デリーからガヤーへ

デリーからビハール州のガヤー行きのフライトを利用した。
搭乗してからしばらくしても滑走路に移動せず、席でじっと待っていると、次のようなアナウンス。
「当機はセキュリティー上の理由により出発が遅れています。ただ今、保安要員が機内に入り、全員の手荷物の確認をいたします」

制服を着た係員が2名乗り込んできて、席上の荷物入れを開けては「この荷物の持ち主誰やねん?」「これ誰のカバンや~?誰か返事せんかァ、こらァ!」などとやっている。
保安要員が怪しげな荷物を開くと、赤、白、黄色の配線が絡み合っている時限爆弾装置でもあって、「切るのは赤か、白か?」なんていうスリリングなシーンが展開するのではないかという、映画さながらの緊張場面が待ち受けているかとドギマギしたが、結局は全部の手荷物の持ち主の確認をしただけで、そのまま降りていってしまった。チェックインしたはずの人数と、実際に機内にいる人の数が整合しなかったか何かなのだろう。

保安要員が外に出ていくと、「乗務員、配置に着いて。当機は出発いたします!」という機長のアナウンスとともに、飛行機は滑走路に進んで離陸。
インドでは、テロに対する警戒から、規則によりセキュリティー関係のチェックには厳しいが、それらの検査をする保安要員の身辺調査と、彼らが空港施設に入る際のチェックはしっかりしているのかな?ということを、ふと思ったりする。あまり良い待遇をされているとは思えず、容易に買収されてしまいそうな人たちに思えるのだが。セキュリティーホールがあるとすれば、おそらくこのあたりではないかとも思う。

エアインディア国内線のこの便は、最初にガヤーに行き、それからバナーラスに行くフライト。バナーラスからはおそらくデリーに戻る便となるのではないかと思うが、あまり重要な路線ではないためか、ずいぶん古い機材を使っている。客室乗務員もなんだかパッとしない感じの人もいて、最近の民間航空会社とは違う、「国営」というムードは相変わらずである。垢抜けない制服もいまひとつだ。

隣に座ったのはヒゲを蓄えたムスリムの恰幅の良い男性。英語をまったく話せないので、どういうことをしている人かと思えば、サウジにダンマーンに働きに出ていたとのこと。そこから戻って国内線に乗り換えて、バナーラス近郊にある自宅に戻るところなのだそうだ。
娘が4人いるとのことだが、前の席に母親と一緒に座っている3歳くらいの可愛い女の子と遊んでやっている。その女の子はずいぶん人懐っこい子で、楽しそうだった。母子ともにムスリムで、この男性にとっては自宅で待ってくれている娘たちの姿とダブるところがあるのかもしれない。

デリーからガヤー到着までは1時間15分ほど。ガヤー空港は、この規模ものとしては珍しく、PBB (Passenger Board Bridge)により、機内と空港ビルが直接結ばれる。ガヤーの空港は小規模ながらも一応国際空港であるためだろうか。冬の時期にはバンコク、コロンボ、ヤンゴン、ティンプ―などから直行便がある。当然、ちゃんとイミグレーションもあり、E-Visa専用のカウンターまであるのだから大したものだ。私が利用したのは国内線なので、カウンターは無人であったが。

デリーのアフガニスタン人地区

ラージパトナガルⅡに出かけてみた。フェイスブックにて、ある方がここにあるアフガンレストランのことなどについて書かれていたので、せっかくデリーに来たので立ち寄ってみることにした。

地下鉄のラージパトナガル駅で降りて、しばらく東に歩いたあたりで、アフガニスタンの人たちが歩いているのを見かけるようになってくる。アフガニスタンといっても様々な民族が住んでおり、見た目はインド人と同じような感じの人たちも少なくないのだが、タジク人やパシュトゥン人たちは、「やや日焼けした白人」といった風貌の人たちが多く、私が聞き取ることのできない美しい響きの言葉をしゃべっている。

しばらく進むと、ペルシャ文字の看板が目立つようになり、そのエリアには、アフガニスタン人が経営している店あり、アフガン人顧客が多いインド人の店あり。そんな中にあったアフガンケバーブハウスというレストランに入ってみることにした。

店内で働いているのはアフガニスタン人、出入りするお客も同国の人たちが多かった。店内に踏み入れたときにいたのは、すべて男性で、揃ってやたらと整ったイケメン揃いである。女性はさぞ美しかろうと思っていたら、ちょうどアフガン人カップルが入ってきて、ふたりともまさに眉目秀麗という感じ。一日中、ああいうキリリとした顔をしていてくたびれないのか?思うくらいだ。

