Sweet water in Mumbai

 ムンバイーで『海水が甘い!』と話題になっていることは数々のメディアで伝えられているところだが、実際のところどんな味がするのだろうか?今ちょうどその水際にいる方があれば、ぜひお話をうかがいたいと思う。本当に『甘い』のかそれとも海水なのに『塩気が感じられない』というのか?
 いずれにしてもこのウワサが本当だとすれば海の中で何が起きているのだろうか。こんな大きな話題になっている。このトピックを取り上げる地元マスコミ人たちは味見くらいしているのだろうか?
 アラビア海に面したチョウパッティ・ビーチを散策すると、しばしばコンコンと水が湧き出ている(?)様子が見られる。正体を確かめようと砂を掘り起こしてみたことがある。だが予想に反してそこには水道管だか下水管だかがあり、ここから派手に漏水していることがわかってガッカリした。同じ浜辺の別の地点でも波打ち際の砂地から滔々と湧き出る水流が出現している様子に気がついた小学生の息子に『ほら、足元に地下水脈があるんだ』と説明をしている父親の姿に思わず苦笑してしまった。
 でもひょっとするとムンバイーの沿岸の海底では本当に大水脈から真水が湧き出ているのだろうか?と思わせるような出来事だ。でも今になって急に水量が増えて『甘くなった』とするならば『ひょっとして近いうちに大きな地震でも?』と不安ならないでもない。それともやっぱり大型の配水管や下水管が破裂して海水の味を大きく変えてしまっているのか?大都会のミステリーの裏に隠された真実やいかに??
Hundreds drink ‘sweet seawater’ (BBC South Asia)

ビスミッラー・カーン没す

bismillah khan
 独立後のインドを代表する伝統音楽家、偉大なるシェナイ奏者ビスミッラー・カーンが自宅のあるバナーラスの病院で心臓発作により息を引き取った。しかし今年3月に90歳の誕生日を迎えた彼だ。まさに大往生である。
 現在のビハール州にあった藩王国の宮廷音楽家の家柄に生まれ、わずか6歳にして音楽の道に入ったという。シーア派ムスリムであるとともにヒンドゥー教のサラスワティ女神を敬愛してきた彼はこの亜大陸を占める二大宗教間の友好関係を象徴するかのような存在でもあった。
 ご冥福をお祈りいたします。
National mourning for Ustad Bismillah Khan (Times of India)

