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カテゴリー: sports

  • TNSA (Tibetan National Sports Association) 3  チベットの『国家代表チーム』

    『チベット代表』チームメンバーは、亡命チベット人社会の中から選抜される。当然、インド在住者がそのマジョリティを占める。現在まで代表に招集されたメンバーのおよそ70%がインドに住んでいるチベット人。15%がネパール在住者。その他15%は欧州、北米その他に生活する人たちだ。

    今のところサッカーを生業として所属クラブとプロ契約している選手はいない。インドに在住している彼らにとって、最も身近な本格的なリーグはI – Leaugeということになるはずだが、TNSA事務総長K氏によると、AIFF (All India Football Federation)が、亡命チベット人選手のI – Leagueでのプレーを認めていないとのことである。まだ低い年齢層でI – Leagueの下部チームに所属している少年たちが数人いるとのことだが。

    代表選手とはいえ、アマチュアであるがゆえ生活の糧を得るための職業があるため、そのあたりの都合をつけなくてはならない。そのため代表を招集する側も、招集を受ける選手のほうもなかなか大変らしい。

    ご存知のとおり、中華人民共和国の占領下の『チベット自治区』が、独自にFIFA (Fédération Internationale de Football Association)やその傘下にあるAFC (Asian Football Confederation)に加盟するということはあり得ない。同様に占領地から逃れた在インドのチベットたちのサッカー協会がこれらに加入するということも不可能だ。

    そのためTNSAはFIFAではなく、フランスのパリに本部を置くN.F. Board (New Federation Board)に加盟している。加盟国(地域?)はチベット以外にモナコ、北キプロス、ソマリランド他、全部で27ある。

    2006年のワールドカップドイツ大会開幕前に、ハンブルグにてこのN.F. Boardによる2006 FIFI Wild Cupが開催された。チベットを含めて6つの国(というか地域?)が参加している。

    チベット代表はそれ以前にも1990年にイタリア、2001年にデンマーク、スイス、ドイツに遠征して現地のチーム等と親善試合を行っているが、国際大会に正式に出場したは2006年のFIFI Wild Cupが初めてであった。『国家代表チーム』としての金字塔である。

    TNSAのK氏によると、残念ながら今年南アフリカで開催されたワールドカップ前に同様の大会は行われなかったとのことだ。

    しかし2006年はTNSAにとって当たり年であったようで、チベット代表は11月には北キプロスで行われたELF Cupにも出場している。

    2008年にはオランダ、イタリア、スイス、オーストリア、ドイツを巡る遠征を実現させている。このところ海外での大会や試合へ活発に参加できているのは、TNSAならびに関係者たちの努力はもちろんのこと、国際社会とりわけ西欧地域におけるチベットに対する理解あってのことだろう。

    その他、2003年、2004年、2007年とインドのスィッキム州にて、同州のSFA (Sikkim Football Association)が主催するSikkim Governor’s Cupに出場している。

    チベット代表チームの戦績については、TNSAウェブサイト内のこのページを参照していただきたい。

    <続く>

  • TNSA (Tibetan National Sports Association) 2  在印チベット人たちの『天皇杯』GCMGC (Gyalyum Chemo Memorial Gold Cup)

    TNSA (Tibetan National Sports Association) 2  在印チベット人たちの『天皇杯』GCMGC (Gyalyum Chemo Memorial Gold Cup)

    今年9月には2010 GCMGC (Gyalyum Chemo Memorial Gold Cup) というサッカーのトーナメントが開催される予定で、すでにエントリーしたチームが公表されている。大会名に冠したGyalyum Chemoとは、現在のダライラマの母親の名前である。いかにもチベット的な装飾のなされたトロフィーをめぐって出場チームが熱戦を繰り広げるのだ。

    1981年に始まったGCMGCは亡命チベット人コミュニティの中で、ちょうど日本の天皇杯に相当するもののようだ。TNSAウェブサイトの『TOUNAMENTS & CUPS』にあるとおり、開催年がところどころ飛んでいるものの、2005年までは在印チベット人社会にとって首都に相当するダラムサラで開催されてきた。

    2006年は開催されなかったようだが、翌2007年にはウッタラーカンド州のデヘラードゥーン近くのクレメント・タウンで開かれている。ここチベット難民の定住地のひとつであり、ニンマ派のミンドルリン寺が再建されていることで知られている。

