マムターの勝利・・・でいいのか?

Mamta Banerjee
今年1月にデリーで開催された2008 Auto Expoにて鳴り物入りで登場したターター自動車の10万ルピー車NANO。インド国内のみならず世界戦略をも担う期待の新星だ。同社は今年のダシェラーに入る前あたりで、このモデルの路上でのデビューを狙っていたようだ。だがその発売どころか生産工程についても暗雲がたちこめており、光が差し込んでくる気配さえ感じられない。
ナーノーの組み立てが行なわれているのは、ターター自動車が西ベンガル州のスィングールに建てた工場。ここでの土地収用をめぐる争議が続いているのはこれまでずっとメディアで報じられていたところだが、このほどターター自動車自身が作業員たちを引き揚げ、この生産拠点を放り出してしまう可能性が大きくなってきた。
Tata stops work, Bye Bye to West Bengal ? (Hindustan Times)
Battle Ground Singur (Hindustan Times)

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頑張れ ブータン議会政治

初の総選挙を経て、民主化の道を歩み始めたブータンだが、国会へのノートパソコン持込禁止の措置が、ちょっとした議論を呼んでいるらしい。禁止の理由は議事進行中パソコンゲームに興じているセンセイたちがいるからなのだとか。もちろん審議等に必要な書類を山ほど持参する非効率なやりかたでいいのか、無駄な紙の使用を避けようではないかという批判も多いようだ。
どこかの国でも、大切な議事が進んでいく中で居眠りしている議員サンたちの姿が見られたり、立場を踏まえない不規則発言が物議を醸したりする例も珍しくはないことを忘れてはいけない。しかしながら、ブータン国会でそういう事例があること、またそういう事情が公になることなどから、確実に民主化の路線を進んでいることは感じ取れるのではないだろうか。
民主化、というプロセスの中で、内政事情はずいぶん異なるとはいえ、南アジアの『民主主義の先輩』諸国の政治状況に比較して、ブータンにおける民主政治が今後どういう展開・発展を見せていき、これが社会のありかたや人々の暮らしにどう反映されていくのかとても興味深いところだ。できることならば、どこか焦点を決めて定点観測していきたいような気がする。
Bhutan MPs in computer game ban (BBC NEWS South Asia)

ただの虫なのか?

大ボスはいかにしてその座を追われるのだろうか。政界の大物が汚職疑惑の渦の中で四苦八苦するといったことの裏には、単にそういう事実があったようだということはもちろんのことだが、それが明るみに出ることを許してしまう脇の甘さには、そのリーダーが率いる組織ないしは勢力内における自身の求心力の低下という部分は往々にしてあるのだろう。ちょうど猿山のボスが盛りを過ぎると、台頭してきた若手にその座を追われてしまうように。
立場が上がるほど、手にする権力が大きくなるほどに、仲間や協力者たちの中にも潜在的な『敵』の数が増えてくる。それはライバルたちであり、その支持者たちでもある。国政をあずかる指導者たるもの、また身内におけるさまざまな軋轢や意見をまとめあげるとともに、党内外のさまざまな意見を調整していかなくてはならない。誠実すぎる人はその責に押しつぶされてしまうだろうし、生真面目な人は周囲への気遣いへの苦労の末にぶっ倒れてしまうだろう。ボスたるもの、どっしりと構えて清濁併せ呑む器と熟練した人身掌握術が必要となる。
洋の東西を問わず、とかく人々の上に立つ人物には、他者と違う厚みや奥行きを感じさせる人が多い。それはその人生来のものなのか、そういう特性を身に着けたからその地位に上り詰めることができたのか、はてまたその地位にあることがそういう雰囲気を生み出しているのだろうか。ボスといっても、考えが様々でカラーも違う寄り合い所帯の中で、主要な派閥の妥協のうえで、なんとか合意できる最大公約数的な人物がポンと出てきて、お飾り的な指導的地位に就くことがある。だが往々にしてこうした『親分』は短命に終わる。もともとそういう器でないからだ。
ボスの真価は、危機管理能力にあるともいえるかもしれない。この場合、テロや災害に対するものではなく、自身のサバイバル能力のことだ。もちろんその『危機管理』とは、たいてい人々のためになることはない。インドでこうした能力が高い政治家といえば、中央・地方ともにいろいろ目に付くところだが、国外に目を向けてみるとその極端な例は北朝鮮かもしれない。
最悪、失脚したり逃亡したりしなくてはならないところまでいったとしても、カムバックするためのカードをいくつも持っているのが筋金入りのボスである。昨年後半に相次いで帰国を果たして再び国政に打って出たベーナズィール・ブットーも、ナワーズ・シャリーフも、しばらく本国に身を置いていなかったにもかかわらず、それぞれが率いる政党が勝利を分け合うこととなった。やはりふたりともそういう器だったのだろう。前者は選挙活動の最中にこの世を去り、実務を夫が引き継ぐことにはなってしまったが。
亜大陸の反対側に目を移してみよう。政治の混乱のため総選挙が延期されたままになっているバングラーデーシュ。元首相シェイク・ハスィーナー、同じく元首相を務めたカレダー・ズィヤーともに重大な汚職疑惑を抱えているところだ。このほど報じられたニュースによれば、前者については嫌疑にかかわる重大な書類が『虫に喰われて』しまっているのだという。その被害の程度がどうなのか、立件自体に支障をきたすほどなのかについては書かれていないが、そもそもこういう大切な書類が虫にやられてしまうほど本当に管理が甘かったのだろうか。『虫』の背後には、怪奇な権謀術策がめぐらされているのでは?と疑いたくなる。
一見、ちょっと間抜けに見えるこのニュースだが、実はこのボスが自身の華麗な復活劇を演じるために踏み出した最初の一歩という可能性も否定できないだろう。背後で何が蠢いているのはまだよく見えてこないが、ちょっと気に留めておくべきニュースなのかもしれない。本当に『何かある』のかもしれない。ボスたるもの、世渡り術が世間並みであるはずがない。
Bugs eat Bangladesh court papers (BBC NEWS South Asia)

天まで届け!FREE TIBET !!

