カーンプルのシヴィル・ラインス

カーンプルの「シヴィル・ラインス」もまたアラーハーバード(プラヤーグラージ)に負けず劣らず良い感じだ。どちらも欧州人地区で「Natives」の出入りが厳しく制限されていた白人の街であった過去を彷彿させるものが多く残されている。

整備された街区から広大な公園を挟んだ向こうは「エドワード・メモリアル・ホール」。英国人たちの式典等に使われたのだという。ホール出口に面した部分からみどり豊かな公園が広がっており、さぞ使い勝手も良かったことだろう。

上階は現在図書館となっており、貴重な文書?から近年の一般的な書籍まで、きちんと系統立てて区分され、丁寧かつ効率的な保管と管理がなされているわけではなく、かなり残念な状態である。

カーンプル・メモリアル・チャーチ

たどり着くまであと200mというところで軍の検問があり、先は一般人は立ち入り禁止だという。軍駐屯地の官舎地区にあるためらしい。せっかくここまできて見ずに帰るわけにはいかない。

検問所の上役らしき男が部下の若い兵士に命じて監視付きで見学することに。昨日はアラーハーバードでこのような感じの聖堂がすっかり荒れ果てているのを目にしたが、ここは現在も使用されており、いいコンディションであった。

中では礼拝が進行中。出入りが制限されている駐屯地内なので、おそらく参列者たちは軍関係者やその家族だろう。一緒についてきてくれた兵士自身もクリスチャンであった。

余談になるが、「カーンプル」という街の名前がよく日本語メディアで「カンプール」と書かれているのを目にするが、明らかな誤り。正しくは「カーンプル」である。

虐殺ガート

ここは1857年の大反乱の有名な舞台のひとつであるサッティー・チャウラー・ガート(通称「虐殺ガート」)。

1857年6月27日、ここで女性や子供たちを含む300人もの英国人たちが凶暴な反乱軍兵士やそれに乗じて暴れたゴロツキたちに殺害されている。

現在はほとりに寺院が建ち、静かな沐浴場所となっている。

中華料理屋「中華」

暑い中を歩いていると、汚い酒場みたいなところで、デーシー・シャラーブではなく、ビールを出しているという店があった。渇きについつい引き込まれそうになるが、ここで飲んだらもう1日が終わってしまいそうなので我慢する。

ビアバー

さらに進んでいくと、どう見ても本当のインド華人が経営していそうな中華屋があったので入ってみる。出てきた年配男性に尋ねてみると、数年前までは華人が切り盛りしていたが外国移住のためインド人に売却したのだという。その男性を含むスタッフたちは華人時代から働いており、今年でなんと43年目なのだとか。

中華料理屋「中華」
店内も本格的
メニュー

移住先はインド華人定番のカナダとのこと。彼らの大半がカナダ行きであり、そのマジョリティーはケベック州、その中でもモントリオールとその周辺が多い。先行した移住者たちのツテや縁があるからのようだ。

カーンプルのこの中華レストラン「中華」でチャプスィを注文。ひとりでは持て余す分量ながらも優しい繊細な味付けと野菜にコシがのこしてあるのは、さすがインド華人直伝。長崎皿うどんさながらの味わいだ。

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カーンプルのパールスィー寺院

カーンプルでの宿泊先の隣はパールスィー寺院であった。今はもう4、5家族くらいしか当地には残っていないという。

カーンプルは軍の駐屯地で英国人人口も多かったため、植民地時代に買弁として活躍したパールスィーたちの中には軍に納める武器弾薬その他の軍需品調達業者が多かったため、彼らにとっては稼ぎやすい街だったのだろう。

宿近くにパールスィー寺院があったが、そのまた近くにパールスィーの会社がある。あぁ、本当にここにいるのだね、と実感。

パールスィー寺院
パールスィーの会社(名前からしていかにもという具合)