「ヒルステーション」としてのラーンチー②

おそらくラーンチーの英領時代の面影を色濃くの残す地域は、ラージバワン(州首相官邸=英領時代は統治責任者の舘)界隈なのだと思うのだが、それらしきものはあまり残っていないようだ。

そんな中にオードリー・ハウスという建物があり、現在はラージバワンの敷地の一部となっており、ここの敷地内が往時をしのぶのにちょうど良さそうだ。外から見る限りでは、後世に加えられた不自然な構造物はほぼないように思われる。

建てた当時とは社会環境が異なるのでかなり改変が見られるのが常。典型的なものとしては、「天井」の例がわかりやすいだろう。インドでは暑季に高温となる地域が多く、暑季節そのものも長いため、英国本国の同時期の建物よりも、かなり天井が高くなっているのが常だ。

ところが今の時代になると、空調を使用することが多いが、果てしなく高い天井であってはエアコンをいくら回しても冷えないため、オリジナルの状態からは想像もつかないほど、低いところに天井をしつらえている。他にもいろいろあるが、英領時代とは仕事や生活のインフラが異なるので、建物の内外が必要に応じていろいろ改変される。

だがラーンチーの比較的冷涼な気候が幸いしてか、このオードレー・ハウスは、建築当初ほぼそのままの姿を今に伝えているようだ。ゲートから向かって左側のウイングがアートギャラリー、右側のウイングは文化イベントの開催用に使用されている。建物自体がオリジナルの状態に近いため、オードリー・ハウスの敷地内だけは、今も「ブリティッシュ・ラージ」の雰囲気が濃厚に感じられる。

前にも触れたが、かつてラーンチーは「ヒルステーション」として知られていた。政府や軍その他の業務に従事していた英国人たちの中で、熱病や結核はもちろんのこと、心を病む人も多かったという。慣れない土地での勤務からくる心労は多く、今でいう適応障害に苦しむ人もあれば、パワハラなどに悩まされた人たちも多かったことだろう。もとよりまだ「人権」の概念が確立していない時代である。

そんなわけで、ヒルステーションにはサナトリウムや各種病気の治療のための施設は付き物であった。冷涼な気候が患者の負担を軽減し、治療に利するとされたのは言うまでもない。

そんな中で、当時で言うところの「癲狂院」が沢山あったと言われるラーンチーだ。今となっては不適切な呼称だが、今でもヒンディー語では一般的にそう呼ばれている。「パーガル・カーナー」。文字通りの「癲狂院」であるが、驚くことに、新聞などメディアでもそう表記しているのを見かけたりする。

〈続く〉

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

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