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カテゴリー: travel

  • ペリンへ

    ペリンへ

    午前中はガントク市内を散策。せせこましい斜面の街並みに高層建築が増えているため、街路は陽当たりが悪く、寒々とした感じがする。
    ガントクの乗合ジープスタンドから出発
    予約した乗合ジープは昼過ぎの出発。できればもっと早い時間に出たかったが、いかんせん本数が少な過ぎる。州内の交通の大半が乗合ジープであるのは、道路が細くて舗装も貧弱であるため仕方ない。だが他州に較べると格段に人々の移動が少ないのではなかろうか。もちろん、それだけ人口が希薄であるということにもなる。
    決して豊かな州ではないし、これといった産業があるわけでもない。その割には極端な貧困層は多くないように見えるのは、やはり人口が少ないことと、中央政府が予算配分で優遇しているということもあるだろう。国境線を巡って幾度か痛い目に遭わされてきたインドとしては、すぐ北にある中国に対する警戒心を解くわけにはいかない。
    ガントク市内を南に下る。家並みが密集している中、ぽかんと開けた空間があった。Iリーグのスィッキム・ユナイテッドの本拠地グラウンドである。元インド代表ストライカー、バイチュン・ブーティヤーは現在ここに在籍している。この時期なのにピッチの緑がつやつやと輝いているのは、まさかグラウンドの整備が行き届いているためというわけではなく、おそらく人工芝なのだろう。
    行けども行けども、山また山。スィッキム州の景色は素晴らしい。同じチベット仏教地域でもラダックのあの月面のような風景とはまったく違い、つやつやとした豊かな緑に恵まれている。水も豊富でところどころで岩清水が湧いては流れ落ちている。自然の恵みの豊かさを感じる。ラダックに較べると、チベット仏教色がやや薄く感じられるのは、仏教徒以外の住民も多いからに他ならない。
    クルマに乗り合わせている人たちの大半はベンガルからの旅行者たち。私の後ろには四人の家族連れと最後の列の席にはカップルがいる。それにしてもジープに11人乗るので、かなりきつい。私は最前列の左側。運転手の横に私含めて二人座っている。それでも最前列はまだいい。後ろの席はもっと窮屈そうだ。乗合ジープはたくましい駆動力で山道を進んでいく。やはり4WDのクルマは、きれいに舗装された市街地で乗るものではない。悪路で荒っぽく使いまくるためにあるのだ。
    街道沿いの茶店で休憩
    タルチョが風にはためく
    ガントクからペリンまで5時間半ほど。道のりを半分ほど来たあたりで、食事休憩が入った。天気は良く陽射しもいいのだが、気温はかなり低くてカゼを引きそうだ。休憩後走り出して間もなく、ラヴァングラーの町を通過する。スィッキム州では、山道を走っていると、いきなり町に入るのでちょっとビックリする。それだけ人々が密集して暮らしているということなのだろう。あまり広がりすぎると往来が困難になるとともに、おそらく電気や水道等のインフラの整備の関係もあるのではなかろうか。狭くコンパクトにまとまることにより、限られた費用で生活や産業の基盤を整えることができると考えられる。
    どこもかしこも山景色
    市街地に入ったときだけ、スマートフォンでインターネットに接続できるようになる。そして郊外に出ると可能なのは通話のみ。人口が希薄でアンテナ等施設の設置と維持に費用がかかる割には投資分の回収を期待できそうにない地域では、相変わらず民間の携帯キャリアではなく、BSNLが強いらしい。
    それでも、ここ10年ほどでインドの通信事情は飛躍的に向上している。インターネットが普及してきたころ、ネットカフェで30分くらい費やしてもメールチェックさえできなかったりすることが珍しくなかったことが、ずっと遠い昔のことのように思える。今ではスマートフォンで手軽に見ることができるし、フェイスブックで友人・知人たちの近況を知ったり、こちらから投稿したりすることができる。インドの場合、スタート地点が低かっただけに、その成長ぶりには目を見張るものがある。
    スィッキムはインドの東のほうにあるため、夕暮れどきがずいぶん早い。午後5時にはもう真っ暗。日没は4時半過ぎくらいではないだろうか。その理由のひとつに山並みが太陽を遮ってしまうことも挙げられる。
    ペリン到着まであと少し
    5時を回って「夜になる」と、満月が美しかった。山あいに点々と光る電光を目にすると、それらの場所に人々の暮らしがあることを気づかされる。スィッキム州の給電事情は良好だ。水力発電が盛んであるためだろう。すぐ隣のブータンもインドに売電しているくらいだから、スィッキムも州外に電気を売るくらいの余裕があるのかもしれない。
    午後6時にペリンに到着した。アッパー・ペリンの宿の前で降車。小さな町ではあるが、正面には24時間営業の銀行ATMがあるのにはちょっと驚いた。チェックインの手続きをしていると、日本人旅行者Uさんに出会った。ちょうど明日は周囲を観光するとのことなので、クルマをシェアさせてもらうことにした。
  • ガントクと周辺を見物2

    ガントクと周辺を見物2

    前日の夕方、A先生のお宅を訪問する前にも少し調べてみたのだが、スィッキム州東部の高地にあるチャングー湖に行こうとしている外国人のグループがないか、付近のホテルや旅行代理店を回って尋ねてみる。

    もちろんクルマのチャーター料金が他の人とシェアして安く済めばそれに越したことはないのだが目的はそれではない。そこを訪れるにはパーミットの申請が必要になるのだが、外国人の場合は最低2人のグループであることが必要となっているためだ。