    続く2008年の開催地はカルナータカのムンゴード。インドでゲルク派のガンデン寺が再建されたのはこの町であり、ここもまた当然のことながらチベット人たちが多く定住している。

    2009年の大会はダラムサラに戻ったが、2010年の開催地はカルナータカ州マイソール近くのバイラクッペである。この町は、チベット仏教のゲルク派の古刹セラ寺ならびにニンマ派のナムドロリン寺が再建された場所だ。

    受け入れ側の組織力やインフラも必要になるが、今後おそらくインド国内の他のチベット難民定住地で持ち回りにてこの大会が開催されることになるのだろう。インドにおける定住期間が長くなり、コミュニティが安定かつ成熟してきた証ともいえよう。

    今年のGCMGCは9月第2週に開催する予定。その時期にマイソールあたりに行かれる方でご関心があれば、ちょっと足を延ばしてみるといいかもしれない。

    詳細な日時やグラウンドの場所等については事前にTNSAまでお問い合わせいただきたい。

    <続く>

  • TNSA (Tibetan National Sports Association) 1  事実上の『チベットサッカー協会』

    TNSA (Tibetan National Sports Association) 1  事実上の『チベットサッカー協会』

    ヒマーチャル・プラデーシュ州のダラムサラ。在印のチベット亡命政府が置かれている。チベット難民たちの臨時首都のようなところだ。

    ダラムサラのマクロードガンジからオートに乗ってからまもなく大雨になった。チベット難民孤児の世話や学校の運営等を行なっているチベット人たちの非営利団体TCV(Tibetan Children’s Village)に向かうところであった。

    TCVに着くと、さらに雨脚が強くなってきたが、学校がちょうど休み時間に入ったようで、降りしきる雨の中、敷地内では制服を着た生徒たちが闊歩している。雨をものともせずに遊んでいる元気な子供たちの姿もあった。

    この日、私がここを訪れた目的はTNSA(Tibetan National Sports Association) を訪問することである。名称からして各種スポーツの振興を図る団体のように聞こえるが、この協会が対象とする種目はサッカーのみ。

    上は彼らの「国家代表」から各レベルの学校のサッカーチームまでトータルに統括する組織であることから、事実上のチベットサッカー協会本部ということになる。

    ・・・とはいえ、狭い事務所で沢山の書類が山と積まれたデスクが四つあるのみ。これが即ち常勤職員の数ということになるらしい。ここでTNSAの事務総長の立場にある50歳前後くらいの精悍な感じのするK氏からチベット人のサッカーにまつわる話をうかがうことができた。

    TNSA傘下にTNFA (Tibetan National Football Association) という組織が存在することになっているが、その位置づけは曖昧でTNSAとTNFAは事実上、同一のものであるといえる。

    <続く>

  • I リーグでプレーした元Jリーガー

    伊藤壇という元Jリーガーがいる。

    Jリーグで在籍していたチームはベガルタ仙台で、ポジションはミッドフィールダー。2001年J2からJ1に昇格したチームだが2003年に再びJ2に降格となり、再度J1に浮上したのは2009年のことだ。伊藤選手はチームが2001年にJ1に昇格する前に戦力外通告を受けてチームを去った。

    その後、彼は北海道サッカーリーグ札幌蹴球団を経て、アジアやオセアニアのクラブチームで転戦する生活を送る。シンガポール、オーストラリア、ベトナム、香港、タイ、マレーシア、ブルネイ、モルディブ、マカオ、インドの11ヶ国でプレーしている。

    インドでの活躍の場はI-LeagueのChurchill Brothersというゴアを本拠地とするチームだ。2009年に加入、残念ながら今はすでに退団している。目下、次の国を目指しており、所属先はまだ未定のようであるが、今後益々の活躍を期待したい。

