ブンガワン・ソロは永遠に

インド関係ではなく、突如『インドネシア』ネタで恐縮である。
16世紀に交易のため渡ってきたポルトガル人たちとの交流にオリジンを持つといわれるインドネシアの大衆音楽クロンチョン。西洋起源の弦楽器(ギター、チェロ、ヴァイオリン等)と管楽器(フルート、クラリネット等)を使うが、言葉がインドネシア語であるのはもちろん、インドネシア的な旋律で演奏するクレオールな音楽だ。
そのクロンチョンの古典的な名曲で、同国の国民歌とも言うべき『ブンガワン・ソロ』の作者グサン・マルトハルトノが今月20日に亡くなった。享年92歳。
1940年に作られたこの曲は、当時ラジオが普及し始めたインドネシアで大ヒットした。旧日本軍の慰問関係で同国内各地で演奏していたため、第二次大戦で同国へ出征した日本軍兵士に間でも広く知られ、人気のある曲であったようだが、この国を植民地としたオランダ人在住者たちもそのメロディーに惚れ込んだという。
やがてその人気は国境を越えて日本にも及ぶ。1948年には松田トシが和訳歌詞でレコードを出している。もっとも当時はインターネットのような情報共有手段もなく作者が誰なのかは知られておらず、グサン・マルトハルトノが作った曲であることが『発見』されたのはかなり後になってのことである。

現在のインドネシアでも、クロンチョン音楽界を代表する女性歌手スンダリー・スコチョはもちろんのこと、今でも様々な歌手がカヴァーしている名曲だ。今後も長く歌い継がれていくことだろう。

ブンガワン・ソロの作者が死去 グサン・マルトハルトノ氏 (47 NEWS)
※『彼方のインド3』は後日掲載します。

KKHの湖

中国の援助により1966年に着工し、20年後の1986年に全線開通したパーキスターン北部から中国新疆ウイグル自治区へと抜ける国道35号線、通称カラコルム・ハイウェイ(KKH)は、厳しい地理条件のところを通っているため、しばしば崖崩れや落石で不通となるが、今回はこれまでになく深刻である。中パの間の陸路交通手段の途絶以上に現地の多くの方々の人命や財産にかかわる大きなトラブルが発生しているからだ。
フンザ地区で今年1月に発生した大規模な崖崩れが発生。その際にふたつの村とそこに暮らしていた人々が犠牲となっているが、岩石や土砂がダムを形成し、川が堰き止められたことにより湖が出来上がってしまい、周辺地域の他の村落等が水没するなどの影響を及ぼしている。カラコルム・ハイウェイもこの部分で交通が途絶している。
Update: Pakistan’s Karakoram Highway Blocked by Major Landslide (Matador Trips)
現在、湖はコンスタントに成長しているおり、近々決壊することが予想されるなど、非常に危険な状態にあるそうだ。そういう事態となれば、大量の水が土砂とともに鉄砲水のように下流地域の村々を襲うことになるからだ。
パーキスターンで観光ガイドをされている方のブログ『フェイサル・シャーのパキスタン便り』でもその模様を取り上げており、「5月から雪解け水が増えるから6月から8月までフンザ河の流れがとても激しくなり・・・」とあるように、ますます拡大する湖を前に緊迫した状況がうかがえる。
今後の進展が気になるところである。
The water bomb (DAWN.COM)

マンガロールで航空機事故

AAJ TAKニュース画像
エアインディア・エクスプレスはマンガロール・ドゥバイ間を毎日2往復しているが、本日ドゥバイを午前1時15分に出発して折り返すIX812便が午前6時頃マンガロール空港到着時の着陸失敗により、乗員6名および乗客160名合わせて166人のうち158名が死亡、8名が負傷という痛ましい惨事となった。
すでにエアインディア・エクスプレスから160名の搭乗者リストが公開されている。ほとんどはUAEないしは他の周辺産油国から戻るインドの人々であったと思われる。
IX812が滑走路にタッチダウンした時点で、通常の着陸ポイントを200 m越えており、速度もかなり超過していた。このままではオーバーランするとみた機長は、再度離陸を試みたものの間に合わず、離滑走路端にある90 mのマージンを越えた先にある塀ないしは樹木に接触するとともに、機体は斜面に落下した。
着陸時に速度超過、ブレーキ等が充分動作しなかった理由その他、事故原因の詳細は今後ブラックボックス(この記事を書いている時点ではまだ発見・回収されていない)の解析や現場検証などにより分析を待たなくてはならない。
事故機を操縦していた機長は、これまでに1万時間の操縦経験を持つ、近年ジェットエアウェイズから移籍した英国籍のセルビア人パイロットである。ドゥバイを午後1時に出て、マンガロールに午後6時15分に到着するIX384とともに、使用する機材はボーイング737-800。以下、事故を起こしたものと同型機の画像である。
エアインディア・エクスプレスのボーイング737-800機
マンガロール市の北東方面に位置する空港の俯瞰図は以下のとおり。