    念のため、MGマールグにあるスィッキム・ツーリズムにて確認してみると、やはりひとりでは申請できないことになっているようだ。パーミットを発行するのは、まさにこの事務所であるのだが、個人での申請は不可で、必ず旅行代理店経由で行なうことになっている。煩雑な事務を避けるためのアウトソースということもあるだろうが、こうした行政関連サービスの分野における一種の民営化という側面もあるのだろう。

    一軒だけ、「ひとりでも申請できる」という代理店があった。手元にもうひとりの外国人の書類があり、とりあえずはその人と行くということで申請をして、当日はひとりで出発して、チェックポストでは「連れは急病で来ることができなくなった」と言えばよいなどと言うが、追い返されたりはしないだろうか。他のところはすべて「他に誰かいないと受け付けません」ということであったためやめておくことにした。

    数日後にチャングー湖に向かうというカップルには出会ったものの、私にはそれを待っている時間はない。雪の積もった高地で水面が凍結した様子はさぞ美しかろうとは思うのだが、この湖に固執する必要はなく、他にも訪れてみたいところがいくつもあるため、気分を変えて、ジープスタンドに出向いて、翌日ペリンに向かうシェアジープを予約することにした。

    昼過ぎに、A先生とガントクの北郊外で待ち合わせする。本日連れて行っていただいた先は、州政府エンポリアムに併設されているクラフト博物館と、各種伝統工芸の職工の訓練も実施されているワークショップ。博物館では、伝統的な工芸品、家具に衣装等が展示されており、興味深かった。この州に暮らしているブーティヤー、レプチャー、タマン、グルン、シェルパーその他の民族の生活ぶりが再現されている。

    ワークショップでは、木彫、タンカ描き、カーペット織り、機織り、竹細工その他、いろいろな工房がある。工芸の種類にもよるが、目が見えなかったり、足が不自由であったりと、様々な障害を持つ人の姿も少なくない。ここで得た技術で人々が自立して稼ぐことができるようになることを目指しているわけだが、ここで製作された工芸品もエンポリアムにて販売されている。

    機織り
    タンカ描き

    夕方、A先生と別れて街の中心のほうに戻る。宿泊先はガントクの中心部にしたのは正解であった。食事どころ、コーヒーやビールなどを楽しむ場所が宿のすぐ近くにあって便利だ。

    急坂ばかりの街なので、オートリクシャーのような気軽な乗り物がない。乗合で運行しているタクシーは、ルートを知っていれば便利なのだろうが、ほんの数日間のみの滞在で、土地勘のない身にはちょっと難しい。

    <完>

  • ガントクと周辺を見物1

    ガントクと周辺を見物1

    私の友人で、ガントクのカレッジで教鞭を取るA先生に連絡をとった。先生はコールカーター出身のベンガル人だが、スィッキム州で20年ほど暮らしている。

    この日は、先生があちこち案内してくださるとのことで、MGマールグで待ち合わせして久々に再会し、クルマでルムテク寺院へと向かう。ガントク市街地を出て西方向に向かってすぐのところのビューポイントからは、斜面に張り付く街並みを一望することができる。

    ガントクの街並み

    少し登った先にあるのがルムテク寺院。20年以上前に訪問している。寺院内部のたたずまいは覚えているがガントクからの道のりについてはまったく記憶がない。確か昔はお堂の中を撮影することができたが、今は禁止となっている。寺院に入る際にはかなり厳重なセキュリティチェックがある。

    ルムテク寺院
    ルムテク寺院にて

    これは外部からのテロに対する警戒ではなく、寺院内部での抗争が原因となっている。ルムテクは、カルマ・カギュー派の寺院だが、同時にカルマ・カギュー派を率いるカルマパ17世の正統性を巡る紛争の場でもある。現在、同派では二人のカルマパ17世が並立(泡沫候補的なスィッキム出身の自称カルマパ17世も加えると三人)しており、これを巡る派閥抗争で流血の惨事も発生するという、異常な事態となっている。治安当局が常駐して監視するという宗教施設内での対立としては非常に嘆かわしい状態だ。世俗を離れた僧院とはいえ、やはりそこは私たちの世界と地続きの「人の住む世」という気がする。

    続いて訪れたのは、1998年に完成したという新しいリングダム寺院。歴史はないが建物や内部の造りは見応えがある。ラダックの寺院とは違う気がするが、チベット仏教、チベット建築の知識があれば、具体的な違いが判るのだろうが、私にとってはどこか違う・・・としか感じられないのは残念だ。建材は日干しレンガではないのは、雨が多い地域だからだろう。

    リングダム寺院

    境内で記念写真を撮影しているチベット系のグループがあった。ひとり、ふたりでいるとそうとは判らなかったりするかもしれないが、大勢でいると地元のチベット系の人たちとは顔立ちがずいぶん異なることに気が付く。「ひょっとして?」と思って声をかけてみると、やはりラダックの人たちであった。

    リングダム寺院の境内でラダックから来た方々のグループと出会った。

    次の訪問先は山の中のバンジャークリー滝。おそらく雨季にはすさまじい水量になるのだろう。滝の周囲は整備された公園になっている。ここから再びガントクに戻り、エンチェイ寺院。ここでは着飾った女の子と家族が訪れていた。女の子はお調子者のようで、愛嬌たっぷりにポーズを取ってくれたので写真撮影。

