BIHAR DIARIES

何年も前に購入して放置していた「ビハール・ダイアリー」。著者であるアミット・ローダーという名のIPS(州警察採用ではなく国家レベルで採用のエリート警官)がSP(日本の警察で言えば警視あたりか?)としてビハール州に勤務していた頃の大捕物劇。ヤクザものノンフィクションの第一人者、S. フセイン・ザイディーが関わる作品だけあり、スピード感とスリル溢れる作品だ。

実話から成るこのストーリーでは、田舎に配属されたやり手警官の主人公が、着任してみると、住む場所すら用意されていないことにで戸惑いながらも、歳上が多い部下たちを鼓舞しながら、大物ヤクザを追い詰めてついに逮捕に至るまでを活写。

通話の傍受で操作網を狭めていき、ホシの居所を特定して一気に襲撃をかける。そこに至るまでは、警察の身内に標的のヤクザとの内通者がいたり、近隣警察署のライバル関係にあるSPから横槍が入ったり、政治家から圧力がかかったり、犯罪一味から命を狙われたりと、日々なかなか大変。

しかし毎度のことながら、こうした犯罪ものを読むと、気分がドヨ〜ンと淀むのは致し方ない。

たまに読む程度におさめておくのが良い。

 

書 名:BIHAR DIARIES

著 者:AMIT LODHA

出版社:PENGUIN BOOKS

ISBN:978-0-143-44435-0

サンスクリット語による新聞

インドには、古語のサンスクリット語による新聞が1紙だけある。「スダルマー」というのがそれで、2年ほど前に経営難が伝えられていたが、その後どうなったのだろうか。

それにしても、「サンスクリットで新聞を読む」というのはどういう人かといえば、ちょっとよくわからない。サンスクリットに通じた「パンディット」であれば、聖典の類はそれですらすら読んだりするのだろうが、日々世俗のことについてサンスクリットで書かれたものを読む姿は想像しにくい。よほどの古典マニアか国粋主義者の中でも学者肌タイプか?とも想像するのだが、相当な変わり者だろう。そんなわけだから売上が伸びるはずもない。

それでも、こうした商業メディアが存在するという点からも、インドという国の底なしの深みと奥行きへの畏敬の念を禁じ得ない。

World’s only Sanskrit newspaper Sudharma struggles to survive in its golden jubilee year (TIMESNOWNEWS.COM)

 

HICKY’S BENGAL GAZETTE

1780年に刊行されたBENGAL GAZETTEは「インド最初の新聞」とされる。

こちらは、その発行人のジェイムス・アグストゥス・ヒッキーの生き様について書かれた本。カルカッタで不動産投資に熱を上げて私財を増やす欧州から来たキリスト教団の不正を暴き、不条理な言いがかりと攻撃により土豪を取り潰して得た財を仲間内で分け合う東インド会社軍内部の闇を糾弾し、暴走する権力となったワレン・ヘイスティングス総督をも告発。(ヘイスティングス総督は弾劾を経て罷免される。)

言論の自由という理念さえもなかった時代に、巨悪を暴いて鉄槌を下そうという心意気。植民地支配者側の社会の人間であったにもかかわらず、反戦・反植民地主義のヒッキーの姿勢は、いったいどこからもたらされたのか?

もっとも妥協のない直情的な彼のスタンスにより、投獄されたことすらかったが、肝心の新聞を発行できたのは5年間にも及ばず、東インド会社との取引で彼に支払われるべき巨額の債権も反故にされ、金欠の中で失意の老後を送ったらしい。

東インド会社による植民地体制下のインドで、ずいぶん型破りな男がいたものである。

書 名:HICKY’S BENGAL GAZETTE

著 者:ANDREW OTIS

出版社:TRANQUEBAR

ISBN-10 : 9789386850911

ISBN-13 : 978-9386850911

インドにおける「バービー」の存在感

しばらくインドに行けなくなっているのは残念なのだが、前回のインド滞在時にamazon.inのアカウントを作れば普通にkindle書籍を購入できること、日本に帰国してからも同様に買えることに気が付いたのは幸いであった。映画見放題のプライムについては、残念なことに「インド発行のクレジットカード以外は不可」のため、契約はできなかったが。

そんなわけで、自宅からamazon.inの書籍を買うことがときどきある。電子版で定期購読している雑誌に出ている書評などで、「読んでみたい」と思ったら、すぐに買うことかできるのがありがたい。以前、日本でamazon.inのアカウントを作ったときには、買おうとポチると、即座にamazon.co.jpにリダイレクトされてしまうので、てっきり国外からは何も購入できないのかと思っていたが、「インドでアカウントを作成すればよい」ということにずいぶん長いこと気が付いていなかった。

amazon.co.jpのkindleにて、インドの話題作がまったく見つからないわけではないが、取り扱いはとても少なく、価格も倍、3倍というようなケースも少なくない。

