空の旅今昔

 いまでは考えられないことだが、一昔前、長期旅行者が出入りする安宿の掲示板でこんなメッセージを目にすることがよくあった。
「航空券売ります」
「カイロ/バンコク片道 価格応相談」
「×月×日成田行き ××航空」
 旅の期間や旅のルートが変更したことで、格安往復航空券の帰路を放棄することになった旅行者が、チケットの買い手を探す貼紙だ。
 方法はいたって簡単。売り手が一緒に空港まで行き、パスポートを提示してチェックインする。買い手はボーディングパスを受け取り、イミグレーションと税関を通過して機内へと乗り込むだけだ。チェックインの際を除いて本人確認がほとんどなかった時代でこその裏技(?)である。
 もちろん他人名義で乗った飛行機に万一のことがあっても補償はなさそうだし、不正が発覚することがあれば厳しい罰則もあったことだろうが、当時はまだ空港のセキュリティも緩く、のんびりした時代だった。
 途上国のキャリアでは、飛行中コクピットのドアが開けっぱなし…ということもしばしばあり、乗客が頼めば中に入れてくれることも珍しくなかった。ネパール航空のヒマラヤ遊覧飛行「マウンテンフライト」では、多くの希望者が順番に操縦席からの素晴らしい眺めを見せてもらうことができた。眼前に広がる「世界の屋根」のパノラマ風景はいまでもまぶたに焼き付いている。
 いまや乗務員以外の人間がそんなところに踏み入るなんて考えられない。万が一、許してしまったら航空会社が利用客から強い抗議を受けるに違いない。
 長距離のフライトでは、経由地で乗客の乗降と給油が行われ、機内に清掃が入る。どこかに着陸するたびに機外に出てターミナルビル内でしばらく待たされることがよくあった。
 アエロ・フロートでモスクワ発リマ行きのフライトを利用したとき、ルクセンブルグ、シャノン、ガンダー、ハバナ…と寄航する地点が多く時間がかかるうえ、毎回空港ターミナル内に出て待機しなくてはならなかったので、やたらと疲れた記憶がある。
 いまでは他機乗客との合流や入れ替わりを防止するため、目的地や乗り換え地以外の空港で、待機中の乗客が外に出ることはほとんどないはずだ。
 インドを含めて一部の国や地域では、危険物や爆発物を防ぐ目的で機内への搭乗前、乗客自身に預け荷物の確認をさせることがあった。「これは私のです」と告げ、係員がチョークで丸印をつけて初めて飛行機の荷物格納庫に運ばれた。
 だがこんな方法はもはや通用しなくなっている。他の乗客もろとも上空で木っ端微塵に吹き飛んでしまうことさえ恐れない危険人物が紛れ込んでいる可能性があるからだ。

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一見インド人

 ゴアで一日ツアーバスに乗ったときのこと。乗客には近隣州から来た人が多かったが、コトバの最大公約数ということだろうか、ガイドはヒンディー語でなされていた。
 近くの席に知人によく似た人がいたので話しかけてみると、インド人ではなく、外国に住むインド系でもなく、アラビア人だった。オマーンから来た留学生。マハーラーシュトラ州内の大学でエンジニアリングの勉強をしているという。英会話はインドに来てから覚えたというだけあって、アクセントも立派なインド風。 本人曰く「ラージャスターンの人と思われることが多いよ」。 なるほど浅黒い肌、細面に高い鼻、鷹を思わせるような精悍な顔立ちだ。
 宿ではモーリシャス生まれのインド系イギリス人にも会った。何代も前にモーリシャスに移民した先祖の出身地はインドだが、どこの地方だかわからないという。幼いころ両親に連れられてイギリスに移住、帰化したが、インドを訪れるのは生まれて初めて。何もかもが物珍しいという意味ではイギリスの白人たちと変わるところはないようだ。
 本来、ヨーロッパから来た他の旅行者たちと意識は同じなのに、彼らと一緒にバイクを借りて走り回れば、道中出会う人々から地元のガイドだと思われるのは愉快な体験だ。
 私たちにとってなかなか真似できることではないが、似たような顔立ちの人々に囲まれてのインドの居心地はどうだろうか。モンゴロイドの少数民族たちが住む東北諸州をふと思い浮かべてみた。

