一人の妻と複数の夫

インディア・トゥデイの5月28日号でちょっと興味深い記事があった。ヒマーチャル・プラデーシュのキンナウル地区での一妻多夫制度のことである。この地域に暮らすヒンドゥーのあるコミュニティの人々は、兄弟で一人の嫁を娶ることが伝統だったらしい。昔から嫁には相続する権利もなく、兄弟である複数の夫が配偶者を共有するということで、女性が複数の男性をかしずかせて支配するという構図ではない。
もちろん今の時代、法的にはこういう結婚の形態は認められていないのだが、なにぶん保守的な土地で片田舎ということもあり、今でもこうした形で兄弟が一人の女性を娶るという習慣が続いている。記事中で取り上げていた実例は一人の妻に二人の夫というパターンだが、中には4人も5人もの夫を持つ妻もあるのだという。いずれも複数の夫は兄弟同士であるようだ。
この記事でこの習慣を『奇習』として取り上げているのではもちろんなく、むしろ耕地に限りがある山岳地での生活の知恵といった具合に、好意的に書いてあるようだった。いくつかの一妻多夫家庭の実例を取り上げたうえで、この習慣がむやみな人口増加や土地が細分化を防いで人々の生活水準を一定に保つ役割を果たしてきたかをわかりやすく説いている。また複数の男性が一人の女性と愛を営みそして世帯を持って子供たちを育むという、仮にそれが代々続いてきた習慣であるにしても、精神的にも物理的にもけっして易しいとはいえない状況下で、家族が円満に生活していくうえでの互いの気遣いなどにも言及されていた。
ただしさすがに今の時代には、誰もがこうした慣わしで結婚していくわけではなく、『近ごろ一妻多夫結婚は2割にも満たない』ともある。辺鄙なところに暮らしていても、やはり外界からの影響は及ぶとともに、ここから都会へと出て行く人も多い。これまで自らが暮らす地域でほぼ完結していた社会がもっと広がりを持つようになってきたことから、土地伝来の結婚のありかたや家族のありかたが大きく揺らいできている。
インディア・トゥデイの英語版では、この巻は5月26日号ということになり、件の記事は58ページから61ページにかけて掲載されているので、ぜひご覧いただきたい。
関係ないが、この号の表紙には先日ジャイプルで起きた爆弾テロ事件で、サイクルリクシャーに乗ったまま犠牲になった若い男性の写真が大きく使用されている。亡くなった本人やその遺族のことを思うと、こういう画像がマスメディアに堂々と使用されることについて、なんだかやりきれない思いがする。
だがテロの悲惨さについて、文字だけで伝えようとしても言葉に尽くせないものがあるはず。だが一枚の画像には、千も万もの言葉以上に強く訴えかけてくるものがある。物事の本質を伝えるため、ときにはそういう露骨な写真が使用されるのもやむを得ないと私は考えている。むしろ刺激が強すぎるものすべてに覆いを被せて見えなくしてしまっては、何か大切なものを見失ってしまうことも往々にしてあるのではないだろうか。
しかしながらインパクトの強さのみをアテこんで、これでもかこれでもかと生々しく憐れな写真が次から次ぎへと出すようなメディアには決して感心できないことはもちろんだ。その点、この雑誌はいつも適度に抑制が効いていると思う。
こういう事件は決してあってはならないし、いかなる理由があっても正当化されるものではない。でもこんな出来事が毎年のように起きていることに、インドが置かれている困難さを感じずにはいられない。ジャイプルの事件で、不幸にして命を奪われることとなった方々のご冥福をお祈りしたい。

王室廃すと・・・

このほど王室の廃止が確定したネパールだが、すでに今会計年度の王室予算配分がゼロとなっており、今年7月に宮殿で行われた国王の60歳の誕生日を祝う式典に同国閣僚や外交団の参加者はなく、集まった支持者も千人ほどでしかなかったとのことだ。
昨年半ばに政府から王室に財産の公開が求められ、これに従わない場合は当局による強制的な執行がなされるという旨の報道があった。同年10月には2001年に殺害されたビレンドラ前国王の私財が国有化されている。今年8月には七つの宮殿を含む王室財産の国有化の決定に加えて、ギャネンドラ国王夫妻とパーラス王子の銀行口座を凍結するなどの措置が取られた。
しかし王室が以前から海外に所有する資産、ギャネンドラ国王即位後に国外に逃避させた前国王の私財など、よくわかっていない部分が多いらしい。国内に所有するその他資産と合わせて、今後も『埋蔵金探し』が続くことだろう。
ギャネンドラ国王は意欲的なビジネスマンの側面を持つ。彼を含む王室のメンバーたちが自国内で、旅行業界に加えて、食品や、タバコ、紅茶、電力などで幅広く投資を行なっており、これらの分野の著名企業の大株主でもある。カトマンズ市内のアンナプルナ・ホテル、旅行代理店のゴルカ・トラベルズ、スーリヤ・タバコ会社などがこうした王室系資本ないしは強い影響下にあることは外国人にも広く知られているところだ。
国家に帰属すべき王室財産と、シャハ家としての私財をどう色分けするのだろうか。かねてより関係者の間で熾烈な駆け引き、取り引き、策略などが展開されてきたことだろう。近・現代史の中で、ロシアの二月革命でのニコライ二世、イランのモハンマド・レザ・シャーのように自国内で発生した革命により王権が剥奪された例、韓国の李朝のように外国(日本)からの侵略により消滅した例はいくつかある。
これらと時代も状況も違うので比較はできないものの、ネパールではこの王室廃止についてどのような処理が進められていくのか、王室無き後この国に住み続ける旧王族たちが実質的にどういう立場になっていくのかなど、かなり興味を引かれるところである。

