アーメダバードのバスはやはり先進的だ。大通りでは中央がバス専用レーンとなっており、バス停は道路脇ではなく道路中央にあり、ちょうど日本の名古屋みたいな感じだ。
もちろん市内は広いので、どこもかしこもというわけではないが、渋滞時にも公共交通機関としての市バスはスムースに運行できるようにしてある。インドの他の都市にもこのような措置が広がると良いと思う。






アーメダバードのバスはやはり先進的だ。大通りでは中央がバス専用レーンとなっており、バス停は道路脇ではなく道路中央にあり、ちょうど日本の名古屋みたいな感じだ。
もちろん市内は広いので、どこもかしこもというわけではないが、渋滞時にも公共交通機関としての市バスはスムースに運行できるようにしてある。インドの他の都市にもこのような措置が広がると良いと思う。






宿泊先の部屋で、こちらの画像のようにコンセントがフラットタイプにも対応しているタイプだと、「ラッキー」と思う。コンセントアダプターなしで利用できる電源がひとつ増えるからだ。それとは裏腹に、コンセント複数あっても壊れていて、利用できるものがひとつしかなかったりすると、ちょっとブルーな気分になる。




ファミレス的なお寺というか、コンビニ的な寺院というか。BAPS(Bochasanwasi Akshar Purushottam Swaminarayan Sanstha)のスワーミーナーラーヤン寺院。礼拝施設のフォーマット化に成功し、各地でそっくりなお寺を展開する。
アーメダバードやデリーにある「アクシャルダム寺院」もこのグループの寺院だ。海外にも大きく展開し、日本にも上野に進出している。(こちらの規模は例外的に小さい)


こういう新興の教団を日本では「新興宗教」と呼ぶが、インドでは数多くのグルーが独自にアーシュラムを運営していたり、ヨーガを中心とする活動(に加えて「パタンジャリ」ブランドの食品や生活用品の販売も行っているスワーミー・ラームデーヴのような人もいる)をしていたりする。
多くは自分たちの教団のみへの帰依を求めないので、日本のそうした団体とは、かなり異なるとも言える。どちらかと言うと、タイやミャンマーなどで高名なお坊さんが人々の人気を集めているのに近いものがあるのかもしれない。
ただし、そうした教団ではしばしばトップによる強力なリーダーシップに多くのことが委ねられるため、「権力は腐敗する」という言葉のとおり、思い上がったグルーが既存の宗教権威に挑戦して暴力沙汰にまでなったり、そのグルーが婦女暴行、殺人その他で起訴されて懲役刑を受けるようなケースはしばしば起きる。
自作自演の映画を作って公開したり、歌をリリースしたりとスター気取りにもなっていた「デーラー・サッチャー・サウダー」という教団の指導者のグルミート・ラーム・ラヒーム・スィンもそうだったし、アーサーラーム・バープー、スワーミー・ヴィカーサーナンドその他、枚挙にいとまがない。
デーラー・サッチャー・サウダーについては、グルミート自身がスィク教コミュニティの出身で、ナムダーリーのようなスィク教の中の一派となる道もあったのかもしれないが、独自性を強めるとともに、10代目のグルーであったグルー・ゴービンド・スィン以降は聖典グラント・サーヒブに引き継がれて空位となっているはずのグルーの地位に自身があるかのように示唆するかのようなスタンスや言動などもあり、スィク教コミュニティからは総スカンを食った。そういう意味では、日蓮宗を破門されたある団体の立場と似ている部分はあるかもしれない。
教団というものは、「信仰」という商品を製造販売するコーポレートなので、一般社会の企業で不正や問題が起きるのと同じようなものだろう。先述のBAPSは、これまであまり悪い話は聞かなかったものの、在米の教団支部は、米国当局により、教団関係者に対する強制労働、査証取得の際の不正などで起訴されて裁判が進行中。







空港そばの宿を利用したが、広くてソファーも付いていた。寝るだけなので宿はなるべく安く済ませたいが、このロケーションだとこのあたりで横並びのようだ。
ちょうど駅前やメジャーなスポットでオート運転手たちがグルになって料金を吊り上げるのと似た構造・・・というか、同じようなホテルばかり並んでいるため、ちょうどバンコクのラートクラバーンのような謎の「そっくりな構造の宿が無数にある」のと似ている。空港周辺需要を見込んだデベロッパーが暗躍したのかもしれない。
まあ、それでも快適に滞在できれば構わない。

