「ヒルステーション」としてのラーンチー①

ラーンチーと言えば、2000年にビハールから分離して成立したジャールカンド州の州都となる前まで、「ヒルステーション」として知られていたが、ロンプラには「特に観るべきものものはなし」という風に書かれていたように記憶している。よく出来たガイドブックではあるが、そこに「見るべきものはない」と書かれていても、実際に何もないわけではないことが多いように個人的には思う。

たしかここは、暑季の保養地というよりも軍の駐屯地としての性格のほうが強かったように思う。ヒマーチャルプラデーシュ州にあるシムラーに対して、そこからさほど遠くない場所、つまりチャンディーガル方面に少し下ったところにあるカサウリーもそうだ。「夏の首都」として行政の中心地としての前者に対して、後者は軍のために用意されたヒルステーションであった。

現在もカサウリーにはインド軍が駐屯している。アングロ・インディアン作家のラスキン・ボンドがカサウリーの生まれということだけで、何かロマンチックな場所のように思われている面もあるが、シムラーのような華麗な場所ではない。それでも「アジア最古のビール」で知られるゴールデン・イーグルの醸造所が最初に開かれたのもカサウリーであった。

ウッタラーカンド州のマスーリーでは、軍の傷病者の治療施設が多く作られるとともに、結核患者用のサナトリウムも多かったなど、「ヒルステーション」とひとことでは括ることのできない、それぞれの特徴があった。

それはともかく、ゴチャゴチャと混雑している街、ラーンチーが、かつて「ヒルステーション」「保養地」として知られていたのは信じられない向きも少なくないかと思う。土地もほとんど平坦で、山の斜面に位置しているわけではなければ、丘さえも見当たらない。

ただ、ここは標高のある高原のため、気温は周辺地域よりもかなり低いため、夏季は比較的過ごしやすく、冬季はかなり冷え込む。

昔、ラーンチー出身の英国人に会ったことがある。1980年代終わりくらいの時期だったが、イギリスで仕事を引退して故郷を訪問していたとのこと。ラーンチーについてはとりわけ思い入れが深いようで、いろいろ話をしてくれた。前述のとおり、当時のロンリープラネットのガイドブックには「これといって観るべきものなし」みたいなことが書かれていたが、案外そうでもないのかも?と彼の話を聞いて思った。

英領時代は今のビハール地域で暑い季節だけパトナーに替わる夏の都として機能しており、英領期の建物などはけっこう残されている。独立運動に関わった政治犯を処刑した絞首台なども現存していると聞く。ラーンチーが今のような大都会になったのは、2000年にビハールから分離してジャールカンド州都となったからのことらしい。

州都だけに良質で美味しいものを食べられる場所には事欠かない。

〈続く〉

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

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