大いなる落日

Jyoti Basu
一昨日、アジアを代表する歴史的な共産主義者、インド共産党マルクス主義派の伝説的指導者ジョーティ・バスが95年の生涯を閉じた。
1914年7月に医者の家に生まれる。ソビエトのタシケントでインド共産党が結成される6年前のことである。ベンガルの中流家庭の子弟として育った後、イギリスに渡って法学の勉強を志した彼は、当時新しいイデオロギーであった共産主義の思想に出会う。
1940年に弁護士の資格を得るとともに帰国。以降、彼がインド共産党の活動家としてのキャリアを歩み始めた時代は、植民地期末にインドにおける共産党が非合法化されていた時代と重なる。共産党が禁を解かれてからも数々の弾圧に耐えつつ同志たちとインドにおける階級闘争ならびにイギリスの植民地支配に対する闘いを続けた。
本来、共産党の支持基盤となりえる労働者層の人口が膨大なインドにおいて、一時は国民会議派に次ぐ大きな勢力を持つにいたったこともある共産党である。しかし左派勢力並びに党内における対立や抗争を経てきたインドの共産主義活動は、1964年に大きな転機を迎えることとなる。インド共産党 (CPI)と袂を分かち、インド共産党マルクス主義派 (CPI-M)が旗揚げすることとなった。
その1964年といえば、ジョーティ・バスがインド共産党マルクス主義派の政治局員となった年でもある。一月17日に彼が亡くなった彼は、この政治局創設時の最後の存命者であった。
1967年の州議会選挙で躍進したインド共産党マルクス主義派は、連立政権の一角として浮上、ジョーティ・バスは州副首相となるが、わずか8カ月で政権は瓦解。続く1969年には、連立政権の第一党となり、1971年まで再び同じく州副首相の地位を占めることとなった。
その後、1977年の州議会選挙において、インド共産党マルクス主義派が初めて議席の過半数を得ることにより共産党政権が打ち立てられる。1957年に普通選挙による世界初の共産党政権を樹立させたケーララ州とともに、民主的な手法により選出された世界でも稀な共産党政権であるとともに、世界で最も長く選挙を通じて改選され続けている共産党政権でもある。
ジョーティ・バスは、1977年から2000年まで、23年間の長きに渡って西ベンガル州首相を務めた後に次代のリーダーたちに禅譲している。あまりに長く最高指導者の立場にあった彼の功罪や西ベンガル州で記録的な長期政権を運営してきた共産党マルクス主義派についてはいろいろ議論のあるところではあり、近年は西ベンガル州におけるインド共産党マルクス主義派の威光にも陰りが見えてきている。
それでも民主主義というシステムの中で、つまり民衆の総意の中での共産主義という思想を定着させてきたことは肯定的に評価されるべきであるし、大衆の総意を結集して世の中を変えていくことにより、政治に対する人々の参加意識を高めてきた大きな功績があったことは間違いないだろう。
ジョーティ・バスの逝去は、インドの大地に沈む真っ赤な夕陽のようでもある。
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jyotibasu.net
※ダーラーヴィー?は後日掲載します。

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