    エンチェイ寺院
    いろんなポーズを取ってくれた女の子

    行く先々で、A先生の教え子、元教え子であった人たちと出会う。しばしば携帯電話にも教え子たちからの電話がかかってきて、人気者の先生であることがよくわかる。各所見学した後、MGマールグで食事をしてから先生のお宅にお邪魔させていただく。

    <続く>

  • ガントクへ

    ガントクへ

    実に20年以上の年月を経て、スィッキム州を訪問することになった。前回訪れたのは確か5月だった。平地の暑気から離れてホッと一息ついたものだが、今回はその反対。心地よい気候の平地から入ってくると、西ベンガル州の山岳地のダージリンにせよ、スィッキム州にせよ、日が沈んでからの寒さがとてもこたえる。日本の冬と同じような気温とはいえ、基本的に暖房がないので着込むしかない。しんしんと冷え込む中、さっさと寝てしまえばいいのだろうが、日記その他を書いていると寒さが骨身に沁みるような気がする、などと言っては大げさすぎるだろうか。

    バケツに温水を溜めて髪と体を洗う。湯を浴びているときはそれなりに気持ちはいいのだが、前後左右から冷気が迫るため、すぐに身体が震えるほど寒くなってくる。バスタオルで全身を拭くころにはすっかり冷え切っていて、即座にカゼを引いてしまいそうなくらいだ。背中から布団や毛布を羽織り、ベッドの上で足を投げ出して座ってしばらく書き物をしていると、膝に載せたノートPCの温もりが心地よく、湯たんぽのような効果があることに気が付く。

    夕方以降の室内の寒さは、西日の当たり具合にも左右されるようだ。ガントクでの宿のこの部屋は、午後の陽がまったく当たりないロケーションになっているようで、日没後に外から戻ってくると、室内のほうが寒かったくらいだ。

    今回、ガントクの街に着いてみて、果たしてこれが同じ場所なのかと首をひねりたくなるくらいだった。前回の訪問から20年以上の時間が過ぎているため、いろいろと大きく変わるのは当然であるにしても、これほど景観が変わってしまうとは想像もしなかった。何が大きく変わったのかといえば、ガクトクの建物のタイプが昔と根本的に異なっている。州都ガントクの中心部、MGマールグ界隈では、「昔と今」の鮮やかな対象を目にすることができる。

    ガントクの建物新旧 木造二階建て「イグラー」を取り囲むコンクリートの高層建築
    「イグラー」の建物は、ガントクにはごくわずかしか残っていない。

    マーケットの中にごくわずかに残る「イグラー」と呼ばれる、スィッキム州独自の木造建築だ。普通、建物は緑色に塗られており、トタンで屋根を葺いた二階建てだ。一階部分は店舗、通常二階は住居や倉庫となっている。前に訪れたときには、州都最大の商業地区MGマールグ沿いの店舗のほとんどは木造のこんなスタイルであった。現在、ガントクではこういう建物で新築する人はいない。斜面の街の限られた土地を有効活用するため、いきおい高層化することになる。建物がローカル色のあるものから、全インド共通のコンクリ柱とレンガで作る普遍的なものに置き換わったこと、加えて高層化により空が狭くなり、昼間でも通りが暗く、往々にして陽当たりも悪くなったといえる。

    2011年9月に発生したスィッキム地震の際、斜面という元々地盤の軟弱な土地であることもあり、多かれ少なかれ被害を蒙った建物はかなりあったという話は聞くが、全壊してしまったビルもあったというから恐ろしい。地盤がゆるく、傾斜のきつい場所には不釣り合いなほど高層であったことが災いしたということだ。

    2011年9月のスィッキム地震で全壊したビルの跡地
    しばしば地震が起きるスィッキム州。こういう建物もかなり危険なのではなかろうか。

    それはともかく、MGマールグ界隈では、申し合わせがあるのか、それとも条例で定められているのか知らないが、コンクリート造の建物の外装は薄緑色になっているため、ガントクらしい雰囲気と統一感はある。現在では車両乗り入れ禁止の遊歩道となっており、通りの中央には花壇がしつらえてあるなど、なかなか洒落た感じになっている。ライトアップされた夕方以降など、なかなかいいムードになる。

    なかなか洒落た眺めのMGマールグ

    それでも午後8時を回ると、開いている商店もごくわずかとなり、まるで深夜のような静けさとなるため、これが州都の中心地であるとはにわかに信じ難い気もする。

    こんなカフェも現在ではあって当然の州都ガントクのMGマールグ

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  • GALAXY Cameraの使用感

    GALAXY Cameraの使用感

    前から見ると普通のデジカメだが・・・。
    背面の様子はまるでスマートフォン

    先日、コールカーターで購入したGALAXY Cameraの使用感について述べてみたいと思う。

    コンパクトデジカメとしての性能や写りについては、正直なところ「並みである」といったところだ。35mm換算で、23mmから21倍という超高倍率な光学ズームが付いているが、正直なところ、そんな倍率は要らないので、もっと良質なレンズを搭載して欲しかった。できれば単焦点で、明るくて描写の良いものを積んでくれれば良かったのにと思う。

    だがこれについては、SAMSUNGは本来のカメラメーカーではなく、家電メーカーであること、技術的なこだわりよりも、マーケティングを最優先とする営業第一主義の会社なので、過剰な期待してはいけないのだろう。まあ、それでも並みの写りではあるが、決して日本メーカーの大衆向けコンパクトデジカメに比較して、描写が劣るわけではない。