インド空のキャンペーン価格

 エア・デカンから広告メールが届いた。三周年記念キャンペーンとして同社が運行するさまざまな区間の料金が掲載されている。『格安度』は路線により違う。また同じ区間でも上り下りによって異なっていたり、どちらか一方にしかキャンペーン料金が設定されていないこともあるようだ。
 以下、かなり長いが今回のキャンペーン料金一覧である。
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アーメダーバード・チェンナイ 574
アーメダーバード・ハイデラーバード 574
グワーハティー・コルカタ 74
グワーハティー・デリー 999
グワーハティー・バグドグラ 74
ゴア・ムンバイー 499
コーチン・トリバンドラム 1
コーチン・ハイデラーバード 74
コーチン・ムンバイー 574
コインバトール・コーチン 1
コインバトール・チェンナイ 574
コインバトール・ハイデラーバード 74
コルカタ・グワーハティー 74
コルカタ・デリー 499
コルカタ・チェンナイ 1299
コルカタ・ハイデラーバード 499
コルカタ・バンガロール 1999
コルカタ・ポートブレア 1624
コルカタ・ムンバイー 1999
ジャンムー・スリナガル 1
スリナガル・ジャンムー 1
スリナガル・デリー 474
チェンナイ・アーメダーバード 574
チェンナイ・コルカタ 1074
チェンナイ・デリー 1574
チェンナイ・ハイデラーバード 74
チェンナイ・ムンバイー 574
チェンナイ・ポートブレア 1574
デリー・スリナガル 474
デリー・チェンナイ 1599
デリー・ハイデラーバード 999
デリー・パトナー 74
デリー・バンガロール 1774
デリー・ムンバイー 974
トリバンドラム・コーチン 1
トリバンドラム・チェンナイ 74
トリバンドラム・デリー 2074
トリバンドラム・ムンバイー 574
ナーグプル・ムンバイー 74
ハイデラーバード・アーメダーバード 574
ハイデラーバード・コーチン 74
ハイデラーバード・コインバトール 74
ハイデラーバード・コルカタ 499
ハイデラーバード・チェンナイ 74
ハイデラーバード・デリー 999
ハイデラーバード・ムンバイー 74
バグドグラー・グワーハティー 74
バグドグラー・デリー 1999
パトナー・デリー 74
バンガロール・コルカタ 1599
バンガロール・プネー 74
プネー・デリー 999
プネー・バンガロール 74
ポートブレアー・チェンナイ 1574
ポートブレアー・コルカタ 1624
ムンバイー・バンガロール 499
ムンバイー・チェンナイ 999
ムンバイー・コーチン 574
ムンバイー・コインバトール 999
ムンバイー・デリー 999
ムンバイー・ハイデラーバード 74
ムンバイー・コルカタ 1999
ムンバイー・ナーグプル 74
ムンバイー・トリバンドラム 574
※料金表示はいずれもルピー
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 トリバンドラム・デリー間の2074ルピーでさえも充分『安いなあ!』と感じるだが、コルカタ・デリー間が499ルピー、チェンナイ・トリバンドラム、バンガロール・プネー、ムンバイー・ハイデラーバードといった区間はなんと74ルピー。さらにスリナガル・ジャンムー、コーチン・トリバンドラム、コインバトール・トリバンドラムの運賃がわずか1ルピーなんていう超ビックリ価格もある。
 ちなみに1ルピーの運賃に加えて空港税等として875ルピー、また手数料50ルピーがかかってくるため所要金額の合計は926ルピーとなるが、それにしてもこんな格安料金で空を移動できたらうれしいものだ。
 上記の料金がキャンペーン期間のすべての座席で適用になるわけではなく、限られた数しか確保されていないのだが、本日同社の予約サイトにアクセスしてみると、一桁や二桁の激安料金の席にもまだかなり空きがあった。
 思わず我を忘れてジャンムー・スリナガル間の往復(わずか2ルピー!)の予約を入れてしまいそうになるのだが、 そもそもジャンムーまでノコノコ出かけている時間さえないのだぞ!とはやる気持ちを抑えるのに懸命なもうひとりの自分がいた。
 インドの『安い航空会社』の先駆けであるエア・デカンも、後発各社の参入により追われる立場になりつつある。すごい時代になってきた。格安航空各社がたびたび打ち出してくるこうしたキャンペーン料金、うまくタイミングさえ合えばぜひ利用してみたいものである。