再生グレート・イースタン・ホテルは2008年末オープン!

昔日のグレート・イースタン・ホテル
今年の初めに取り上げてみたグレート・イースタン・ホテル。訪れたときには外壁が剥がれ落ちたひどい状態の中で改修工事が進行中だったが、来たる2008年末までにBharat Hotels Ltd.のホテルチェーンであるThe Grandの名のもとにリニューアル・オープンすることになっている。その名もThe Grand Great Easternだ。
1883年、この国で最も早い時期に全館電化されたホテルのひとつだ。エリザベス二世、ニキタ・フルシチョフ、ホーチミンも宿泊したという名門でもあり、旧藩王国の当主や家族たちによる利用も多かったという。しかしインド独立から20年を過ぎたあたりになると、おそらく当時の世情や新興のホテルなどの追い上げもあり深刻な経営危機に陥る。その結果1975年にはグレート・イースタン・ホテルは当時の州政府が経営を握り公営ホテルとして存続することとなる。伝統はあれどもすっかり格式を失い、カルカッタの一泊千数百ルピー程度の中級ホテルのひとつとして内外のガイドブックに掲載されるようになり果ててしまう。
今年9月に版が改まる前のLonely Planet Indiaでは、このホテルについてこう書いてあった。『This rambling Raj-style hotel was originally called the Auckland when it opened in 1840. It has oodles of charm, but you pay for the privilege. 』
近年、この記述を目にしてここに宿泊した人たちの大半は、昔はちょっとマシだったのだろうなとは思っても、よもや1960年代一杯までは国賓級の宿泊客が利用する高級ホテルであったなどとは想像さえしなかったことだろう。なお新版には『Total renovation should majestically revive the iconic 1840s Great Eastern Hotel by the time you read this』と書かれているが、実際にそうなるにはまだあと1年ほどかかるのである。
グレート・イースタン・ホテルの今回の転身は、西ベンガル州政府による州営企業の不採算部門の民営化の一環として、民間への売却がなされたもので、Bharat Hotels Ltd.に売却が決まったのは2005年11月のことであったらしい。
老朽化し、古色蒼然としたたたずまいの中にも、カルカッタの街の歴史のおよそ半分におよぶ長い年月を経てきた貫禄と重みを感じさせる建物であった。このたび大手資本のもとで、改修にたっぷりと手間をかけて伝統ある高級ホテルとして再生することになる。清潔かつ便利ながらも無国籍で個性に欠けるシティホテルを新築するだけでなく、こうしてリッチなヘリテージホテルへ転用する素材にも事欠かないのは、やはりインドらしいところだ。

名車の系譜 2

ミニ
ミニ
兄の子
ところで『ミニ』といえば、世界で最もポピュラーなイギリス車であることに誰も異論はないだろう。1959年から2000年にかけて、40年以上の長きに渡り数々のマイナーチェンジを繰り返しつつ、ヴァン、ピックアップ、モーク(あまり知られていないが軍用のジープのようなタイプ)そしてスポーツカーとしてのミニ・クーパーと様々なバリエーションの車種を世に送り出してきた。
ミニのジープ仕様は主に軍用
このミニに、どこかインドのアンバサダーの面影を感じる人も少なくないと思う。それもそのはず、モーリス社のオックスフォード・シリーズ?のインド版が現在のアンバサダーだが、先述のベイビー・ヒンドゥスターンの本家モーリス版であるマイナーをデザインした<アレクス・イグノスィス(Sir Alexander Arnold Constantine Issigonis)が、同じくモーリス社のミニ・マイナーとして開発したのがこのミニなのだ。そんなわけでアンバサダーことオックスフォード・シリーズ?から見れば、兄の子つまり甥にあたる。
ともに長く親しまれたイギリス発のクルマ
イギリスのモーリスとは、もともと自転車を製造していた創業者が1910年に設立した会社で、イギリスの自動車産業を代表する企業にまで成長した。1952年には長年ライバルであったオースティン・モーターと合併してBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)となる。その後1967年からはBLMC(ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション)の傘下企業となる。そして1994年からはBMW社により買収されて以降、これまで保有してきたブランドをめぐる合従連衡の動きの中、これらの一部が独立したり切り売りされたりといった変遷があったが、もともとモーリスが開発した『ミニ』ブランドは、現在もBMWの手中にある。
オックスフォード・シリーズ?とミニ、どちらもイギリス発の最も長い期間親しまれたクルマとして人々の記憶に残ることだろう。
やはり血は争えない?
現在も生産が続くアンバサダーと、フルモデルチェンジする前のミニに共通する面影があるように、2001年に出たアンバサダーの新型モデルAVIGO(従来のモデルと並行して生産)とフルモデルチェンジ以降のミニのデザインの方向性もずいぶん近いように感じる。ああいうカタチのクルマをモダナイズすると似た感じになってしまうのかどうかわからないのだが、今や相互の行き来や縁もなくなってしまったとはいえ、やはり『近親者』であるがゆえのことかもしれない。
新型アンバサダー AVIGO
フルモデルチェンジ後のミニ
〈完〉