BOSEの専門店がこういうとことかモールとかに当然のようにあって、そこで売られる高級品が目の前でどんどん売れて行くのが今のインドなんだなぁと思う。都会ではBOSEに限らず、クルマ、化粧品、カバンに衣類等々、あらゆる分野の国際的なプランドのショップが遍在し、それらを当然のごとく消費する人たちがいる。
コロナ前、よく映画DVDを買いに訪れていたデリーのグリーンパークのある店に行ってみるとトタンで建物が覆われていた。手前にある文房具屋で尋ねると、「あー、あの人は商売たたんでしまったよ。地所も売っちゃったしね」とのこと。
店舗を借りているのではなく、所有していたのなら良かったのだろうけど、趣味と実益を兼ねたような人で、年配者なのに販売しているDVDについては、若者が観るような今どきの新作にも詳しかったので作品選びには頼りになった。
もはやDVDで映画を観る時代ではないのだから、仕方ないといえば仕方ないし、おじさんもそろそろいい歳だったし、こちらも仕方ないといえば仕方ない。時代とともに街なかの様子も変わりゆくインド。

購入したHMTの手巻時計のベルトを替えようと界隈を歩くも、時計屋が見当たらない。
昔は時計屋や修理屋はあちこちにあったものだが、今は高級時計を販売する店は健在でも、腕時計を主たる商品として取り扱う店自体がずいぶん減ってしまったようだ。あたりを見渡してみると、腕時計をしているインド人もとても少なくなっている。
日本でも同様だが、インドでも携帯電話の普及により、腕時計があまり必要とされなくなっているのだ。

前々回、前回に続いてタイの話題となる。

夜の時間帯にスワンナプーム空港に到着した。空港の両替レートは悪いのは当然だが、具体的にどのくらい悪いのかはよく知らず、漠然と「損」と思っていた。
市内での両替でおそらく最もレートが良いと思われる両替所「スーパーリッチのラージダムリ店」における本日の店頭レート(店舗により微妙に違う)を表示してみる。

例えばここで「0.2575」との表示であれば、1万円が2,575バーツとなる。円安のためずいぶん下がっているが、こればかりはどうにもならない。
この日、空港の両替所はどこも統一されているのか、「0.23」、つまり1万円あたり275バーツ、つまり1,100円くらい損ということになる。
やはり空港レートはかなり悪い。
空港B2階にあるBTS駅入口の裏手には市中レートと遜色ない率で替える店が並んでいると聞いていたので立ち寄ってみる。翌日早朝バンコクを出て地方に行く予定だったので、少しまとめて替えておきたいものの、市内に到着する頃には宿泊先界隈では両替空いていないかもしれないという懸念があった。

ここでも先述の「スーパーリッチ」が出店しており、市内ラージダムリ店よりは低いが0.256だったので、短い滞在中の費用はここでまとめて替えておくことにした。たぶん市内であんまりレートよくない店とか、田舎で両替するとこんなもんだろう。
同じ空港内施設なのに、ここは空港ではなく鉄道駅構内なので、空港コントラバンドレートが適用されないということなのだろうと想像する。
ただし気を付ける必要があるのは、せっかくB2階まで降りてきても、BTS:チケット売場手前にある両替所に行ってしまうと、他の階と同じ「空港レート」になってしまうことだ。市中レートで交換できるのは、B2階でもBTS駅入口の裏側にある両替商エリアなのである。また、ひょっとするとこのエリアもいつしか「空港レートに統一」というようなこともあるかもしれないため、お金を渡す前に先述の「スーパーリッチのラージダムリ店」のレートを確認しておくことをお勧めする。

オールドデリーのダリヤガンジにある出版社「マノーハル」のショールームを訪問して何冊か購入。
経営者氏は父親から会社を継いでかなり経つのだが、コロナの間はとても大変だったようだ。アカデミックな書籍を扱う出版社の場合は、パンデミックの影響はあまりないのか思ったら、決してそんなことはないらしい。
向かいにあったオックスフォード大学出版会はちょうど1年くらい前にインドから撤退したとか、付近にあったショールームがあったケンブリッジ出版会も近々引き払うことになりそうとか、地場資本でもダリヤガンジ地域で彼のこの出版社と同じくらい有名な出版社も歴史の幕を閉じたという暗い話を聞いた。
ここでは在外インド人や外国の研究者による本も多く出しているが、そうした人たちがコロナ禍でなかなか来ることができなかったため、新規に出す本も減っているそうだ。
本日購入した中の一冊「Darjeeling」は、先週リリースされたばかり。西ベンガル州のダージリン地区に暮らす様々なコミュニティー(民族)について、いろいろな研究者たちが著したもので、なかなか面白そうだ。さすがにこういう書籍はamazon.inのキンドル書籍では手に入らないため、こうして紙媒体の本として購入している。









