US$は要らない!

目下、ルピー高が続いているが、対米ドル相場上昇という現象を除いても、近年のインド・ルピーの安定ぶりはかつてなかったものだ。80年代から90年代半ばごろにかけては、その間に92年の経済危機の際のような大きな切り下げもあったが、概ね当時のインドにおける金利より少し低い程度、つまり10%前後の率で切り下げていたと記憶している。
90年代も後半に入ると、1ドルに対して30ルピー台後半、つまり40ルピーを少し切る程度、闇両替だと40の大台に届くかどうかといった具合になって以降、それ以前よりもゆっくりと価値を下げて45ルピーを越えるようになり、やがて1ドル=50ルピーあたりにまで下がってからは持ち直し、その後長らく40数ルピー台で推移するようになっていた。そこにきて今や1ドル38ルピー台、39ルピー台で行き来している。
その間、消費者物価は平均4〜7%弱程度上昇しているので、日本のようなゼロ成長の国で収入を得ている者にとって、まだまだ安く滞在できるインドとはいえ、相対的に『高く』なってきていることは事実だ。加えてGDP成長率が7%から9%台という、まさに世界の成長センターであることから、特に住民の間に可処分所得の多い都市部において、『お金を使うところ』『お金がかかるスポット』が増えている。この国を訪問する外国の人々は以前に比べて多くのお金を消費するようになってきていることも間違いないだろう。


さて観光地で遺跡めぐりをしようとすると、『外国人料金』を支払うことになるケースがとても多いインド。そもそもこういう料金設定が始まったのはいつからであっただろうか。デリー在住の友人L氏によると、2000年になってASI (インド考古学局)管轄下にある世界遺産クラスの遺跡については10ドル、その他の主要なものについては5ドルという外国人料金(米ドルまたは相応のインド・ルピーによる支払い)を設定した。その後、観光業界その他の抵抗を受けて、これをそれぞれ5ドル、2ドルに減額することになったものである。
しかしながら多くの外国人観光客、とりわけこの国を初めて訪れる人たちにとって、インド観光の象徴となっているタージ・マハルの場合は、外国人の『入場料』は750ルピーあるいは500ルピー+5ドルになっていた。このうちASIのほうへ渡る金額は他の世界遺産クラスと同じく5ドルで、残りの金額はADA(アーグラー開発局)の収入となるのだが、一般の外国人入場者にとってそうした配分は何ら関係ない。ただ『タージ・マハルの入場料は別格だな、こりゃ!』ということになるだけだ。
ここにきて、先述のインド考古学局(ASI)管理の27の世界遺産クラスのものを含む120近くの遺跡・旧跡については、今後は米ドル払いを認めずルピー払いのみとなることになった。理由は、昨今のルピー高、とりわけ過去半年の間に対ドルのレートが12%ほど上昇したことによる、自国通貨ベースでの収入の大幅な落ち込みである。何しろ外国人料金を設定したころには1ドルが約50ルピーであったものが、今や40ルピーを割っているのだから、ドルによる料金の支払いがなされた場合、外国人1人当たりの『単価』がルピー換算して2割以上下がったことになる。
外国人料金設定に加えてドル払いしてもらうことによる旨みがなくなったとはいえ、インド人客たちが10ルピー、20ルピーといった金額を支払うのに対して、ずいぶんな額になってしまうことについては、いろいろ議論はあることは確かだ。これについて、下記リンク先のBBC記事によれば、関係者は『国際的な慣習である』『一般的にインド人の収入は外国人よりも少ない』『外国の観光地の入場料はインド人には高すぎる』といったコメントをしているとある。
要は入場料とは別に徴収されるカメラ代、やたらと高いビデオ代のごとく、『あるところから取る』というスタンスである。観光以外にもこんな例がある。最近インドの雑誌に掲載されていた記事にあったのだが、ムンバイーで民間救急車を運行させている会社があるそうだが、高額医療となる心臓疾患で搬送する場合は3000〜6000ルピー徴収するのだという。その他の民間病院の場合は1500ルピー、そして政府系の病院に行く場合は無料なのだとか。急行する機関がどこかということは、患者の懐具合を如実に反映するものであろう。
ただしチケット売り場に並んだ不特定多数のインド市民たちを前にして、『この人はいくら、あなたはいくら・・・』と相手ごとに料金を違えるなんてことができるはずはない。すると『祖国の発展と建設のため寄与している我が同胞』とそれ以外の人々といった形で色分けすることは、ある意味理にかなう。それに加えて外国人はインド政府の方針に対して異議を政治的に唱える手段を持たないため、こうした形で歳入の不足分を転嫁しやすいことは確かだろう。
もちろん一般のインドの人々が今の外国人料金並みの金額を支払うべきなどとは決して思わない。それでも外国人に対するあまりに現地の物価とかけ離れた料金設定はどうかと思う。そのお金が有効に使われるならばいいではないかという考え方については、私自身かなりの部分理解するものの、完全に同意するわけではない。また『インド人』が千差万別であるように、ひとくちに『外国人』といっても、実にさまざまである。今後『外国人料金』の対象から外れる人々もある。インドとその近隣国からなるSAARC(南アジア地域協力連合)の市民と証明書を持つPOI(インド出身者)がそれだ。もっとも彼らの場合、これまで往々にしてインド人料金で入場していたのではないかと思うのだが。
多くが生活に余裕のある『外国人観光客料金』ではなく、インド市民(および今後はSAARC市民とインド出身者)を除く、その他の国出身者に対する『外国人料金』であることについても一考の余地はある。インドの庶民と結婚してつつましく暮らす外国人も決して少なくないし、生活にゆとりはあっても自らの投資により地元に雇用を生み出し、あるいは持てる知識や技術等でインドの発展に寄与している在住外国人も多く、この国に対して祖国と同じくらいの愛着と憧憬を持って生きている人も少なくないだろう。彼らは納税を通じて国庫の歳入にも貢献している。
こうした人々をさておいても、豊かな国からやってきて外国人であっても、通常自身では経済的基盤を持たない学生については考慮されるべきだし、ましてやインドで学ぶ外国人留学生たちに対しては格別の配慮があって然るべきだと私は思う。しかし10億を軽く超える巨大な人口がひしめくインドに占める外国人留学生の数といえば、無に等しいといえる。そもそも圧力をかける政治力を持たない存在であるだけに、こればかりはいつの日か当局が善意ある方策を打ち出すことを期待するしかないといったところか。
いろいろ想うところはあるが、ともあれ外国通貨による支払いではなく、自国通貨でというスタンス自体はまっとうなものではある。ミャンマーのように、およそ入場料を徴収するような場所では米ドルによる支払いが義務付けられており、基本的にミャンマーの自国通貨チャットで払うことができないというのはどう考えても納得がいかない。
価値の変動が少ないという前提でドル料金を設定してみたものの、『年月経過してみると意外や意外、ルピーのほうが安定していた!』ということ自体は、たとえそれが輸出を志向する産業にとって足かせとなれども、今世紀をリードすべき大国インドの好調ぶりを象徴するものであり、決して悪いことではないかもしれない。
Dollars no good for the Taj Mahal BBC NEWS South Asia

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