  • FIH World Cup 2010

    先週日曜日から、デリーではホッケーのワールドカップが始まっている。インドにおける開催は、1982年のムンバイーに続く2度目である。
    スティックでボールを扱うが、フィールドの形状、プレーヤーは11人ずつであること、相手のゴールにボールを入れることにより得点されることなど、試合展開にはサッカーと共通するものがある。
    オフサイドは廃止されていること、ゴール前の半円状のエリアからのシュートでないと得点できないこと、交代した選手が再びフィールドに戻ることができることなどといったルールを押さえておけば、ボールコントロールの技術的にはまったく違うものであるとはいえ、サッカー好きな人ならば思い切り感情移入して観戦できる競技である。
    日本ではマイナーなスポーツだが、サッカーの世界で言えばブラジルやドイツに相当する地位にある。パーキスターンは優勝4回、準優勝2回、インドは優勝・準優勝ともに1回ずつ、他にはオランダが優勝3回、準優勝2回、ドイツは優勝2回、準優勝1回といった具合だ。オーストラリア、スペイン、韓国なども強豪の一角を占めている。
    出場国は12カ国。これまでの試合結果、今後の予定等はこちらを参照願いたい。
    Schedule & Result (FIH World Cup 2010)
    『Pool』のA,Bが総当りのグループ分けで、それぞれの上位2チームずつが決勝トーナメントに進出する。
    大会初日にインドはパーキスターンに対して1-4で幸先の良い勝利を収めたが、因縁のカードにふさわしく(?)トラブルがらみのスタートであった。
    Reduced ban not justice, I was punished for no fault: Shivendra (Hindustan Times)
    3月2日のちょうどこれを書いている今、もうじきインドとオーストラリアの対戦が始まろうかというタイミングだ。
    4日にはスペイン、6日にはイングランド、8日には南アフリカとの対戦が予定されている。もちろん個人的にはもっとも関心があるのは、開催国でもあるインドが決勝トーナメントに進むことができるか、そこでどこまで勝ち進むことができるかということだが、同時に格上のパーキスターン、そして東アジアの雄、韓国の動向も大いに気になっている。
    ※BHUJ 3の続きは後日掲載します。

  • 頭脳スポーツ

    英語でいうところのSport, Sportsと日本語でのスポーツには少々ニュアンスのズレがあることは、はじめて英字紙を広げたときにチェスのような盤ゲームがその範疇に入っていることを見つけて誰もが感じたことだろう。
    昔、私も初めてそれに気がついたのは、自分にとって初めての外国であったインドで英字新聞を広げていたとき、クリケットやテニスといったスポーツ記事の中にチェスが堂々とスペースを占めているのを目にしたときだ。
    日本語でスポーツは『運動』とも表現され、肉体的な教練・鍛錬の意味合いを含む。そのため身体を使うゲームであっても、ビリヤードは一般的にその範疇のものであるとは認識されない。当然のことながら、座して行なわれる競技、将棋や囲碁といった類は、決してスボーツと見なされることはなく、学校のクラブ活動でも『文化部』という括りとなる。
    日本で、身体以外を使う競技が『マインド・スポーツ』として認知されることはないのかと思っていたら、知らぬ間にその日はすぐそこにまで迫っていたらしい。こんな記事を目にした。
    囲碁棋士日本代表、スポーツの大舞台へ アジア大会派遣 (asahi.com)
    インドと違って日本ではチェスの人気は高くないが、そのチェスの競技枠の中に囲碁と中国将棋が含まれることになるそうだ。日本、韓国、中国、台湾といった東アジア勢が覇を競うことになりそうだが、いずれの国もプロが参戦するらしい。日本棋院も最強のメンバーを送り出すとのことで、メダル獲得に向けて相当気合を入れているようだ。
    上記リンク先の記事中にあるように、他の『スポーツ選手』とともにドーピングの検査も受けることになるというが、ぜひ決勝戦に進出して、和服姿で金メダルを獲得してもらいたいものだ。
    東アジアで広く競技人口を抱える囲碁はともかく、近ごろでは日本の将棋も国外に伝播しつつあるという。羽生名人もやがて『スポーツ選手』として海外のメディアに取り上げられる日が来るのだろうか。

