線路は続くよ、どこまでも 3

ソフト面では、利便性が飛躍的な向上を見せたものの、ハード面で特筆すべきは、各地のメーターゲージ路線をブロードゲージ化する作業が着々と進んだことだろう。
これにより、鉄道ネットワークの効率化が図られた。旅客として利用する際、目的地沿線の軌道幅が異なることによる乗り換えが不要となり、主要駅を起点として直通列車が走る範囲がとても広くなっている。おそらく貨物輸送の面でも相当な有利になったに違いない。
各地の鉄道の事業主体が単一ではなかったこと、鉄道ネットワークに対する考え方が現在と異なる部分があったことや予算の関係などもあり、植民地時代に軌道幅が異なる路線が混在し、それが長く引き継がれてきたことについては、その対応に苦慮しつつも、全路線ブロードゲージ化という方向で完成しつつあるのがインドだ。
それに較べて、隣国バーングラーデーシュ国鉄は異なる手法で解決への道を探っているかのようである。今年1月に『お隣の国へ?』で書いたとおり、デュアルゲージという手法により、ブロードゲージの軌道の間にもう一本のレールを敷設し、ゲージ幅の狭い列車も走行できるようにしてあるのだ。異なるゲージ幅に対応する、なかなか面白いアプローチである。
これが『デュアルゲージ』
バーングラーデーシュ国鉄本社が置かれているのは狭軌ネットワークのターミナスであるチッタゴンであることと合わせて、今後はインドとは反対に狭軌のほうに集約していくと考えるのが自然だ。
近年になってから、首都ダーカーにブロードゲージ路線が導入されているが、これは現在コールカーターからの国際旅客列車マイティリー・エクスプレスに加えて物資輸送の貨物列車が運行していることから、隣国インドの鉄道とのリンクを考慮してのことであり、同国内既存の狭軌路線を広軌化する意思はないのだろう。
インドの場合と異なり、ネットワークがあくまでインドと一体であった時代に築かれたものであるがゆえ、今の同国国土を効率よくカバーしているとはとてもいえないため、インドの国鉄と違い、国民の期待値は相対的に低いものとなる。ゆえにどちらかに統一するのではなく、あるものを可能な限り使い回すという発想こそが賢明であるのかもしれない。
いっぽう、列車の運行体制やアメニティといった部分では、それほどの進化を遂げているとは思えない。車中泊を伴い長時間走行するもの、比較的短い距離を日中走行するものなど、列車のタイプにより、1A (First class AC)、2A (AC-Two tier), FC (First Class), 3A (AC three tier), CC (AC chair car), EC (Executive class chair car), SL (Sleeper class), 2S (Seater class), G (General)と、いろいろな客車タイプがある。
クラスが上がるにつれて、料金も格段に違ってくることから、同乗する他の客を選別する機能があるといえるのは、インドという国における社会的な要請といえるだろう。
人々の可処分所得が上昇したこともあり、エアコンクラスの需要増に応える形で、空調付きの車両が増えることとなったが、クラスは上がっても1人あたりのスペースが広くなること、電気系統を含めた車内内装の質が向上することを除けば、基本構造自体は旧態依然のものであることから、やはり時代がかった印象は否めない。
他の列車よりも走行の優先度を高めて停車駅を少なくすることにより、目的地までかかる時間を短くしたラージダーニー、シャターブディー、サンパルク・クランティ、加えて最近導入されたドゥロントといった特別急行があるものの、これらの列車が連結する車両構造自体が取り立てて先進的というわけではない。
またダイヤの過密化と駅の増加により、こうした特別急行以外の急行列車は、たとえば1980年代と比べて、より時間がかかるものとなっている路線も少なくないらしい。
相変わらず大規模な事故がしばしば起きることも問題だ。今から10年も前のことになるコンピュータの『2000年問題』が取り沙汰されていた時期、確かに鉄道のチケッティングの面では一部懸念されるものがあったようだ。
しかし列車の運行についてはまったく問題ないという発表がインド国鉄からなされていたことを記憶している。その理由といえば、大部分がアナログ式に管理されているため、電子的な誤作動による事故はまずあり得ないという、あまりパッとしない理由であった。
その後、運行の手法について、どの程度の進展があったのか残念ながらよく知らないのだが、今年10月にもマトゥラーでの急行列車同士の衝突事故があったように、同じ路線にふたつの列車が走行してクラッシュという惨事、あるいは植民地時代に建設された橋梁が壊れて車両が落下といった事故が散発し、そのたびに多数の犠牲者が出る。メディア等でその原因等について盛んな糾弾がなされるものの、少し経つと同じような事故が繰り返される。
そんなことからも、列車の運行管理の部分においては、大した進展がないのではないかと疑いたくなる。これからは、鉄道輸送の根幹となる部分で、『乗客の安全』を至上命題に、骨太の進化を期待したいと思う。
蛇足ながら、乗客の立場からするとハード面でいつかは改善して欲しい部分として、乗降の際の巨大な段差もあるだろう。19世紀の鉄道を思わせるようで『趣がある』と言えなくもないが、観光列車ではなく、人々の日常の足である。停車駅で人々のスムースな出入りを阻害する要因だ。頑健な大人ならばまったく問題なくても、お年寄りや子供たちにとってはちょっとしたハードルである。身体に障害を持つ人にとっては言わずもがな。
19世紀・・・といえば、鉄道駅の中でも由緒ある建物の場合、電化される前には待合室等の天井にパンカー(ファン)を吊るした金具が残っていたりする。今は電動の扇風機が頭上でカタカタ回っているが、電化される前の往時は、吊るしたパンカーを人がハタハタと動かしていたのである。
やたらと進んでいる面とまったくそうでない面が混在するインド国鉄ではあるが、そういう凸凹が多いがゆえに、ふとしたところに長く重厚な歴史の面影を垣間見ることができる。ここに独自の味わいがあるのだ。
ひとたび車両に乗り込めば、場所によっては非常に時間がかかるとはいえ、広い亜大陸どこにでも連れて行ってくれる(もちろん鉄路が敷かれている地域に限られるが)最も便利な交通機関だ。
インドの鉄道のことをしばしば書いているが、私自身は『鉄ちゃん』ではないし、およそ鉄道や列車というものに一切の関心を持たない。しかし、情緒あふれるインド国鉄に関しては、いつも大きな魅力を感じてやまない『イン鉄ファン』なのである。

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