店主はタジク人。スタッフはタジク以外にもいろいろな民族の人たちが働いているそうだ。
「カーブルのレストランで出しているようなものを用意していますよ」とのこと。注文したプラオもコフタも大変上品な味でおいしかった。メニューを眺めてみたところ、やはりペルシャ風のアイテムが多いようだ。インドのムスリム料理に取り入れられたアイテムの原型といった感じで興味深い。

どれも美味であった。

界隈には、アフガンによるアフガン式のナーンを焼いて売る店、アフガン食材屋、アフガンのスナック屋台、各国の通貨を扱う両替屋、航空券他を扱う旅行代理店が多く目に付く。Safi Airwaysというアフガニスタンの航空会社のオフィスまであり、それらはペルシャ文字の看板を掲げている。このあたりでアフガン客を相手にするインド人たちには、多少のダリー語(アフガニスタンで広く通用するペルシャ語)が出来る人も珍しくはないようだ。

脇道から、色白で大変見目麗しい三人連れの女性たち出てきた。洋装なのでどこの人たちかよくわからないが、サイクルリクシャーを呼び止めて、行き先と料金のことをやり取りしている声が、さきほどアフガンレストランで耳にしたような訛りのヒンディー。尋ねてみると、やはりアフガニスタン人たちであった。

デリーではアフガンから来た人たちが多い(一説には1万人程度はいるとか)のは知ってはいたものの、ここに集住していることやレストランなどもあることは把握していなかったのは不覚であった。かなりアップマーケットな地域なので、レストラン等で雇われている人はともかく、ここで商売を営んでいるアフガニスタン人は、暮らし向きの良い層が多いようだ。ラージパトナガルⅡのアフガンレストラン出入りする人々の多くはアフガン人。けっこう可処分所得の高い人層が少なくないように見受けられる。

界隈には立派な身なりのアフガン紳士の姿もあるし、金余りのボンボンみたいなのも少々。どんな仕事をして稼いでいるのかはよくわからないが、昔から母国での不都合が生じた富裕層や政治家などが、デリーに逃れてきていたことを思い出した。最たる大物関係では、社会主義政権最後の大統領、ムハンマド・ナジブッラーは、ターリバーンが首都カーブルを制圧してから逮捕、処刑されたが、それに先だって家族をデリーに送っている。主人が処刑されて歎き悲しむ遺族のことがインドの新聞に出ていたことを、ふと思い出した。

インド人の不動産屋から「あの、お住まいはもうお決まりでしょうか?」と声をかけられる。モンゴル系のハザラ族アフガン人かと思ったとのこと。この人は、アフガン人が大切な顧客なのでこまめにチェックしているらしい。

翌日にもう一度この地域を訪れてみて、他のレストランで食事をしてみた。メニュー下部に「マントゥー」とあるのは餃子。メンズ豆の煮物とヨーグルトがかけてある。上の写真左側。
このマントゥーという名前だが、漢字の饅頭(韓国でいうところのマンドゥー。漢字で饅頭と書くが、日本の餃子のこと)と符号しているみたいなのは、何かの偶然なのだろうか、あるいは歴史的な背景が含まれているのか?それはともかく、まんま蒸し餃子であった。

左側が「マントゥー」

このアフガニスタン人地区、なかなか面白そうなエリアだ。今後もまた折を見つけて訪れて観察してみようと思う。

上海経由デリー行き2

インドまでの行きや帰りにかなり待ち時間が空くことになったりもするのだが、その
時間にちょっと街に出て散策してみたり、買い物や食事を楽しんでみたりするといいだろ
う。渋滞等に影響されることのない地下鉄ネットワークが広がっており、表示も判りやすくしっかりしている。アライバルホールに面したところにある観光案内所でツーリストマップでももらっておけば、ガイドブックなど持っていなくても特に不便に感じることはないはずだ。

浦東空港までの地下鉄2号線の途中駅、南京東路駅から、租界時代に建てられた壮大な西洋式建築が建ち並ぶ外灘は近いので、時間さえ許せば途中で降りて見物してみるのもいいだろう。とても飛行機の乗り換えのために立ち寄っているとは思えない、ちょっと贅沢で充実した気分になるはずだ。

クラシックな雰囲気の外灘から黄浦江を挟んだ対岸のモダンな眺めが好対照で面白い。

南京東路駅(地下鉄2号線)を出たところ

外灘の風景

観光客用のバス

外灘の対岸にはこんな景色が。重厚な石造りの建物が並ぶ外灘とは好対照なモダンな眺め。

〈続く〉

上海経由デリー行き1

中国東方航空にて、上海経由でデリーに行くことになった。

インドと中国双方のキャリアによる両国間の直行便が飛ぶようになったのは確か2003年あたりのことであったと記憶している。それまでは4,000kmにおよぶ長い国境線を分け合っている隣国同士を直接結ぶフライトはなかったのである。(香港を除く)