  • 天空を駆ける人たち

    ともに『世界最高所』を謳うマラソン大会がある。
    EVEREST MARATHON
    TENZING HILARY EVEREST MARATHON
    1987年から開催されている前者は、エヴェレスト・ベースキャンプ近くのゴーラク・シェープ(海抜5,184m)スタートするのに対し、2003年に開始された後者はエヴェレスト・ベースキャンプ(海抜5,364m)がレース開始地点であるため、現在はこちらが『最高所マラソン』ということになるのだろうか。どちらもゴールはシェルパの里としても、トレッキングの拠点として、シーズンには多数の観光客が集まる場所としても知られるナームチェー・バーザール(海抜3,446m)だ。
    ルートはほぼ共通しているが、前者はゴールにやや近い地点から出発するため、ゴールの手前で少し迂回して距離を稼ぐ形になっている。
    EVEREST MARATHONのルート
    TENZING HILARY EVEREST MARATHONのルート
    どちらも42.195kmの距離をカバーするフルマラソンだが、後者についてはハーフマラソンという選択も用意されている。
    それにしても、ゴール地点のナームチェー・バーザールにしてみたところで、海抜3,400mある。近くのシャンボチェ空港に飛行機で着いた場合、しばらく頭痛などの高度障害に悩まされる人は少なくないだろう。
    このくらいの標高でふと頭に片隅に浮かぶのは、ボリビアの首都ラパスにあるエスタディオ・エルナンド・シレスというサッカースタジアム。サッカーに関心のある方ならば記憶されていると思うが、昔から幾多の国際試合が行なわれてきた会場であり、地元ボリビアは世界に名だたる強豪チームを迎えても、高度という通常の地の利以上の大きなハンデを相手に与えて、ホーム試合での強さを発揮してきた。
    だが2007年のちょうど今ごろの時期、FIFAが『海抜2,500を越える高地にある競技場を国際試合会場として認めない』旨の発表をしたところ、ボリビアやエクアドルといった、それぞれ首都がそれを越える高地にある国々が猛烈な反発を示した。
    その後FIFAは高度制限に関する見解を、2,500mから3,000mに引き上げた。これによりエクアドル首都のキト(海抜2,850m)の高度はカバーされるものの、ボリビアのラパスはそれよりもはるか雲の上にある。
    その後も大統領も直々に関与しての国を挙げての抗議行動は続き、紆余曲折の末になんとか2010年に南アフリカで開催されるワールドカップ予選会場として認められたという経緯がある。
    南米の国とはいえ、代表チームレベルとしてはワールドカップ出場経験はあるものの、三流国にしか過ぎないボリビアだが、エスタディオ・エルナンド・シレスにおいては、幾多の奇跡を実現してきた。世界に冠たるサッカー王国ブラジルの代表チームを打ち負かしたり、古くは1963年のコパ・アメリカで地元ボリビアが優勝した舞台でもある。
    今年4月1日には、この会場でワールドカップ南米地区予選の対アルゼンチン戦が行なわれ、ワールドカップ本大会でブラジル同様に優勝候補筆頭クラスの予想を与えられるアルゼンチンを6-1という信じられない大差で破るという伝説を築いた。これが奇跡であるにせよ、伝説であるにせよ、その背後にあるのは『高度』という外部から来た人間にとっての大きな障壁だ。
    話は世界最高所マラソンに戻る。参加者たちは、レースの半月ほど前にネパール入りし、その直後から高度順応のプロセスに入る。TENZING HILARY EVEREST MARATHONのウェブサイトには、その日程が記されている。
    カトマンズからルクラまで飛行機で入り、その後トレッキングをしながら徐々に高度を上げて行くわけだが、この間に高山病で一時下山して再調整したり、諦めてリタイヤしたりする人が出てくる。高所に強い、弱いは平地での体力と相関関係はなく、高所行きを繰り返せば強くなるというものでもないようだ。あくまでも持って生まれた体質によるものらしいので、高山が苦手な人には如何ともしがたい。
    すでに今年のレースが5月29日に実施されたTENZING HILARY EVEREST MARATHONについては、結果が掲載されている。
    1位はPhurba Tamangという人物だが、2位を30分近く引き離して、3時間40分余りという驚異的なタイムでゴールインしている。参加者の国籍を見ると、地元ネパールと隣国インド以外では、欧州、北米、オセアニアからの出場が多いが、日本から加わった人はいないようだ。2年前の大会の結果が掲載されているEVEREST MARATHONも同様だ。
    こちらの次回のレースは今年の12月に予定されており、高度順応を含めたスケジュール費用規則申込要項等は、すでにウェブ上で公開されている。
    各地で開催される通常のマラソン大会では飽き足らない方は、応募を検討されてみてはいかがだろうか?

