ラシュカレ・タイバが『グローバル化』したらどうなるのか?

ときどき、アメリカのニュース雑誌NEWS WEEKを手にしてみると、しばしば違和感を覚えずにはいられない。ちょうど中国共産党中央委員会の機関紙人民日報の人民日報の紙面面と共通するものがあるような気がする。
自由と民主主義を標榜する国から発せられる世界中に流通する民間の週刊誌と、政府による厳しい情報管理がまかり通る国の独裁政党の機関紙が似ていると言うのは奇妙ではあるが、自らが是とするイデオロギーに対する異論を許さないという姿勢ゆえのことかもしれない。
そのニューズウィークの報道ではあるが、こんな記事を見かけた。すでにひと月以上前のものではあるが。
The Next Al Qaeda? (NEWS WEEK)
90年代あたりまではカシミールを主な活動の場として暗躍してきたラシュカレ・タイバ(LeT)だが、今世紀に入ってからは2001年のデリーの国会議事堂襲撃、2005年のデリーでの連続爆破事件、2006年のムンバイーでの列車爆破事件に関わるなど、破壊活動の場を拡大してきていた。
その中で特筆されるのは言うまでもなく、2008年11月に起きたムンバイーでの大規模なテロ事件であるが、2月にマハーラーシュトラ州のプネーで起きた爆破テロについてもラシュカレ・タイバを名乗った犯行声明が出ている。
ラシュカレ・タイバとの繋がりでクローズアップされた外国人たち、ともにパーキスターン系で米国籍のディヴィッド・ヘドレー、カナダ籍のタハッウル・フサイン・ラーナーの存在、これまで明らかになっている彼らの足取りや行動の関係等から、このグループについて、それまで認識されていた以上の国際性が取り沙汰されるようになってきている。
またインドでのラシュカレ・タイバのテロ活動について、2008年11月26日にムンバイーで起きた大規模な攻撃以降、インド以外の第三国の人々をも標的にするようになっている点、彼らにとって米国大使館も標的として浮上してきているということ、他のテログループとの提携なども含めて、他メディアでもしばしば取り上げられていることでもある。つまり彼らの活動が近年とみに広域化・グローバル化しつつあることが懸念されている。
さらに悪いことに、彼らはパーキスターンでは決して闇の組織というわけではない。長年同国政府、とりわけISIと持ちつ持たれつの繋がりがあったし、地域医療活動などの福祉関係で、それなりに民衆の支持を集めていることもあり、社会的に孤立した組織ではないことには留意が必要だ。
ラシュカレ・タイバの活動やネットワークの広域化、国際化は憂慮されるところではある。隣国からのテロに苦りきっているインドにとっては、アメリカの大メディアがこうしたテロ組織の脅威を、彼ら自身のセキュリティに関わる問題として扱うことは、好意的に評価できるものだろう。
しかしながら『民主主義』といっても、その国ごとのカラーや社会的な事情から、それぞれずいぶん異なった様相を呈しているこの世の中。そうしたひとつひとつの国々に主権があり、様々な民意あるいは強権により運営されている。
武力以外の外交手段を駆使して、ある国を変えようとしても、なかなかうまくいくものではないことはミャンマーの例を見ても明らかだ。あるいは戦争という強硬な手段により政権を崩壊させた後に、新しい国の枠組みを再建へと誘導すれば、民主的かつ公明正大な国が出来上がるというわけではないことは、イラクの有り様を見てもよくわかる。
現在、パーキスターンで、ラシュカレ・タイバが活動できる土壌を変えることができるのか、といえば、当のパーキスターン自身にも、他のどの国にもできないだろう。
上記リンクの記事を読んで非常に気になったのは、近い将来、本当にラシュカレ・タイバがテロリストの『グローバル・プレーヤー』として台頭したら、あるいは在外アメリカ公館、ひょっとしたらアメリカ本土でテロ事件を起こしたら、パーキスターンはどのような代償を払わなくてはならないのか、アメリカはどういうアクションを起こすことになるのか、ということである。
あまりに恐ろしいシナリオが待ち構えているに違いない。

女性留保枠 = 政治エリート一門とセレブの指定席?

