お手回り品にご注意

 カフェでのこと。斜向かいに一人で座っていた女性が立ち上がり、奥の化粧室のほうへと向かった。「ここにいます」という意思表示のためだろうか、財布と携帯電話をテーブルの上に置いたまま。幸運にもいままで盗られた経験がないのだろう。
 傍目には「ちょっと危ないな」と思えても、当人が被害をこうむることがなければよいのかもしれない。「安全」に対する意識は、なんといっても経験に基づき作られるからだ。
 用心しなくて済むのなら、それに越したことはない。家の窓に鉄格子がはめられていることはないし、閉店後も店のショーウィンドウには高価な品々が飾られている。カギをかけてみたところで、ガラスという一枚の脆い薄板に過ぎないということは誰もがよくわかっている。それでも周到な防備を必要としないのは、日本社会の良いところでもある。
 以前、カルカッタの繁華街で、お金を盗られてしまったという女性に会った。
「ちゃんとポーチに入れておいたのに」
と彼女は言う。首からかけた貴重品袋をショルダーバッグのように服の外に出していたらしい。人ごみの中をかきわけて歩き、ふと気がつくとそれが消えていた。彼女はあまり海外を訪れたことがなくインドに来たのも初めてだという。日本国内ではこんな風にポーチを盗られた経験がなかったのだろう。
 「日本にある我々の取引先にもって行けば、高値で買い取ってくれる」と価値のないクズ宝石を大量に購入させる手口は有名。様ざまな詐欺があるが、そうした怪しい話に簡単にひっかかってしまうのも、これまでの経験と照らし合わせ「大丈夫」と判断したからだ。


 昔、ハイパーインフレ時代のペルーを訪れたことがある。1990年、フジモリ大統領が国政に大ナタをふるいはじめる直前。商店の値札が毎時間ごと書き換えられ、通貨は急速に価値を減じていた。少しまとまったお金が手に入るたびに米ドルを購入しなければ、たちまち紙切れになってしまうという悪夢のような日常である。路上に立つ私両替商は違法だったが、当局から黙認されるどころか大勢の武装警官たちに護衛されていた。
 ひどいときには紙幣の価値が1日で半分から三分の一にまで下がってしまうので、毎日必要な分だけ両替するしかない。旅行資金は現地通貨同様に広く流通する米ドル現金。万一の際の危険は高い。
 当時、外国人を狙ったナイフ強盗、羽交い絞め強盗は珍しいことではなかった。数人で歩いていたのに、その三倍の大人数に襲われたという話があり、日没後はわずか100m先へ行くにもタクシーを使えと言われるほど治安の悪い街もあった。
 インドの旅で「貴重品は肌身離さず」は常識だが、ここでは事情が違った。多くの旅行者たちから「貴重品は部屋に置いておけ」とアドバイスされた。もちろん宿のセキュリティが高いわけではなく、外出先のリスクが非常に高かったのだ。
 インドでは「……という事件にあった人がいる」という伝聞をよく耳にしたが、ここでは被害者本人から話を聞くことが多かった。まさに明日は我が身だ。
 旅行者たちの多くは、バックパックを偽装していた。野菜や穀類の運搬に使われる大きな麻袋に包み、ストラップだけ出し、行商のように背負う。長距離バスのルーフに積み込んでも、ジャガイモやタマネギが入っているようにしか見えない。
 食堂で灰皿を取ろうとするとテーブルとチェーンで繋がれていた。釘で打ちつけて固定してある店もあった。イスはテーブルと太い鎖で結ばれていた。学校へ向かう子どもたちでさえ、デイパックを前に抱えている姿はいま思い出しても異様な光景だ。
 インカ遺跡など、実に興味深い国であったが、身の安全に関しては過剰に注意を払わなくてはなかった。
 近ごろ、ピッキングや凶悪犯罪の急増から日本でも安全に対する意識が変わりつつある。国が違えばなおさらのこと安全の基準も違ってくる。経験の範囲にとらわれず、「これで大丈夫か?」と周囲の状況を観察した上で自ら考えるようにしたいものだ。不注意はときに非常に高くつくことがある。

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