廃札の衝撃再び

昨日5月19日金曜日、RBI(Reserve Bank of India=インドの中央銀行)による突然の発表でインド中に衝撃が走った。各メディアもこれを速報で伝えるなどしており、ハチの巣をつついたような具合になった。

2016年11月8日午後8時に首相演説で「本日深夜をもって1,000RS札と500Rs札は廃止」と発表したときのような性急なものではなく、今年9月末を持って無効化されるということで、時間の猶予はあるものの、インドの商売その他のために、額面の紙幣をたくさん手元に置いている人などは憮然としているはず。

他の紙幣と交換することはできるが所持していると面倒臭いことになりそうだ。

2,000 rupee notes withdrawn from circulation: FAQs (THE TIMES OF INDIA)

旅行者等、インドに一時的に滞在するケースでも買い物等の支払で2,000Rs紙幣を出すと嫌がられることもあるかもしれない。両替等でインドのお金を手にする場合、近く廃止が決まっている2,000Rs紙幣を受け取るのは避けたほうがよいだろう。

今後、500Rs札が最高額紙幣となるのか、それとも1,000Rsのような額面の紙幣が新たに導入されるのかについては現時点では不明。

Rs 2,000 notes withdrawn: Exchange them at banks by September 30, says RBI (INDIA TODAY)

2000 Rs Note Withdrawal HIGHLIGHTS: Note ban has come full circle, Rs 1000 note might be reintroduced, says P Chidambaram (INDIA TODAY)

India to withdraw 2,000-rupee notes from circulation (REUTERS)

インドはなかなかの「廃札大国」だ。以下の記事にはインドの「廃札の歴史」がまとめられている。1946年には当時の10,000Rs紙幣が廃止されたとある。現在よりもルピーの価値がはるかに大きかった時代。市中にはほとんど出回っていなかったものと思われるが、この額面の紙幣を手元にたくさん置いていた人は、文字通り卒倒したことだろう。

In 1946 and 1978, India had demonetised Rs 5,000, 10,000 notes (DECCAN Chronicle)

外国人料金

こちらはインドの主要な観光スポットの入場料金の一覧。

外国人料金というものは、10倍以上もするのはなんだかなぁと思う。

Monument Entrance Fees In India(memorableindia.com)

旧共産圏では、自国における工作(こうさくではなく、中国でいうところのコンツオ)に参加していない外国人の料金が違うことにはそれなりの理屈があった。

また、単にひとりあたりのGDPに照らせば、多くのインド人よりもインドに旅行に来る人たちのほうが収入は高いのは間違いないのだろう。それにしても、なんだかなぁとやはり思う。

直接税、間接税も含めて何がしかを政府に納めているインド市民が外国人よりも安く見学できるのは、まあそういうものかな、とも思うものの、それとはまったく無関係な民間の博物館等もちゃっかりと外国人料金を設けているケースが多い。

有用な目的のために使われているものと信じて、外国人料金を払うのはやぶさかではないものの、なけなしのお金で可能な限り長くあちこちを見て歩こうとしている若いバックパッカーが、外国人料金に萎縮して見学先を削ったり、そもそも高過ぎる入場料の施設(タージマハルななど世界遺産クラスはさらに高い)を敬遠したりすることもあるように聞くので、せめて20代まではインド人料金適用というような措置があったらいいのにと思う。

外国人料金といっても、メジャーなところから外れると、どこから来たかと尋ねられることもなく、たいていインド人料金で入れるため、あまり意識することはなかったりするし、デリー、ムンバイ等の大都市や州都クラスの街でも、「どこから来た?」と聞かれて「ここから来た」などとはぐらかすと、そのままインド人料金で入ることができることもあるわけなのだが。