青森県八戸市議会の藤川ゆり議員は『美人過ぎる議員』として評判だが、インドで目を引く美人議員は誰?と問われれば、連邦下院議会のBJPのスムリティ・イラーニーや社会党のジャヤー・プラダーといった芸能界から進出した人たちを除けば、2009年にバティンダー選挙区から出馬して同じく連邦下院議員として当選したハルスィムラト・カウル・バーダル氏だろう。
Harsimrat Kaur Badal
以下、2009年の選挙に立候補した際、ハルスィムラト氏がスター・ニュースのインタビューに応じたときの様子だ。雑談程度で中身のあるものではないのだが。
Prakash Singh Badal’s daughter in law, Akali Dal’s candidate from Bhatinda, talks to Star News (Youtube)
彼女はシロマニー・アカリ・ダルの党首で、パンジャーブ州副首相のスクビール・スィン・バーダルの妻。義父は同党の前党首で現在パンジャーブ州首相を務めるプラカーシュ・スィン・バーダルだ。現在43歳の彼女自身は、名門の名でとりあえず議席を確保するために担ぎ出されたまったくの素人である。
ところでインドでの議会といえば、連邦議会ならびに州議会において議員数の三分の一を女性に対して留保しようという憲法改定案が話題になっている。かなり紛糾しつつも、3月9日に連邦議会上院を通過し、今後同下院、続いて各州議会へと送られて審議されていくことになる。
この法案について喧々諤々の議論がなされていることについては、女性の社会参画拡大と地位向上という美しい建前とは裏腹に、現在までのところ議員数の9割前後を男性が占めている現状(ちなみに連邦下院では、目下女性議員数は11%)自体が障害である。
また、定数の決まった枠組みの中で有能な人物であっても男性であるがゆえに女性への留保がネックとなり政界での機会を失いかねないこと、果たして留保という形で女性の割合を大幅に増やすことがもたらす効用というものがあるのか、という疑問もある。
特に後者については、女性議員数が従前の3倍ほどに膨れ上がることから、果たしてどういう人物がその部分を占めることになるのだろうか。少なくとも、この制度が導入された直後の選挙では、経験と実績のある女性人材が乏しい中で、各政党は有力政治家の身内や芸能関係のセレブといった社会的に知名度の高い女性候補を乱立させての議席の奪い合いが展開されるはずだ。
その結果、ハルスィムラト・カウル・バーダル氏と似たような立場の人たちが、まさに『時代の申し子』として、続々と政界入りすることとなり、当面は既存の政治エリートたちの一門の足元を固めることにしかならなかったり、あるいは盛りを過ぎたセレブ女性たちの政界進出への垣根を低くすることにしかならないような気がする。
見方を変えれば、特に地位向上を必要としない、従前から『財と力のある』女性たちがこぞって政界に出てくることでもあろう。それはそれで政界に変化を生むはずだが。ひとくちに女性といっても、本来ならば社会のどの部分を構成する層に焦点を当てるかという具体性が必要になってくるはずだ。
この法案について、Nadwat-ul-Ulemaの指導者が、反イスラーム的であると批判するいっぽう、All India Association of Imamsのように、これを女性の地位向上の好機と捉えるイスラーム団体もある。
また、Jamaat-e-Islami Hindが、女性留保枠そのものには好意的ながらも、相対的に不利な状況に置かれているムスリムに対する措置がないことについて批判しているのも無理からぬところだ。
指定カースト(SCs)、指定部族(STs)に対する留保と同様に、同じく社会底辺の広範な部分を構成する自分たちのコミュニティへ同様の措置を長らく求めてきたムスリムの視点からすると、その要求を飛び越えて女性枠が導入される雲行きであることについては、不満が残ることは心情的に理解できる。
ところで、この『女性枠』というアイデアについては、唐突に出てきたものでは決してなく、かなり前からそういう議論はあった。もっとローカルな自治制度パンチャーヤトでは1993年以降、三分の一の女性留保枠が導入されており、こちらはその留保枠を50%に引き上げようという方向にある。
今回の女性枠に関する一連の動きには非常に興味深いものがあり、今後ともその成り行きを見守っていきたい。

