あまり料金が高いところに宿泊することはないのだが、それよりも個人的にちょっとこだわりたい部分はある。こだわりたいといっても、そうでないと泊まらないとか、その条件を求めて右往左往するというわけではないので、「あると嬉しい」といった程度ではあるが。
1. 居室以外の「居住空間」的スペース
ロビーが気楽に長居できるようになっていたり、何か簡単な食事や飲み物でも注文して口にすることができるようなスペースがしつらえてあったりするといい。同じように旅行している人たちと話す機会が増えるといいし、それもまた旅行の楽しみのひとつであるからだ。
2. 充分な照明度の室内
そして部屋の中は、往々にして薄暗いことが多いが、日本の家屋の室内並みに煌々と明るいといい。そうでないと、本などを読んでいても目が疲れて仕方ない。
3. 書き物空間
室内にはちゃんとしたデスクと椅子があって欲しい。ベッドに腰掛けて、あるいは足を投げ出して、膝の上にノートPCを置いて書き物をすると肩が凝るし、どうもリラックスできない。
1については、ホテルの料金帯に関わらず、そういう環境があったりなかったりする。もっとも、あまり高い宿泊施設になると、客層自体があまり気楽に声をかけられる感じではなくなったりもする。
2についても、料金レベルに比例するとはいえない。インドに限ったことではないが、南アジア以西の宿では室内がどうも薄暗い傾向は否めない。
3は、料金帯に比例するというか、ある程度以上の料金帯のホテルになると、用意されていることが多い。だが、もちろんそれ以下のレベルの宿でこれらがあると非常に嬉しくなる。経営者にとっては、往々にして無駄な投資ということになるのだろうが。
ダージリンで宿泊したDekeling Hotelは、これらの条件をすべて満たしたうえで、チョウラースターのすぐ下のクラブサイドの斜面に建っているため、ここからの眺めは抜群に良い。
上階にあるカフェ兼レストランの大きな窓からも坂に広がる街並みや遠くに望むカンチェンジュンガ峰の威容も目にすることができる。もうひとつ上の階にもソファの置かれたラウンジがあり、ここからの眺めも同様に素晴らしい。
宿泊した部屋の一角には、小さな「書斎」といった感じのスペースが作ってあった。こういうのはなかなかないので、さらに嬉しくなる。ただし窓際で、折しも寒さの厳しい時期であるため、そこで何か書くという気にはならなかったが。
Dekeling Hotelの女主人は、てっきりブーティヤー族だとばかり思っていたが、実は両親がシガツェから難民として逃れてきたというチベット人であった。インドに移住した二代目にして、このような人気の宿を経営するようになるとは、商いの才覚とともに大変な努力があったことだろう。ダージリンの町外れにもチベット難民居住区はあるが、そうしたところに暮らしている人たちの暮らし向きは決して豊かであるとはいえない。
このホテルが入っている建物(下のほうの階には別のホテルがある)のグラウンド・フロアーには、Kunga’sといういつも込み合っているレストランがあるが、こちらもまた同様にチベット難民の経営だ。狭いスペースにテーブルとイスを無理やり押し込んであり、いつも誰か知らない人と相席になるが、この店が出す料理が旨い証拠でもある。
滞在先自体が魅力あふれる場所であれば、宿は「寝に帰るだけ」とも言えるが、宿泊先の居心地が良ければ、なおさらのこと滞在すること自体が楽しくなる。