PEN 『新しいインド 永遠のインド』特集

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遅まきまがら、現在発売中のPEN12月1日号はインド特集。『Amazing INDIA』のキャッチコピーとともに取り上げられている内容は、デザイン、テキスタイル、音楽からはじまり、料理に教育、ITに旧王族といった具合だ。スポットを当てるフィールドそのものには新鮮味や未知の発見があるわけではない。昨今のインド特集といえば、ことさら伝統的なものや古い側面と、最新のトレンドや華やかな消費生活を対比させて、『多様性の国だ』と演出しているものが多いが、そういう扱い方自体や紹介の対象となるモノ自体がマンネリ化しており、逆に『インドはこうですっ!』と、やけに画一的な印象を与えてしまいかねないことが気にかかるこのごろである。
それでもインド建築研究家による署名記事とともに、特集の協力者名に各方面専門家や有識者の名前があるなど、『クオリティ・マガジン』を謳う同誌らしく、インドのモダンな部分と伝統的な部分両方を、一般読者に伝えるために質の高い特集を目指しているようである。それぞれの記事は決して悪い内容ではなかっただけに、すでに手垢のついた手法で特集が組まれていたことのみが惜しまれる。
コンテンツそのもの以外に注目すべきことのひとつとして、この号で主要三都市として挙げられているのはデリー、ムンバイーに加えてバンガロールであることが挙げられる。最初のふたつは首都と最大の商都であるから当然のこととして、三番目が昔ながらの『四大都市』の残りふたつ、コールカターとチェンナイではなく、90年代以降急浮上してきたカルナータカ州都。在留邦人数も日本からの投資額はもちろん、IT関連という旬な産業で注目される街である。
年2回開催されるJETROによるBJTビジネス日本語能力テストの試験地もニューデリー、バンガロール、ムンバイー、プネーとなっている。今年度において前者ふたつは2回とも実施、後者ふたつは交代で隔回実施となっている。つまり『ビジネス日本語市場』としては、ムンバイーよりバンガロールのほうが上位になっていることがここに端的に示されているのだ。独立以来、軍需産業や電機産業が隆盛しつつも、諸外国から見ればインドに数多くある工業都市のひとつにしか過ぎなかったこの街だが、今や経済を主とする日本とのつながりという点で非常に深いものがある。また港湾を持たず内陸に位置するこの地方都市がインドを代表する国際都市にまで成長していることは、まさにこの街をリードする産業が重たくてカサ張る『モノづくり』ではなく、『頭脳』やそこから生み出される『アイデア』であるという性格を顕著に表わしているようでもあり興味深い。
各都市と日本とのつながりはさておき、近年の急速な発展のもとで地域格差も大きく広がりつつあるインド。前例のない好調な経済成長を続ける都市は、内外の更なる投資を呼び込む。労働市場としても拡大するにつれて外部からの人口が流入するとともに、都市部や周縁の郊外地域が拡大していく。そのいっぽう、停滞を続けている都市、成長を記録しつつも低率で推移しているエリアへ内外の注目度は相対的に低くなっていく。インド国内での地域間、都市間のバランスも大きく変化しつつあるのが今の時代である。新しいインドにおいて、四大都市という言葉の示すものが入れ替わる日、あるいはその言葉自体が死語となる日もそう遠くないのかもしれない。

