クルマは決して止まらない

 1980年代に初めてジャカルタやバンコクなどを訪れたとき、まずビックリしたのはそのクルマ社会ぶりであった。当時まだ良くも悪くも「自力更生」型社会だったインドとは対照的に、早くから外資を積極的に導入していたアセアンの代表的な国々の都会では、購買力旺盛な中間層がとっくの昔に出現していた。そして彼らの間では自家用車を持つことがごくあたりまえのことにもなっていた。
 よく見ると中古車が多かったり、似たようなクルマでも仕様が現地の経済水準に合わせた廉価版だったりするものの、その様子は東京の風景とさほど変わらないようであった。道路は広々としていて舗装状態も良好だ。
 だが同じ往来でも自分の足で歩いてみるとずいぶん勝手が違うことに気がついた。渋滞地域を除いて「大通り=高速道路」ではないかと思うほど、ビュンビュン飛ばしている。自動車の流れを妨げる(?)歩行者用信号機が少なく、極端なクルマ優先(最優先?)設計になっているので、歩行者たちは常に「決して止まらないクルマ」に細心の注意を払って市内を歩かなくてはならない。
 片側三車線の道路ともなると横断するのは不可能に近かった。地元の人たちは動じることなく一車線ずつ進んでは路上に引かれた郵便ハガキの幅ほどの白線の上でクルマの流れが途切れるのを待っている。 両側からバスやトラックのような大型車両が突進してきて「あぁ、ダメだ」と顔をそむけてしまうが、再び目をやると彼らは何ごともなかったかのようにまっすぐに立っている。本人たちにとってはこれが日常なのだろうが、ヨソ者にとっては見るだけで心臓に悪いことこのうえなし。最寄りの歩道橋が1キロも先だったりするとわざわざそこまで迂回して横断する気ならないのだろう。
 クルマのための環境が優れているのとは裏腹に、額に汗してテクテク歩く人のためにはやたらと不都合にできているのはいかがなものか。途上国だから仕方ないといえばそれまでだが。
 自家用車やタクシーの多くは小型車であっても、やはりトヨタや日産などの日本ブランドだけあって高性能だ。そんなクルマたちが大いに飛ばす中、ノーヘルのライダーを乗せたやはり日本メーカーのバイクが、羽でも付ければ空を飛ぶのではないかと思うほどの超高速でカッ飛んで狭い車間をスリ抜けていく。もちろん彼らは追い越したトラックの斜め前方に歩行者が立っているかも?なんて気の利いた予測をするはずもないから恐ろしい・・・。
 いいモノを持っていても、交通マナーがあってないような具合では危ないなぁ、そこにくるとインドはあまり速いクルマもスムースな道路もないから楽だなぁ、などと思っていたのもそのころだった。

続きを読む クルマは決して止まらない

アウト!

 世にもキビシイ茶店があった。紅茶もミルクもスパイスも全て濃い、まるで甘いスープのように素敵なチャーイを出す店なのだが、何故だかとてもキビシイ。
 市内中央の野菜市場とバス停そばの角地にあり、朝から晩までいつも込み合っていた。ランニング姿で、肩から擦り切れたタオルをかけた「大将」は出納台にどっかり腰を下ろし、手下たちに大声で号令を下している。ひっきりなしに客が入ってくる。コンロの前で大汗かきながらお茶をいれる役の男は手を休めるヒマもない。
「大将」は相当な頑固者なのかスナック類は一切置かず、露店の同業者のごとく単品で勝負している。それでも繁盛しているのは立地の良さもさることながら、ここのチャーイの美味なるゆえだろう。繁華街なので付近に他の茶店はいくつもあるのだが、常に客で一杯なのはここだけだ。
 彼の見上げたところは、気に入らない客は平気で追い返してしまうことだ。一緒に店に入ったカナダ人が「あの〜、砂糖抜きで」などと余計なことを口走ったため、二人まとめて即退場となった。
次は一人で行ってみた。店には唯一チャーイしかないのだから、声に出して注文する必要はない。席に着くのとほぼ同時に出てきたカップの中には、ミルクチョコレート色の濃い液体が入っている。胃に悪そうなくらい強く、唾液がじんわり湧き出してくるほどのコクがある。こいつは旨い。
 そこで私は再び退場を食らった。膝の上でガイドブックのページをめくったからだろうか?「大将」は不機嫌そうな顔をこちらに向けた瞬間、嫌な予感がしたのだが。
 手下がツカツカとやってきて、まだ半分近く残っていたカップを下げてしまった。「大将」は黙って店の外へとアゴをしゃくる。カップの耳から手を離すとアウトということなのか?はなはだ無念である。茶店なんて確かに長居するところではないが、それにしてもせっかち過ぎるのではないだろうか。
 店内は混雑しているが、その割にはいつも静かだ。お客たちはマジメな面持ちで黙々と熱いカップを口元に運ぶか、ソーサーに垂らしてすすっている。おかげで客の回転は速い。
 ひょっとして「私語セル者ハ退場ヲ命ズ」などと壁に貼り出されているのだろうか、と見回してみたがそれらしいものは見当たらない。日本で「通な人たち」が出入りするラーメン屋にしばしば常連客にしかわからないシキタリめいたものがあり、新参者は見えない壁の前に疎外感をおぼえることがあるのをふと思い出した。
 ともあれサッサと飲まないと、カップを没収されることを体得したので、休まずズズズッとすすって外に出ることにしよう。入れ替わりに別の客が割り込むようにして入ってくる。
 2001年の大地震が起きる前、グジャラート州西部カッチ地方のブジという街での話である。

