カローのスィク教徒の宿

カローの町

ミャンマーのシャン州内のヒルステーションとして知られるカローにやってきた。標高が1,300mくらいあるため、暑季でも充分涼しくエアコンは不要だ。年間で最も気温が上がる時期であるが、日中でも地元の人々の多くは長袖のシャツを着ている。夕方以降は気温が下がるため薄いジャケットが必要になる。

田舎町だが、インド・ネパール系の南アジアをルーツに持つ人々の姿が少なくない。金色のパゴダがところどころにあることを除けば、インドの北東州に来ているような気がしてしまう。

宿はスィク教徒家族の経営である。ロンリープラネットガイドブックの宿の紹介部分で「our pick」という推薦マークが付いているので、どんなところかと思って来たが、建物は木造で室内も壁は木材、天井は竹を編んだものであしらってある。バルコニーも広く、いかにも西洋人ウケしそうな感じのエコノミー宿である。

年齢50代くらいの女主人と妹はかなり流暢なヒンディーを話すが、この家族に限らずカローの町ではこのあたりの世代がちょうどそのボーダーラインのようだ。3人の息子たちはみんなトレッキングガイドでもあるだが、あまり理解しない。家族内での会話はビルマ語であるとのこと。

宿オーナーのパンジャービー家族

彼らの先祖、女主人の祖父がインドから来緬したのは1886年だという。上ビルマがイギリスにより併合され、当時のビルマそのものが英領インドの行政区域の一部として組み込まれた直後に、パンジャーブ州のルディヤーナー近郊のマーナー(माणा)というところから、プラタープ・スィンという男性が妻のシャンター・カウルを伴って、鉄道建設のコントラクターとして来緬したのだそうだ。すでにインドの親戚との接触は途切れているが、所在さえわかればそうした遠戚に連絡を取ってみたいと思うとのこと。

話を聞いていて気が付いたのだが、英領期に父祖が渡ってきた後、インド本土との往来がほとんどない人々にとって『パンジャーブ』とは、今私たちが認識しているものとはかなり違うようだ。それはしばしば19世紀末のインド地図の世界で、現在のヒマーチャル・プラデーシュもパーキスターン領となっている西パンジャーブも彼らにとってはひとつのパンジャーブであったりする。同様のことがヒンドゥスターン平原に先祖の起源を持つインド系ミャンマー人の言うU.P.にも言える。現在のウッタル・プラデーシュではなく、往々にして英領期のユナイテッド・プロヴィンスィズなのだ。

近くにはネパール系の家族が経営しているレストランもある。ここの家族の来緬時期はだいぶ時代が下った第二次大戦中とのこと。歩いてグルッと回ることのできる小さな町だが、タミル系のファミリーとも出会ったし、町中にあるなかなか立派なモスクに出入りするのもやはり亜大陸系のムスリムたちだ。

1947年の印パ分離の悲劇があまりに衝撃的であったがゆえに、これに関する文献、小説、映画等は沢山あるが、これに先立ち1937年に起きた『もうひとつの分離』であるビルマ(ミャンマー)のインドから分離して英連邦内のひとつの自治領となったこと、さらなるナショナリズムの高揚が1948年イギリスからの独立へと導き、さらには1962年のクーデター以降は多数派であるビルマ族主体の国粋化が進んでいく。

こうした中で、当初はインドの新たなフロンティアとして約束されていたはずの地で、立場が次第に苦しくなっていく中、いつの間にかそこはもはやインドではなく、さらに英国が去った後、彼らは抑圧者の手先であった人々として、また出自の異なるヨソ者として遇されるようになっていく。

そうした世相の変化の様子は、アミターヴ・ゴーシュの小説『THE GLASS PALACE』にも描かれているところであるが、この国における亜大陸系の人々の家族史を掘り起こしてみると、興味深いものが多いことと思われる。

IRCTC (アップデート)

昨年の今ごろ、インド国鉄の傘下組織であるIRCTC (Indian Railway Catering and Tourism Corporation)のウェブサイトを通じたインド国鉄のチケット予約について、そのコツ(・・・というほどでもないが)を取り上げてみたが、現在はかなり状況が変化しているため、新たに記しておくことにした。 

インド国外で発行されたクレジットカードを使用する場合、以前はVisa、Masterともにちゃんと手続きできたのだが、残念なことに現在はアメックスのカードを除き、IRCTCの予約サイトで決済できなくなっている。 (近い将来これもまた変わるかもしれない)

従前より、ウェブ上でインド国鉄チケットを購入できるところはといえば、前述のIRCTC以外にはインドのトーマスクックなど有名だが、やはりIRCTCと決済条件は同じで不可。目下、アメックスを除きインド国外で発行されたクレジットカードでインド国鉄の予約ができるサイトとしてオススメは、www.cleartrip.comである。 

