線路は続くよ、どこまでも 2

・・・と、文字に書くと『ああ、そうか』という程度のことでしかないかもしれないが、鉄道の予約を取ることについてかかる手間ヒマという点からすると天地の差がある。
また南アジア域内で鉄道ネットワークを持つ他国と比べてみても、インドの『先進ぶり』は際立っている。
まず鉄道駅窓口での予約がオンライン化される前といえば、まずはBookingカウンターの行列に並んで目的地までの乗車券を買う。続いてReservationカウンターの長い長い列に並び直して予約を取る必要があった。
係員が、列車別と思われる分厚い帳簿に、厳かな表情で予約した乗客の氏名等を記入するのだ。座席や寝台の料金を払うと、さきほどのBookingカウンターで渡された乗車券とは別に、車両番号と座席(寝台)番号が殴り書きされた予約券が投げて寄越される。
これとて、特に大きな駅では利用クラスや方面別になっていたため、うっかり違う列に並んでしまうと、せっかく順番が来ても『あっちのカウンターに行きなさい』と追い払われてしまい、それまで費やした時間がまったくのムダになる。
こうしたやりかたは、インドの鉄道草創期にあたる『ヴィクトリア朝時代からの伝統』と揶揄されるもので、今では博物館モノの大時代がかった作法による発券作業を目の当たりにできる、その中でチケットを買う、予約するということが実体験できるため、最初は興味深く感じられた。
しかしこれが度重なると、手間暇と時間を取られて面倒なので、なるべく事前の面倒のないバスで移動したいと思うようになった。それでも半日以上かかる移動、とりわけ車中泊を伴う場合は、やはり身体を横たえることのできる寝台がないと辛く、結局は鉄道の厄介にならざるを得なかった。
当時、どこかで乗り換える必要がある場合の次に利用する列車、往復する場合の帰りの列車の予約をその場ですることができないのもすこぶる不便であった。ボーパールやバンガロールのような大きな駅であっても、列車が当該駅始発ではなく経由地である場合は、中途から乗り込む乗客への割り当てが少ないため、ずいぶん先まで満席ということが当たり前でもあった。
結局、列車に乗り込んでから、その時点での空き状況を見て車掌が乗客たちに振り分けることになってしまうのだが、車掌がやってくるまでずいぶん長いこと待たされた。なにぶん少ない人手による手作業ということもあり、何かとスローなのは仕方がなかった。
主要駅における鉄道予約オンラインが開始された頃、チケット売り場の壁に『ANY CLASS, ANY DESTINATION, ANY QUEUE』 との貼紙を目にしたときには、いたく感動したものだ。どの列に並んでもいい、しかも一回並ぶだけで、BookingとReservationが同時に出来てしまう!とは、今では当たり前のことではあるが、当時は大きなインパクトがあった。
その後、全国的にシステムで接続される体制が整ってくると、列車の往復予約も乗り継ぎ駅から先の列車の予約もいっぺんに確保できるようになってくる。更には自宅でヒマなときにネット予約してプリントアウトしたものが、そのままEチケットとして使用できてしまうというところにまで来ている。この部分のみに限れば、インターネットで列車予約してから、駅の窓口に並ばなくてはならない日本のJRと比較した場合、インド国鉄に軍配が上がる・・・と思う。
こうした進歩も『時代が進んだのだから当たり前』ということにはなるが、19世紀末か?と思うほどの状態から、わずか20年ほどで21世紀らしいところにまで追いついたことは、大いに評価できるはずだ。しかもインド国鉄といえば、従業員数にして同国最大の国営企業。国家予算とは別立ての鉄道予算を持つ国の親方三色旗企業もなかなかやるじゃないか、と大きな拍手を送りたい。
だが、業務の近代化、自動化は、往々にして職場の人減らしにもつながる。労働組合活動の盛んなインドのこと、しかも140万人というインド最大の従業員数を誇る国営企業としての国鉄において、マネジメントと労働者の側で様々な衝突や駆け引きもあったのではないかと思う。
もともと南アジアの周辺国、パーキスターン、バーングラーデーシュ、スリランカとは比較にならない鉄道大国であるインドだが、こうしたソフト面の進化は、これらの国の鉄道に対して先進的な模範を示しているといえるだろう。

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