ダブルデッカーでムンバイへ

ダマンからヴァーピー駅までの道のりは、オートリクシャーで30分程度。

列車は10分ほどの遅れで到着した12932 BOMBAY CENTAL DOUBLE DECKER。ホレボレするような構えのイン鉄ダブルデッカー車両。牽引するのはフツーの機関車なので、編成の正面から撮るといまひとつ絵にならないが。
始発駅はアーメダーバード、終着駅はムンバイ・セントラル。ダブルデッカーなのだが、私が与えられているのは1階座席なので、ちょっとさえない。
通常の列車よりも景色が低くなるし、通過駅などでよくわかるのだが、顔の位置がほぼプラットフォームの高さになってしまうのだ。

ともあれ、ムンバイ・セントラル駅までの約2時間半をゆったりとした気分で過ごすことができた。

ムンバイの郊外電車の姿が見えてきた。終着駅はそう遠くない。

ナウサリー

スーラトの駅売店でサモーサーとチャーイで軽食。ここから急行でひと駅先にあるのがナウサリー。時間にしてわずか15分で到着してしまう。列車はプラットフォームにゆっくりと進入してきた。

発車してほどなくナウサリーに到着。この駅構内にも出店している全国規模で鉄道駅に展開する書店A.H.Wheeler & Co.は、19世紀後半の創立。南インドであればHiggin Bothamsが優勢なのかもしれないが。これもまた植民地時代から続く書店で、南インドではよく駅にも出店している。ただしそちらは駅書店専門というわけではなく、ちゃんとした書店のチェーンなのだ。

A.H.Wheeler & Co.

ナウサリー駅構内の壁に描かれた鉄道愛を感じさせる絵があった。ガーンディーが率いた「塩の行進」で、人々がダーンディー・ビーチに向かう姿を取り上げたものもあった。

「塩の行進」が題材の絵

駅舎から出ると、すぐにジャムーンを売る露店が目についた。みずみずしく、多少の苦みのある芳醇な果実が爽やかで大変美味だ。他のフルーツよりも繊細で、買ったらすぐに食べないとシワシワに干からびてしまったり、薄い皮が破れてグジャグジャになってしまったりする。

ジャムーン

駅前の安いダーバー(簡易食堂)を見かけたが、開店したばかりなので店内も食器もピカピカで気持ちが良いので入ってみる。料理もけっこう美味しかった。賑わっている鉄道駅正面付近という立地の場合、年季入ってくると「標準化現象」のため、汚くて不味くなるのが定石。価格以上に清潔にしたり、美味しくしたりする手間は、店側にとってはとても効率の悪い、割に合わないことなので、周囲の同ランクの店合わせるようになってくるわけだ。宿も同じことで、この「標準化現象」は、決してインドに限ったことではない。

開店したばかりのShiv Restaurant
シンプルなターリーだが大変旨かった。今のうちだけだろう。

ここもまたスーラトと同様にパールスィーゆかりの街のひとつ。ジャームシェード・バーグは、彼らの結婚式でよく利用される施設だ。

街中を散歩していると、パールスィーの偉人、ダーダーバーイー・ナオロジーの像があった。彼はこの街の生まれなのだ。

ナオロジーの像
パールスィーゆかりの建物は多い。
こちらはパールスィーとは関係ないが、建物の一部に昔ながらの美しい意匠が残る。

あのチェーン

ラーイプル駅構内の売店で見かけたもの。そう、夜行列車などでインド人がよく使っているアレである。荷物からジャラジャラと取り出して、カバン類をシートの足や寝台の吊り下げ鎖などに結び付けて南京錠でロックする。
このあたりは昔からほとんど変わらない。

ラーイプル駅

特に用事はないのだが、駅舎を見てみたいということもあり、ラーイプル駅へ。鉄道駅周辺の商業地の様子も目にしておきたかった。
駅舎とならんでLe Roiという立派なホテルがある。こんなところにフランス系ホテルがあるのかと、ホテル予約サイトで調べてみると2,000Rsくらいで泊まれるホテルらしい。しかもデリーの安宿地区パパールガンジにもあるそうなので、外資系ホテルではないことはわかった。Booking.comにおける利用者の評価はとても高いようだ。
近年のインドの主要駅は度重なる改築・増築のため、醜悪なものとなっていることが多いのだが、ラーイプルの駅はこんなモダンな建築であるのは意外だった。

ラーイプル駅
ラーイプル駅舎の隣にあるLe Roi Hotel
昔の鉄道駅にあったCanteenではなく、こういう今風な軽食を出す店が入っている。
駅構内にあるヒンドゥー寺院
駅敷地内から外を眺めると、こういう具合。

歴史的な鉄道駅、再開業なるか?

ムンバイの旧バラード・ピア・モール駅が再オープンするかも?というニュースがだいぶ前にあったが、その後どうなったのだろう。
植民地期末期に廃止されている駅だが、ヴィクトリア・ターミナス駅のすぐ東側のため、ヴィクトリア・ターミナスが手狭にでもなって、発着の一部をそちらに回すのかな?と想像していたが、その後の様子が伝わってこない。
ところで、このバラード・ピア・モール駅だが、ここを始発としていたフロンティア・メールなどの特急列車に英国などからの大型客船が桟橋に到着後、降船した乗客はそのまま列車へ・・・という具合に接続していたらしい。
このバラード・ビア・モール駅が廃止となるあたりまでは、現在のもうひとつの終着駅としてチャーチゲートではなくコラバ駅が運用されていた。
いまや鉄道のターミナスがあったという痕跡さえなく、往時は列車が往来していたチャーチゲート・コラバ間の鉄路がどこを走っていたのかも、今の街並みからは想像もできないのだが。

Historic railway station in Mumbai may be reopened (The Tribune)