  • RICKSHAW CHALLENGE

    RICKSHAW CHALLENGE
    言うまでもなく、オートリクシャーはインドを代表する乗り物のひとつである。だいぶ前に『オートでGO !』というタイトルで取り上げたことがあるが、この自動三輪によるレースがインドを代表するレース?と言えるかどうかはともかく、業務用車両が爆走するということに、興味を抱く人は少なくないだろう。
    このレースは、なかなか広がりを見せているようで、インド国内でいくつかの大会が開催されるようになっている。
    RICKSHAW CHALLENGEのサイトにその概要が記されている。直近のレースは、MUMBAI XPRESS 2009だ。7月31日から8月13日までの14日間で、チェンナイ出発後、ヴェロール、バンガロール、マンガロール等を経て、パンジム、アリーバグ等を駆け抜けてムンバイーにゴールインする。
    その次がTECH RAID 2009というレースで、こちらは10月16日から同22日までの7日間で、チェンナイからバンガロール、アナンタプルなどを経て、ハイデラーバードに至る。
    年内最後のスタートは、CLASSIC RUN 2010という大会。こちらもチェンナイを発ってから、マドゥライ、ラーメーシュワラム等を通過して、カニャークマーリーでゴール。12月29日から1月8日まで11日間の行程だ。
    それに続いてMALABAR RAMPAGE 2010は、4月2日から同20日までの19日間という長丁場。スタートもゴールもチェンナイだが、タミルナードゥとケーララの両州をぐるりと一周する形になる。
    他にもカスタムメイドのYOUR ADVENTUREという企画も可能だそうだ。
    インディア・トゥデイ6月17日号でもこれらのレースのことが取り上げられていたが、かなり外国人の出場もあるようだ。同誌記事中には、『参加者の中には、70歳のカナダ人男性以外にも、英国のAV男優、元ミス・ハンガリー、元俳優の日本人男性も含まれている』と書かれている。
    RICKSHAW CHALLENGEのウェブサイトには、エントリーに関する情報も載せられている。腕に自信があれば出場して上位入賞を目指してみてはいかが?
    参加するには相応の費用がかかるとはいえ、その部分をクリアできるチームであれば広く参加の道が開かれており、敷居の低い国際レースである。

  • スポーツ用メガネはいかが?

    クリケットや野球はともかく、ホッケーやサッカーのように相手選手との接触プレーが多いスポーツにおいて、通常はネガネの着用はご法度。自分自身にとって危険だし、同時に相手に危害を与えてしまう可能性があるからだ。
    だが装身具ではなく、視力が悪くてよく見えないがゆえに矯正しなくてはならないので、眼が悪い人はたいていコンタクトレンズを使用している。しかしソフトコンタクトであっても、どうも眼に異物を入れることに抵抗感がある、着用がどうも合わないようだという声もときに耳にするものだ。
    私自身、コンタクトレンズを使ってみようと思ったが、しばらく装着していると眼が充血したり、また違和感になじめなかったりで、やめたことがある。
    その後、どうしたかといえば、裸眼で我慢した。私が休日に楽しむのはサッカーやフットサルといった、比較的大きなボールを使うものであるがゆえに、あまり問題はなかった。
    ・・・とはいえ、試合前にメガネを着けたままでしばらく練習してみると、見えかたに大きな違いがあり、裸眼で見える像がかなり甘いとずいぶんハンデを負っているな、とつくづく感じたものである。曇っている日、夕方になって日が傾いてからは、なおさらのこと見えづらかった。
    そこにきてパソコンを使う頻度が多いためか、近ごろ視力がさらに落ちたらしく、メガネを作り変えた。裸眼でプレーするのが以前にも増して難しくなってきて、これは何とかしないといけない・・・と思った。
    先日、私と同じく近眼のチームメイトが、ユニフォームに着替えてから、コンタクトレンズではなく、ちょっと変わったメガネにかけ直していた。一見、ゴーグルのようで、春先の時期ということもあり、『花粉症?』と尋ねてみると違った。
    Rec Specs
    サッカーやフットサルに対応するメガネとのことで、少なくとも日本の地域リーグでは使用が認められているものだそうだ。Rec Specsというブランド名で販売されているが、どこのメガネ屋でも扱っているわけではなく、アウトレットは限られているようだ。
    フレームは柔軟な材質でできている。両脇のツルの部分はなく、代わりにゴムバンドで装着するようになっている。レンズが曇ってしまうので気密性はないが、水泳のゴーグルをイメージさせるようなスタイルだ。
    レンズは非常に丈夫なポリカーボネート製だが、さらに追加料金を払えば『絶対に割れない』とされるより強度が高いものに換えることも可能。
    眼に対する損傷発生例が多いとされるバスケットボールをプレーする際のアイガードとしてこういうものがあったらしいが、コンタクトレンズが嫌いな人のスポーツ用度付きメガネとして使用できるようになっている点が新しい。
    実際に装着してみると、通常のメガネに比べてレンズが目に近いこと、少々フレームのためか、視界がちょっと狭い感じがしないでもない。
    それでもちゃんと目の前が鮮明に見えること、ボールの回転もハッキリ見えることから、ずいぶんプレーがしやすくなって、急に上手くなったかのように錯覚してしまうくらいだ。
    こればかりは、いつもの『インドで云々』とはほとんど関係ないのだが、新しいモノを手に入れてこんなに感激したことは、これまでそうそうなかったので、ついついここに書いてしまった次第である。良く見えるということは、本当にありがたい。
    もちろんインドでスポーツされる方にもぜひお勧めしたい。インドで手に入るかどうかわからないが、渡印前か一時帰国あるいは第三国を訪問した際に、このRec Specあるいは類似の商品のアウトレットがある国で手に入れておくといいだろう。
    Rec Specs (LIBERTY SPORT)