FREE TIBET !!
『Free Tibet !』
『中国はチベットから出て行け!』
『Stop killing in Tibet !』
『チベットに人権を!』
シュプレヒコールとともに長い長い行列が進んでいく。GW連休最終日の5月6日、中国の胡錦濤国家主席の来日に合わせて、東京都内で午後2時半からチベット問題に関する抗議デモが実行された。
今日の朝、突然『こういうのがあるよ』と友人に声をかけられた私は、いったいどういうグループが主催するものかもよくわかなかったが、ふたつ返事で参加することにした。集合場所はJR千駄ヶ谷駅近くにある日本青年館。チベット旗やプラカードなどを手にした大集団に合流。デモ隊はほぼ定刻どおりに出発した。まずは地下鉄外苑前方向に進んでいく。内外のさまざまなメディアの腕章をしたカメラマンたちがシャッターを切りまくっている。
チベットの旗が集結
私は隊列の先頭近くにいた。大声を上げて進んでくる行列を目にした人々の表情がなかなか面白い。『なんだ?』ときょとんとした顔あり、『がんばって!』と声援を送ってくれる人あり、物珍しそうに携帯電話を取り出して写真を撮る者あり。私自身は大集団の中のゴマ粒にしか過ぎないのだが、それでもなんだか気持ちいい。大勢の人々に見守られながら、隊列を先導するチベット人女性の野太い声に続いて、『FREE TIBET !』『チベットに自由を!』などといった単調なメッセージを大きく連呼していると、気分が高揚してくるようだ。
FREE TIBET !

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ひと続きの世の中

2月にアフガーニスターン・パーキスターン両国国境地帯で失踪した駐カーブルのパーキスターン大使ターリク・アズィーズッディーン氏が、ターレーバーンの人質となっていることが明らかになっている。これまでもNGO、国連、報道その他の関係者が連れ去られ、現政権との交渉のカードとして利用されてきた。ターリク氏はターレーバーンたちが仲間の釈放を求める交渉の材料として誘拐監禁されている。
パーキスターンの支持あってこそ、かつては国土の大半を手中にしたターレーバーンであったが、2001年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロ以降、地域の風向きが大きく変わると自分たちを捨てて去っていったかつての親分に刃を突きつけた形になる。この事件は、現在のアフガーニスターン政府にとっても、かつて傀儡ターレーバーンを育んだパーキスターンにとってもまた大きな難題だ。
支配者側への揺さぶりとして、本来の対立する相手ではない第三者を誘拐して、自らに有理な状態を引き出そうという手法、そうした勢力からの報酬目当ての『誘拐産業』にもスポットが当たるようになっている昨今だが、どうも世間で起きているこうしたニュースを目にすると気が滅入る。モラル云々以前の問題ではあるが、いやしくも一度は政府を構えた勢力が行なうべきことではありえない。現政権と対峙するにあたり短期的には何がしかのメリットがあるとしても、これまで以上に対外的な信用を失うとともに、国内的にも人心掌握どころではないだろう。
ただし現在のアフガニスタン政府にしてみても、アメリカによるターレーバーン攻撃という好機に乗じて政権を簒奪した複数の派閥が、西側の支援を得る反ターレーバーン勢力という共通項のみからなる足元の危うい合従連衡のもとで、利益の奪い合いを展開している中、そうそうまっとうなものは見当たらない。勝てば官軍、武力による統治という現状こそがアフガーニスターンの最大の不幸だ。インドと同様に『多様性』に満ちたモザイク国家アフガーニスターンだが、長い内戦を経て、すっかり壊れて散り散りになってしまったカケラを集めて、ふたたびひとつの国にまとめあげるには、どのくらいの時間と犠牲を払わなくてはならないのだろうか。
歴史的につながりが深い近隣国インドのことを思い合わせれば、『民主主義』や『自主独立』といったものの尊さ、ちゃんと機能する『政治』の大切さをひしひしと感じる。そうしたことについて無頓着でいられる境遇とは、実に幸せなことなのである。たとえば今の日本のような政治への関心の低さは、裏を返せばそれほど深刻な問題が生じていないということでもあり、それ自体は決して悪いことではない。
ただしこうしたトラブルを抱える地域への関心は常に持ち続けたい。歴史的な境界あるいは為政者の都合による『国』という区分で細分化されている世界だが、どこに行っても人々の暮らす社会があり世間がある。国境のこちらと向こうでいろいろ事情が違ったりもするが、つまるところ同じ人間が暮らすひと続きの『世の中』なのである。でも距離が遠くなるにしたがい、なかなか見えてこなくなるし、縁が薄い地域の話はあまり聞こえてこないこともある。
ゆえに周囲の無関心の中、非道が大手を振ってまかりとおっていたりするのはとても残念なことだ。状況や内容はまったく異なるが、それはアフガーニスターンしかり、チベットしかりである。
Taliban holds Pakistan’s ambassador (Al-Arabiya News Channel)