    ただ、やはり韓国らしいテイストが明らかであるため、好みは人それぞれだろう。一言でいって、コントラストと色のメリハリがかなり強めであること。ちょうと韓流ドラマを観ていて、日本のそれと映像の具合、照明の当て方が異なることに気が付くのと同様に、デフォルトで撮影するとデジカメの画像の好みも韓国らしいテイストに仕上げてあることがわかる。これについてはカメラ自体の設定で調節することが可能だ。

    カメラとしてどうもいただけない部分もある。スマートフォンから発展したカメラなので仕方ないということになるのかもしれないが、画面側が総ガラス張りであるため、グリップ感が非常に良くない。うっかりツルッと手を滑らせて落としてしまいそうな気がする。実用的なカメラとしては、この部分についてはしっかりと考えて欲しい。

    取り付けることができるストラップは、ハンドストラップのみで、両吊りにして首からかけることができないのも残念。そんなわけで、私は底部の三脚穴に取り付けるストラップを使っているが、知らぬ間にネジが緩んでしまうことは珍しくないので気になるところだ。

    両吊りできないので、やむなく三脚穴にネジ込むストラップを利用

    カメラとしての性能や操作性はハイエンド機には遠く及ばず、大衆向けコンパクトデジカメと同等であるため、とりわけ最近はハイエンド機の低価格化が進む中、日本円にして四万円台前半から半ばくらいといった値段からすると、かなり割高感がある。

    ただし、GALAXY Cameraならではの利点もまた多い。カメラとしての基本的性能に関わる部分としては、画面にタッチシャッター機能が採用されているため、強力な手振れ補正機能と合わせて、手持ちによるスローシャッターで撮影できる領域が広がっている。

    また、このカメラの本領は通信機器としての優秀さにあると言い切って間違いない。マイクロSIMを挿入してネット環境を備えれば、撮影データをそのままウェブにアップして保存・共有することもできる。通話はできないものの、携帯電話としての通話機能がないことを除けば、Android搭載のスマートフォンとしての機能がすべて備わっている。テザリング機能により、これを介してPCその他の機器をネットに繋ぐこともできる。もちろんWifi環境のみで使用しても、ネット接続用のルーターを携帯することによって常時接続環境にあれば、利便性に遜色はない。

    4.8インチの画面は、通常のスマートフォンと比較するとかなり大型のカテゴリーに入るため、ウェブサイト閲覧やメール送受信には申し分ないし、電子書籍リーダーとして使えないこともない。折りたたみのBluetoothキーボードを接続して簡単な文書作成等にも使うことが可能だ。かなり高性能なCPUを搭載しているようで、実にキビキビとした快適な操作性を実現している。

    バッテリーはGalaxy SⅡと共通なので、ドコモショップに行けばいつでも手に入る。日本国内では並行輸入以外では未発売とはいえ、スペアバッテリーの入手に困ることはない。

    カメラ、スマートフォンの通話以外の機能、電子書籍リーダー、文書作成とネット閲覧機器(パソコン)等をひとまとめにすることにより、日常はもちろん、旅行先での荷物も相当軽減することができる。ガイドブックだって、PDF版をこの中に放り込んておけばよい。

    非常に魅力的なアイテムで、私自身はとても気に入っているのだが、それでもひとつ疑問に思うことがある。なぜ携帯電話機能が省略されているかということだ。あまり頻繁に通話するのならばちょっと面倒かもしれないが、マイク付きのヘッドセットを接続して通話するような仕様でもいいので、電話としての通話ができるようになっていれば、もっと良かったのにと思う。Skypeの利用は可能なので、発信することはできる。あるいはSkypeで固定電話や携帯電話から受信できるサービス、SkypeInを利用している方ならば、あまり不便は感じないかもしれない。

    カメラとしての機能・性能については、ハイエンド機ではないため、多くを望まないが、カメラに付随している通信機器としての性能が良好なだけに、電話機能がないことは大変惜しまれる。

    だが、それでもこれだけ多彩な機能が盛り込まれたカメラということで、indo.to推奨の「インドで大変重宝するカメラ」としてノミネートすることにいたしたい。

  • ダージリンのガイドブック 1896 & 1921

    ダージリンのガイドブック 1896 & 1921

    ダージリンのチョウラースターにある「Oxford Book & Stationary Company」という書店で、ちょっと気になる「ガイドブック」を見つけた。

    ひとつは1896年発行の「ILLUSTRATED GUIDE FOR TOURISTS TO THE DARJEELING HIMALAYAN RAILWAY AND DARJEELING」というもので、もうひとつは1921年に発行された「DARJEELING AND ITS MOUNTAIN RAILWAY」という書籍だ。どちらも復刻版である。

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    当時、スィアルダー駅からスィリグリーまでの列車は、現在のバーングラーデーシュ西部から北上するルートを走行していた。パドマー河を越える橋はなかったため、フェリーで対岸のサラー・ガートまで渡り、そこから乗り換えた汽車でスィリグリーに向かうといった具合であったことは、今ではあまり知られていないかもしれないが、分離独立前までインドと現在のバーングラーデーシュはまさに一体の関係にあったことが窺われるだろう。

    とりわけバーングラーデーシュ西部の鉄道ネットワークについては、今も昔も広軌が敷かれており、今のインドとの行き来はごく当たり前のことであった。それに対して、東部ではメーターゲージで、現在のアッサム州と繋がっており、こちらもまた相互補完関係というか、切っても切れない一体の関係があったわけである。