今では中国に仕事や観光などで訪れるインド人、反対にインドを訪問する中国大陸の人々も増えてきている。印中両国互いの不信感、とりわけ前者が後者に抱くネガティヴな感情はまだまだ深いものの、こうして両国間での経済活動が活発になってくることが、安定した二国関係への一番の方策だろう。互いに依存する部分が多くなればなるほど、相手国にて操業する企業等の活動が盛んになればなるほど、両国の政府はそう易々と相手国に対して軍事的な挑発はかけにくくなる。いわば相手国に預けている資産が増えるほど、軽はずみなことはしにくくなることは、いずこにおいても同じことだ。

さて、いつも日印両国のキャリアによる直行便あるいはタイ航空、キャセイパシフィック、シンガポール航空などを利用している私にとって、中国経由という選択は初めてだ。乗り継ぎ時間にかかる時間が長かったり、中国では長らく乗り継ぎでも到着時に入国手続き、出発前に出国手続きをしなくてはならなかったりするケースが多くて面倒という思いもあった。

インド行きのための中国での乗り継ぎについて、かなり遠回りとなる北京経由はともかく、上海での乗り換えはなかなか良い選択肢になるのではないかと思う。近ごろは同一キャリアを利用の場合は、中国の乗換地で出入国しなくて済んだり、荷物も最終目的地までスルーで行くことができるようにもなったりしている。

また、スカイスキャナー等で検索してみるとわかるが、ピークシーズンの比較的直前でもそれなりにリーズナブルな価格のチケットの入手が可能であることが多いようで、出発の日程が差し迫ってくるまで予定が立たないという場合などに利用できる可能性が高い。

それはともかく、上海経由で予約してEチケットを印刷してみて、やっと妙なことに気が付いた。「上海には国際空港がふたつある!」

到着は上海市の東にある虹橋空港、出発は西にある浦東空港である。両者の間には55kmほどの距離がある。日本の成田空港と羽田空港は90kmくらいの距離があるので、その6割くらいと思えばマシかもしれないが、上海の交通渋滞は世界的にも有名だ。両空港間を結ぶリムジンバスは運行されており、利用する航空会社がそのチケットを供給してくれるようだが、乗り換えに5時間半ほどあるとはいえ、道路状況がどんなものだか、かなり気になる。時間を容易に予測できる地下鉄利用のほうが安心だろう。

上海地下鉄マップ

国際線は虹橋空港のターミナル1(虹橋1号航站楼)に発着する。地下鉄で浦東空港まで移動するには、虹橋空港の国内線が発着するターミナル2(虹橋1号航站楼)まで、地下鉄10号線で移動して、そこから地下鉄2号線に乗り換える必要がある。

上海の虹橋空港の到着ロビーを出て右に進んだところ
道なりに進んでいくと地下鉄駅に
モダンな地下鉄プラットフォーム
地下鉄10号線に乗車
ひと駅先の虹橋空港ターミナル2駅で地下鉄2号線に乗り換え
地下鉄2号線車内

路線図上では、あたかも浦東空港まで直通になっているように見えるのだが、実際には広蘭路が折り返し駅になっているため、ここでプラットフォーム反対側から出る支線に乗り換えなくてはいけないことを付け加えておく。

あるいは、広蘭路の少し手前にある龍陽路から浦東空港との間を結ぶリニアモーターカーを利用することも可能だ。

こんな面倒があるので、予約の際に気をつけるべきは上海に出入りするフライトが両方とも浦東空港からのものであることを購入前に確認することであることがわかった。通常、上海の国際空港といえば浦東空港だが、日本を含む一部方面のフライトについては、まったく違う場所にある虹橋空港から出るものもあるからだ。私の場合はそのケースにあたる。

〈続く〉

Another Sky

ふと気が付くと、頭の奥で何か心地よい音が鳴っている。ここしばらく日に幾度となく繰り返しているのだが、頭痛や耳鳴りのような不愉快な類ものではなく、それとは真逆で実に快適なものなので、そのまま鳴るに任せている。
「何だっけ、これは?」と記憶をたどってみると、デリーに乗ってきた全日空のイメージ曲「Another Sky」であった。搭乗するときと、降りるときに流れていた気がする。
全日空はあまり利用しないので、すぐに思い出せなかったが、こんな良い曲が機内で流れるというだけでも、実に素晴らしいサービスだ。