マナーリーの婿殿たち

 インディア・トゥデイの8月2日号に『ガイコクの花婿と土地の花嫁』と題した記事が掲載されていた。外国人旅行者が大勢訪れるヒマーチャル・プラデーシュのマナーリー、とりわけヴァシシュトやマニカランといった長期滞在者の多い地域で、欧米から来たバックパッカー男性と現地の女性との婚姻が増えているとのこと。彼女らはたいてい宿の経営など旅行者相手の仕事にかかわる者の親族であり、あまり高い教育を受けていない人たちが多いとも書かれていた。
 地元の行政当局が把握しているのは現在までのところ30件程度。しかしこれらは外国人配偶者が現地に定住することを選び、すでに一年以上滞在している場合のみに限っての話だそうだ。だが他の地域に移動あるいは出国したカップルについては把握していないため、外国人との婚姻の数はもっと多いはずだという。
 記事中には地元に定住したカップルたちの実例がいくつか取り上げられていた。当初は旅行者としてやってきた外国の若者たちがヒマーチャル女性と結婚して子供をもうけ、地元の方言や習慣などを身につけて生活していること、長く暮らすにつれて地元の人々にも受け入れられている様子などが描き出されていた。
 あるドイツ人男性は宿の主人の娘と結婚し、彼女の親戚の家を借りて彼本人もまた宿を営んでおり、故郷で農業に従事していたオーストラリア人男性はここで結婚してからマナーリーで畑仕事にいそしんでいるという。
 通常、欧米人男性との国際結婚といえば都会のミドルクラス以上で学歴も経済的な水準も高く、かつリベラルな家庭環境にある女性であることが多いと思われるのだが、それとは対極の層でこうした事例が増えているということが注目を浴びたのだろう。
 もちろん田舎でも観光地にあればそこを訪れた外国人と地元のインドの若者が知り合うきっかけがあるのだから、こういう結婚が増えてきても特に不思議なことではない。記事に取り上げられてはいなかったが、日本人男性でも同様の事例があるかもしれない。
 個々のケースについてはおおむね好意的に取り上げられていたが、こうした結婚の動機について『外国人は合法的に長期滞在できるし費用も安い。インド人にとって経済的な援助や外国移住の可能性といったメリットが大きい』と非常に単純化して結論づけてしまっているのが気になった。
 そしてこのたび同誌の8月16日号には、この記事に対する読者の反応がふたつ取り上げられていた。他にもいろんな意見があったのではないかと思うのだが、おおむね都会の人々からはこういう風に受け取られるのかもしれない。
『外国の若者がわが国の無学で貧しい女性と結婚する例が増えているという記事を見てとても驚いた。これが麻薬の入手目的だとすればそんな結婚生活は長続きするはずはないだろう』
『外国人がヒマーチャルの女性と結婚して地元の文化にどっぷり浸かって暮らしているということを読んでびっくりした。貧しい地元女性たちにしてみれば貧困と日々のきつい労働から解放されていいのだろうが、外国人たちにしてみれば一体何の得があるというのだろうか。背後に何かよからぬ企みでもなければいいのだが・・・』
 ごく一部の豊かな人々しか『海外観光旅行』することができないインドとは裏腹に、先進国のあらゆる階層の人々にとって物見遊山でインドを訪れることができる。  ひとくちに『外国人』といってもいろいろあるし、価値観もさまざまで経済的に上を上をと目指している人たちばかりでもない。だからなおさらのこと同誌の読者たちにとって『なんだか訳がわからん』ということになるのだろう。
 こうした見方をされる部分はあるにしてもこの『ガイコクの花婿』たち、雑音に惑わされることなく良き夫として父親として幸せな家庭を築いて欲しいと思う。

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