    それはともかく、当時、開業から十数年という草創期のダージリン・ヒマラヤ鉄道の息吹を感じるとともに当時の白人居住者たちに対する旅行案内書であることから、植民地の避暑地としてのダージリン、社交場としてのヒルステーションの雰囲気を味わうのに最適な書籍だ。

    山岳鉄道というもの自体が、素晴らしいハイテクの産物であった当時は、平地の鉄道技術者が次々に現地化、つまりインド人化されていっていた中にあっても、多くのイギリス人の(かなり貧しい)労働者たちがここで雇用されていたことについても言及されている。

    冒頭で言及した2冊の「ガイドブック」の発行年には、25年ほどの時差があるため、ダージリンやカルスィヨンといったヒルステーションの整備もかなり進んだように思われる記述が見受けられるし、後者の時代になると周辺地域でのトレッキング案内なども書かれており、だいぶ今の時代の旅行に感覚が近づいているようにも感じられる。

    ただし、その時代には今のような便利なアウトドア用品はないため、ガイド以外に食事係、荷物運び人その他の従者たちを大勢雇って出かけるものであったことが、記述内容からわかる。

    これらの書籍を購入した「Oxford Book & Stationary Company」は、Oxford University Pressとは全く無関係の書店ではあるが、創業1937年という、植民地時代から続く老舗であり、他にも面白い昔の書籍の復刻版はいくつも置いてあるようだ。上記2冊の古い時代のガイドブックは、どちらもダージリンでリプリントされたものである。

    もしダージリンに出かけるご予定があれば、ぜひ覗いてみることをお勧めしたい。

  • Dekeling Hotel

    Dekeling Hotel

    あまり料金が高いところに宿泊することはないのだが、それよりも個人的にちょっとこだわりたい部分はある。こだわりたいといっても、そうでないと泊まらないとか、その条件を求めて右往左往するというわけではないので、「あると嬉しい」といった程度ではあるが。

    1. 居室以外の「居住空間」的スペース

    ロビーが気楽に長居できるようになっていたり、何か簡単な食事や飲み物でも注文して口にすることができるようなスペースがしつらえてあったりするといい。同じように旅行している人たちと話す機会が増えるといいし、それもまた旅行の楽しみのひとつであるからだ。

    2. 充分な照明度の室内

    そして部屋の中は、往々にして薄暗いことが多いが、日本の家屋の室内並みに煌々と明るいといい。そうでないと、本などを読んでいても目が疲れて仕方ない。

    3. 書き物空間

    室内にはちゃんとしたデスクと椅子があって欲しい。ベッドに腰掛けて、あるいは足を投げ出して、膝の上にノートPCを置いて書き物をすると肩が凝るし、どうもリラックスできない。

    1については、ホテルの料金帯に関わらず、そういう環境があったりなかったりする。もっとも、あまり高い宿泊施設になると、客層自体があまり気楽に声をかけられる感じではなくなったりもする。

    2についても、料金レベルに比例するとはいえない。インドに限ったことではないが、南アジア以西の宿では室内がどうも薄暗い傾向は否めない。

    3は、料金帯に比例するというか、ある程度以上の料金帯のホテルになると、用意されていることが多い。だが、もちろんそれ以下のレベルの宿でこれらがあると非常に嬉しくなる。経営者にとっては、往々にして無駄な投資ということになるのだろうが。

    ダージリンで宿泊したDekeling Hotelは、これらの条件をすべて満たしたうえで、チョウラースターのすぐ下のクラブサイドの斜面に建っているため、ここからの眺めは抜群に良い。

    Dekeling Hotel

    上階にあるカフェ兼レストランの大きな窓からも坂に広がる街並みや遠くに望むカンチェンジュンガ峰の威容も目にすることができる。もうひとつ上の階にもソファの置かれたラウンジがあり、ここからの眺めも同様に素晴らしい。

    Dekeling Hotelのカフェ兼レストランからの眺め

    宿泊した部屋の一角には、小さな「書斎」といった感じのスペースが作ってあった。こういうのはなかなかないので、さらに嬉しくなる。ただし窓際で、折しも寒さの厳しい時期であるため、そこで何か書くという気にはならなかったが。

    Dekeling Hotelの女主人は、てっきりブーティヤー族だとばかり思っていたが、実は両親がシガツェから難民として逃れてきたというチベット人であった。インドに移住した二代目にして、このような人気の宿を経営するようになるとは、商いの才覚とともに大変な努力があったことだろう。ダージリンの町外れにもチベット難民居住区はあるが、そうしたところに暮らしている人たちの暮らし向きは決して豊かであるとはいえない。

    このホテルが入っている建物(下のほうの階には別のホテルがある)のグラウンド・フロアーには、Kunga’sといういつも込み合っているレストランがあるが、こちらもまた同様にチベット難民の経営だ。狭いスペースにテーブルとイスを無理やり押し込んであり、いつも誰か知らない人と相席になるが、この店が出す料理が旨い証拠でもある。

    Kunga'sのチベット式パンとオムレツのセット

    滞在先自体が魅力あふれる場所であれば、宿は「寝に帰るだけ」とも言えるが、宿泊先の居心地が良ければ、なおさらのこと滞在すること自体が楽しくなる。

    寒い朝は、チャーイで身も心も温まろう
  • ダージリンティーの茶園訪問2

    ダージリンティーの茶園訪問2

    ハッピーバレー茶園の製茶工場

    昨日カルスィヨンのマカイバリ茶園訪問で失敗したので、本日はダージリン市街地のすぐ外にあるハッピーバレー茶園に前もって電話してから訪問する。たがあいにく「ウチでは冬の茶摘みはしませんので、工場のラインは止まっていますが、それでもよろしければ・・・」という回答。この茶園では収穫期は春・夏・秋の3シーズンのみなのだという。