名車の系譜 1

Morris Oxford Series?

インドを代表するクルマ
各国のメーカーが参入してきてホットなクルマ市場となって久しいが、今でもこの国の道路でインドらしさを主張しているのが、現在もまだ多く走っているクラシカルな形をしたクルマたちの存在だろう。その中の代表格といえば言うまでもなくアンバサダーだ。パーキスターン、バングラーデーシュなど周辺各国では、それぞれ近接地域のインド国内とよく似た眺めが広がっているが、街中の看板の中に見られる文字が違ったり、企業名が馴染みのないものであったりといったことと同時に、このアンバサダーの姿が普遍的に見られるかどうかが、インドと『異国』の眺めの違いを特徴づけるひとつの要素となっていることは言ってもよいのではないだろうか。
記録的な長寿モデル
冒頭に登場した写真、チラリと眺めてインドのアンバサダーにしてはグリルの形状が違うな?と気づかれたことだろう。実はこれはイギリスのモーリス社が1956年から59年にかけて製造していたオックスフォード・シリーズⅢというモデル。このクルマの『インド版』がヒンドゥスターン・モータースにより現在も生産が続くアンバサダーである。本国でとうの昔に生産が中止となり、クラシックカーとして人気のクルマである。
しかし海の向こうのインドでは生産開始から現時点まで、なんと50年間も『現行モデル』として親しまれている非常に稀有な長寿モデルとなっている。
もちろんその間、幾度も細部の仕様の変更が重ねられており、心臓部にあたるエンジンは生産開始当初のものとは違うもの(日本のいすゞが設計)が搭載されており、本家のオリジナル『オックスフォード・シリーズⅢ』と比べて内装にプラスチック部品が多用されるようになっている。内装は日本の20年くらい前の大衆車や商用車のそれみたいな調子でいまひとつだ。この部分についてはやはりインドにおける『実用車』なので、あまりに多くを期待するわけにはいかないのだろう。加えて独自のいろんなバージョンのラインナップもあることから、50年前のものとまったく同一とは言い難いが、それでも一度もフルモデルチェンジを行うことなく製造されてきた単一モデルであることは間違いない。
モーリスがインドに送り出した三代目
アンバサダーの製造メーカーであるヒンドゥスターン・モータースは、インドがまだ英領であった第二次大戦中に設立された会社だ。当時のイギリス自動車産業を代表するモーリス社と深いつながりがあった。
モーリスが本国で1938年から48年にかけて製造していたモーリス・テン・シリーズMというモデルは、記念すべきインド初の国産車ランドマスターとして1942年に生産開始された。
Morris Ten Series M
このモデルを引き継いで出てきたのが1950年代初頭からモーリス・オックスフォード・マイナーのインド版ベイビー・ヒンドゥスターンだ。
Morris Oxford Minor
イギリス本国では1948年から54年にかけて造られていたモデルである。このモデルは今でもごくたまに現役で路上を走っていたり、展示されていたりするのを目にすることがある。これは1957年にインドで現地生産が始まったモーリス・オックスフォード・シリーズⅢに取って替わられることになる。まさにこのモデルこそが、今私たちが目にしている「アンバサダー」である。
Morris Oxford Series ?
Morris Oxford Series ?の運転席

『新車で購入できる』ヴィンテージカー
アンバサダーのオリジナルであるモーリスのオックスフォード・シリーズⅢ自体が人気のヴィンテージカーのひとつであることはもちろんのこと、こんな大昔のモデルを新品で買うことができるというメリットに魅かれる人は少なくないらしい。インド国外で、日本を含めた諸外国にも少なからずファンがいるようで、そうした人たちが愛車(つまりアンバサダー)について語るサイトも散見される。

現在製造されているクルマとはいえ、もともとの設計が古いこと、生産体制や品質管理の問題もあってか故障・トラブルが頻発してなかなか大変らしい。このクルマを扱い慣れた修理屋や部品類の豊富な供給があるインド国内ならともかく、外国に持ち出してこれを乗り回すとなると、相応の覚悟とメカニカルな知識等が要求されるようだ。
だが、今でも生産されているクルマであるため、手間暇さえかければあらゆる純正パーツを手に入れることができるという安心感はあるだろう。
〈続く〉