上記サイトにアクセスして、画面右上のregisterをクリックして会員登録を済ませた後、画面左上にいくつか並んでいるメニューからtrainsを選択して予約作業を始めることができる。 

利用したい区間、列車の選択、クラスの選択に続き、空席照会してから予約、そして支払という具合だ。データはもちろんIRCTCのサイトと連動しているので、作業内容と手順は同じだ。 料金については、列車チケット料金に加えてIRCTCのサービスフィーがかかるところまでは同じ。加えてCleartripの手数料が20ルピーかかる。 

日本その他の国々から、年末年始に旅行でインドを訪れる方々は多いことと思うが、渡印前に鉄道を予約される際にこの記事が役立つことがあれば幸いである。

ツアー列車いろいろ

以下の行程で、7泊8日の特別ツアー列車が走っているのだそうだ。その名もBuddhist Circuit Special Train。 

初日 : デリー、ガヤー

2日目 : ガヤー、ボードガヤー

3日目 : ボードガヤー、ナーランダー、ラージギル、ガヤー、ワーラーナスィー

4日目 : ワーラーナスィー、サールナート、ゴーラクプル

5日目及び6日目 : ゴーラクプル、クシーナガル、ルンビニー

7日目 : ゴーンダー、スラワスティ、アーグラー

8日目 : アーグラー、デリー 

ビハールとU.P.の仏蹟を中心とした観光地に加えてアーグラーを観光してデリーに戻るというもので、出発日は次のとおり。 

出発日

2010年9月25日

10月16日及び30日

11月13日及び27日

12月11日及び25日

2011年1月8日及び22日

2月12日及び26日

3月12日及び26日

いずれも起点はデリーだが、出発駅はサフダルジャン駅である。料金は以下のとおり。

First AC Coupe 

US$ 1176

INR 55272

AC – First Class 

US$ 1050

INR 49350

AC – Two Tier

US$ 875

INR 41125

AC – Two Tier

(Side Berth)

US$ 770

INR 36190

AC – Three Tier 

US$ 735

INR 34545 

宿泊費(ホテル2泊で他は車中泊)・食費等込みとはいえ、料金は決して安いわけではない。

 それでも鉄道大国インドならではの豪華観光列車として知られるPalace on WheelsRajasthan Royals on WheelsDeccan OdysseyGolden Chariotなどは、時期やクラスによるが7泊8日の行程で2500ドルから5000ドル近くの出費を覚悟しなくてはならないことを思えば格安である。 

最近のこの類の企画ものでは、Maharaja’s Indiaというものがあるが、こちらは5600ドルから20000ドルという、さらにビックリの金額で売り出されている。 

Buddhist Circuit Special Trainは、これらのゴージャスな車両と特別なサービスを売りにするものではなく、基本的に在来の車両を使用する企画ツアーである。他にもエコノミーな列車ツアーとしては、Bharat Darshanシリーズの中に様々なタイプがある。日程は1週間から15日間で、訪問先もいろいろ異なるものがあるが、費用は3600ルピーから7700ルピーと手頃なものとなっている。通常の列車もクラスにより運賃の格差が甚だしいこの国だが、ツアー列車にかかる費用も上から下まで大きな差があるのは、いかにもインドらしい。 

先述の豪華列車にかかるコストの関係はさておき、そもそもパッケージツアーで1週間費やしてみたいと思わないのだが、デリーからラージャスターンのアルワール間を1泊2日で往復するFairy Queenには、いつか機会を得て乗車してみたいと考えている。 

1855年、なんとインド大反乱の2年前にイギリスで製造された、現存する最古の運転可能な蒸気機関車が牽引するヘリテージ列車であるため、『イン鉄ファン』のマストアイテムだ。 

往復でも片道のみでも乗車可能で、IRCTCのウェブサイトでも予約を受け付けている。今季は2010月から2011月まで、合計10往復している。 

料金はフルパッケージ(Fairy Queenでのデリー・アルワール往復とサリスカー宿泊ならびに国立公園見学)で10200ルピー。片道ツアー(Fairy Queenでのデリーからアルワール片道とサリスカー宿泊ならびに国立公園見学)は7100ルピー。Fairy Queenのデリーからアルワールまでの乗車のみならば3200ルピー。