    茶園に到着すると、ちょうどそこにやってきたポーランド人の夫妻があり、茶園の職員に率いられて、一緒に工場内を見学する。この茶園は150年くらいの歴史があり、インドで茶の栽培が始まった初期のあたりからあることになる。茶の木の寿命を尋ねると、かなり長いらしい。茶園が始まったころからある木がまだ沢山あるとのこと。

    茶摘みの仕事をするのはすべて女性で、年代ごとにチームを編成し、若い人たちほど遠くのエリアで収穫作業をして、年上になるほど工場に近いエリアで茶摘みをするとのことだ。工場で働くのはほとんどが男性で、女性は数えるほどしかいないとのこと。茶摘み労働者たちの日収は90ルピーと少ないが、その代わりに住居、子供の教育のための学校、診療所は無料となっているそうで、家族のうち数人が茶園で働いていれば、なんとか食べていくことはできるだろう。ちょうどスリランカなど他国の茶園もそんな感じだ。

    加工ライン
    加工ライン
    加工作業に用いられる送風機
    これも加工ラインの一部
    ここで加工の最終段階を経て最後の選別場に作業は移る。
    ここで手作業にて茶葉を等級ごとに選別

    収穫期ではないので、空っぽになっている作業場を見学。コンベアの上の茶葉に、最初に常温の風を大きなファンで送り、続いて熱い風を送る。これにより、茶葉が握ってもちぎれることなく、ソフトになるとのこと。その後階下で発酵・熟成の過程があり、最後に茶葉をグレード別に選別するというラインになっている。摘みのシーズンにより、加工の時間は適宜変えるとのこと。通常、茶葉はサイズが大きいほどグレードが上になる。ひとつだけ「ALOOBARI」という別の茶園の名前が記されている加工ラインがあった。同じオーナーが所有する茶園だが、工場が併設されていないため、ここに持ち込んで加工しているとのこと。

    ハッピーバレー茶園工場のオフィス

    茶園のオーナーは外資系が多いらしい。インド人所有のものではマールワーリーのビジネスマンが経営するものが多いとのことで、このハッピーバレー茶園もまたマールワーリーの所有だ。地元民族であるブーティヤー、レプチャー、グルン等の民族が運営する茶園は存在しないそうだ。

    一緒に工場と茶畑を見学したポーランド人夫妻は仏教徒であるとのこと。日本国外でも盛んに布教活動を展開する創価学会かと思いきや、なんとカギュー派とのことで、チベット仏教徒である。ポーランドに僧院があり、そこで入信する人が少なくないとのこと。チベット仏教寺院がそんなところにあるとは驚きだ。これからスィッキムに行き、あるリンポチェに教えを乞うところなのであるそうだ。つまりこれは英語で行われるわけで、先述のポーランドにある寺院とともに、チベット仏教にはなかなか国際的な側面もあるかもしれない。

    三人でしばらく茶園を散歩する。茶園の中の集落で、ここで働いている女性に声をかけてみた。茶摘みのオフシーズンには何をしているかと尋ねてみると、それなりに仕事はあると言う。主に茶園の整備や木の手入れであり、この時期にはしばしば茶畑の専門家が来て、茶の木の健康状態をチェックしたり、病気等の駆除の手当等を行なったりするのだそうだ。

    茶畑

    茶畑の中に点在する集落の家屋は、どれもここで働く労働者のためのものであるようだが、どれもかなり清潔感があり、ある程度の居住スペースはきちんと確保されているらしいのは幸いである。

    茶畑従業員の住宅

    <完>

  • ダージリンティーの茶園訪問1

    ダージリンティーの茶園訪問1

    トイトレインのカルスィヨン駅
    トイトレインでカルスィヨン駅に着いてから、そのままシェアジープでダージリンに戻るのはもったいないので、しばしマカイバリ茶園を訪問することにしたのだが、製茶工場に着いてみると、あいにくこの日は休日とのことであった。せっかくインドのSIMが入った携帯電話を持っているのだから、事前に一本電話確認しておくべきであった。
    マカイバリー茶園の工場
    そんな訳で工場を後にして、坂道を下っていくと、普段は茶摘みの仕事をしているという地元の女性たちが、スマートフォンを大きなスピーカーに付けて音楽をかけて踊っていた。こうしたところで作業に従事する人たちの間でも、スマートフォンを持つことが決して珍しくない時代になっている。
    踊って休日を楽しむ茶園労働者の女性たち
    ところで「ダージリン」と一口で言っても、かならずしもここダージリンやそのすぐ近くで収穫されたものばかりであるわけではない。スィリグリーやブータン国境のジャイガオン等も含めて、北ベンガルの丘陵地やヒマラヤ斜面等に茶園が広く分布しており、その数83もある。茶葉の収穫時期は、春、夏、秋、そして現在の冬とあり、その時期によって味わいが違うということになっている。
    短く刈られた茶の木
    斜面に広がる茶畑に入ってみると、どの木も短く刈られているが、ちょうど12月から1月にかけての収穫期なので、本日のような休日以外には、茶摘み労働者たちが働く姿を目にすることができる。
    茶園のオフィス
    茶園のオフィスに日本語の看板もかかっており、「紅茶・緑茶・ウーロン茶」などと書かれているので、ここの製茶工場からは日本にも輸出されているのだろう。本日、話を聞いたり見学したりすることかできなかったのは残念だ。
    汽車が来ない時間帯はパーキングと化す
    カルスィヨンの町で遅い昼食を摂った後にダージリンへはクルマで戻ったが、汽車が通らない時間帯はレール上がパーキングのようになっている。日の上り・下りそれぞれ4本ずつしかないとはいえ、この緊張感の無さは何だろう。商店の軒先をレールが走っていたりもするが、幼児のいる家では大変な注意が必要だろう。ダージリンに至る前の名所「ループ」では、汽車の通行しない時間帯には店開きしている商売人たちの姿が多数ある。
    軒先を走る鉄路
    「ループ」で店開きする人たち
    そのループでは、インド国旗がこんな具合に翻っていた。思わず敬礼したくなる。
    敬礼!
    <続く>
  • ダージリンでトイトレイン乗車