  • チベット代表を応援しよう!

    Tibetan National Sports Association (TNSA)に、チベット代表チームについて問い合わせをしてみたところ、丁寧な返事とTNSAならびにサッカー代表チームにかかわる簡単な資料をいただいた。
    その中からチベットのサッカーならびに代表チームに関わる部分の要略を柱に、その他必要と思われる情報等を私なりに付け加えてお伝えしたい。
    チベット人たちの間でのサッカーの歴史はなかなか古く、20世紀初頭にチベットのギャンツェにイギリスの貿易代表所が置かれていたときに、ここに駐在する彼らがチベット人たちの間に広めたのが始まりである。
    続いて1913年にラサに駐屯した英軍、そしてチベットに初めて近代的な軍隊と警察組織が導入されたことも、さらにサッカーというスポーツを広めるきっかけになった。
    ある程度定着を見せたサッカーは、チベットに1950年の中国の武力侵攻以降も、50年代にはポタラ、ドラプチ、治安部隊といったポピュラーなチームが出現し、人気を得ていたということだ。
    1963年以降、チベットから外地への大規模な人口流出が始まってから、それまでラサで活躍していたプレーヤーたちが、インドのダラムサラで新たなクラブを結成したものの、在印チベット人コミュニティでのサッカー熱が高まったのは、60年代に彼らの手でチベット人学校が各地に建設されてからのことだ。それ以降、世代を問わずサッカーの人気が彼らの間で定着することとなった。
    1981年、現在のダライラマの母親の名前を冠した最初のクラブレベルでのトーナメント、Gyalyum Chemo Memorial Gold Cup (GCMGC)が開催され、この大会の運営に関わる評議会が結成され、その後GCMGC 大会は、在印チベット人サッカープレーヤーたちの間で最もプレステージの高いサッカー大会となっている。 ちなみに今年は5月31日開幕予定で、会場はTCVスクール・グラウンドとのことである。
    ちょうどこの時期にダラムサラに居合わせることになる方は、そこで行なわれているものが単なる草サッカー大会に見えたとしても、日本で言えば天皇杯に当たり、チベット人サッカー界にとって、チベット亡命社会のサッカー界における最も重要なトーナメントであることを記憶していただければ幸いである。

    (さらに…)

  • サッカー チベット代表は実在する

    チベット代表ゲームシャツ前面
    自宅パソコンのモニター上に浮かび上がるこのゲームシャツの画像を目の前にして、『うーん、欲しいなあ!』思わず腕組みして考えてしまっているのである。
    かつて、寝ても覚めてもサッカー漬けの青春時代を送った私は、今でもこのスポーツが大好きなのだが、不覚にもつい最近までチベット代表チームの存在を知らなかった。
    きっかけは、たまたまウェブサイトで見つけたサッカーのチベット代表ゲームシャツのレプリカ。言うまでもなく、現在チベットは中華人民共和国のチベット自治区、つまり同国の一地方となっているため、単独でFIFA加盟するチベットサッカー協会はないし、そういうナショナルチームも公式には存在しないことになる。
    それでは架空のチームかな?と思いきや、このゲームシャツを日本で販売するLOVE FOOTBALLというサイトによれば、前回ドイツで開催されたワールドカップ開催直前、2006年5月から6月にかけて同国で開催された2006 FIFI Wild Cupなる大会にて、成績はともかく実在したチベットのイレヴンが熱い闘いを繰り広げたのだという。
    ハンブルグでの試合を伝える記事中には、1名スイスのSchaffhausen Football Clubというチームに所属する唯一のプロ選手がいたこと除き、他のプレーヤーたちの背景は記載されていないのが少々残念である。
    果たして『チベット国』を代表する選手たちはどこからやってきたのか?亡命チベット人の大きな人口を抱えるインドからの参加が少なからずあったであろうことは想像できるのだが。
    チベット代表チームは、その他どこで試合をしているのだろうか?と疑問に思えば、インターネットの普及のおかげで、自宅のパソコンですぐにその答えが見つかるのだから、近ごろは何かと便利になったものである。こんな映像を見つけた。