2007年発売 昔のバックパッカー風写真機

Kenko
デジタル化が一層進み、統合・再編の嵐が吹き荒れるカメラ業界。他企業との合従連衡、事業部の売却、カメラ関係事業からの撤退ありといったなかで、表舞台から姿を消すものがあるいっぽう、交換レンズのメーカーとして知られるシグマのように、カメラ本体の製造へと再参入する会社もある。フィルター、カメラケース、メンテナンス用品等写真関連アクセサリー類で知られる企業、ケンコーもまたカメラ自体の製造に乗り出している。
私にとって同社によるコンパクトデジタルカメラ類について特に関心はない。だが既存のカメラメーカーが銀塩カメラの製造を中止するなか、あえて今になって(今年8月に発売)ニコン・ヤシカ/コンタックス・ペンタックスといったマウントに対応するマニュアルカメラ各種を売り出していることは注目に値する。
まだ手元にマニュアルカメラ用のレンズを持っている人は少なくない。中古市場でも沢山出回っている。これらを活用したいが、手元にあるマニュアルカメラ本体がない、あっても老朽化しているなどということもあるかもしれないし、こうしたモデルがすでに新品で販売されていないことに不満を抱く人もあるのではないかと思う。
そうしたニッチな市場向けではあるが、実売価格2万円台と手ごろなこともあり、ちょっと惹かれるものを感じる人は少なくないことだろう。ニコンのFM2やそれを引き継いだ後継機FM3Aまでもが生産終了している中、メカニカルシャッターを搭載したマニュアルカメラが新品で購入できるなんて!思わず触手が伸びそうになったが、よくよく考えてみるまでもなく手元にあったニコンのマニュアルフォーカスレンズはとうの昔に処分してしまっている。
造りがシンプルな分、故障が少なく、おまけに価格も手ごろということで、昔のバックパッカーたちがよく手にしていたようなメカニカルカメラ。本当に職業として撮影している人から自称カメラマンまで、旅好きな人たちの中には写真が大好きな人たちがとても多かったようだ。いまさらデジタルカメラの便利さを投げ捨てるわけにはいかないが、『ここぞ』という風景や被写体に出会ったときには、こんな『写真機』で一枚一枚大切に撮っていくのもいいんじゃないだろうか。
ケンコー フィルムカメラメニュー(Kenko)

再生グレート・イースタン・ホテルは2008年末オープン!

昔日のグレート・イースタン・ホテル
今年の初めに取り上げてみたグレート・イースタン・ホテル。訪れたときには外壁が剥がれ落ちたひどい状態の中で改修工事が進行中だったが、来たる2008年末までにBharat Hotels Ltd.のホテルチェーンであるThe Grandの名のもとにリニューアル・オープンすることになっている。その名もThe Grand Great Easternだ。
1883年、この国で最も早い時期に全館電化されたホテルのひとつだ。エリザベス二世、ニキタ・フルシチョフ、ホーチミンも宿泊したという名門でもあり、旧藩王国の当主や家族たちによる利用も多かったという。しかしインド独立から20年を過ぎたあたりになると、おそらく当時の世情や新興のホテルなどの追い上げもあり深刻な経営危機に陥る。その結果1975年にはグレート・イースタン・ホテルは当時の州政府が経営を握り公営ホテルとして存続することとなる。伝統はあれどもすっかり格式を失い、カルカッタの一泊千数百ルピー程度の中級ホテルのひとつとして内外のガイドブックに掲載されるようになり果ててしまう。
今年9月に版が改まる前のLonely Planet Indiaでは、このホテルについてこう書いてあった。『This rambling Raj-style hotel was originally called the Auckland when it opened in 1840. It has oodles of charm, but you pay for the privilege. 』
近年、この記述を目にしてここに宿泊した人たちの大半は、昔はちょっとマシだったのだろうなとは思っても、よもや1960年代一杯までは国賓級の宿泊客が利用する高級ホテルであったなどとは想像さえしなかったことだろう。なお新版には『Total renovation should majestically revive the iconic 1840s Great Eastern Hotel by the time you read this』と書かれているが、実際にそうなるにはまだあと1年ほどかかるのである。
グレート・イースタン・ホテルの今回の転身は、西ベンガル州政府による州営企業の不採算部門の民営化の一環として、民間への売却がなされたもので、Bharat Hotels Ltd.に売却が決まったのは2005年11月のことであったらしい。
老朽化し、古色蒼然としたたたずまいの中にも、カルカッタの街の歴史のおよそ半分におよぶ長い年月を経てきた貫禄と重みを感じさせる建物であった。このたび大手資本のもとで、改修にたっぷりと手間をかけて伝統ある高級ホテルとして再生することになる。清潔かつ便利ながらも無国籍で個性に欠けるシティホテルを新築するだけでなく、こうしてリッチなヘリテージホテルへ転用する素材にも事欠かないのは、やはりインドらしいところだ。

US$は要らない!