マジヌーカーティッラーを訪問。チベット難民の定住地として提供されている場所のひとつで、とても細い路地が入り組んでいる。本来は違法建築なのだろう。しかしゴミも少なくきちんと清掃されている。近年は小洒落た店も増えている。散策後にしばしカフェでブラウニーとティーを楽しんだ帰りのことだった。
デリーの路上はオートワーラーで溢れているが、「オートワーリー(女性のオート運転手)」は珍しい。
デリーメトロのヴィダーンサバー(デリーの地方政府議会)駅からマジヌーカーティッラーに向かう際、なぜかおばさんが乗り合いオートの客引きをしているな、珍しいな、と思っていたが、マジヌーカーティッラーを訪れてからの帰りに乗り合いオートに乗ると、後ろから来る同じような車両をさきほどの女性が運転している。笑顔を送ると微笑みで返してくれた。
駅に着いてから後続のオートで到着した彼女にインタビュー。
この女性、ギーターさんは、オートのキャリアは長いわけではなく、1年ほどだという。日々10時間ほど走らせて諸経費差し引き700Rsほどの実入りがあるのだとか。
「知る限りではオートワーリーは私だけ。けっこう勇気が要るのよ、男世界で稼ぐのは」
女性がこの世界で頑張るのはそう簡単なことではなく、いろいろあるらしい。危険もあり得るので、ヴィダーンサバーからマジヌーカーティッラーの往復する乗り合いオートの運転手専門で稼いでいるとのこと。最後にオートのハンドルを握ってポーズを取ってもらった。
インドに限ったことではないが、彼女のように社会の公式どおりではない生き方をする人もあり、そうした人から話を聞くのは大変興味深いものがある。
オートを運転しているので、男勝りの豪快な女性かと思ったのだが、話してみるとごく当たり前のそのへんにいるお母さん、おしとやかな女性という感じで、人当たりの柔らかい優しい感じの人であるのがかなり意外でもあった。



味のある手書きはインド人のオハコ。それぞれに異なる魅力があり、自分も何か1枚欲しくなってくる。こうした職人たちが今でも大勢いること、彼らの仕事の需要がたくさんあるがゆえのこと。こうしたものもひとつの豊かさだと思う。



ここまで大きくかつ複雑に取り回すことができるのは、相当な猛者とみた。日々発展を続けており、2030年までに日本とドイツを抜いて世界第3位の経済大国になると予想されているインドだが、こういう風景がなくなる日は来るのだろうか。いや経済が伸びているだけに、電力需要も増していくがゆえに、電線アートはさらに巨大化、複雑化していくのかもしれない。

グジャラート州先端に接するUT(連邦直轄地)のディーウ島。ちょうどマレー半島に接するシンガポールみたいな形をしているが1961年まではポルトガル領。
昔訪れたときには、ディーウの小さな町にはポルトガル式のパン屋があり、コロニアル時代の建物がそのまま市街地を形成しており、店はずいぶん長い昼休みを取っているのも印象的だった。
町の真ん中は、ラテンアメリカの多くの街がそうであるように、セントロ、町のヘソというか、公園としての機能を持つ広場で、その周辺を役所その他の公の施設やカトリックの聖堂が囲んでいるという具合で、インドではなくコスタリカとかエクアドルとか、そんなあたりの海沿いの田舎町に来たような思いがした。
私が初めて訪問する少し前までは、同じくポルトガル領でともに歴史を重ねてきたゴアも合わせての連邦直轄地(1987年に旧ポ領の連邦直轄地から分離して州になった)であったためか、ディーウのセントロに面した港からゴア行きの定期船が出航していたらしい。
これら旧ポルトガル領がインドに併合されるにあたり、これらの地域にポルトガルインド市民籍を持って公務に就いていた人などは、他のポルトガル領への職を斡旋してもらえたと聞く。ゴアやダマンなどもそうであったように、ディーウからもモザンビークに移住した人たちはけっこういたのだとか。(ご存知のとおり、その後モザンビークでも独立運動が起きて大変な目に遭ったらしい。)
植民地時代の風情を残していたディーウだが、90年代半ばに再訪してみると、折しもインドの経済成長によるインドの人たちの観光ブームで、小さな町なかや周辺地域で大きな建設ラッシュが起きていることに驚いた。観光バブルで地価が上がり、町の人たちのかなりの部分は家や土地を売却して出ていき、外から投資家や観光関連業者、その下で働く労働者などが大挙して入ってきて、漁村、農村以外の人口は大きく入替っているというような話も耳にした。
こうして動画で今のディーウを見ていると、片側2車線の見事な道路があったり、建物もインドの他の地域と変わらない眺めが映し出されていたりする。今再訪してみたらポルトガルのポの字も残ってないのでは?という気もしてくる。
Diu City 4K Drive Tour – ASMR Ambience – Virtual Tour (Youtube)