ひと続きの世の中

2月にアフガーニスターン・パーキスターン両国国境地帯で失踪した駐カーブルのパーキスターン大使ターリク・アズィーズッディーン氏が、ターレーバーンの人質となっていることが明らかになっている。これまでもNGO、国連、報道その他の関係者が連れ去られ、現政権との交渉のカードとして利用されてきた。ターリク氏はターレーバーンたちが仲間の釈放を求める交渉の材料として誘拐監禁されている。
パーキスターンの支持あってこそ、かつては国土の大半を手中にしたターレーバーンであったが、2001年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロ以降、地域の風向きが大きく変わると自分たちを捨てて去っていったかつての親分に刃を突きつけた形になる。この事件は、現在のアフガーニスターン政府にとっても、かつて傀儡ターレーバーンを育んだパーキスターンにとってもまた大きな難題だ。
支配者側への揺さぶりとして、本来の対立する相手ではない第三者を誘拐して、自らに有理な状態を引き出そうという手法、そうした勢力からの報酬目当ての『誘拐産業』にもスポットが当たるようになっている昨今だが、どうも世間で起きているこうしたニュースを目にすると気が滅入る。モラル云々以前の問題ではあるが、いやしくも一度は政府を構えた勢力が行なうべきことではありえない。現政権と対峙するにあたり短期的には何がしかのメリットがあるとしても、これまで以上に対外的な信用を失うとともに、国内的にも人心掌握どころではないだろう。
ただし現在のアフガニスタン政府にしてみても、アメリカによるターレーバーン攻撃という好機に乗じて政権を簒奪した複数の派閥が、西側の支援を得る反ターレーバーン勢力という共通項のみからなる足元の危うい合従連衡のもとで、利益の奪い合いを展開している中、そうそうまっとうなものは見当たらない。勝てば官軍、武力による統治という現状こそがアフガーニスターンの最大の不幸だ。インドと同様に『多様性』に満ちたモザイク国家アフガーニスターンだが、長い内戦を経て、すっかり壊れて散り散りになってしまったカケラを集めて、ふたたびひとつの国にまとめあげるには、どのくらいの時間と犠牲を払わなくてはならないのだろうか。
歴史的につながりが深い近隣国インドのことを思い合わせれば、『民主主義』や『自主独立』といったものの尊さ、ちゃんと機能する『政治』の大切さをひしひしと感じる。そうしたことについて無頓着でいられる境遇とは、実に幸せなことなのである。たとえば今の日本のような政治への関心の低さは、裏を返せばそれほど深刻な問題が生じていないということでもあり、それ自体は決して悪いことではない。
ただしこうしたトラブルを抱える地域への関心は常に持ち続けたい。歴史的な境界あるいは為政者の都合による『国』という区分で細分化されている世界だが、どこに行っても人々の暮らす社会があり世間がある。国境のこちらと向こうでいろいろ事情が違ったりもするが、つまるところ同じ人間が暮らすひと続きの『世の中』なのである。でも距離が遠くなるにしたがい、なかなか見えてこなくなるし、縁が薄い地域の話はあまり聞こえてこないこともある。
ゆえに周囲の無関心の中、非道が大手を振ってまかりとおっていたりするのはとても残念なことだ。状況や内容はまったく異なるが、それはアフガーニスターンしかり、チベットしかりである。
Taliban holds Pakistan’s ambassador (Al-Arabiya News Channel)

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