大いなる落日

Jyoti Basu
一昨日、アジアを代表する歴史的な共産主義者、インド共産党マルクス主義派の伝説的指導者ジョーティ・バスが95年の生涯を閉じた。
1914年7月に医者の家に生まれる。ソビエトのタシケントでインド共産党が結成される6年前のことである。ベンガルの中流家庭の子弟として育った後、イギリスに渡って法学の勉強を志した彼は、当時新しいイデオロギーであった共産主義の思想に出会う。
1940年に弁護士の資格を得るとともに帰国。以降、彼がインド共産党の活動家としてのキャリアを歩み始めた時代は、植民地期末にインドにおける共産党が非合法化されていた時代と重なる。共産党が禁を解かれてからも数々の弾圧に耐えつつ同志たちとインドにおける階級闘争ならびにイギリスの植民地支配に対する闘いを続けた。
本来、共産党の支持基盤となりえる労働者層の人口が膨大なインドにおいて、一時は国民会議派に次ぐ大きな勢力を持つにいたったこともある共産党である。しかし左派勢力並びに党内における対立や抗争を経てきたインドの共産主義活動は、1964年に大きな転機を迎えることとなる。インド共産党 (CPI)と袂を分かち、インド共産党マルクス主義派 (CPI-M)が旗揚げすることとなった。
その1964年といえば、ジョーティ・バスがインド共産党マルクス主義派の政治局員となった年でもある。一月17日に彼が亡くなった彼は、この政治局創設時の最後の存命者であった。
1967年の州議会選挙で躍進したインド共産党マルクス主義派は、連立政権の一角として浮上、ジョーティ・バスは州副首相となるが、わずか8カ月で政権は瓦解。続く1969年には、連立政権の第一党となり、1971年まで再び同じく州副首相の地位を占めることとなった。
その後、1977年の州議会選挙において、インド共産党マルクス主義派が初めて議席の過半数を得ることにより共産党政権が打ち立てられる。1957年に普通選挙による世界初の共産党政権を樹立させたケーララ州とともに、民主的な手法により選出された世界でも稀な共産党政権であるとともに、世界で最も長く選挙を通じて改選され続けている共産党政権でもある。
ジョーティ・バスは、1977年から2000年まで、23年間の長きに渡って西ベンガル州首相を務めた後に次代のリーダーたちに禅譲している。あまりに長く最高指導者の立場にあった彼の功罪や西ベンガル州で記録的な長期政権を運営してきた共産党マルクス主義派についてはいろいろ議論のあるところではあり、近年は西ベンガル州におけるインド共産党マルクス主義派の威光にも陰りが見えてきている。
それでも民主主義というシステムの中で、つまり民衆の総意の中での共産主義という思想を定着させてきたことは肯定的に評価されるべきであるし、大衆の総意を結集して世の中を変えていくことにより、政治に対する人々の参加意識を高めてきた大きな功績があったことは間違いないだろう。
ジョーティ・バスの逝去は、インドの大地に沈む真っ赤な夕陽のようでもある。
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jyotibasu.net
※ダーラーヴィー?は後日掲載します。

海抜最も高いところで開かれた閣議

12月4日に、ネパールの閣議がエヴェレストのベースキャンプ近くのカーラーパッタルで開かれた。海抜5,242mとのことで、これまでネパールはもとより世界中の国々を見渡しても、こんな高地で開かれた閣議はひとつもない。

閣議は午前11時に開始され10分後に終了。この目的は、地球温暖化によるヒマラヤ地方への深刻やインパクトを世界に知らしめるためのもので、12月7日に始まるCOP15(気候変動枠組条約第15回締約国会議)への強いアピールである。
Nepali cabinet meets at Everest base camp (Hindustan Times)
閣議の『会場』となった場所は具体的にどこか?ということについては、以下の地図をご参照願いたい。記号『A』で示されているのがカーラーパッタルである。