    ダージリンでトイトレイン乗車

    ダージリン駅
    整備中の蒸気機関車
    イン鉄ファンの聖地、ダージリン・ヒマラヤ鉄道の終着点、ダージリン駅に行く。ダージリンにはこれまで3回訪れたことがあるが、事故で運休中であったり、数日先まで予約が一杯であったりして、ここからひとつ先で、インドにおける最高地点にある駅(海抜2,258m)のグムまで行き、そこにある鉄道博物館を見学してからダージリンに戻るという「ジョイライド」の経験しかない。
    グムの博物館は、トイトレインの歴史を知るうえで貴重な写真や資料が沢山展示されているし、今残っているスィリグリーとダージリンを結ぶ路線以外にも、かつてはカリンポンまで伸びている路線、ビハール州北西部のキシャンガンジまで結ぶ路線もあったことを知ることができるなど、いろいろ興味深いものがある。どちらの路線も崖崩れ等の事故により不通となり、モータリゼーションの時代に入りつつあったこともあり、廃線となっている。
    ダージリン駅に着いたときには、すでに午後4時を回っていた。ジョイライド以外の正式な出発便は、8 AM, 10:15AM, 1PM, 4PMとあるのだが、ちょうどこの日一番最後の汽車が出たところであり、シャッターチャンスを逃してしまった。
    窓口で、明日10:15 AMのチケットを予約できないかと尋ねてみると、案の定満席であるとのことであった。現在、トイトレインの運行はダージリンから四つ目の駅のカルスィヨンまでとなっている。そこから先は、2011年6月の大雨による崖崩れ、同年9月に発生したスィッキム北部を震源とする大地震の揺れとそれに加えての大雨による地滑り、2012年7月にも大規模な崖崩れが発生するなどして、ずいぶん長く国道55線の一部が閉鎖されているため、クルマはバイパスを迂回するようになっており、これに沿ってレールが敷かれているダージリン・ヒマラヤ鉄道もカルスィヨンから先への運行は停止されている。ダージリン・ヒマラヤ鉄道のウェブサイトにはその状況についての写真報告がなされているのでご参照願いたい。
    2011年8月撮影画像 (ダージリン・ヒマラヤ鉄道)
    2012年1月撮影画像 (ダージリン・ヒマラヤ鉄道)
    2012年1月撮影画像 (ダージリン・ヒマラヤ鉄道)
    2012年7月撮影画像 (ダージリン・ヒマラヤ鉄道)
    撮影時期不明 ティンダリア駅周辺の惨状1 (ダージリン・ヒマラヤ鉄道)
    撮影時期不明 ティンダリア駅周辺の惨状2 (ダージリン・ヒマラヤ鉄道)
    そんな具合で中途半端なところまでしか行くことができないので、ひょっとしたら前日でもチケットが手に入るのではないかと期待していたが、そうはならなかった。今ではネット予約できるようになっているので、事前に購入しておけば良かったのだろうが、今回は旅程が直前まで定まらなかったため仕方ない。
    ただし駅の窓口で「明日朝9時半に駅長室に行けば、クォータがあるかもしれない。」と言われたので、こちらに賭けてみることにする。突然、要人や任務を帯びた役人等が利用することがあるかもしれないので、多くの場合、鉄道では出発ギリギリまでそうした割当を留保しているものなので、出発直前になってそれらが売りに出されたりすることがある。
    もっとも、同じようなことを言われて来る人が他に何人もいるはずなので、馬鹿正直に言われた時間に出向いたりすれば、そんな席はとっくになくなっているに決まっている。その足で駅長室をノックして頼み込んだ結果、首尾よくチケットを手にすることができた。駅長氏の計らいと自分自身の幸運に感謝する。
    こんな装置も相当年季が入っているのだろう。
    翌朝、少し早めに駅に到着して、しばし写真撮影。やがて機関車とともに列車が入線してくる。昨夕のカルスィオン行きは蒸気機関車の牽引であったが、今回私が乗るものはディーゼル機関車であった。それでも200%の満足感がある。初めてダージリンを訪れて以来、22年間温めてきた夢であるからだ。カルスィヨンまでは3時間くらい。乗合ジープならばその半分くらいの時間で着いてしまう。それほど遅いのだ。
    駅構内
    トイトレインは発車
    130年以上の歴史を誇るこの鉄道は、地滑り以外にも、しばしば道路を横断するため、クルマとの衝突事故もたまに起こしている。おそらく道路交通との兼ね合いで、線路敷設してある場所を移した場所もあるようで、現在鉄路が走っているのとは違う部分にレールの痕跡が見られる箇所がある。タイガーヒルに行く途中にある「ループ」をグルリとトレインは周り、さらに高度を上げていく。
    楽しい車窓風景
    車窓からの景色は、シェアジープのものとはまったく異なって見える。窓の背が高いこと、スペースに余裕があることなどもあるが、やはり鉄路を走っているからということもあるだろう。イギリス時代には、このトイトレインとそのシステム自体が、とんでもないハイテクであり、民族主義という観念が頭を持ち上げる前には、ただひたすらイギリスからもたらされた新しい技術に、人々は感嘆していたに違いない。
    グム駅
    今ではずいぶん古びた乗り物になり、時間もジープの倍かそれ以上かかるので、まったく時代遅れで非実用的なものとなっているが、1999年に世界遺産に指定されたことでその存在意義を新たにしている。
    トゥング駅
    車内風景
    ダージリンからカルセオンまでの間、グムともうひとつの駅があり、そして今のところ臨時的に終点となっているカルセオンとなる。駅間の距離はかなりある。カルスィヨンは、イギリス時代から続く、もうひとつのヒルステーション。こちらにもまだイギリス時代の苔むした建物がいくつか残っており、なかなか味わいのある町並みを楽しむことができる。
    車窓風景
    カルスィヨン駅はもうすぐ先
    崖崩れで不通のため、当分の間終着駅はカルスィヨン
  • プランターズ・クラブ