目下、ルピー高が続いているが、対米ドル相場上昇という現象を除いても、近年のインド・ルピーの安定ぶりはかつてなかったものだ。80年代から90年代半ばごろにかけては、その間に92年の経済危機の際のような大きな切り下げもあったが、概ね当時のインドにおける金利より少し低い程度、つまり10%前後の率で切り下げていたと記憶している。
90年代も後半に入ると、1ドルに対して30ルピー台後半、つまり40ルピーを少し切る程度、闇両替だと40の大台に届くかどうかといった具合になって以降、それ以前よりもゆっくりと価値を下げて45ルピーを越えるようになり、やがて1ドル=50ルピーあたりにまで下がってからは持ち直し、その後長らく40数ルピー台で推移するようになっていた。そこにきて今や1ドル38ルピー台、39ルピー台で行き来している。
その間、消費者物価は平均4〜7%弱程度上昇しているので、日本のようなゼロ成長の国で収入を得ている者にとって、まだまだ安く滞在できるインドとはいえ、相対的に『高く』なってきていることは事実だ。加えてGDP成長率が7%から9%台という、まさに世界の成長センターであることから、特に住民の間に可処分所得の多い都市部において、『お金を使うところ』『お金がかかるスポット』が増えている。この国を訪問する外国の人々は以前に比べて多くのお金を消費するようになってきていることも間違いないだろう。

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査証申請・引渡し業務の民営化

11月15日(木)から東京のインド大使館におけるインドヴィザの申請は、大使館認定業者のジャパン・オーバーシーズ・コーポレーションが請け負うことになり、同社によるインド査証申請センターにて、問い合わせ、申請書の受理、パスポートの引渡しが行なわれることになった。外交および公用パスポート所持者を除き、以降はインド大使館でのヴィザ申請受付はしないとのことなのでお間違いなく。インド国籍者への領事業務は従来どおり大使館で行なわれるとのことである。
この結果、申請受付時間が従来にくらべて大幅に広がり、午前9時から正午までと午後1時半から午後4時まで(前者は同日午後5時半以降受け取り、後者は次の大使館稼動日の午後5時半以降の受け取りとなる)となる。また土曜日の午前9時から正午まで、申請のみ可能となっている。同社のウェブサイトには、各種査証に関するFAQが設けられており、必要に応じて参照できるようになっている。日本の日曜・祝日以外に年3日の休業日がある。
しかしながら現在のところ、同センターのウェブサイト上にあるContact Usにある電話番号にかけると、インド大使館に転送されるようになっているのは気にかかる。ごくまれに受付担当者に連絡したいこともあるかもしれないし、ヴィザ申請提出そのもの以外にも何か関係する要件で、査証センターに直接問い合わせしたいこともあるかもしれない。書類を受け付ける窓口に直接電話できないのはどうかと思う。
査証センターを運営するジャパン・オーバーシーズ・コーポレーションのホームページ?にアクセスしてみると、少なくとも今日現在、これといったコンテンツがない。まだ未完成なのだろうか、これではもともと何をしている会社か見当もつかない。まずは業務のアウトソーシングありき、と見切り発車してしまったかのような印象を受ける。
ただいまインド大使館は、九段の施設老朽化のため改修工事中。そのため現在一時的に麹町に移転している。この業務委託はその関係での暫定的な措置かと思いきや、そうではなく今後ずっとこの形でいく予定とのこと。つまり査証申請受付と引渡し業務が民営化されたわけである。
査証の免除等については、相互互恵が原則だが、相手国が自国民に査証取得を課してしても、観光目的などの訪問者の誘致、業務の簡素化などを目的として、訪問者数が多く滞在にあたり特に問題が生じていない『お得意先』国民に対しては、短期滞在については査証なしでの入国を認めているケースも往々にしてある。たとえば日本人の対するタイ、オーストラリア人に対する日本の措置などがそうだ。インドが日本人に対して入国の条件を簡素化する日はいつか来るのだろうか?

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2007年11月15日(木)以降のインド査証申請先
〒112-0012東京都文京区大塚3-5-4, 茗荷谷ハイツビル1階
ジャパン・オーバーシーズ・コーポレーション
インド査証申請センター
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