最後のムガル皇帝、ここに眠る 2

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高さ約100mの巨大な黄金色の仏塔がそびえるシュエダゴン・パゴダから東南方向、バハードゥル・シャー・ザファルのダルガーへと向かう。地元ではよく知られた場所らしく、途中幾人かに道を尋ねたが皆ここのことを知っていた。
広い道路、中央分離帯、そして道の両側に軍施設があるエリア、要人らしき人たちの邸宅が並ぶ高級住宅地になっている。界隈の屋敷の造りといい、道路の縁石や緑地のしつらえかたといい、どこかインドを思わせるものがあるのは、やはり英領時代の名残なのだろう。
こういう場所なので歩く人はほとんどなかった。辻ごとに警戒するポリスや軍人のほかに目に入るものといえば、広くスムースな道路をスピードを上げて駆け抜けていくクルマくらいだろうか。
緑多く閑静な市街地の一角にそのダルガーはあった。ここNo. 6, Theatre Roadは生前、彼が幽閉されていた場所のすぐ近くである。建物もごく新しいものであるが、規模は想像していたよりもかなり小さかった。先述のとおり、界隈はごちゃごちゃしたムスリム地区などではなく、まさにその対極にあるようなエリアだ。ここを訪れた人はダルガーの立地としてはミスマッチな印象を受けることだろう。
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敷地に足を踏み入れてみる。階段を少し上ったところにある礼拝所があり、その反対側の小部屋に三つの墓が並んでいる。入って手前からバハードゥル・シャー・ザファル、妻のズィーナト・メヘル、孫娘のラウナク・ザマーニー・ベーガムの墓石である。だがこれらはオリジナルではなく、あくまでもそれら3人を追悼する意図のもとに再建されたものだ。室内にはこれらの人物の写真や絵も飾られている。

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最後のムガル皇帝、ここに眠る 1

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1857年の大反乱から今年5月でちょうど150年の節目となっている。メディア等でも何かとこの関連の記事が掲載されているのを見かけるこのごろだ。
インドやイギリスでは、この大事件の舞台を巡るツアーも出ている。主だった史跡の中にはこれを機に大きな改修の手を加えたところもあると聞く。ラクナウのレジデンシーのようなメジャーどころではなく、人々からすっかり忘れ去られたマイナーな戦跡等の中には、たまたまこうした風潮の中で観光客たちの姿を見かけるようになったような場所もあるのかもしれない。
私もこの機会に大反乱に関わる場所を訪れてみようかといくつかの場所を思い浮かべてみたが、結局ミャンマーのヤンゴンに足を延ばしてみることにした。ここは大反乱そのものとは縁がないが、騒ぎが平定された後にムガル最後の皇帝、バハードゥル・シャー・ザファル(1775〜1862年)がここに流刑となりこの地で没している。私は彼の墓を見に行きたいと思った。ここは現在ダルガーとして近郊の信者たちを集めているそうだ。
彼の治世のころ、すでにムガル朝は政治的にも財政的にも衰退しきってデリーとその周辺を治める小領主のような存在に成り下がってしまっていたともに、跡継ぎを決めるのも、地方から上京してきた藩王に謁見するについても、デリーに進駐していたイギリス当局の許可を必要とするなど、支配者としての主権をすっかり失っていた。当局の『そろそろこの王朝の存続を打ち切りにしてしまおうか』という意図も見え隠れしていた時期である。
イギリスに対して叛旗をひるがえした勢力は、名目上の首領として当時のムガル皇帝を担ぎ出すことになったが、老齢の皇帝自身もこの機を形勢挽回の最後のチャンスと見て賭けに出たのだろう。しかしその代償は非常に高くついたことは言うまでもない。

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観光振興 北東インドとバングラーデーシュは相互補完?