スィッドプル

グジャラート州のスィッドプルにあるシーア派ムスリムのダウーディー・ボーハラーのコミュニティーの屋敷町。端正かつ壮麗な街並みに腰を抜かす。建物の多くに建築年が示されており、1900年代から1930年代にかけて、一気にこの街並みができ上がったという不思議。その時期にはどんな爆発的なブーム、好景気がボーハラーのコミュニティーで共有されたのだろうか。スィッドプルのラヒームプラ(Rahimpura)からサイフィープラ(Saifeepura)という地域にかけてこうした景観が広がっている。

それぞれの建物は、非常に大きな造りで、横に長く屋敷が連なっており、コミュニティーの結束の強さを感じさせる。外から大きな南京錠がかかっている世帯が多いが、たいていは地域外で活動しているため、ここに戻ってくるのはせいぜい年に一度程度なのだとか。今でも住んでいるところも少なくはないようで、そうしたところからは開け放したドアや窓の向こうに見える日用品等に生活感が感じられる。

特徴的なのは、シェカワティーのハヴェーリー、チェッティナードのハヴェーリーと同様に特定の商業コミュニティーの人々の邸宅なのだが、それらひとつひとつが独立した屋敷となっているわけではなく、欧米のタウンハウスのような形で展開していることだ。ずっと現地を離れているオーナーたちがテナントに貸し出すことなく、世話人を雇って日々手入れさせていること、定期的に修復なども実施しているがゆえ、現在も美しい街区がそのまま保存されているのだ。フレスコ画で有名なシェカワティーのハヴェーリーで、しばしば邸宅内部を細分化して貸し出したり、一階部分を壁で仕切って店舗として貸したりしていることが多いのとはまったく異なる。

これらの建物内での所有形態がどうなっているのか知らないが、シェカワティーのハヴェーリーに同一のジョイントファミリー内の複数の世帯が共同生活していたように、ここではひとつのタウンハウスのように見える建物がひとつの親族グループにより建築・所有されているのかもしれないが、そこのところはよくわからない。いずれにしても極めて都会的な邸宅の様式と言えるだろう。

これに近い形の「タウンハウス的ハヴェーリー」はビーカーネールにも見られるのだが、陸上交易時代にはビーカーネール自体が大きな稼ぎの場であったのに対して、ボーハラーの人たちがこうした屋敷を建てた時代には、すでに鉄道や道路による大量輸送の時代になっており、館の主たちの多くはインド各地及び東南アジアから中東、アフリカにかけての広大な地域での交易で財を成した人たちだ。家の入口あたりに「ワドナガル・ワーラー」「スーラト・ワーラー」「カルカッタ・ワーラー」などと書いてあるのは、その家族がビジネスで定着した土地を示している。中には「アデン・ワーラー」「シラーズ・ワーラー」など、外国の地名が書かれているものもある。ダウーディー・ボーハラーはインド亜大陸だけでなく、中東やアフリカにも広く展開している世界的な商業コミュニティーである。こうした屋敷群の中では見かけなかったが、日本でも神戸あるいは横浜のようにかなり昔からインド系商人が出入りした土地には、長く現地で事業展開してきたボーハラーの「コウベ・ワーラー」「ヨコハマ・ワーラー」などが存在しているのではなかろうか。

このような形で集合住宅を、20世紀前半になってから建てることにどういう合理性があったのか、ぜひ知りたいところである。建築時期が遅いものになると、1960年代になってからという建物すらあるのだ。

ボーハラーの人々のモスク
ボーハラーのコミュニティーホール

Slice of Europe in Sidhpur Bohra Vad, Gujarat

ルドラ・マハーラヤ
ルドラ・マハーラヤ

蛇足ながら、スィッドプルにあるルドラ・マハーラヤ。かつて存在した壮麗な寺院遺跡だが、入場禁止となっている。今にも倒壊しそうな部分もあるので仕方ないだろう。近く修復の手が入るらしい。修復が完了して見学できるようになったら、ここもまたマストな見先ということになる。