マナーリーの婿殿たち

 インディア・トゥデイの8月2日号に『ガイコクの花婿と土地の花嫁』と題した記事が掲載されていた。外国人旅行者が大勢訪れるヒマーチャル・プラデーシュのマナーリー、とりわけヴァシシュトやマニカランといった長期滞在者の多い地域で、欧米から来たバックパッカー男性と現地の女性との婚姻が増えているとのこと。彼女らはたいてい宿の経営など旅行者相手の仕事にかかわる者の親族であり、あまり高い教育を受けていない人たちが多いとも書かれていた。
 地元の行政当局が把握しているのは現在までのところ30件程度。しかしこれらは外国人配偶者が現地に定住することを選び、すでに一年以上滞在している場合のみに限っての話だそうだ。だが他の地域に移動あるいは出国したカップルについては把握していないため、外国人との婚姻の数はもっと多いはずだという。
 記事中には地元に定住したカップルたちの実例がいくつか取り上げられていた。当初は旅行者としてやってきた外国の若者たちがヒマーチャル女性と結婚して子供をもうけ、地元の方言や習慣などを身につけて生活していること、長く暮らすにつれて地元の人々にも受け入れられている様子などが描き出されていた。
 あるドイツ人男性は宿の主人の娘と結婚し、彼女の親戚の家を借りて彼本人もまた宿を営んでおり、故郷で農業に従事していたオーストラリア人男性はここで結婚してからマナーリーで畑仕事にいそしんでいるという。
 通常、欧米人男性との国際結婚といえば都会のミドルクラス以上で学歴も経済的な水準も高く、かつリベラルな家庭環境にある女性であることが多いと思われるのだが、それとは対極の層でこうした事例が増えているということが注目を浴びたのだろう。
 もちろん田舎でも観光地にあればそこを訪れた外国人と地元のインドの若者が知り合うきっかけがあるのだから、こういう結婚が増えてきても特に不思議なことではない。記事に取り上げられてはいなかったが、日本人男性でも同様の事例があるかもしれない。
 個々のケースについてはおおむね好意的に取り上げられていたが、こうした結婚の動機について『外国人は合法的に長期滞在できるし費用も安い。インド人にとって経済的な援助や外国移住の可能性といったメリットが大きい』と非常に単純化して結論づけてしまっているのが気になった。
 そしてこのたび同誌の8月16日号には、この記事に対する読者の反応がふたつ取り上げられていた。他にもいろんな意見があったのではないかと思うのだが、おおむね都会の人々からはこういう風に受け取られるのかもしれない。
『外国の若者がわが国の無学で貧しい女性と結婚する例が増えているという記事を見てとても驚いた。これが麻薬の入手目的だとすればそんな結婚生活は長続きするはずはないだろう』
『外国人がヒマーチャルの女性と結婚して地元の文化にどっぷり浸かって暮らしているということを読んでびっくりした。貧しい地元女性たちにしてみれば貧困と日々のきつい労働から解放されていいのだろうが、外国人たちにしてみれば一体何の得があるというのだろうか。背後に何かよからぬ企みでもなければいいのだが・・・』
 ごく一部の豊かな人々しか『海外観光旅行』することができないインドとは裏腹に、先進国のあらゆる階層の人々にとって物見遊山でインドを訪れることができる。  ひとくちに『外国人』といってもいろいろあるし、価値観もさまざまで経済的に上を上をと目指している人たちばかりでもない。だからなおさらのこと同誌の読者たちにとって『なんだか訳がわからん』ということになるのだろう。
 こうした見方をされる部分はあるにしてもこの『ガイコクの花婿』たち、雑音に惑わされることなく良き夫として父親として幸せな家庭を築いて欲しいと思う。

世界最古の『会社』

 歴史と文物の宝庫インドでは、東西南北どこに行っても由緒ある建物や街並みに出会うことできる。文化の多様性と重層性をヒシヒシと感じさせてくれるこの国は、いつどこを訪れても非常に興味をそそられるものだ。
 ところで我らがニッポンの『カイシャ社会』の中には、仰天するほど長寿な企業が存在していることに気がついた。それは起源を江戸時代にまでさかのぼる反物屋や百貨店といった程度の話ではない。なんと紀元578年創業なのだというからびっくり。
 イスラーム教の預言者ムハンマドが誕生したのが570年あたりとされるし、インドではアジャンターの石窟がまだ現役の僧院群として機能していた時代だ。玄奘三蔵がインドを訪問したのはさらに50年ほど経ってからだ。
 その『歴史的企業』金剛組は総合建設会社だが、特に寺社建築の設計・施工・文化財建造物の復元、修理等を得意としている。会社の沿革をひもとくと実に興味深いものがある。
 紀元578年に聖徳太子の命を受けて百済の国から三人の工匠が招かれ、この中のひとり金剛重光なる人物が興した宮大工集団が現在の金剛組のはじまりだという。そして『三人の工匠は仏への帰依の心をこめ、そのもてる技(わざ)のすべてをもって、四天王像をまつる寺院創建のために尽くしました』と同社のウェブサイトにある。四天王寺に続き法隆寺を建設したのだそうだ。
 以来日本の寺社建築とともに千四百年という気の遠くなるような長い時間を歩んできたのだから世界遺産みたいなものである。ウィキペディアによれば金剛組は現存する世界最古の企業(ただし株式会社化は1955(昭和30)年)だ。
 ただし今年1月に現代の当主である金剛重光氏により、中堅ゼネコン高松建設の子会社としての新たな『金剛組』に営業譲渡して社員の多くを移籍させ、もともとの母体である旧来の金剛組についてはケージー建設と改称したが、7月下旬に自己破産を申請している。
 これらの一連の動きにより、今年からは金剛組とそれを千四百年以上もの長きにわたって率いてきた金剛一族との縁は解消されたといえるが、歴史という視点から眺めると日本の会社社会もなかなか捨てたものではないようだ。
ケージー建設:大阪地裁が破産手続き 日本最古の建築会社
(毎日新聞)