    プランターズ・クラブ

    斜面の街ダージリンの坂道を上ってきて、チョウラースターに至るすぐ手前に「クラブサイド」と称されるエリアがあるが、かつて当地に在住していたイギリス人をはじめとする欧州人たちが集うクラブがあったことに因んでいる。
    向かって左は病院に転用
    真ん中はレストランになっている。
    そのクラブの建物は今もそのまま残っており、道路から向かって左側が病院に、中央はレストランに転用されているのだが、右手の部分ではその伝統あるクラブが今日も存在している。
    プランターズ・クラブ出入口
    「プランターズ・クラブ」というその名が示すとおり、今も昔も主にダージリン地区で茶園を営む人たちの社交場である。「関係者以外立ち入り禁止」と書かれているが、興味を持って覗きに来る外国人は少ないのか、見学したい旨伝えると快く迎え入れてくれた。
    クラブの歴代代表者
    入口には歴代の代表者の名前が書かれている。官尊民卑の植民地時代には、軍のタイトルを持ったイギリス人高官が続き、独立後は民間人が務め、しばらくの間はアングロ・インディアン、そして1970年以降はインド人が登場するようになり、1976年から1982年まで代表を務めたG.D. Taylor氏を最後に、アングロ・インディアンは姿を消している。クラブ職員の話では、現在もダージリンに残るアングロ・インディアンは数世帯のみとなっているとのこと。多くは本国に渡るか、第三国に移住しているとのこと。
    階段
    ラウンジを見せてもらう。ビリヤード台がある遊技場、立派なソファが置かれた談話室があり、動物の毛皮や頭部が飾られている。いかにも植民地のクラブという雰囲気が濃厚で、昔の面影を留めているというか、ほとんど変わらないのではなかろうか。かつてここを出入りしていたイギリス人たちの姿や会話が聞こえてくるかのような気さえするくらいだ。
    廊下
    植民地期に建てられた建築がどんどん失われていき、コロニアルなテイストのヒルステーションの特色が薄くなってきている今、大変貴重な空間である。
  • タイガーヒルの日の出

    タイガーヒルの日の出

    朝3時半に起きて、宿のすぐ下のタクシースタンドでシェアタクシーをつかまえて、タイガーヒルへと向かう。ここで日の出を拝むのはダージリン観光の定番ではあるが、こういう変な時間帯であること、外気は非常に寒い(暖房がないので室内も同様に寒いのだが)こともあり、かなりキツイ。
    乗客の大半は平地からやってきたベンガル人たち。みんな一様に寝ぼけ眼で無口。タイガーヒルまでは30分くらいだろうか。展望台手前のチェックポストで入場料を払い、再度クルマに乗り込んで展望台へ。
    日の出見学後の帰途でクルマがわからなくなりそうだったので、念のためフロント部分を撮影しておいた。
    眼下に見えるダージリンの街はまだ深夜の雰囲気。夜明けまではかなり時間がある。寒さに震えながら日の出を待つ。やがて東の空が少し明るくなってくると、沢山集まった人々が写真撮影に格好のスポットをすでに占領しているが、彼らはより寒いところで我慢していたのだから仕方ない。
    寒風を避けて展望台の中で夜明けを待つ人々
    東の空が少し明るくなってきた。
    太陽が頭を出すまでもう一歩・・・。
    しばらくすると太陽の上端が少しのぞいてきて、やがてどんどん上がってきた。ダウンやフリースを沢山着込んでいるものの、あまりの寒さに手足がブルブル震えて、眺めを楽しむ気持ちの余裕があまりないものの、神々しく美しい日の出と、朝日に鮮やかに染まっていくカンチェンジュンガ峰を目の前にして、やはり旅行中の早起きは大いに得することを実感せずにはいられない。
    お見事な日の出!
    陽光を浴びて燦然と輝くカンチェンジュンガ峰