みんなおなじ「旅人」

 インドに限らず見知らぬ異国を訪れていると、西洋人たちの存在が身近に感じられるときがある。その国にルーツを持たない「外国人」という立場、地元人たちが渦巻く大海の中でプカプカ浮かぶ圧倒的少数という立場は同じなのだから、そう感じるのもごく自然なことかもしれない。
 旅行中は毎日が新しい出会いの連続。宿で顔を合わせば、自然に「Hi!」と声かけあう。知り合った旅行者と一緒に観光見物や食事に行き、時にはしばらく旅道中をともにすることだってある。いろいろな国籍の人たちと飲みに出かけ、夜遅くまでワイワイガヤガヤと過ごすのも楽しいものだ。
 「旅行者」という立場は同じでも、彼らから見れば我々はやはり「異民族」。こちらから進んでコミュニケーションをとらないと、ひとりぼっちになってしまうこともある。なにせ相手は英語を母語にする人たち。こちらが聞き役に回ることが多くなってしまうのはやむおえない。
 国籍や母語の異なる相手が会話の輪に混じっていると、相手を気遣いちゃんと「共通語」の英語で話すように心がけてくれる人はありがたい。同じ輪に日本人旅行者がいると、ついつい英語でしゃべるのが照れくさくて、その人とだけは日本語で話しがち。そうなると、他の母語の人は会話に入れない。こういう点は前者をおおいに見習いたいと思う。
 旅先ではだれとも利害関係はないし、相手の社会的地位も関係ない。世界各国(先進国から来た人たちがほとんどだが)の人たちがニュートラルな立場で接しあえる空間…そこには束の間の「旅行者コミュニティ」が生まれる。気分はユニバーサルな「地球人」といったところか。
 ただし、悲しいかな「地球人」気分も帰国の飛行機乗るときまで。それまでの「おなじ外国人旅行者」という立場から一転、「地元人」と「外国人」という関係になる。あとは成田空港に到着して、旅に出る以前となんら変わらない平凡な日常に戻るわけだ。
 ひとつの旅が終わった後、おなじ旅人に再会できるのはごくごく稀なケースで、親しくなった人と手紙のやりとりをすることはあっても、その場限りのお付き合いとなってしまうのがほとんどだ。
 旅先で遺跡や自然を楽しみ、土地の人びとと触れ合うだけではない。興味や物事のとらえ方は多少違っても、同じ目線で旅する他国からやってきた旅人たちと無駄話に興じるひととき。それもまた旅の楽しみのひとつだろう。

お手回り品にご注意

 カフェでのこと。斜向かいに一人で座っていた女性が立ち上がり、奥の化粧室のほうへと向かった。「ここにいます」という意思表示のためだろうか、財布と携帯電話をテーブルの上に置いたまま。幸運にもいままで盗られた経験がないのだろう。
 傍目には「ちょっと危ないな」と思えても、当人が被害をこうむることがなければよいのかもしれない。「安全」に対する意識は、なんといっても経験に基づき作られるからだ。
 用心しなくて済むのなら、それに越したことはない。家の窓に鉄格子がはめられていることはないし、閉店後も店のショーウィンドウには高価な品々が飾られている。カギをかけてみたところで、ガラスという一枚の脆い薄板に過ぎないということは誰もがよくわかっている。それでも周到な防備を必要としないのは、日本社会の良いところでもある。
 以前、カルカッタの繁華街で、お金を盗られてしまったという女性に会った。
「ちゃんとポーチに入れておいたのに」
と彼女は言う。首からかけた貴重品袋をショルダーバッグのように服の外に出していたらしい。人ごみの中をかきわけて歩き、ふと気がつくとそれが消えていた。彼女はあまり海外を訪れたことがなくインドに来たのも初めてだという。日本国内ではこんな風にポーチを盗られた経験がなかったのだろう。
 「日本にある我々の取引先にもって行けば、高値で買い取ってくれる」と価値のないクズ宝石を大量に購入させる手口は有名。様ざまな詐欺があるが、そうした怪しい話に簡単にひっかかってしまうのも、これまでの経験と照らし合わせ「大丈夫」と判断したからだ。

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ベトワ河の苦行者

 朝から自転車を借りてオールチャーの遺跡群を巡り、昼ごろベトワ河の岸辺に下りて一服。
 ふと水面に目をやると、誰かが河の中から顔だけを出している。溺れているのではないかと心配になったが、後頭部をこちらに向けて身動きひとつせずに静止している。「こんな修行をするヨーギーもいるのか」と感心して眺めていると、近くを通りかかった西洋人たちもやはり立ち止まって注目。
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 午後遅くなってからも男はまだ同じ姿勢で河の中にいた。すでに陽は彼方に沈もうとしている。アメリカから来たカップルが「あの人、大丈夫だろうか」と深刻な顔をして私に声をかけてきた。もしや水面下で流木に引っかかったまま失神しているのではないか、あるいはすでに息をひきとってしまったのではないか、私も心配になってきた。
 ……ところが身を乗り出して、よくよく目を凝らして瀕死の苦行者を見た私たちは、「真実」を発見し、顔を見合わせて大笑いした。遠目には人にしか見えないのだが、……そこには石を積んであるだけだったのだ。昨日は見かけなかったので、今日の午前中あたりに誰かが河に入ってしつらえたのだろう。
 まんまとだまされてしまった。誰だか知らないが「作者」のユーモアのセンスに大きな拍手を送りたい。