こちらはスィッドプルのバススタンド。周辺各地からのアクセスも良好だ。

ディレーンドラ・シャストリーという「バーバー」

INDIA TVの人気プログラム「アープ・キー・アダーラト(あなたの法廷)」。そのときどきの注目されている人たち、俳優、政治家、財界人その他をスタジオに呼び、裁判の尋問と答弁の形で、様々な質問から本人の回答を引き出すというもの。

このところ話題のバゲーシュワル・ダームのディレーンドラ・シャストリーが出演することが予告されていたが、うっかり見逃した。しかしYouTubeで見ることができた。今という時代に感謝である。

Dhirendra Shastri In Aap Ki Adalat: बागेश्वर धाम सरकार ने कटघरे में किए बड़े खुलासे | Rajat Sharma (INDIA TV)

まだ26歳の「バーバー」。装いもチェック柄の衣装であったり、このところ気に入っているらしい帽子をよく被って現れるなど、世俗的で、とてもヒンドゥーの「聖者」には見えない。相手を手玉に取るセリフ回し(インド人はこういうのが好きだ)や話もうまい。まだ自分を「大人に見せよう」と苦心している様子もうかがえるが、年齢を重ねるにつれて、それらしくなっていくことだろう。

これまでは田舎で周辺地域から信者を集める新興の「バーバー」だったが、このところメディアで日々取り上げられるようになったため、全国の田舎の人たちから注目する存在になるかもしれない。彼は教えが素晴らしいとか、人格が高潔であるなどといったものではなく、まったく反対に「怪しげな奇跡を演出する」「資金の出処や流れが不明」他、インチキくさいバーバーとして耳目を集めている。

マッディヤ・プラデーシュでとても貧しいブラーフマンの家に生まれ、学校はドロップアウト。リクシャーを引いていた時期もあったとされる。そんな若者が数年間で父母や祖父母世代をも含めた信者層を集める存在となり、一気に有名になったため、彼のアーシュラムにはBJPの代議士たちも信者に顔を売るために表敬訪問するようにさえなってきた。頭のキレは良くて話も上手い彼をプロデュースした黒幕がいるのかどうかは知らないが、少なくともどこかから資金やノウハウの援助は受けてきたはず。

スタートアップ企業の将来性を見込んで投資する人たちがいるように「将来のバーバー」に対して先行投資をする人たちがいるはずなのだ。日本でもそうだが、こうした宗教関係団体というものは、会社組織と同じ。販売しているモノが「信仰」という目に見えないものであることを除けば。

この若い「バーバー」の組織は、田舎からそのまま展開して全国を商圏とするテレビショッピングの「ジャパネットたかた」みたいな感じで将来インド全国へと展開していくことになるのだろうか。若年層人口が分厚いインドでは、彼の若さもプラスに作用し得る。若い人たちにとって同世代で勢いがあり、見た目も悪くない「バーバー」が人気を集めることになっても不思議ではないように思われる。

米国メディアの取り扱いも増えてきた米国の購読プラットフォーム「Magzter」

雑誌や新聞の電子版購読プラットフォーム「Magzter」は米国の企業だが、在米インド人が起業したインドのメディア購読を主目的とするものであるため、米国のメディアの扱いはあまりないという捻じれがあった。

しかしながらこのところNewsweekその他のアメリカの雑誌が次々エントリーされている。

しかしそれでもようやく「今度はTIMEも!」と宣伝しているくらいなので、やはりアメリカのメディアには弱い「アメリカの電子版メディア購読プラットフォーム」。

それにしても「インドメディアほぼ専門」でありながらも米国で操業というのは、おそらく法的その他の環境から、インドでこういうビジネスの操業は容易でなく、米国でのほうがやりやすいというようなことがあるのだろう。

「Magzter」はいろいろなニュース週刊誌に加えて、大手各紙の様々な地方版を読むことができるという点でも素晴らしく、とりわけ読み放題の「GOLD」に加入すると、その真価を発揮する。