シローンのバラー・バーザール

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中華料理屋での食事後は市内最大のマーケット、バラー・バーザールに出かけてみた。市街地の斜面に貼りつく形で広がる商業地だ。私は広場に茅葺きの長屋みたいなものが続いている光景を想像していたのだが、そうではなく間口がとても狭い店がひしめき合う、細い道の両側にも行商人たちが台車やゴザなどをびっしり並べて商う商店街であった。ネパールのカトマンドゥ盆地内の旧市街地をやや思わせるものがある。
シローンの新市街地の商業地域では、比較的高級な品物、贅沢品、外国や他州からの輸入品などを中心に扱う地域にはインドの他地域からやってきた商売人たちが多いコスモポリタンだ。そのため雰囲気は他のインドの町とあまり変わらなかったり、飛び交う様々な言葉の中にヒンディー語が占める割合が非常に高かったりする。
だがこのバラー・バーザールでは、農産物、水産物、畜産物といった食材その他が主体で、地産地消のバーザールという感じがする。路地を奥へと入っていくと、地元の言葉ばかりが飛び交うようになってくる。そこでは地元の少数民族たちの店がごちゃごちゃと並ぶ中にときたま『インド人の店』が見られる状態なので、同じ市内のポリス・バーザールのように『インド人主体』の地域からずいぶん遠いところに来たかのような気がする。もちろんそれでも人々は『インドというシステム』の中で暮らしているがゆえに、ヒンディー語は広く通じる。
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シローンの中華料理屋

雑踏を歩いているとヘタな手書きの漢字の看板が目に入った。小さな中華料理屋である。入口には電話ブースが設置してあり人の出入りは多いようだ。
メニューを広げてみるとマンチュリアンやチョプスィーなどインドでおなじみのシンプルなメニューが並んでいる。しかしやたらと『本格的』に思えてしまうのは、肉料理の大半がポークであるためだろうか。メガーラヤの主要民族のひとつであり、この地域で人口が多いカースィー族は豚肉をよく消費するため、市中で流通する量も多い。ここの店の経営者はカースィー族ではなく中国系だという。壁に掲げられた先祖の祠も店内の装飾も、かなり粗末ながらもいかにも華人といった雰囲気を醸し出している。
経営者家族は何代もこの土地で商売しているのだそうだ。市内はいくつかこうした食堂を見かけるし、華人人口もいくばくかあるようだ。それでも父祖伝来の言葉や文化などを守り伝えることができるほどの規模ではないようで、店の看板に『中華』を掲げている以外は、ほとんど現地化しているような気がする。経営者家族の娘がレジに立っていたので尋ねてみたが、華語の読み書きはもちろん会話もできないというし、先祖が中国のどのあたりから来たのかということについてもあまりよく知らないらしい。
シローンに根付いた中華系移民には、そもそもこの土地とどういう縁があったのだろうか。ここは昔からそんな重要な土地ではなかったはずだし、それほど儲かる土地であったこともないだろう。近年、「これからは東北州だ」と国内各地から人々が集まってきているので、こうした波に乗って昔からインドにいる中国系住民がやって来るのならばまだ理解できなくもないのだが。
何を食べようかと迷った挙句、注文したのは『ポークカレー』だ。わざわざ中華料理屋に入ってカレーとはどんなものかと思ったが、予想したものとはずいぶん違ったものであった。運ばれてきたのは分厚い三枚肉をターメリックその他の香辛料でごく軽く色づけ香り付けした料理であった。インド風『東坡肉』とでも形容できようか、長時間調理してトロトロになった赤身と不要な脂肪分が落ちてゼラチン質の中に旨みを閉じ込めた絶品。まさにほっぺたが落ちるような美味しさを楽しむことができた。
他にもいくつかの中華レストランで食事をしてみたが、どこもこのように現地化(?)してハイブリッドな味がする料理は少なくないようだが、ポークという中華料理必須の食材がふんだんに出回る土地だけあり、何を食べても非常に満足度の高いものであった。