だが不思議なことに、ごくたまにインドでよりも安い価格設定となっている場合もあるので、インドのアマゾンでポチる前に、一度日本のアマゾンでも確認してみたりすることがある。

しかし日本のアマゾンで取り扱うインドのkindle書籍のバラエティには、ちょっと不思議な傾向があることに気が付くまで時間はかからなかった。

たとえばヒンディー語の作品でどのような扱いがあるのか俯瞰してみようと、「hindi」と入れて絞り込みを「kindle」で検索してみると、なぜかエロ小説がずいぶん沢山引っかかってくるのだ。日本のアマゾンで誰が買うのか?そんな大勢の顧客がいるのか?

試しにキーワード「bhabhi」で検索してみると、物凄い量のエッチな小説が出てくるではないか!?同じ作者による作品がいくつもあるので、このジャンルでの人気作家なのだろう。あと名前からして女流作家と思われる作者も散見されるが、これらもまたずいぶん過激なタイトルで書いていたりするため目が点になったりもする。

この「バービー」とは、直接には「兄の嫁」を意味するが、少し年上のセクシーな女性を意味することも多く、素行の良くない男がニタニタ笑いながら性的な意味を含んで、女性をからかうような呼びかけにも使ったりする。

インドの社会で兄嫁と義理の弟が不貞な関係になってしまうことが多いのかといえば、特にそういうわけではないと思う。ただし、今は少なくなったが大家族がひとつ屋根の下で暮らしていた時代では、外から家に入って生活する初めての血縁関係のない成熟した女性ということで、年頃の弟たちにとっては眩しく心ときめく存在であったことが背景にあることは想像に難くない。

「バービー」ものもけっこうあることがわかったので、これもインド雑学研究の一環として、どんなものかと一冊ダウンロードしてみた。ありゃー。やっぱり物凄く汚い言葉か並んでいる。

電車の中、タブレットでヒンディーの雑誌や新聞を読んでいると、インド人に「おう、これ読んでるんだ?」と声を掛けられることは珍しくはない。(こら、覗き込むな!)

そんな場面で、どうせ周囲の人にはわからないだろうと、うっかり「バービー」ものを開いてしまったら、とてもとても恥ずかしいことになる。

恥ずかしいといえば、ダウンロードして字面を追いかけていると、嫁さんが「何読んでるの?怪しい~」などと言うのでびっくり。ヒンディーの文字は読めないはずなのだが、女性の勘というのは実に鋭い。

そう、バービーといえば、2000年代に入ってしばらく経ったあたりで、社会現象にさえなった「サヴィター・バービー」というのもあった。これは当初、「デーシュムク」と名乗り、本名も所在も不詳だった(後に英国在住のインド人であることが判明)作者による劇画タッチのポルノ漫画で、ネットで公開されたためインド全国で大ブームとなった。映画や動画、さらには他の作者による類似作品なども派生することとなった。

サヴィターという名前の女性が主人公なのだが、バービーというのはもちろん苗字ではなく「義理の姉さん、姉さん」の意味であるが、やはり「バービー」というキーワードは、こうした存在にはぴったりマッチするというわけなのである。

1990年代以降の経済改革、経済成長を背景に雪崩を打って変化を続けたインドだが、ちょうどこのあたりから携帯電話の普及もあり、男女関係のトレンドもそれ以前とはずいぶん大きく変わることとなった。「電話したらお父さんが出てガチャリと切られた」は過去の話となり、いつでもどこでも意中の異性と連絡できるようになったことが大きい。

サヴィターの設定は上位カーストで富裕層のセクシーな30代前半くらい?ということになっているが、恋愛についてはとてもオープンで、インド社会の上から下まで、次から次へと、ありとあらゆるカーストや社会層の男たちがそのお相手となるというもの。あまりに露骨な表現と合わせて、本来ポルノが禁止されているインドで、また恋愛映画やドラマといえば、カーストや家柄を越えた出会いと喜び、そして悲しい離別がテーマとなることが多かった昔のインドからは想像もできない過激な展開は社会に大きな衝撃を与えた。

インドで男女関係のトレンドが変わったことにより、どう見ても未婚の若いカップルが旅行を楽しんでいたり、結婚していながらも学生時代からの異性と関係が続いていたり、連れ込み目的のホテルが密集しているポッシユなエリアが普通にあったりなど隔世の感があるインド。「インターカースト」結婚はずいぶん多くなったし、ヒンドゥーとムスリムの結婚も、家庭や社会環境にもよるが、珍しいことではない。また、こういう社会の変化を背景ニサニー・レオーネというインド系の米国ポルノ女優がインドのテレビ番組に出演、そしてボリウッド映画にも立て続けに出演して人気を博すなど、本人がインド系とはいえ米国人であるという例外的な部分があったとはいえ、少なくとも90年代あたりまでであれば考えられなかったことだ。