インドの北東地域は観光地としての大きなポテンシャルを秘めている。外国人観光客に門戸を開放してからまだあまり年数が経っておらず、『何か新しいところ』を求める人々にとってはまだ『辺境』のイメージがあり、それ自体が魅力的であること、また南アジアと東南アジアの中間にあり文化的にも非常にユニークなことに加えて、変化に富んだ地勢もあり、トレッキングやエコツアーなどいろいろ発展する可能性があるようだ。
しかし地理的なウィークポイントも大きい。北東地域からコルカターの方角を眺めると、その間に横たわるバングラーデーシュの大きさを思わずにはいられない。ハウラーから鉄道で向かえば丸一日かかるグワーハーティーも直線距離ならば約520キロ、シローンもおよそ460キロ。西ベンガル州都から見てバングラーデーシュを越えた反対側にあるアガルタラーは300キロほどである。しかし空路を使う場合を除けば、ずいぶん遠回りになってしまい『本土』からのアクセスは芳しくない。この地域を訪れる観光客があまり増えないことの主な原因のひとつは交通の便であろう。
またバングラーデーシュにしてみても、随一の大都会ダッカはもちろん、数々のテラコッタ建築で知られるラージシャーヒー周辺、クルナのバゲール・ハートのイスラーム建築群、少数民族が暮らすチッタゴン丘陵地帯、茶園が広がるシレット、バングラーデーシュ最南端で周囲に珊瑚礁が広がるセント・マーティン島など数々の見どころを抱えるなど、観光資源も豊富である。ガウルの遺跡やスンダルバンなど、インドとの国境にまたがる史跡や国立公園などもあることもなかなか興味深い。
だがこの国についても同様にアクセスの問題がある。ヴィザが必要なことに加えて、国土をぐるりと一回りするほど長い国境線を共有している割にはインドとの間で通過可能なポイントが限られていることから、往来はあまり便利ではない。それがゆえに隣のインドに較べて観光目的で訪れる人々があまり多くないのだとも言えるだろう。
そもそもインドとは別の国になっているがゆえに、様々な華やかに喧伝される隣国に較べてこの国の魅力が取りざたされる機会も相対的に少なくなってしまう。

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ジープで進む田舎道

ニール・マハルの船着場から先ほどバスを降りたところに戻り、しばらく道なりに進むとモーター・スタンドがあり、何台かのバスと多数の乗り合いジープが停車していた。ここからウダイプルに行くクルマがあるのかどうか尋ねてみると、まさにこの中の一台のジープ(スモウではなく本当のジープ)がそちらへと出発しようとしていた。満員に見えるがまだ客を積み込もう・・・いやクルマの側面や後部に幾人か『つかまらせよう』としているところだった。私にはちょっと無理そうなので、次のクルマに一番乗りして運転手の隣席を確保して待つことにした。
客引きの大声に呼び込まれてお客が次々に集まってくる。ふと気づけば私が座る前の席には運転手を含めて4人、中列と後列にも4人ずつ、後部のステップに立つ者が3人、左右のドアにも幾人か貼り付いているが人数はよくわからず、屋根の上に2人。かなりの過積載ではある。加えて彼らが町で購入して各々自宅に持ち帰る野菜、米、足を縛ったニワトリなどが乗客たちの足元に転がっている。私の隣の男性は購入したばかりのダンボール箱に入ったテレビ(?)を抱えているため非常に圧迫感がある。目の前がフロントガラスで景色が見えて気が紛れるのは幸いではある。

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湖上の宮殿へ

 
バスの中で懐かしい歌を沢山聴いてしんみりしていると、車掌が声をかけてきた。
『そろそろ着くよ』
アガルタラーから50キロあまり、1時間半ほど車内で揺られていただろうか。降りたところで人に尋ねると、ニール・マハルはあちらだと教えられた。客待ちしていたリクシャーに乗り、簡素な民家が続く小道をカタコトと進む。行き止まりから先にはルドラー・サーガルという湖の静かな風景が広がっていた。
 

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