大きな地図で見る
同空港は2本の滑走路を持ち、上に示した衛星写真でグレーがかって見える部分はアスファルトで出来た旧来からの第一滑走路、白っぽく見えるものは2006年から使用開始されているコンクリート舗装の第二滑走路だ。今回事故機が着陸したのは後者の滑走路である。
航空写真ではよくわからないが、空港のロケーションが台地にあり、滑走路の両端のすぐ外がスロープになっている。第一滑走路は長さ1600 mあまりしかなく、加えて高度差が7 mの『斜面状態』てあることから危険な空港として知られていたが、第二滑走路が完成することにより改善され、従来よりも大きな航空機の着陸が可能となっている。
それでも全長2450 m であり、ほぼ同規模と思われるカリカット空港の滑走路が2900 m 近くあることに比較してかなり見劣りし、悪天候というコンディションが加われば、かなり難易度の高い空港であるとされる。
つい先日、新しいターミナルビルの運用が開始されるにあたっての式典で、航空大臣が滑走路を延伸させる計画を発表したのは、航空当局はそのリスクを認識していたからだろう。
エアインディア・エクスプレス以外には、エアインディア、ジェットエアウェイズ、キングフィッシャーといった航空会社が就航している。国際線ルートを持つのはエアインディア・エクスプレスのみ。
先の述べたとおり、事故原因等については今後当局による分析を待たなくてはならない。しかし近年のインドの主要空港、とりわけローコストなキャリアが急伸して以降、許容量を越える乗客数を捌いている。高まる需要を背景に便数が伸びるが、空港を含めた航空施設という肝心のインフラ部分の整備は常に後手に回っているのが現状だ。
管制その他運行そのものにかかわる部分、航行の安全にかかわる部分についても、かなり厳しいものがあるであろうことは想像に難くない。
マンガロール空港はさほどスケジュールの過密な空港ではないのだが、カリカット、コーチン、トリバンドラムといった南インドのアラビア沿岸の空港は、国内線はもとより産油国方面へのフライト(多くの日本人にはあまり縁がないが)の需要が高い。
このたび事故で亡くなった方々のご冥福をお祈りいたしたい。
Mangalore: Air India aircraft overshoots runway, 159 dead (The Times of India)
※『彼方のインド3』は後日掲載します。