大きな地図で見る
10月17日にモルディヴの海中で開かれた閣議と好対照を成しているといえる。

ヒマラヤの高地とモルディヴの海中、場所は違うがどちらも地球温暖化に対するアピールだ。後者は将来国土の大半が失われるという国家の存亡がかかっており、前者にとっても氷河の後退その他の温暖化による影響からくる現象が示すものは、単に景観の変化ではない。ともに切実な訴えである。
氷河湖の決壊による惨事の可能性はよく言われているが、国際的な河川、複数の大河の源であるこの地の異変は、この国の自然や生態系のありかたを大きく変える危険があるだけではなく、インド亜大陸全域におよぶ環境問題でもある。
どちらの国にしてみても、普段閣議が行なわれている場所ではなく、わざわざ手間隙かけてこういうところで『閣議』を開くというのは、パフォーマンスではあるが、こういうパフォーマンスならばいくらでも実行して欲しいものだ。
なかなか外に広く呼びかけようとしても声が届きにくい小国の主張、問題提起がヴィジュアルな画像や映像となって、世界中の人々の元に届く。
まずはより多くの人々がそれを知り、問題意識を共有することが大切なはじめの一歩だ。メディアを通じて彼らの積極的な呼びかけを耳にしたり目にしたりした私たちも、地球温暖化に対して、何かできることから取り組んでみよう。

ラージダーニー急行 マオイストが占拠

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今月21日にマトゥラーで起きた列車同士の衝突事故、同じく23日にはムンバイー郊外のターネーで、走行中の列車に送水管が落下したことによる事故と、鉄道関係の惨事がニュース映像となって流れたばかりである。
今日は、夕方テレビのニュースを眺めていると、『Breaking News』のテロップとともに、今度はマオイストと見られる一団により、ブバーネシュワル発デリー行きのラージダーニー急行が長時間停められているという速報が流れてきた。
場所は西ベンガル州のミドナプル地区。ジャールカンド州境に近いところである。複数の男たち、一説には100名ほどの群集が、赤い旗を手にして列車を停止させ、乗客の人々を人質にしているとの報せに仰天した。
その時点では、彼らが本当にマオイストであるかどうかの確認は取れていないようで、この地域のマオイストのリーダーは関与を否定しているという説も流れていた。それでも犯行グループは、現在収監されているマオイスト指導者、チャトラダール・マハトーの釈放を要求しているとのことで、やはりマオイストのある派閥に属する者たちによる実力行使であると見られるとのことだ。
これを書いている今時点で、事件発生から5時間経過した。すでに車両は警察当局のコントロール下に置かれている。犯人グループたちにより、携帯電話を取り上げられた者は複数あったようだが、幸いにして負傷者等は発生していない模様。テレビカメラに映し出されたラージダーニー急行の車体には、前述のチャトラダール・マハトーの解放を要求するメッセージが赤い文字で大書きされている。
Maoists stop Bhubaneswar Rajdhani Exp, driver missing (ZEE NEWS)
Rajdhani blockade over, ‘pro-Naxal’ group takes claim (India Today)
マオイスト、あるいはインドの武闘派極左勢力発祥の地である西ベンガル北部のナクサルバリにちなんで、ナクサルあるいはナクサライトと呼ばれる赤い地下組織は、西ベンガル以外でも、チャッティースガル、オリッサ、ジャールカンド、ビハール、アーンドラ・プラデーシュ、マハーラーシュトラなどで盛んに活動しており、事実上の『解放区』となっている地域さえある。
部族や寒村の貧困層といった、開発や近年の経済成長の恩恵とは縁遠い人々を主な基盤としており、そうした地域のアクセスの悪さや行政組織の不備等が、彼らの活動を利している部分もある。
そうした発展から取り残された地域の警察組織の脆弱さ、個々の警察官たちが治安要員としての資質や経験に乏しく、実戦の中で切磋琢磨してきたマオイストの戦闘員たちとまともに対峙することができないという行政側の当事者能力の欠如も指摘されているところだ。
近年、とみにマオイストたちの活動の拡大が顕著であることから、国内の治安に対する大きな脅威であるとして、中央政府が対決姿勢を鮮明にしているところだ。しかし中央の政治家たちがいくら声を荒げてみたところで、都市部を離れて人口が希薄、ひいては警備もほとんど存在しない公道や鉄路の上で散発する事件に対して、当局はあまりに無力であるように見える。
マオイスト、ナクサルと一口でいっても、その中には様々な志向の集団が内在していることだろうが、ネパールで内戦を続けた末に、合法的な政党と化し、一度は政権を担うまで至り、今も同国政治の行方を担う一大勢力である『マオイスト』が、彼ら自身の頭の片隅にはあるだろう。
果たして中央ならびに各州の政府が、地域社会と力を合わせてこうした暴力組織を駆逐する方向に進むことができるのか、あるいは今後ますます犠牲者を出すとともに自らの勢力を拡大していくのか、気がかりなところである。