    チベット対マニプルの試合のひとコマだそうだ。またチベット対ブータンという映像のもあった。今まで知らなかったが、チベット代表チームは、インドで盛んに活動しているのかもしれない。同国における亡命チベット人たちの人口を思えば、じゅうぶんうなずけることではある。

    また国際試合ではこんな映像もあった。どういうチームか知らないが、オーストリアのF.C.Stadlauというクラブとの試合の映像も見つかった。

    この代表チーム、マイナーな大会やイベントながらも、欧州方面を中心に幾度か遠征試合をこなしているようだ。
    Tibetan National Sports Association (TNSA)のウェブサイトによれば、この協会の所在地はヒマーチャル・プラデーシュのダラムサラとのことだ。
    同協会は、草創期から競技種目の中で特にサッカーに力を入れているそうで、別組織でTibetan National Football Association (TNFA)を立ち上げたとのこと。これがチベット代表チームを組織する母体であることから、やはりこのナショナルチームの中核を成すのは在印チベット人たちということになるのだろう。
    TNSAのウェブサイトは、残念なことにあまり出来栄えが良くない。今後の予定については昨年のままだし、リンク切れも多い。メールで問い合わせを出してみたので、ナショナルチームの今後の予定について何か情報が得られたら後日掲載するつもりである。
    近ごろ年齢的にキツくなってはいるものの、長年サッカーの最底辺、つまり週末の草サッカーでプレーしつつ、この競技を愛してきた私である。不利な環境にありながらも、精力的に(おそらく・・・)続け、幾度か海外遠征をも果たしているチベット代表チームに、遅ればせながら精一杯のエールを送りたい。
    チベット代表ゲームシャツ背面

  • 自由の女神は微笑むのか?

    ダース・ローマシュ匡選手といえば、元甲子園球児、そして現在日本ハムファイターズ所属で、インド系初のプロ野球選手として知られているが、今度はなんとアメリカのパイレーツが二人のインド人投手とマイナー契約を交わしたのだという。
    そして驚いたことにこの二人のインド人選手、今年に入るまで野球の経験はまったくなく、陸上の槍投げの選手であったという。
    左からディネーシュ・パテール、リンクー・スィン
    そもそもこのふたりはテレビの『Million Dollar Arm』コンテストに応募して勝ち残り、今月アリゾナで行われたメジャーリーグの適性試験に合格してマイナー契約にこぎつけたとのこと。
    この19歳(ディネーシュ・パテール)と20歳(リンクー・スィン)は、テレビのリアリティ・ショーが生んだ人材であること、初めてのインド人選手であることなど、話題性だけが一人歩きしている観がある。
    そもそもこの年齢になるまで野球を経験してこなかった者がプロの世界でモノになるのか大いに疑問だ。メジャーリーグの適性試験というのがどういうものだかよく知らないが、ただ速い球を投げることができるだけの若者たちが、この世界で生きていけるとは到底思えないのだ。多少なりとも野球を知っている者ならば、これがそんなに底の浅いスポーツではないことがよくわかるだろう。
    だが、おそらく世間の大体数の人々のネガティヴな予想を裏切り、目を見張るような大躍進を見せてくれるようなことがあれば、とても嬉しいであろうことは言うまでもないだろう。コチコチに固まった常識を覆すような奇想天外な展開がごくたまにあるからこそ、この世の中というものは面白い。
    果たして、インドからのふたりの挑戦者たちに自由の女神は微笑むのか。
    Pirates sign 2 Indian pitchers (startribune.com)