平型コンセント

宿泊先の部屋で、こちらの画像のようにコンセントがフラットタイプにも対応しているタイプだと、「ラッキー」と思う。コンセントアダプターなしで利用できる電源がひとつ増えるからだ。それとは裏腹に、コンセント複数あっても壊れていて、利用できるものがひとつしかなかったりすると、ちょっとブルーな気分になる。

BAPSの寺院

ファミレス的なお寺というか、コンビニ的な寺院というか。BAPS(Bochasanwasi Akshar Purushottam Swaminarayan Sanstha)のスワーミーナーラーヤン寺院。礼拝施設のフォーマット化に成功し、各地でそっくりなお寺を展開する。

アーメダバードやデリーにある「アクシャルダム寺院」もこのグループの寺院だ。海外にも大きく展開し、日本にも上野に進出している。(こちらの規模は例外的に小さい)

こういう新興の教団を日本では「新興宗教」と呼ぶが、インドでは数多くのグルーが独自にアーシュラムを運営していたり、ヨーガを中心とする活動(に加えて「パタンジャリ」ブランドの食品や生活用品の販売も行っているスワーミー・ラームデーヴのような人もいる)をしていたりする。

多くは自分たちの教団のみへの帰依を求めないので、日本のそうした団体とは、かなり異なるとも言える。どちらかと言うと、タイやミャンマーなどで高名なお坊さんが人々の人気を集めているのに近いものがあるのかもしれない。

ただし、そうした教団ではしばしばトップによる強力なリーダーシップに多くのことが委ねられるため、「権力は腐敗する」という言葉のとおり、思い上がったグルーが既存の宗教権威に挑戦して暴力沙汰にまでなったり、そのグルーが婦女暴行、殺人その他で起訴されて懲役刑を受けるようなケースはしばしば起きる。

自作自演の映画を作って公開したり、歌をリリースしたりとスター気取りにもなっていた「デーラー・サッチャー・サウダー」という教団の指導者のグルミート・ラーム・ラヒーム・スィンもそうだったし、アーサーラーム・バープー、スワーミー・ヴィカーサーナンドその他、枚挙にいとまがない。

デーラー・サッチャー・サウダーについては、グルミート自身がスィク教コミュニティの出身で、ナムダーリーのようなスィク教の中の一派となる道もあったのかもしれないが、独自性を強めるとともに、10代目のグルーであったグルー・ゴービンド・スィン以降は聖典グラント・サーヒブに引き継がれて空位となっているはずのグルーの地位に自身があるかのように示唆するかのようなスタンスや言動などもあり、スィク教コミュニティからは総スカンを食った。そういう意味では、日蓮宗を破門されたある団体の立場と似ている部分はあるかもしれない。

教団というものは、「信仰」という商品を製造販売するコーポレートなので、一般社会の企業で不正や問題が起きるのと同じようなものだろう。先述のBAPSは、これまであまり悪い話は聞かなかったものの、在米の教団支部は、米国当局により、教団関係者に対する強制労働、査証取得の際の不正などで起訴されて裁判が進行中。

アーメダーバード空港近くのホテル

空港そばの宿を利用したが、広くてソファーも付いていた。寝るだけなので宿はなるべく安く済ませたいが、このロケーションだとこのあたりで横並びのようだ。

ちょうど駅前やメジャーなスポットでオート運転手たちがグルになって料金を吊り上げるのと似た構造・・・というか、同じようなホテルばかり並んでいるため、ちょうどバンコクのラートクラバーンのような謎の「そっくりな構造の宿が無数にある」のと似ている。空港周辺需要を見込んだデベロッパーが暗躍したのかもしれない。

まあ、それでも快適に滞在できれば構わない。

変わりゆくインド

BOSEの専門店がこういうとことかモールとかに当然のようにあって、そこで売られる高級品が目の前でどんどん売れて行くのが今のインドなんだなぁと思う。都会ではBOSEに限らず、クルマ、化粧品、カバンに衣類等々、あらゆる分野の国際的なプランドのショップが遍在し、それらを当然のごとく消費する人たちがいる。

コロナ前、よく映画DVDを買いに訪れていたデリーのグリーンパークのある店に行ってみるとトタンで建物が覆われていた。手前にある文房具屋で尋ねると、「あー、あの人は商売たたんでしまったよ。地所も売っちゃったしね」とのこと。

店舗を借りているのではなく、所有していたのなら良かったのだろうけど、趣味と実益を兼ねたような人で、年配者なのに販売しているDVDについては、若者が観るような今どきの新作にも詳しかったので作品選びには頼りになった。

もはやDVDで映画を観る時代ではないのだから、仕方ないといえば仕方ないし、おじさんもそろそろいい歳だったし、こちらも仕方ないといえば仕方ない。時代とともに街なかの様子も変わりゆくインド。

DVD屋は建物ごと無くなっていた。

時計屋が減った

購入したHMTの手巻時計のベルトを替えようと界隈を歩くも、時計屋が見当たらない。

昔は時計屋や修理屋はあちこちにあったものだが、今は高級時計を販売する店は健在でも、腕時計を主たる商品として取り扱う店自体がずいぶん減ってしまったようだ。あたりを見渡してみると、腕時計をしているインド人もとても少なくなっている。

日本でも同様だが、インドでも携帯電話の普及により、腕時計があまり必要とされなくなっているのだ。