ただの虫なのか?

大ボスはいかにしてその座を追われるのだろうか。政界の大物が汚職疑惑の渦の中で四苦八苦するといったことの裏には、単にそういう事実があったようだということはもちろんのことだが、それが明るみに出ることを許してしまう脇の甘さには、そのリーダーが率いる組織ないしは勢力内における自身の求心力の低下という部分は往々にしてあるのだろう。ちょうど猿山のボスが盛りを過ぎると、台頭してきた若手にその座を追われてしまうように。
立場が上がるほど、手にする権力が大きくなるほどに、仲間や協力者たちの中にも潜在的な『敵』の数が増えてくる。それはライバルたちであり、その支持者たちでもある。国政をあずかる指導者たるもの、また身内におけるさまざまな軋轢や意見をまとめあげるとともに、党内外のさまざまな意見を調整していかなくてはならない。誠実すぎる人はその責に押しつぶされてしまうだろうし、生真面目な人は周囲への気遣いへの苦労の末にぶっ倒れてしまうだろう。ボスたるもの、どっしりと構えて清濁併せ呑む器と熟練した人身掌握術が必要となる。
洋の東西を問わず、とかく人々の上に立つ人物には、他者と違う厚みや奥行きを感じさせる人が多い。それはその人生来のものなのか、そういう特性を身に着けたからその地位に上り詰めることができたのか、はてまたその地位にあることがそういう雰囲気を生み出しているのだろうか。ボスといっても、考えが様々でカラーも違う寄り合い所帯の中で、主要な派閥の妥協のうえで、なんとか合意できる最大公約数的な人物がポンと出てきて、お飾り的な指導的地位に就くことがある。だが往々にしてこうした『親分』は短命に終わる。もともとそういう器でないからだ。
ボスの真価は、危機管理能力にあるともいえるかもしれない。この場合、テロや災害に対するものではなく、自身のサバイバル能力のことだ。もちろんその『危機管理』とは、たいてい人々のためになることはない。インドでこうした能力が高い政治家といえば、中央・地方ともにいろいろ目に付くところだが、国外に目を向けてみるとその極端な例は北朝鮮かもしれない。
最悪、失脚したり逃亡したりしなくてはならないところまでいったとしても、カムバックするためのカードをいくつも持っているのが筋金入りのボスである。昨年後半に相次いで帰国を果たして再び国政に打って出たベーナズィール・ブットーも、ナワーズ・シャリーフも、しばらく本国に身を置いていなかったにもかかわらず、それぞれが率いる政党が勝利を分け合うこととなった。やはりふたりともそういう器だったのだろう。前者は選挙活動の最中にこの世を去り、実務を夫が引き継ぐことにはなってしまったが。
亜大陸の反対側に目を移してみよう。政治の混乱のため総選挙が延期されたままになっているバングラーデーシュ。元首相シェイク・ハスィーナー、同じく元首相を務めたカレダー・ズィヤーともに重大な汚職疑惑を抱えているところだ。このほど報じられたニュースによれば、前者については嫌疑にかかわる重大な書類が『虫に喰われて』しまっているのだという。その被害の程度がどうなのか、立件自体に支障をきたすほどなのかについては書かれていないが、そもそもこういう大切な書類が虫にやられてしまうほど本当に管理が甘かったのだろうか。『虫』の背後には、怪奇な権謀術策がめぐらされているのでは?と疑いたくなる。
一見、ちょっと間抜けに見えるこのニュースだが、実はこのボスが自身の華麗な復活劇を演じるために踏み出した最初の一歩という可能性も否定できないだろう。背後で何が蠢いているのはまだよく見えてこないが、ちょっと気に留めておくべきニュースなのかもしれない。本当に『何かある』のかもしれない。ボスたるもの、世渡り術が世間並みであるはずがない。
Bugs eat Bangladesh court papers (BBC NEWS South Asia)

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