面に居並ぶヒマラヤの名峰の数々、エヴェレスト、カンチェンジュンガ、ガネーシュ・ヒマール、ガウリ・シャンカルその他いくつもの名山が連なる姿を望むことができる・・・といっても、雨季で雲がかかっているため、そうした展望は望めそうにないのだが。シーズンオフということもあり、他に宿泊客はおらず貸し切り状態であった。
グラウンドフロアーにはテーブル席以外に、座敷風になっている席もあり、大きな窓からの眺めも良い。山の景色を眺めていると、雲がさまざまな形になったり、動いたりしている。普段、建て込んだ都会で生活する私は『遠くを眺める』といってもせいぜい50メートル程度でしかないので、緑あふれる環境の中での開放感はちょっと格別なものがある。
一緒に来ている小学生の息子にとっては、景色は興味の対象外であるようだが、彼の関心はまた別のところにある。低いところをブーンと飛んできた虫を、手にした新聞で払ってみると、落下した虫はクワガタ。羽の甲の部分が茶色でその他は黒である。何と呼ばれる種類なのか知らないが、このあたりではごくフツーにいるカナブン的存在らしい。それでも一緒に来ている小学生の息子にとってはとても珍しいようで、とても喜んでいる。

クワガタの類は夜行性だが、それでも宿周辺を散策してみると昼間であるにもかかわらず、けっこうな数のクワガタたちを見つけることができた。彼らの好物の樹液が出る木を見つけて、明け方にでも出かけてみると、相当数捕まえることができるのだろう。
カトマンズ盆地内のバクタプルからここに来たのだが、ナガルコートは標高が2100メートルくらいあるため、とても涼しく快適だ。夜になるとちょっと寒いくらいに感じるのではないかと思う。
王宮転じて博物館 3
王宮は、どこもまだピカピカで、王族がまだそこを出入りしているかのような印象を受ける。しかし5年、10年と歳月が経つにつれて、卓越した権力を持つ主を失った広大な館は、また年度ごとの維持管理の予算を政府から割り当てられての硬直した運営のもとで、次第に荒れていくことと予想している。こんにち訪れることができるインドの旧藩王国の主の館等がそうであるように。
ここが宮殿として機能していた過去を展示することが存在意義であるがゆえに、王の時代のように宮殿内の新陳代謝が繰り返されることはないだろう。もちろん経年劣化して展示に耐えない部分が出てくれば、必要に応じて補修などは行なわれるにしても。
ゆえに豪華な室内の装飾や調度品等が経年劣化しても、それと新しいものと入れ替えることはないだろう。すべてが次第に枯れ木や枯葉のように萎れてきて、カビ臭い空気に包まれてくるに違いない。
すると、部屋の脇に詳細な説明が掲げられていても、往時の輝きを頭の中に描くには相応の想像力が必要になってくる。すっかり黄変した壁紙、長年の埃がたっぷり積もり、安宿の玄関の敷物のようになったカーペットの中にある朽ち果てた家具類が並ぶ室内に往時の国王の姿をイメージするのは、アンモナイトの化石を目にして『海中を泳ぐ生前の姿』を想うのと同じくらい難しいかもしれない。
私物はいろいろ片付けられたり、引き払われたりしてしまっているのかもしれないが、現在私たちが目にする宮殿内の光景はまばゆく、つい昨年までここにいた王家の人々の息吹が感じられるようだ。だからここを訪れるならば、早いに限る・・・と思う。
前回書いたとおり、ここでは王宮内のごく主だった空間のみが公開されているが、個人的には王家の人々に仕えた人たちの仕事場なども観ることができたらいいのにと思う。
仕えた人たち・・・といっても、事務方を取り仕切る人々もあれば、建物の保守管理といった現業関係の人々も沢山いたはずだ。もちろん警備関係者たちも。どのあたりにどういう職場があり、どれほどの規模の数の人々が、どういった具合に風に日々の仕事をこなしていたのかがわかるようにしてあるといいのだが。
こうしたことは、王宮、宮殿といったものを見学する際にいつも思う。王家の人々の住まいであり、執務の場であると同時にひとつの大きな機関である。私自身が壮大な夢を見るような人間ではない一勤労者であることから、縁あって(コネあって?)そういう特別な場に職を得た人がどんな日々を送っていたのかということにも興味を引かれるのである。
仕事によっては、先祖代々王家に仕えていた人もかなりあったのだろうが、王室が廃止されて以降、王宮で働いていた人たちはどうなったのだろうか?
広大な敷地は大小さまざまな木々その他の緑に囲まれ、塀の外にはすさまじい排気ガスを吐き出して往来する車両に満ちた通りが走っているとはにわかに信じがたい。この静謐な空間は、次第に煤けていき、そして傷みながら年月を重ねていくのだろう。
今は人々の記憶に新しい王家の人々の姿も、時間の経過とともに輪郭が薄れてくるだろう。王の姿をテレビで、新聞で目にしたことのある人々が次第に歳を取り、宮殿と呼ばれるところに王が君臨した時代を知らない子供たちが成長していき、徐々に彼らに取って代わる。
何十年か先に、『王を知らない世代』の人たちが長じて親となり、幼い子供たちの手を引きながら、すっかりセピア色がかり、あちこちガタがきた建物内を見物しながら『昔々、この国には王様がいたのだよ。パパが生まれるずっと前の話だけどね』などと語りかけているのかもしれない。
昨年6月に『時間が停止した』王宮は、今後長きに渡りこの状態で保存されていくのだろう。繰り返しになるが、それがゆえにここを訪れるならば今が旬であろう。