CHAI IN CHINA

 十数年前の話になるが、中国雲南省の瑞麗(ルイリー)という町を訪れたことがある。同省南西部、ミャンマー領にやや食い込んだ地形で、古くからここに住むタイ系の景頗族自治州の中心地だ。漢族は人口の半分にも満たないのだという。
 周囲を山岳地に囲まれ、他のさまざまな少数民族の出入りも多く、今ではすっかり有名な観光地になっている。しかし外国人の旅行にいろいろと制限が多かった当時、この町はようやく「開放」されたばかりであったと記憶している。
 国境貿易で栄えるこの町は、許可を得たミャンマー人の就労やビジネス等が認められており、なかなか国際的な土地柄でもある。
 タイやマレーシア製の生活雑貨や電化製品を中心に外国製品が氾濫し、路上では浅黒い肌の人たちがミャンマー特産のルビーだという触れ込みで怪しげな石を商い、夜になると国境の向こうからやってきた娼婦たちが出没するなどといった話を聞いた。地元の人たちに紛れてミャンマー側の町を訪れた(警察に捕まるとちょっと厄介なことになるが)という旅行者にも会った。
 何かと中国らしからぬ雰囲気に満ちているこの町ならでは、インド系の人たちが経営する店がかしこにあるともいう。ミャンマー、特にその都市部ではインド系人口が多いので、こういうところに出てくる人だって少なくないのだろう。ちょっと興味を引かれた。

続きを読む CHAI IN CHINA

メディカル・ツーリズム 日本人も視野に

 インドはいまや、格安料金で先端医療を受けることができる人気の国。特に近隣国、中東方面から臓器移植などの大がかりな手術を目的に訪れる人は少なくない。
 昨年パキスタンとの陸路往来が再開されたとき、ラホール―デリー間の最初のバスに乗って両親と一緒にインドへやってきた少女ヌール・ファティマーは、デリーから飛行機でバンガロールへ飛び同市内で入院した。彼女の心臓手術は、印パ関係改善の象徴であったが、同時に医療分野におけるインドの優位性を内外にアピールしたともいえるだろう。
 この国にそうした先端医療がちゃんと存在することは間違いないが、だからといってこの国が「医療先進国」であるとは言えない。あくまでもポイントは「低コスト」であり、対費用の効果が大きいがゆえに注目されるのである。
 インドではひところ臓器売買が社会問題になった。(規制は強まったようだが、多分今でも…)
 倫理的な問題はあるが、切羽詰った患者にとっては貴重なチャンスである。費用さえ準備できれば、ドナーが比較的見つかりやすい現状は否定できない。
 インド政府観光局の日本語パンフレット(2004年9月発行)では、メディカル・ツーリズムに焦点を当て、新しいインドを紹介している。「バンガロール〜ガーデン・オブ・ライフ〜」というタイトルの小冊子には、同市内のマニパル・ホスピタルや、サーガル・アポロ・ホスピタルといった有名大病院の簡単な紹介と連絡先などが記載されている。いよいよジャパン・マネーがターゲットとなりつつあるようだ。
 近年のヒーリング・ブームで、アーユルヴェーダ体験ツアーの広告をよく見かけるようになったが、本格的な近代医療ツアーはまだ耳にしたことがない。だが、この調子だと近い将来、通訳つき医療ツアーも始まるかもしれない。
 多くの日本人にとって、いくら格安で先端医療を受けられたとしても、外国の病院ともなれば、言葉の問題もあり、お国事情もわからない。しかも大きな手術を受けるようなことになれば、なおさら不安は募る。直接コンタクトすることをためらうのが普通だろう。
 すでに政府関係機関がこんな冊子を準備している裏には、利にさといインドのツアーオペレーターたちが、自国の先端医療機関と手をむすび、着々とツアーの準備を進めているのかもしれない。
 普通の旅行と違い、まさに生命にかかわることだし、費用も観光の比ではない。こうした手配でトラブルが起きることのないよう、窓口機関などの整備をインド政府に期待したいところだが、ちょっと(かなり?)危険な匂いを感じるのは私だけだろうか。

続きを読む メディカル・ツーリズム 日本人も視野に

東京にインド人学校オープン

 かねてよりインド人学校開校の噂はあったが、ついに今年8月からスタート。東京都内でも特に江東区はIT関係を中心としたインド人居住者が多いことで知られているが、このインド人学校が開校したのもやはり同区内だ。
 面白いことに、インド人児童以外にパキスタン人がふたり、日本人もひとり在学しているのだという。小さい子どもがいるインド人のパパやママにとっては、やたらと学費が高いインターナショナル・スクールに通わせる必要はなくなり、子どもたちにインド人としての教育を受けさせることができてホッと一安心、というところだろうか。
 民族教育を施す学校ができたということは、コミュニティがそれなりの人口規模を持つようになった証だろう。(東京都内在住インド人は約5700人) 幼い子どもの教育に関する心配事が減ったことにより、いままでより家族で移住あるいは赴任がしやすくなると思われる。
 今後、日本に住むインド系の人びとが次第に定住志向を持つようになっていくのかもしれない。もっともこのインド人学校には幼稚園と小学校しかないので、中学以降どうするのか考えなくてはならないのだが。
 日本で暮らすインド人に限ったことではないが、仕事の都合で異国で暮らすことになった両親、そして当の子どもたちにしてみても、「学校」や「教育」は切実な問題だ。
 このインド人学校スタートのニュースは非常に喜ばしい話であるとともに、これが呼び水となり江東区の「インド化」がますます加速されていくのではないかと私は予想している。
New school in Tokyo opened amid rise in number of Indian residents ( Japan Times )