在印アメリカ大使館ウェブサイトにて

在印アメリカ大使館は、今月21日からデリーでのテロ発生の可能性を根拠とする注意喚起を出している。
US warning over India ‘attacks’ (BBC NEWS South Asia)
インド滞在中ないしはこれからインドに向かおうとしている米国市民に対し、こうしたメッセージが発せられることは時々あり、特に珍しいことではないが、おそらく何がしかの根拠があってのことだろう。
これを受けて、日本の外務省は海外安全ホームページ内で4月23日付け『最新スポット情報』にて『在インド米国大使館は、首都ニューデリーでテロリストが攻撃を計画している兆候』なる記事をアップロードしており、同国とは情報収集能力において比較にならない開きがあることが見て取れる。
ところでアメリカ大使館ウェブサイトのArchived Warden Messagesには、セキュリティ等に関して同大使館が発した過去のメッセージを一覧できるようになっているが、インドのヴィザに関して導入された2ヵ月ルールに関して、12月9日、15日、21日、23日と4回に渡って情報を提供している部分が目を引いた。
テロ事件等は、局地的かつ一過性のものである (運悪く遭遇してしまった場合の危険はともかく)のに対して、広く周知されることなく変更されたヴィザのルールについては、まだそれが広く知れ渡っていない時期に出入国を予定している人たちに、等しく影響を及ぼすものとなる。
ゆえにこうした情報を大使館が自国市民のために提供するということは歓迎すべきことであるが、私たちを含めてその他の国籍を持つ人々もすぐに参照できるウェブ上に掲載されているのはありがたい。言うまでもなく英語で書かれているがゆえに、国や地域を問わず世界中の人々が参照することができる。
ともあれ、今後特に何も起きないことを願うが、今年10月3日から14日にかけてデリーで開催されるコモンウェルス・ゲームの時期はどうなのだろうか?とも思う。
スポーツの試合が開催される施設、選手村、一定水準以上の宿泊施設等をはじめとして高度なセキュリティ対策が敷かれることとは思う。しかし人口1400万人にも及ぶ大都会であり、都市はいつでも誰でも出入り自由な空間であり、治安当局が躍起になってもなかなか目の行き届かないスポット等は少なくない。
何か起きれば、最終的に責任があるのは行政や治安を司る政府ということになるが、そこで業務に従事する人々だけで安全を守ることができるのか、といえばそうではないだろう。
日本ではコモンウェルス大会なるものに馴染みがほとんどないが、英連邦という枠内に限られた国々のみ・・・といっても71もの国々が参加する大掛かりなものだ。これまでインドが開催した中で最大のスポーツの大会でもある。
各種競技に参加する選手たち自身にとっても、これを観戦する市民たちにとっても、『デリーにやってきて良かった!』『デリーで開催して良かった!』と、誰もが感動と喜びを分かち合うことのできる平和なスポーツの祭典となるよう祈りたい。

最高峰への挑戦

世界最高峰エヴェレストの標高といえば、8,848mであると思っていたが、長きに渡りネパールと中国の間で論争が続いていたようだ。『頂上』についての定義の違いによるものであり、前者は文字通り一番高くなっている部分、雪や氷に包まれた頂がそれであり、後者によれば氷雪の下にある岩石部分こそがエヴェレストの頂であるというもの。
8848mとは、前者の主張に沿うものであり、中国側の言い分ではそれよりも4mほど低くなるらしい。だがこのほど中国はネパールによる『8848m説』を受け入れたことにより、この論争に終止符を打ったのだという。
Official height for Everest set (BBC NEWS South Asia)
だが上記BBCの記事の最後にあるように、US National Geographic Societyの計測によれば、8,850mであるとのことで、まだ『標高8,848m』異論を唱える人たちはいるようだ。
ところで、エヴェレストといえば、言うまでもなく世界最高峰であるがゆえに、ベースキャンプからの最短時間登頂、最多登頂回数、最高齢登頂等々、数々の記録が話題になる山である。
偉大な記録の樹立は、人々の大きな喝采と祝福とともにメディアを飾ることになるが、まさに記録とは破られるためにあるという言葉のとおり、更に上を行く人物が出てきて世間を驚かせてくれるものだ。
こうしている今、新たな記録樹立を狙いネパール入りしているアメリカ人の少年がいる。彼、ジョーダン・ロメロが目指しているのは最年少登頂記録だ。1996年7月12日生まれの13歳である。
American boy, 13, to attempt Mount Everest climb (ABC News)
もちろん彼は素人などではなく、近年タンザニアのキリマンジャロ、アルゼンチンのアコンカグア、アラスカのマッキンレーその他の高峰を制してきたキャリアを持つ、極めて早熟なクライマーである。

これまで最年少記録といえば、2001年5月に16歳17日で頂上を極めたネパールのシェルパ族のテンバ・ツェリ。それを大幅に下回る年齢での登頂が成功したとしても、後にその記録を塗り替える例はなかなか出てきそうにない。
登山家としてはあまりに低年齢すぎる子供にこうしたチャレンジをさせることについて、医学面ではもちろんのこと、倫理的に問題であると捉える意見も多い。
私自身、ジョーダンよりもいくばくか年下の息子を持つ親としては、登頂の成否云々よりも、彼が無事に帰還することを切に願いたい。
同時期に、インドからは16歳の少年アルン・ヴァジペィーが同じくエヴェレスト山頂を目指しており、こちらもメディアで話題になっているところだ。
Not eyeing records, says youngest Everest challenger (The Hindu)
ちなみに女性でエヴェレスト登頂最年少記録を保持しているのはインド人。ヒマーチャル・プラデーシュのマナーリー近郊の村に暮らすディッキー・ドルマが1993年5月に19歳35日で登頂に成功している。