それでも変わらず厳しいタブーとして残っているものもある。「同じゴートラ」での交際や結婚だ。インド全土で同様に厳しいのか、地域によっては同じゴートラ同士での結婚も当たり前に受け入れられているケースがあるのかどうかは知らないが、インド北西部を中心に「同じゴートラ」で駆け落ちした男女を親兄弟が刺客を送って殺害する、兄や叔父が直接手を下して殺すといった事件は後を絶たない。

ゴートラは観念上、同じ始祖から発生した広義の身内であるとされ、同じゴートラの男女は兄と妹ないしは姉と弟と解釈されるため、そのふたりが男女関係となることは許されず、そのような事例が発生すると、一族の大恥ということになり、殺害されてしまうのだ。これを「名誉殺人」と呼び、とりわけハリヤーナーやパンジャーブなどでは、「カープ」と呼ばれる氏族、さらには枝分かれした氏族からなる組織があるが、このようなケースが生じた場合、「カープ」の寄り合いで殺害を決めて役割を分担して実行してしまうようなケースさえあり、闇は深いといえる。

そうした事件についてニュース番組で報じられると、画面に出てくるのは水路や農村の広がる片田舎の眺めではなく、普通のモダンな新興住宅地にしか見えなかったり(農村の都市化という背景もある)するなど、中世さながらの行動と今ふうの環境のギャップに腰を抜かしそうになることもある。

デリーの暴動

新型コロナ騒動に影に隠れて、あまり国際的に報じられていないが、1985年以来、デリーにおける最大規模と言われる暴動が起きた。先月下旬のことである。

1985年の暴動とは、言うまでもないが当時のインディラー・ガーンディーが自宅でスィク教徒の護衛に射殺された事件への反応として発生した大規模な反スィク教徒暴動のこと。犠牲者を沢山出したスィクコミュニティの中で、この事件をきっかけとして「信仰はスィクだが散髪し、ひげも剃る」という人たちが増えたとも言う。

デリー北東部、主にヤムナー河の東側にあるカジューリー・カース、ゴーグルプリー、マウジプル、ジョーティ・ナガル、カルダムプリーといったあたりが、その暴力の吹きすさぶ地となった。暴徒により、居住しているムスリムの人々への大がかりな攻撃が行われた。
CAA(改定市民法)、NRC(国民登録簿)の問題と反対運動は、当初ヒンドゥー至上主義的な政策vs世俗主義の対立であったが、いつの間にかヒンドゥーvsムスリムというコミュナルな対立にすり替えられてしまったかのようだ。

この暴動の際、先のデリー準州議会選挙勝利により、2期続いて政権を担うことになった庶民党(AAP)のイスラーム教徒の活動家が、ムスリム側の暴徒の一味として、自宅にたくさんの武器を隠匿していたとして逮捕された。

これに対して党主のアルヴィンド・ケージリーワル他の指導部は関与を否定するとともに対応に追われたが、この「活動家」とは、比較的最近になってから庶民党に加わったらしく、対立する陣営から送り込まれた工作活動家では?という疑惑がある。

こうした暴動の際、「事前にターゲットとなるムスリム所有の建物に目印が記されていた」とか「暴徒を率いるリーダーらしき者に地元の協力者が『この店はムスリム』、『こちらの店はヒンドゥー』」と案内していたとかいう話がまことしやかに流れるが、真偽のほどはよくわからない。

個々の民家の場合は掲げられている標札の名前で居住者の信仰は判るし、地域的な属性さえも明らか(主にUPからパンジャーブにかけてのジャート、ベンガーリーのムスリム、ヒマーチャルのブラーフマン等々)なことが少なくないが、ビルや商店となると必ずしもそうではない。

そのため、明らかに特定のコミュニティがターゲットとするため事前工作や協力者による誘導があったとすれば、そうした選別は可能となるだろう。

リンク先記事中の一番下に掲載されている写真を見ていただきたい。
卍の印がついたヒンドゥーの家は無事であるらしいことを示しているのは、報道者の意図だろう。おそらくこの現場では、明白な選別が行われていたことを伝えたいのだと推測できる。

こうした暴動の最中にも、襲撃されそうになっていたムスリムの人たちを大勢、安全なエリアに避難させたというスィクの若者、近隣のムスリム家族を自宅にかくまったというヒンドゥー紳士などの話もテレビニュースで伝えられていたのは幸いではあった。

今回の暴動について、政治の関与についても言われているが、思い出すのはちょうど18年前の同じ時期に起きたグジャラート州での暴動。当時、同州のトップとその右腕は今の中央政府のそれとまったく同じコンビであった。これは単なる偶然か、それとも・・・。

Delhi’s shame (INDIA TODAY)