みんなおなじ「旅人」

 インドに限らず見知らぬ異国を訪れていると、西洋人たちの存在が身近に感じられるときがある。その国にルーツを持たない「外国人」という立場、地元人たちが渦巻く大海の中でプカプカ浮かぶ圧倒的少数という立場は同じなのだから、そう感じるのもごく自然なことかもしれない。
 旅行中は毎日が新しい出会いの連続。宿で顔を合わせば、自然に「Hi!」と声かけあう。知り合った旅行者と一緒に観光見物や食事に行き、時にはしばらく旅道中をともにすることだってある。いろいろな国籍の人たちと飲みに出かけ、夜遅くまでワイワイガヤガヤと過ごすのも楽しいものだ。
 「旅行者」という立場は同じでも、彼らから見れば我々はやはり「異民族」。こちらから進んでコミュニケーションをとらないと、ひとりぼっちになってしまうこともある。なにせ相手は英語を母語にする人たち。こちらが聞き役に回ることが多くなってしまうのはやむおえない。
 国籍や母語の異なる相手が会話の輪に混じっていると、相手を気遣いちゃんと「共通語」の英語で話すように心がけてくれる人はありがたい。同じ輪に日本人旅行者がいると、ついつい英語でしゃべるのが照れくさくて、その人とだけは日本語で話しがち。そうなると、他の母語の人は会話に入れない。こういう点は前者をおおいに見習いたいと思う。
 旅先ではだれとも利害関係はないし、相手の社会的地位も関係ない。世界各国(先進国から来た人たちがほとんどだが)の人たちがニュートラルな立場で接しあえる空間…そこには束の間の「旅行者コミュニティ」が生まれる。気分はユニバーサルな「地球人」といったところか。
 ただし、悲しいかな「地球人」気分も帰国の飛行機乗るときまで。それまでの「おなじ外国人旅行者」という立場から一転、「地元人」と「外国人」という関係になる。あとは成田空港に到着して、旅に出る以前となんら変わらない平凡な日常に戻るわけだ。
 ひとつの旅が終わった後、おなじ旅人に再会できるのはごくごく稀なケースで、親しくなった人と手紙のやりとりをすることはあっても、その場限りのお付き合いとなってしまうのがほとんどだ。
 旅先で遺跡や自然を楽しみ、土地の人びとと触れ合うだけではない。興味や物事のとらえ方は多少違っても、同じ目線で旅する他国からやってきた旅人たちと無駄話に興じるひととき。それもまた旅の楽しみのひとつだろう。

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