『1857』から150年 大反乱ツアーが旬

インド大反乱
近ごろイギリス発のツアーで、植民地期のイギリス人たちの足跡をたどる企画モノが静かな人気を呼んでいるらしい。名付けてCemetery Tour、つまり墓地巡りである。もちろん墓場だけを次々と訪れるわけではなく、要は昔在住していたイギリス人たちゆかりの数々のスポットが見物の対象となっているのだろう。
当時のインド統治に何がしかの縁があった人たちの子孫が先祖にかかわりのあった土地を訪れるという心情は何となくわかるような気がする。また直接自分の家系とは関係なくとも、英印の歴史の深いつながりからそうした企画旅行に興味を持つ人は少なくないはずだ。
ただ闇雲に墓地を訪れて景色を眺めていてもあまり面白くないことだろうが、これらの墓について貴重な情報源となるソースもあるようだ。亜大陸に散在する外国人墓地に関する記録を管理する組織、BACSA (British Association for Cemeteries in South Asia)という団体がある。
BACSAの出版物紹介ページにアクセスしてみると、タイトルを目にしただけでちょっと手にとってみたくなる出版物が並ぶ。
1976年に設立された組織だが、こうした活動を可能としているのは、やはり几帳面に書き記すこと、物事の詳細を記録しておくことに長けたイギリスの偉大な遺産のひとつといっても良いかもしれない。
パッと眺めただけでは誰のものかもよくわからない墓石が並ぶ空間を、かつてこの大地で自分たちの歴史を築いてきた人々の存在の証明とし、そこをわざわざ遠くイギリスから観光客を誘致するテーマと成し得るのは、豊かな情報の蓄積や知識の裏づけあってのことだろう。

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シローンのシェア・タクシー

丘陵地の上に広がり、緩急さまざまな坂道が多いシローン。リクシャーやオートは見当たらないが、黒と黄色に塗り分けられたスズキのマルチを用いた小型タクシーが非常に多い。
市内各地のタクシースタンドで客待ちしているもの以外にも、同じ方向に向う客を沿道で次々に拾っていくシェア・タクシーとして沢山走っている。ある程度決まったルートを巡回しているようだ。次から次へ、ブイブイとエンジンを唸らせながらやってくるタクシーを眺めていると、まるでカナブンが大群で押し寄せてきているかのようでもある。
それらを待っている様子の人が道端で立っていると減速し、その者が大声で叫ぶ目的地を通るものであれば停車して拾っていく。ちょうどミニバスのような役割だろうか。街の地理をよく知らないと利用するのはちょっと難しそうだが、とても徒歩で回りきることのできない広大な高原の街にあって、とても便利な交通機関だろう。
シローンのタクシー

意外に多い『外国の人たち』

シローンで両替するため銀行を訪れた。カウンターの中で働く人々の中にはモンゴロイドやモンゴロイドの血が混じった顔立ちの人は多い。目の前奥のデスクの課長さん?みたいな雰囲気の人は、私たち東アジアの人間と変わらない顔立ちと肌色だ。『橋本さん』と呼んだら『はい』と返事してくれそうな感じの顔立ちと立ち居振る舞いで、訳もなく親近感をおぼえる。コンピュータは入っているが、相変わらず分厚い帳簿がデスク間を行き交っているし、とにかく時間がかかる。昔々のインドの銀行そのままといった感じだ。
とにかくヒマなので、両替カウンター前に並ぶ人々の間でとりとめのないおしゃべりが始まる。私以外の十数人の客たちは皆インド系の顔立ちであったので、どこから来たのかと思えば、アメリカやイギリスといった欧米在住のNRIやPOIの人たちばかりでなく、隣国バングラデシュの中産階級旅行者もけっこういた。国境を越えれば目と鼻の先にあるシローンやダージリンといったヒルステーションはなかなか人気なのだという。インド旅行のリピーターも相当多いらしい。この国からインドにやってくる不法移民等が大勢いる理由のひとつは交通のアクセスの良さ。すると同様に観光客も多く訪れるのは当然のことだ。
多少のお金を換えるだけで2時間以上待たされた銀行を後にした直後、宿泊先のホテルのすぐそばに民間の両替商のカウンターがあることに気がついた。でもしばし私と同じく『外国から来た人たち』とおしゃべりを楽しむことができたので、まあ良しとしよう。