基層語彙にヒンディーと共通するものがとても多いので、視覚的には解りやすいネパール語。新聞を開けば、何について書かれているのかはだいたいつかめる。
この看板は関係ないが、『警察』に『पुलिस』(pulis)ではなく、प्रहरी(praharii)言葉が使われていたりするなど、ヒンディーよりもオーソドックス感が強いのも良い。
同じデーヴァナーグリー文字を用いるのだが、外来語の転記の綴りも、ネパール独自のものがいろいろあるため、散歩していても小さな発見があって楽しい。
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バンスベーリヤーとその周辺

ハウラー駅から鉄道で、コールカーターの北60キロ余りのところにあるバンスベーリヤーへ。通常はバンデールで乗り換えるケースが多いらしいが、乗った電車は幸いなことにバンスベーリヤーまで直通であった。乗車時間は1時間半ほど。駅からサイクルリクシャーで寺院へ向かう。




13本の塔を持つハンセースワーリー寺院とテラコッタの装飾が見事なアナンタ・ワスデーヴ寺院を見学。すぐ隣にはラージバーリーがあり、なかなか絵になるセッティングだ。絵といえば、境内で水彩画を描いている女性がいたので、いろいろ質問しながらしばらく見物。とかくベンガルでは、若い人から年配者まで、絵画、音楽、写真、演劇その他の趣味に熱烈に傾倒する人が多く、文化的な感じがする。

たまたま参拝に来ていた地元の親切な20代くらいの男性が、これらふたつの寺院の由来や背景、ラージバーリー(旧領主の館)や旧領主にまつわる、詳しい話を聞かせてくれたのもよかった。言葉が通じる国のありがたいところだ。


同じベンガルでも、お隣りのバングラデシュだと、ヒンディーはもちろん、英語を話す人も極端に減るので、たいていの人たちと普通に話が出来る環境から、ほとんどの人とかんたんなやり取りさえも容易ではないという、正反対の状態になってしまうのだ。田舎の眺めはインドの西ベンガル州もバングラデシュも変わらないのだけれども。




そこからオートリクシャーでバンデールまで移動。16世紀にここに地歩を築いていたポルトガルが建てたローマンカトリックの教会に関心があったのだが、今の建物は近年になってからのものであり期待外れであった。ここからほど近いフーグリーには、なかなか風格のあるイマームバーラーがあり、バンスベーリヤーのついでに訪れた甲斐があった。






帰りは再びフーグリーの駅に出て、ハウラー行き電車をつかまえる。バンデールからは80分くらいかかるのだが、スマホをいじっていると、あっという間にハウラーに到着していた。暇な時間には日記などを書くこともできていいのだが、その反面、車窓の景色はあまり見なくなるように思う。
サダルストリートを行き交う人々

サダルストリート近くでバングラデシュとの間を行き来する国際バスが発着するため、バングラデシュ人たちの姿が大変多い。
ここ西ベンガルと同じベンガル人はベンガル人だが、このエリアにおいては、やはりバングラデシュからやってきた人たちはひと目でそれと判ることが多いのが可笑しい。
まずずいぶん頑張ったよそ行き(とりわけ女性)格好であったり、店先をキョロキョロしながら物色していたり、手には大きなおみやげ袋を抱えていたりと、いかにもおのぼりさんといった風情。インド人旅行者がサダルストリートに来ることはあまりないし、地元カルカッタの人たちはこんなところに用事はないので、とりわけ目立つ。
また、こうした都会で初対面の見知らない店員たちに、いささかの戸惑いもなくいきなりベンガル語で話しかけるのも、いかにもバングラデシュ人たちらしいことかもしれない。都心近くの商業地では、周辺州(ビハールやUP等々)から出てきた人たちが多く、店先で働いているのはベンガル人でないことが多いためである。
まあ、目立つというか、ここで旅行者として訪問しているインド人みたいに見える風貌の人たちのほとんどがバングラデシュから来た人たちなのだが。
ストリート界隈で特定の商いを営む人たちの中にも特定のエスニシティがあるようだ。タクシー運転手はほぼビハール、UPから来た人たちのモノポリーなのはオールインディアな現象だが、この地域で両替屋のオーナーにはアングロ・インディアンが多いというのはちょっとオドロキだった。
ごくなんでもない風景の中にも、ちょっぴり興味深いことが見つかったりするのは、やはりインド亜大陸ならではの面白いところだ。他の国を旅行すると、あ〜景色が良かったとか、飯がうまかった云々で終わってしまうのだが、この亜大陸では、ただ座って雑談していても、いろいろな社会勉強をさせてもらえる。
Javed Khanを漢字で書くと・・・
コールカーター東郊外のチャイナタウン、テーングラーで見かけた地元有力政党トリナムール・コングレスの選挙時に壁に書かれたJaved Khan(地元トリナムール・コングレスという政党の重鎮)への投票を呼び掛ける壁書きを目にした。昨年の州議会選挙の際に書かれたものだろう。
ローマ字によるものと、漢字での表記のものとが並んでいたため、「ああ、こう書いてJaved Khanと読むのだな」と判るが、そうでないと一体何と記されているのか想像もつかないところだった。
テーングラーの主要産業である皮なめし業にしても、調味料等の工場にしても、オーナーは華人で、働く人たちのほとんどはムスリムだ。
コールカーターでは、華人とイスラーム教徒は、非常に密な関係にあることを象徴しているかのようなひとコマだ。

風刺画 It’s Media

もう何年も前にウェブ上で評判になった「It’s Media」という風刺画。何を今さら、と思われるかもしれないが、実に良く出来ている。
同じ出来事を伝えるものでも、各々のメディアの姿勢によっても、かなりニュアンスが異なるものとなる。国際ニュースともなると、アメリカと欧州、中国と日本等で、ずいぶん取り上げ方や伝える内容が異なるのはもちろんのことだが、とりわけ厳しく対立する国同士ともなると、まったく正反対の内容で伝えていたりもする。
たとえどちらも間違った内容を喧伝するのではなく、事実に基づいた報道をしていても、どの部分を切り取るかによって、読み手が「事実」と受け止める内容、そして心に響くものも大きく異なってくる。
印パ間の長年の懸案事項であるカシミール問題にしてもそうだし、越境テロを巡る問題についてもそうだ。それがゆえに、私たち市民にとって、より多くのソースからこうした報道が入手できることが望ましいし、一極に偏った報道について大いに注意を払う必要があることは言うまでもない。
官製メディアは往々にして、政府自身が伝えたいことを前面に押し出すいっぽう、都合の良くないことについては、そういう事実は存在しないかのように振舞うし、商業メディアのほうは、「売れるニュース」を競って伝えるという性格があること、メディア自身にとって都合の良くないことについては、敢えて触れずに沈黙してしまうということが少なくないこともある。
私たちの日本のメディアについても、たとえ元ネタが海外メディアによる発信であったとしても、日本語に置き換えて再発信する際に、かなりバイアスがかかったり、独自の解釈を加えて伝えてしまったりしているので要注意。報道を疑うことも大切だ。