ご興味のある方はお早目にご予約を。

マオイスト 鉄道を標的に

また鉄道の大惨事が起きてしまった。
5月28日午前1時過ぎ、コールカーターから150kmほど離れたミドナープル地区内のマオイストの拠点ジャールグラム近くにて、ハウラーからムンバイーに向かうギャーネーシュワリー急行が脱線して並行して走る線路に乗り上げた。そこに走行してきたターター・ナガルからカラグプルに向かう貨物列車が衝突したため、被害が更に深刻なものとなった。大きな地図で見る
事件はマオイストによる犯行と断定されている。当初は爆破事件説もあったものの、鉄路のフィッシュプレート(ジョイントバーとも呼ばれる)というレールの継ぎ目を固定する部品が取り外されていることが確認されたことから、当局はこれが有力な原因とみて調査中。
すでに100人を超える死者が確認されているとともに、負傷者も200人以上と伝えられている。複数の倒壊ないしは大破した客車の中に閉じ込められている人たちの救出作業が続いており、今後死者ならびに負傷者の数は拡大する見込み。インド国鉄から列車乗客リストがウェブ上に公開されている。以下のビデオは事故発生から間もない時間帯に放送されたものであるため、被害の数はまだ少ないものとなっている。たとえ客車に保安要員を配置して、座席あるいは寝台の乗客安全を図ったところで、その車両が走る鉄路の状況にまで監視の目はなかなか行き届かないであろう。広大な国土のインドである。寒村や人里離れたところを拠点に暗躍するマオイストたちにとって、政府に対して大きなダメージを与えるためには、鉄道は簡単にして確実な攻撃対象となる。内務大臣のチダムバラムがマオイストへの対決姿勢を鮮明にしてから、4月上旬にはチャッティースガル州で彼らの拠点を叩こうとした警察部隊が、反対にマオイスト側から急襲されて76名が死亡する事件が起きたのは記憶に新しいところだ。内務大臣はその責を取り、一時は辞表まで用意したものの慰留されている。
今回は、事件現場から十数キロほど南東方向に進むと空軍基地というロケーション。国防施設周辺といういわばグリーンゾーンのすぐ外側でこうした惨事を起こすということ自体が、政府の無策ぶりを嘲笑っているかのようである。
すでに中央政府、州政府、鉄道当局の三つ巴で責任のなすり合いが始まっている様子もあり、まさにマオイストの思う壺・・・といった具合に進展しているようだ。
現場が僻地であることもあり、国外では『インドでよくある鉄道事故』であるかのように扱われてしまうかもしれない。だがマオイストによる大胆な犯行が連続している状況は、潜在的には2008年11月にムンバイーで起きたイスラーム過激派によるテロに匹敵する脅威を秘めているといって過言ではないかもしれない。往々にして他所から来た人間が散発的に起こすテロ(近ごろでは『テロの国産化』という傾向もあるにせよ)と違い、マオイストたちの存在は地元に根ざしたものであり、それ自体が大衆運動でもあるため、彼らとの対立は文字通り『内なる闘い』ということになるのである。
※『彼方のインド4』は後日掲載します。

線路は続くよ、どこまでも 3

ソフト面では、利便性が飛躍的な向上を見せたものの、ハード面で特筆すべきは、各地のメーターゲージ路線をブロードゲージ化する作業が着々と進んだことだろう。
これにより、鉄道ネットワークの効率化が図られた。旅客として利用する際、目的地沿線の軌道幅が異なることによる乗り換えが不要となり、主要駅を起点として直通列車が走る範囲がとても広くなっている。おそらく貨物輸送の面でも相当な有利になったに違いない。
各地の鉄道の事業主体が単一ではなかったこと、鉄道ネットワークに対する考え方が現在と異なる部分があったことや予算の関係などもあり、植民地時代に軌道幅が異なる路線が混在し、それが長く引き継がれてきたことについては、その対応に苦慮しつつも、全路線ブロードゲージ化という方向で完成しつつあるのがインドだ。
それに較べて、隣国バーングラーデーシュ国鉄は異なる手法で解決への道を探っているかのようである。今年1月に『お隣の国へ?』で書いたとおり、デュアルゲージという手法により、ブロードゲージの軌道の間にもう一本のレールを敷設し、ゲージ幅の狭い列車も走行できるようにしてあるのだ。異なるゲージ幅に対応する、なかなか面白いアプローチである。
これが『デュアルゲージ』
バーングラーデーシュ国鉄本社が置かれているのは狭軌ネットワークのターミナスであるチッタゴンであることと合わせて、今後はインドとは反対に狭軌のほうに集約していくと考えるのが自然だ。
近年になってから、首都ダーカーにブロードゲージ路線が導入されているが、これは現在コールカーターからの国際旅客列車マイティリー・エクスプレスに加えて物資輸送の貨物列車が運行していることから、隣国インドの鉄道とのリンクを考慮してのことであり、同国内既存の狭軌路線を広軌化する意思はないのだろう。
インドの場合と異なり、ネットワークがあくまでインドと一体であった時代に築かれたものであるがゆえ、今の同国国土を効率よくカバーしているとはとてもいえないため、インドの国鉄と違い、国民の期待値は相対的に低いものとなる。ゆえにどちらかに統一するのではなく、あるものを可能な限り使い回すという発想こそが賢明であるのかもしれない。
いっぽう、列車の運行体制やアメニティといった部分では、それほどの進化を遂げているとは思えない。車中泊を伴い長時間走行するもの、比較的短い距離を日中走行するものなど、列車のタイプにより、1A (First class AC)、2A (AC-Two tier), FC (First Class), 3A (AC three tier), CC (AC chair car), EC (Executive class chair car), SL (Sleeper class), 2S (Seater class), G (General)と、いろいろな客車タイプがある。
クラスが上がるにつれて、料金も格段に違ってくることから、同乗する他の客を選別する機能があるといえるのは、インドという国における社会的な要請といえるだろう。
人々の可処分所得が上昇したこともあり、エアコンクラスの需要増に応える形で、空調付きの車両が増えることとなったが、クラスは上がっても1人あたりのスペースが広くなること、電気系統を含めた車内内装の質が向上することを除けば、基本構造自体は旧態依然のものであることから、やはり時代がかった印象は否めない。
他の列車よりも走行の優先度を高めて停車駅を少なくすることにより、目的地までかかる時間を短くしたラージダーニー、シャターブディー、サンパルク・クランティ、加えて最近導入されたドゥロントといった特別急行があるものの、これらの列車が連結する車両構造自体が取り立てて先進的というわけではない。
またダイヤの過密化と駅の増加により、こうした特別急行以外の急行列車は、たとえば1980年代と比べて、より時間がかかるものとなっている路線も少なくないらしい。
相変わらず大規模な事故がしばしば起きることも問題だ。今から10年も前のことになるコンピュータの『2000年問題』が取り沙汰されていた時期、確かに鉄道のチケッティングの面では一部懸念されるものがあったようだ。
しかし列車の運行についてはまったく問題ないという発表がインド国鉄からなされていたことを記憶している。その理由といえば、大部分がアナログ式に管理されているため、電子的な誤作動による事故はまずあり得ないという、あまりパッとしない理由であった。
その後、運行の手法について、どの程度の進展があったのか残念ながらよく知らないのだが、今年10月にもマトゥラーでの急行列車同士の衝突事故があったように、同じ路線にふたつの列車が走行してクラッシュという惨事、あるいは植民地時代に建設された橋梁が壊れて車両が落下といった事故が散発し、そのたびに多数の犠牲者が出る。メディア等でその原因等について盛んな糾弾がなされるものの、少し経つと同じような事故が繰り返される。
そんなことからも、列車の運行管理の部分においては、大した進展がないのではないかと疑いたくなる。これからは、鉄道輸送の根幹となる部分で、『乗客の安全』を至上命題に、骨太の進化を期待したいと思う。
蛇足ながら、乗客の立場からするとハード面でいつかは改善して欲しい部分として、乗降の際の巨大な段差もあるだろう。19世紀の鉄道を思わせるようで『趣がある』と言えなくもないが、観光列車ではなく、人々の日常の足である。停車駅で人々のスムースな出入りを阻害する要因だ。頑健な大人ならばまったく問題なくても、お年寄りや子供たちにとってはちょっとしたハードルである。身体に障害を持つ人にとっては言わずもがな。
19世紀・・・といえば、鉄道駅の中でも由緒ある建物の場合、電化される前には待合室等の天井にパンカー(ファン)を吊るした金具が残っていたりする。今は電動の扇風機が頭上でカタカタ回っているが、電化される前の往時は、吊るしたパンカーを人がハタハタと動かしていたのである。
やたらと進んでいる面とまったくそうでない面が混在するインド国鉄ではあるが、そういう凸凹が多いがゆえに、ふとしたところに長く重厚な歴史の面影を垣間見ることができる。ここに独自の味わいがあるのだ。
ひとたび車両に乗り込めば、場所によっては非常に時間がかかるとはいえ、広い亜大陸どこにでも連れて行ってくれる(もちろん鉄路が敷かれている地域に限られるが)最も便利な交通機関だ。
インドの鉄道のことをしばしば書いているが、私自身は『鉄ちゃん』ではないし、およそ鉄道や列車というものに一切の関心を持たない。しかし、情緒あふれるインド国鉄に関しては、いつも大きな魅力を感じてやまない『イン鉄ファン』なのである。